曇りのち晴れ男
「ねえ。前からすっごく、ものすごく気になってたことなんだけどさ」
遅めの夕ご飯を食べながら、いかにも不機嫌そうに香織が言った。
「どうしたの?」
平然とした様子でお母さんが答える。
「どうしたの? じゃないでしょ。
何でコイツがあたしらの家に毎晩毎晩夕ご飯を食べてるのよっ」
お箸で「コイツ」と呼んだ人間のほうを指す。
お察しの方もいると思うが、健である。
「人を箸で指したらだめだろ。行儀悪いなあ、もう」
「そうよ、香織。そんな行儀悪いことしたらだめよ。
それとね。健君を呼んだのはお母さんだからいいのよ。
香織も素直になりなさいよね。キスまでした仲なんだから」
……何で知ってるんだ!!!この女は!!
「し、ししししてるわけないじゃん。こんな変態と」
してないしてない。あれは夢だったのだ。香織は自分に言い聞かせる。
キス?何それ?どうやってするの?どこの言葉?
「これからも香織のこと、よろしく頼むわねえ。
ほんと、まだまだ子供ですけど」
おいぃい!? いい加減にしろー!!
何だ、この異常に小説史上最速の展開。
「ちょっと、お母さん! いい加減にしてよね!
頼むからこんな変態によろしく頼まないでよ」
今にも泣き出しそうな顔で必死に言う香織。反対に他二名は笑っている。
だんだん二人は調子に乗ってきて、ついには
「健君。式はどこで挙げたい?」
「そうですね、やっぱりチャペルがいいですね。
まあ『新婦』と相談しなければならないんですがね」
「ああー!! 二人のバカーっ。特に変態のほう!」
香織が熱くなればなるほど、二人は盛り上がっていた。もうここまできたら、二人を止めることは不可能である。なんとも馬鹿らしい理由にて、二人は盛り上がっているのか。香織は冷めて、一言呟いた。
「ごちそうさま。食べたらさっさと帰ってよね、変態」
ふん、とキッチンに食べ終わった食器を持って行く。そのままどかどかと階段を上って自分の部屋に入る。ガチャン、と少し乱暴にドアを閉める。
もう夏休みも後半だというのに、宿題には全くと言っていいほど手をつけていない香織。そろそろやばいかもしれないと思って勉強机に積み上げてあるいまいましい宿題を取り出すが、結局問題を一・二問解いたところで少し気に入ってるみかんのシャープペンシルをことんと置く。
最近、何事にも力が入らない。集中力がなくなっている。
「ああ、もう。何なのよ」
気がつくと、考えている。馬鹿馬鹿しいがどうしても。
「おーい。香織ー? 入るぞー」
……来た。香織にとっての集中力無くし魔が。
「入んないで。今宿題してるの」
「お邪魔しまーす。あ、布団敷きっぱなし」
香織の声は完全に聞こえているはずなのだが、平気な顔をしてずかずか乗り込んでくる集中力無くし魔。
「何で入ってくるのよ、バカ。……ていうか、あんた……。まさかとは思うけど
お母さんに、キキキ、キ…スした事、っていうかあんたが勝手にだけど……。
言ってないでしょうね」
やっぱりどうしても「キス」が言えない。
「キキキ、キ…スだってよー。あはははっ」
「黙れっ。バカっ。そんな事言えなんて言ってないでしょ。
で、どうなのよ」
何のか分からないがその場にあったノートで集中力無くし魔をバシバシたたく。
「痛いっ。痛いって! 言うわけねーだろ、そんなこと。お前じゃあるまいし」
「お前じゃあるまいしって……。ほんと何なのよー!
っていうか、じゃあどうしてお母さんが知ってるのよ」
「知るかよ。適当に言ってるだけだろ。
……あ、この布団気持ちいいな。お前の匂いがする。
さあお前も来い! 水川健のもとへ!」
たわけた事をほざきながら仰向けになって両手を大きく広げる健。ほとんどの人が察していると思うが、集中力無くし魔とは健のことである。
「男臭くなるでしょうが。早く出てよっ……わあっ」
勉強机の椅子を浮かして寝ている健を手で追い払っていると、バランスを崩してしまい、椅子が倒れてしまった。無論香織は布団へダイブ状態。
「おー。来たか。ダイブするほど俺のことが好きなのかー。よしよし。
可愛いやつだなあ。ったくー」
よしよしと頭を撫でられて、香織はものすごく恥ずかしくなってしまった。
恥ずかしくなるとどうしても無言になってしまう。
いつも、こういうような雰囲気になると、思う。変態って、本気で思っているのに。どうして。なんだろう、この安心感。何だかんだ言って、香織は健を信頼している。
「……ほんと、可愛いやつ」