せめてお話などしていただきたい
それから程なくして、魔王城本丸6階、すなわち魔王城に据えられた魔王軍指揮統制本部は大混乱に包まれた。
本丸第一階層に設けられていた衛兵本部は、とっくの昔に破壊されていた。
「警報!警報!対象Aは第3階層を突破し依然進行中!こちらに向かってきます!」
「第4階層防衛線衛兵第3中隊、対象Aと接触!交戦に入りました!」
「衛兵第4中隊、第5中隊は装備オメガで第5階層にむかえ!手足の2、3本はもいで構わん!とにかく止めろ!!」
『HQ、HQ!こちら第3中隊、ロメロ中隊長重傷!中隊本部およびA小隊B小隊壊乱!戦闘不能多数!D小隊の小隊長も重傷です!』
「こちらHQ、第3中隊!最先任は誰だ!」
『自分です、ヘイデン少尉であります!』
一方の壁面に掲げられた3枚の巨大な状況表示板。
そこに映しだされたものは、崩壊してゆく魔王城の防衛体制。
その前に階段上に並べられた管制卓からは、負傷した衛兵たちの悲痛な叫びとそれに応じる統制官たちの声。
100人ほどを詰め込んでもまだ余裕がある広大な部屋に響き渡る数々の声は、魔王城の断末魔の叫びだ。
「昼行燈か。他に将校はおらんのか!」
『おりません、将校が真っ先に狙われました。自分以外の将校は全員戦闘不能です。自分は側面防備に出ていて難を逃れました』
「くそ。対象Aの位置は把握しておるか」
『シーフもしくはレンジャー資格持ちの兵員で斥候班を編成、距離をとって監視下においています。対象は現在上層階への階段を探して徘徊しておるところであります。中隊残余はC小隊を用いて掌握作業中であります』
「よし、少尉。なんとしても時間を稼げ。あと40分は必要だ。第5、第6階層はまだ防備が整っていない。階段などは破壊して構わない。火を放つこと、天井を抜くこと以外の一切の自由行動を許可する!」
『了解しました!ヘイデン少尉は直ちに第3中隊残余を掌握、上層階の防備が整うまで対象Aの行動を阻害します!』
状況表示板から反対の壁に向かって階段のように段差が設けられた指揮統制本部、その最奥は司令官座席、すなわち魔王の玉座である。
管制卓から聞こえる前線将校と衛兵司令の会話を耳にした執事が、玉座に座る魔王ギュスターヴに警告する。
「陛下、このままでは危険です」
「わかっている。奴の狙いはこの私だ」
「ならば急ぎ脱出を」
「ならぬ。どこへ逃げてもあの者は追ってくるであろう。諸君らの献身、武勇を疑うわけではないが、そのような事になれば国は滅びる。どうであれ、この城で決着を付けねばならぬ」
そこまで言うと魔王はすっくと立ち上がった。
「姫がここに来たならば伝えよ。天守で待つ、と」
「ならば魔王さま、今ひとたびのお願いが」
「申せ」
「武装メイド隊出撃の許可を」
執事の提案に、魔王は儚げな微笑を浮かべた。
「差し許す」
一方、アシュリー姫は意外にも第4階層で手間を食ってしまっていた。
この大魔王城攻防戦において、第3中隊応急指揮官”昼行燈”リンクス・ヘイデン少尉が激賞された理由がここにある。
中隊の指揮を引き継いだあとの彼は普段”昼行燈”と揶揄されているとは思えぬほど迅速果敢に行動し、上の階層の防備を整える時間をつくりだしたのだ。
相次ぐ重傷で(死者はなかった)中隊将兵がバタバタと倒れるなか、彼はまず自分の指揮していたC小隊の人員を用いて中隊残余を素早く掌握しつつ、アシュリー姫と距離を取ることに成功。
その後は編成した斥候班でアシュリー姫と距離を取り動向を把握しつつ、野戦魔術師、弓兵、剣技兵、槍兵を組み合わせた機動火力分隊を複数作ると活発に活動させ、廊下や部屋といった”地域”の保持ではなく、アシュリー姫の注意をそらして”時間”をかせぐことにのみ専念したのである。
大小さまざまな部屋が雑然と並び、入り組んだ迷路のような第4階層の構造を大いに活用したのは言うまでもない。
この「地域を捨てて時間を稼ぐ」という発想は、のちに魔王軍や周辺諸国に大いに影響を与え、後に機動防御戦術や焦土作戦、内戦作戦といった発想を生み出した。
一方でこの戦いは、のちの時代に市街地戦の教科書問題に選定される題材になったのだから、彼の功績がいかに大きいものかは理解してもらえるだろう。
『C2分隊、配置につきました』
『C3分隊、援護位置に到着』
『D1分隊、同じく』
『S3班、対象の監視を継続。H3通路を北上中、間もなくN22交差点です。あと10秒』
魔導通信の報告は非常にクリアだ。
「こちらヘイデン。C2、C3、D1、やれ」
