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ねんがんの 人形 をてにいれたぞ!

作者: あさか

 放課後、教室の中。

 同級生たちは教室から徐々に姿を消し、教室に残っているのは私だけとなった。


 私は彼……『主様あるじさま』を待っている。


 教室の外では部活動に向かう者や、下校後の予定について話し合う同級生たちの喧騒に満ちている。

 私はそんな喧騒を尻目に窓の外を眺める。

 空は夕陽に照らされ、グラウンドや校舎が茜色に染められている。


 夕陽は好きだ。綺麗だし、淡くぼんやりとしていて。

 呆けたように窓の外を眺めている内に教室の外の雑踏も無くなり、私を静寂が包み込む。

 私は目を閉じ、微かに届く風の音に耳を傾けることにした。



 「おい」

 静寂に包まれた教室の中に、ガラリとドアが引かれる音と男の人の声が響く。

 『主様』が来たようだ。

 主様は決して私の名前を呼ばない。

 いや、そもそも私の名前を知らないのかもしれない。

 主様が私に名前を聞いてきたことはなかった、そしてそれは私にとってありがたいことだ。

 私は、私の名前があまり好きではない、名前の響きが嫌な訳ではないが、私は、私の名前に対してあまりにも相応しくないのだ。


 「帰るぞ」

 教室の入口に立ったまま主様が言う。

 「はい」

 私は答える。

 私の声はとても小さくて弱々しい、小さな頃からずっとそうだった。

 私の声が届いたかどうかわからないが、主様はすでに私に背を向け歩き出している。

 私は少し小走りになって主様の後を追った。



 主様の少し後ろを追う形で、私は夕闇に包まれていく通学路を歩く。

 一応、二人で一緒に歩いているのだが、私たちは会話を交わさない。

 主様は私が話すことをあまり好まない。

 

