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雨女について

彼女は走っていた。

雨が降っていた。彼女が走っていた原因もそのせいだった。

 家を出るときは肌にじりじりと照りつけていた太陽が、ちょうど切らしていた牛乳とシリアルを買ってスーパーから出たときにはもうどこにも見当たらなかった。

 彼女は雨女だった。彼女自身も承知の上だった。

でも、今日という今日はこんなに晴れているんだし。と、傘も持たずに家を出た。

 はじめは小降りだった雨も次第に強くなり、彼女は体中ずぶぬれになってしまった。

 近くで雷鳴まで聞こえる。

仕方なく、彼女はちょうど近くにあった喫茶店に飛び込んだ。

 何せ、家に着くにはあと10分はかかる。

「最悪……」

最近買ったばかりのTシャツは、泥がはねていて無残な姿で弱々しかった。

喫茶店にいる人は、ちらちらと彼女のほうを見ていた。

「あら、香織ちゃん」

声が聞こえた。彼女はふり向く。

カオリは、彼女の名前である。

「あ、……こんにちは」

この人は確かお母さんの友達の……誰だったか。名前を忘れていた。

だから仕方なしに挨拶だけにした。

「こんなにずぶぬれになって。風邪引くわ。

 服貸すから、こっちにおいで」

 親切なおばさんは、彼女が否定するのも聞かず、

彼女にとってはちょっとダボダボの夏だと言うのに長袖のTシャツを着せた。

「ごめんなさいね。その服、私のじゃなくて

 健のだからちょっと大きいわねえ」

ケンノダカラ……? 彼女はふと首をかしげる。

「今ちょうどあの子、東京から帰って来てるのよ。

 だからうちの喫茶店、手伝ってくれてる」

「ケン……?」

誰だそりゃ。

無理も無い。彼女は目の前のおばさんの名前すら覚えていないのだ。

「あ、香織ちゃんはあれね。

 健にあったことないか。

 健はうちの息子。美里ちゃんの生まれる前はよくそちらの家に

 健を預けてたのよ」

ケンの服。

そういわれてみると、男っぽいTシャツだ。

 しかし、顔も知らないケンという男の昔話なんて

実際、どうでもよかった。

「……そうですか。

 ありがとうございます。すいません、迷惑かけて。

 あしたそちらに返しにいきますね」

「明日は喫茶店やすみだから、また今度でいいわよ。

 いつでもOKだからね」

にこりと笑って、調理場のほうにそのお母さんの友達は行ってしまった。

「まあいいや。明日お母さんに家聞いて、返しに行こう」

一人で呟いて、彼女は喫茶店を後にした。

「ただいま」

いつもなら、おかえりと返事が返ってくるはずなのに今日は何も返ってこなかった。

変に思い、リビングへと入る。

「香織? あぁ、おかえりなさい。

 ごめん、ごめん。寝てた」

お母さん。

高校生になった今でも、香織は自分のお母さんが大好きだった。

父を早くに亡くしてから、女手一つで育ててくれた母には

とても感謝している。

かと言って、何かしているわけでもないのだが。

「すごい雨だったでしょ。買い物お疲れ様」

「喫茶店でTシャツ貸してもらっちゃった。 

 そこの……なんだっけ。

 お母さんの友達の経営してるところ」

「あら。水川さんに貸してもらったの。悪いわね。

 そういえば、健君帰ってきてるそうじゃないの」

 そうだ、水川さんだ。思い出した。

 ケンってのは知らないけど。

「うん。これ、そのケンって人のTシャツだって。

 明日返しに行くから家どこか教えてよ」

言いながら、Tシャツを洗濯機に放り込む。

「そういえば明日は休みだったわね。

 水川さん宅なら、香織の学校の裏に大きい

 やけに目立つオレンジ色の家あるでしょ。

 その家の隣よ」

「ん……分かった」

洗濯機のスタートボタンを押した。

派手な音を立てて動き出す。

「ケンって人、今いくつなの?

 あたしが生まれる前から家に来てたりしてたんでしょ」

「健君? えっと確か……香織より5つ上だったと思うから……

 今は22歳ね」

「……22歳」

大学生かな。と思った。

でも、別に興味があったわけじゃないから、実際どうでもよかった。

「かっこいいわよー。背が高くて、さわやかで明るくて。

 香織と結婚して欲しいくらいよ」

突然母が意味不明なことを言い出すので香織はあわててしまう。

「ちょ、変なこと言わないでよね。

 あたしは、そのケンって人の名前さえ知らなかったんだよ。

 何故一気に結婚まで行くんですか」

早口に言うと、母は小さく笑った。

「冗談よ、まだまだ子供ね。

 すぐに熱くなる」

「もうっ。馬鹿なこと言わないで。

 疲れたから寝る」

その日、香織はもうよくわからないが疲れていた。

母は香織が疲れているのを悟って、お風呂を沸かしてくれていた。

「いつでも入りなさいよー」

「うん、ありがと」

お言葉に甘えて、香織はお風呂に入ることにした。

 お風呂に入るといつもでてくる、「恋」の文字。

なんでだろう。いつも恋のことを考えてしまう。

 香織はまだ、誰かを本気で好きになったことがなかった。

かっこいいと思った人のことを「好き」ということなんだと、信じていた。

だから、恋なんて面白くもないものだと思っている。

でも、もしかしたら違うかもしれない。

 もっともっと、恋って、いいものなのかもしれない。

「ああ、恋がしたいな」

一人で呟いて、馬鹿なことを言った、と香織は一人で後悔した。


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