すぐに遠くで魔法の炸裂音と弓の弦が鳴る音が聞こえた。
「各班報告」
通信相手の兵たちからだいぶ離れた廊下の片隅で魔導通信機の送受話器を握ったヘイデンは、普段とかわりなく落ち着いた――どことなく眠そうな声で命じる。
『C2分隊、損害なし。撤退中です』
『C3分隊、流れ矢で1名軽傷。撤退中です』
『D1分隊、全員無事です、撤退中。C6、すまない』
『S3班、対象の監視をS1班に引き継ぎ、N20E12へ先行します』
『S1、接触を開始。対象をE12方面へ誘引します』
部下たちの元気な声が戻ってきた。
掌握した部下たちは、ヘイデン少尉が中隊を立て直したのをみて素直に応じてくれている。
概ね計画通りに事態が進行していることに満足を覚えたヘイデンは一瞬だけ頬をゆるめ、また引き締めた。
その横顔は大人のようにも少年のようにも見える。
幸運にもお○んぽをねじ切られることもなく数々の功績をあげ、軍事史に大いに名を残すことになるヘイデン少尉は、このときわずか19歳。魔族領の法律においては、一応の成人だ。
耳が少し尖り、髪の毛は飴色。それぐらいしか特徴はない。
この偉大な”昼行燈”、貴族階級でもなければ種族もはっきりしない混血の青年が少尉に任官できたのは、14歳から17歳のときまで参加していた対シェパーズラント軍ゲリラ活動での功績が認められてのことである。
「各分隊、聞いてのとおりだ。同じように相手を引きずり回せ。一撃したら分隊ごとに離脱、新たな待ち伏せポイントで待機。接敵したら必ず二個分隊以上で十字射撃を浴びせるんだ。火属性と雷属性の魔法はまったく効かないから気をつけろ。風、水、土属性魔法でならよろめかせるぐらいはできる。あと最低30分は中央ホールにも東西両階段にも近づけさせるな。A小隊、B小隊、どうか」
『A小隊、ゼッド軍曹です。準備完了』
『B小隊、レックス軍曹です。同じくセット完了』
「良いぞ諸君。別名あるまで待機だ」
ヘイデンは落ち着いた表情で周りを見渡した。
供回りは通信兵と別の魔導通信機を抱えた中隊曹長、護衛代わりの兵2名の、わずかに4名。
マジックワンドを慎ましやかな胸に抱え、ビクビクと周囲を伺う通信兵の頭をほとんど無意識の行為としてグシグシと撫でるヘイデン。
子猫のような通信兵はこの戦いが初の実戦のはずだ。
通信兵はビクッとして身をすくめたが、猫耳を少し下げてちょっとくすぐったそうにした。
「どうかな、曹長」
ヘイデンは新たな細巻きに火をつけながら言った。
曹長が床に広げたフロアマップに視線を落とす。
「順調ですね。失礼ですが、正直こううまくいくとは」
ヘイデンの父親のような年齢の、ホブゴブリンの曹長はぶっとい指でアシュリー姫の進路をなぞりながら丁寧な言葉づかいで中隊応急指揮官に答えた。
中隊本部が急襲され大混乱に陥った時、誰が自分のお◯んぽを救ってくれたのか、よく理解しているのだ。
曹長がなぞったアシュリー姫の進路は、右往左往という言葉がぴったりだ。
「面識はないが、彼女の戦い方はよく知っている。攻撃してくるところが弱いところ、っていうのをよく知っているんだ、彼女は。だから攻撃された方につい向かってしまう」
「囮だと気づいて反転しても、そっちからも撃ってくる。探す本隊は藪の中ってわけだ。なんにせよ、このままなら上の階が言ってきた”時間”も、あと30分程度は稼ぎだすことは可能です」
「時間稼ぎと言わず、できればこの階で決着をつけたいもんだがね」
ヘイデンはさらりと言いながら、曹長に火がついたままの細巻きを差し出した。
曹長は拝むようにしてそれを受け取り、迷わず咥えた。
「そいつぁ無理ってもんですぜ。魔法は通じない、剣や槍じゃ見切られる、可能性があるのは弓矢だけってんじゃ、こちらの矢が尽きた瞬間に終了です。なにしろ」
「なにしろ相手はあしゅらちゃんだからなぁ。下の階の再編はどうなってる?」
ヘイデンは手を振って曹長に詫びた。ちょっと言ってみたかっただけらしい。
「下の第1、第2中隊で戦闘可能な兵と下士官はざっと2個小隊ですね。将校殿は全員重傷です。第1、第2中隊残余は第2階層まで撤退完了。負傷兵も第一階層の安全な場所で治療中です。中央ホール直下、東西両階段の直上と直下には誰もいません。上層階も階段閉鎖の準備は完了してます」
「僕らごと彼女をここに閉じ込めてもいいんだろうが、そうなると火でもつけられかねないからなぁ。上に行けると思わせ続けることは大事だろうな。よし。そろそろ僕らも行こう。いい加減に仕事をしなきゃあ」