 主様は端正な顔立ちをしている。

 綺麗に整った髪や、切れ長の目、上品な口元は、私が小さな―――私が本当に小さかった頃憧れた絵本の王子様を彷彿とさせる。

 ただ、目に険があり、いつも険しい表情を浮かべている。

 そこは、ちょっと怖い。


 「おい」

 「……はい」

 主様が前を向いたまま私に声をかけてきた。

 無口な彼が声を掛けてくるのはとても珍しいことで、私は少し遅れて返事をする。

 主様はそんな私を意に介さず、言葉を続ける。

 「少し肌寒くなってきた、お前は寒くはないか?」

 「‥‥‥‥‥‥。」

 秋も深まり、日中はそうでもないが、確かに、この時間のように陽が落ちてくると少し肌寒い。

 「少し…寒いかも…です」

 「わかった。家の者に上着を用意させておく。明日の朝、受け取れ」

 「はい」

 「…………‥‥‥‥。」

 それからは、主様も私も、一言も言葉を発さず家路へと着いた。



 主様の家は広くて、とても立派だ、お屋敷と言っていいだろう。

 私がこの家に住むことになったのは三ヶ月程前からであるが、初めて見たとき、こんなお屋敷に住んでいる人間が本当にいるのだと、驚いたものだ。


 私たちは家に着くと、長い廊下を通って真っ直ぐに主様の部屋へ向かう。

 途中、何人かこの家の使用人とすれ違う、その中には私へ好奇や憐憫の視線を向ける人もいる。

 そんな視線を最初の内は居心地悪く感じていたものだが、今はもう慣れてしまった。



 主様の部屋に到着すると、主様は手早く着替えを済ませ、今日、初めて私を真っ直ぐに見つめると、声を発する。

 「脱げ」

 私は静かにうなづくと、着ていた制服を脱ぎ、さらに下着も外す。

 一糸まとわぬ姿で、改めて主様の前に立つと、主様は丹念に私の肢体を確認する。

 以前、体育の授業中に転び、膝に擦り傷を作った時は厳しく叱られたものだ。


 主様は私の体に、新しい傷などがついていないことを確認すると、今度は私の体を見つめ、一拍置いてから声を掛けてきた。

 「また痩せたな……きちんと食事は取っているのか?」

 「はい……、すいません…。」

 食事は嫌いだ。すぐに吐いてしまうから。

 「まあいい、こっちに来い」

 主様は、自らも服を脱ぎ、薄着になると私の手を引いた。


 主様の部屋には入口の他に、もう一つドアがあり、その先に上等な浴室が備え付けられている。

 主様は私を浴室に連れていくと、私を座らせシャワーでお湯をかける。

 シャワーは温く設定されていて、仄かな暖かさが身を包む。

 主様は私にお湯をかけ終えると、今度は丁寧に私の体を洗っていく。

 上肢、首、背中、胸、腹、下肢と丹念に私の体を洗うと、さらに私の洗髪を行う。

 主様に髪を触られるのは、少し、心地いい。


 入浴を済ませると、主様は柔らかい、いかにも高級そうなタオルで私の体を拭き、ドライヤーで髪を乾かし始める。

 この家に来る前、私の髪は肩にかかる程度の長さであったが、主様の命令によって今は背中を流れる程の長さとなっている、これを乾かすのは骨の折れる作業ではないかと思うのだが、主様は嬉々としてこの作業を行っているようだ。

 基本的に無表情な彼であるが、楽しげな様子が私にも伝わってくる。

 主様は私が自ら体を洗ったり、体を拭いたりすることを好まない。

 曰く、お前の拭き方は乱暴すぎる―――とのことだ。



 主様は私の髪を乾かし終えると、私を全裸のまま立たせた。

 そして再び自分の服を手早く着込み、部屋に設置された衣装ダンスを開く。

 そして色とりどりの下着を大量に籠に入れ、私の側へ戻ってくると、持ってきた下着を私に合わせ始めた。

 もともと険しげな表情の主様であるが、さらに真剣な表情となり、時々うんうんと唸りながら次々と私に下着を合わせている。

 私は集中している彼の邪魔にならないよう、ぼんやりと部屋の壁を眺めることにしている。

 

 私の下着を決めた後も主様の服選びは続き、肌着、靴下、小物などに至るまで沢山の種類を試し、眺め、着せ替え、また試しを繰り返す。

 ワンピース、カットソー、ドレス、チェニック。

 次々と主様は様々な種類の衣装を持ってくる、あの大きな衣装ダンスの中には全て私に着せるための衣類が詰まっている。

 主様の持ってくる衣装は一つ一つが上等な物のようで、この衣装ダンスに入っている衣類を合計するといくらくらいになるのか、私には検討もつかない。


 「よし」

 どれほど時間がたっただろうか。

 無機質な――――それでいてやや満足気な主様の声が聞こえる。

 どうやら今日の私の服が決まったらしい。

 部屋の隅に設置された鏡を見てみると、どうやら私は花柄のコサージュが胸元についた淡い青色のワンピースとフリルがついた白色のボレロを着ており、頭には大きなリボンが結ばれているようだ。

 私が着るにはやや幼く、少女趣味すぎる気がする。

 


 「座れ、今日はずっと座っていろ」

 私は頷くと、主様の指示に従い側の椅子に腰掛けた。

 「………。」

 主様は私が腰掛けたことを確認すると、自らもソファーに腰掛け、部屋の照明を落とす。

 部屋は暗くなり、間接照明の光が私だけを淡く映し出した。

 主様の姿は暗闇に飲まれ、何をしているのかわからない。

 だが、きっとソファーの腰掛けたまま私をぼうっと眺めているのだろう。

 いつものように。


 これが主様の日課だった。

 私がこの家に買われ、彼が私の所有者となってから大体3ヶ月、毎日のように彼は私に好きな服を着せ、眺めている。

 主様は私を着せ替えること以外は特に無趣味な人のようで、私を眺めている時以外は勉強をするか、本を読む……そして時々――――本当に時々だけヴァイオリンを弾く。

 私は主様に命令されるがままに色々な姿勢を取り、人形のようになるべく動かないようにする。

 ある時は壁に寄りかかり、またある時は床に寝転がり、そして今日は椅子に座っている。

 私は椅子に腰掛けたまま、壁の一点を見つめ続けた。

 何もしないのは、好きだ。



 どれくらいの時間が経っただろうか?