「はい、少尉殿」
ヘイデン少尉たちが向かった先は第4階層中央ロビー。
細かな部屋と通路で迷路が作られた第4階層で、たった3つ存在する上層階への階段のうちの1つがある。周りは大きく開けており、一個小隊程度の部隊が戦闘するには十分な面積がある。
下の階層から上がってくる階段は離れた場所にあり、曲がりくねった通路を何度も行ったり来たりしなければここへ辿りつけない。その点は東西の階段も同様。
つまり魔王城の構造として、侵入した敵をこの階層で食い止めるようになっているのだ。
実際のところ、ヘイデンはそれをそのまま活用しているに過ぎない。
中隊長がお◯んぽをねじ切られたのは、数に頼って正面からぶつかろうとしたからだ。
最初からヘイデンにようにしていれば、少なくとも怪我人はもっと少なくて済んだというのに。
「S1、どうだ」
階段の中ほどに座り、通信兵の頭をモフモフモフモフモフモフモフモフしながらヘイデンは問うた。
通信兵の目はトロンとなり、腰をもじもじさせてしまっている。
『中隊本部、対象の歩みは遅くなりました。時々床や壁を叩いて大きな音を出しています』
「中央ホールには向かっているか」
『いえ、中央ホールを中心に大きく旋回しています。こちらの誘いにも乗りません』
報告を聞いてヘイデンは眉を大きくしかめた。
僅かに迷い、命令する。
「曹長、ちょっと早いがやるぞ」
「了解しました、少尉殿」
「第4階層、ヘイデン少尉より上層階へ。これより東西両階段を爆破します。爆破確認後ただちに開口部の封鎖をお願いいたします」
『第5階層、ヴィジャヤンタ少佐だ。承知した。武運を祈る』
「A小隊、B小隊、爆破!」
ヘイデンは送受話器に向かって怒鳴る。
同時に曹長は散開した各分隊に中央ホールへのアシュリー姫の誘引を命じている。
『爆破』
『爆破!』
くぐもった爆発音が、ほとんど同時に東西から聞こえてきた。
『東階段、爆破成功』
『西階段、同じく爆破成功』
「ようし、君らは事前の計画通り中央ホールを包囲しろ。ヴィジャヤンタ少佐、じきに対象と接触します。中央ホール周辺に注意願います」
「少尉殿!」
曹長が叫んだ。
彼の指差す方向を見ると、果たしてそちらの方の廊下から戦闘騒音が聞こえてくる。
距離はかなり近い。
と、間もなくそれが姿を現し、その背後から流れ矢も飛び出してきた。
「撃ち方止め!撃ち方止め!」
ヘイデンは立ち上がり大声で叫んだ。
階段を降り、一番下の段で立ち止まる。
「シェパーズラント藩王国、王位第2継承者、アシュリー姫殿下とお見受け申し候!不躾なれど申し上げ候!某は魔王軍少尉、リンクス・チェレステ・ヘイデンなり!姫殿下のお怒りもっともなれど、ここを通すわけには行き申さぬ!おとなしく縛に付かれよ!それはならぬとおっしゃるならば、せめてお話などしていただきたい!」
ヘイデンは普段の態度からは想像もつかぬ立派な武者振りを示した。
その顔に気負いや照れはない。
「いかにも、アシュリー・シェパーズラントです。ヘイデン少尉、あなたの手腕、大変感服しました。あなたがここにいなかったら、私はもっと早く上に行っていたでしょう。でなくとも、この階は血に染まっていたかも。正直ここまで追いつめられるとは、思ってもみませんでした。それゆえ、先ほどいただいたご提案、誠に興味深く感じます。私もできることなら、話し合いで解決したかった」
アシュリー姫はホールへ5歩のところまで歩み出て、ヘイデンの目をまっすぐに見つめ、ニッコリとした。
「けれどそのどちらのご提案も私は受け入れることはできかねます」
その目を見て、ヘイデンは気づいてしまった。
自分たちが勝利できないことに。
自分たちの努力が徒労に終わってしまうことに。
彼女に気づかせてはならないことを気づかせてしまったことに。
「ごめんなさいね」
次の瞬間、アシュリー姫は自分の背丈の3倍ほどもある高さの天井へと飛び上がり、一気に打ち崩した。
もうもうたる土煙があがり、ヘイデンたちの視界を奪う。
「ちくしょう!」
「いけません、少尉殿!」
とっさに駆け寄ろうとしたヘイデンは子猫のような通信兵とホブゴブリンの曹長よって押しとどめられ、彼は下唇を噛み締めた。
内心はやり過ぎてしまった自分への憎悪が渦巻いている。
くそったれめ、一体何のためにここまで時間を稼いでお膳立てしてきたというのだ!
せっかくあしゅらちゃんの直筆サインがもらえるチャンスだったというのに!