 こうして主様と二人で過ごしていると時間の感覚が無くなって来る。

 主様のいた方向へ目を向けると、月明かりに照らされ彼の姿がぼんやりと見える。

 主様は明かりを消す前とほとんど変わらない姿勢で、相変わらず私を眺めていた。

 普段、目に張り付いている険は消え、呆けたように私を見つめる主様はまるで年端もいかない子どものようで…

 私は少しだけ、胸の奥が熱くなる。


 「もうこんな時間か」

 主様が独り言のように呟く、その言葉を合図のように私は椅子から立ち上がり彼に声を掛ける。

 「お休みに…なりますか?」

 「ああ」

 「お薬を…用意します」

 「頼む」

 私は主様のため睡眠薬を用意する。

 主様は不眠症で、いつも睡眠薬を服用している、私は薬を一回分の用量に見繕い、主様へ手渡す。

 「どうぞ…」

 「ああ、お前ももういいぞ」

 「はい…、お休みなさい」

 薬を手渡すと、主様はもう私に視線を移すことはなくなり、床に就く準備を始めた。

 目の険も元に戻り、いつもの険しい表情を浮かべている。

 着せ替え人形の役目を終えれば、主様は私から完全に興味を無くす。


 この家の中で、私は自分の部屋を与えられており、そこに私の寝具も用意されている。

 しかし、私はあまり自分の部屋へは行きたくなかった。

 慣れたとはいえ、一人で使用人の人たちの視線を浴びるのは億劫であったし、あの恐ろしい旦那様――――主様のお父様に会ってしまうかもしれない。

 あんな思いをするのは、もう嫌だった。

 広い家であるが、私はこの家の中のことをほとんど知らない。

 私にとっては、主様の部屋だけが、この家で唯一安心出来る場所だった。


 結局、私は自分の部屋へは行かないことにした。

 主様は先程の睡眠薬が効いたのか、すでに眠っているようだ。

 主様は道楽の時間が終われば、基本的に私が何をしていても興味を持たない。

 それを幸いに、私は主様の部屋で眠ることが多くなった。

 私は自室から持ち込んだ寝巻きに着替えると、主様が先程まで座っていたソファー寝転がる。

 ふかふかとした、立派なソファーだ、ベッドとしても十分以上に使える。

 こんな立派なソファーを使うなんて、以前の――――この家に売られる前の私の生活を鑑みれば想像も出来ないものだ。


 主様との生活はそれほど嫌ではない、少なくとも彼は私が今まで出会ってきた人たちのように、私を傷つけたりはしない。

 最も、主様にとって私は、体のいい着せ替え人形でしかないということは理解している。 このまま私が年を取って、着せ替え人形の役目を負うことが出来なくなれば、彼にとって私は必要の無いものになるのだろう。

 それでもいい――――それまでの間だけでも私はこの穏やかな時間を過ごしたい……。

 そんな取り留めのないことことを考えている内に、私は睡魔に包まれ、眠りの世界へと落ちていった。



 

 夢を見た――――あいつがこの家に来た時の夢だ。

 そうだ、あの日は確か俺の誕生日だった。


 「よう、今日はお前の誕生日だったな。

 いい物をにやるよ」

 糞親父が下卑た笑みを浮かべながら、俺に声を掛ける。

 豚が人の皮を被ったような男だ。大嫌いだ。


 親父が俺を応接間に連れて行く、応接間には中年の太ったみずぼらしい男と中学生くらいの女の子がソファーに座っていた。

 女の子は俯いていて表情を読み取ることが出来ない、逆に隣に座った男はギョロギョロと落ち着きなく辺りを伺っている。

 「やあ、お待たせして申し訳ありません」

 親父が気さくな様子で男に声を掛ける。

 「いやいや、とんでもありません」

 男がへりくだった様子で親父に答える、精一杯媚びた様な表情を浮かべているが目つきが常人のそれではない――――これはアル中か、もしくはもっとやばい物にハマっている奴の目だ。

 「隣の子が娘さんですか、いや可愛らしいお嬢さんだ」

 恐らく思ってもいないであろう言葉を親父が口にする、顔は笑っているが、目は明らかにこの親子を侮蔑している。

 「いやいや、もう今年で16歳にもなるのに、ガキのまんまな奴でして……」

 おっさん共の会話を尻目に、話題になっている本人は先程から微動だにしない、まるで他人事のようだ。

 というか、こいつ俺と同い年だったのか…てっきり俺より2、3歳は年下だと思っていた。


 「こらぁ!お前の話しをしているんだぞ!顔ぐらい上げんか!!」

 突然、男が隣に座っていた女の子の顔を横からおもいきり殴り飛ばす。

 うるせぇ、というか唾が飛んだぞ、汚ねぇ野郎だ。

 「おやおや、やめて下さいよ。

  その子はもう、萩原さんの物ではないのですから」

 「おっと、そうでした。これは申し訳ない」

 俺は会話の流れに何か不穏なものを感じた。


 要約するとこうだ。

 俺の父親は個人で金融業…金貸しをやっている。

 親父はこの仕事が性分に合っていたのか、一代で個人の金融屋としては、かなりの規模まで会社を成長させた。最も常に法律ギリギリの綱渡り営業であったようだが。


 ある程度の財産が出来ると、親父は本業とは別に、悪趣味な道楽を始めた。

 通常の金融屋から融資を受けることが出来なくなった、いわゆるブラックリストの連中に率先して金を貸すようになったのだ。

 俗に言うヤミ金という奴だが、親父の場合、法外な金利を取る、ということはしなかった、むしろ貸した金を回収するつもりもないようだ。

 親父の目的はただ一つ、負債者の「大切な物」を奪うこと。

 負債者の妻や娘、場合によっては負債者本人を妾のように扱ったり、風俗に沈めたりと悪どい、という言葉では済まされないことを随分とやっているらしい。

 そして、今回はこの男の娘が融資のための条件という訳、要するに人買いだ。


 まさか、糞親父が言っていた誕生日プレゼントというのは、こいつのことか?

 自分の息子の誕生日プレゼントが人身売買で手に入れた娘だなんて、いくら何でも趣味が悪すぎる。

 もしかすると俺の父親は、俺が思っていた以上に壊れてきているのかもしれない。

 まあいい、親父がどんなつもりで俺にこいつを渡すつもりかは知らないが、使用人の一人として使ってやればいい。

 そもそも俺は生身の人間に興味が無い。

 

 「家のバカ息子には困ったものでして、いい年の男子だというのに、未だ人形遊びなんぞに興じているのですよ」

 「へえ…」

 親父がため息混じりに話すのを聞いて、男がニヤニヤと笑みを浮かべる。

 こっち見てんじゃねぇよ、殺すぞ。

 「それで、萩原さんの娘さんのような子が側にいれば、息子にもいい刺激になるのではないかと思いましてね、今回のご相談をさせて頂いたのですよ」

 「はぁ、そうですね」

 男が心底どうでもよさそうに相槌を打つ、頭の中は親父から施される金のことで一杯、といった様子であったが、一応隣に座った娘に声を掛ける。

 「ほら、長谷部さんの息子さんはなかなかの男前だぞ、……いい加減に顔を上げんか!」

 男が相変わらず俯いたままの女の子に怒鳴りつける、流石に今度は手は上げないようだ。 

 男の言葉を受けて、女の子が初めて顔を上げた。

 俺は女の子の顔を見た瞬間、体の中を衝撃が走り、目が離せなくなった。


 さっき殴られた時に出来たのか、右の頬が痛々しく腫れていて、鼻血が出ている、それに口を切ったのか口角からも血がにじんでいる。

 顔は腫れてしまっているのでよくわからないが、この男の娘としては、奇跡的に整った顔立ちなのではないだろうか、多分。

 生憎、俺は生身の人間の美醜については、よくわからない。

 しかし、そんなことはどうでもいい、俺が衝撃を受けたのはこの女の子の目だった。

 今、まさに売り払われようとしているような状況においても、この女の子の目は虚空を見つめているかのように、全く表情が浮かんでいなかった。

 生きている人間の目とは思えない、深く濃い黒。

 その目は、まるで人形のガラス玉――――俺が愛してやまない、人形のそれと酷似したものだった。


 体が震える、全身に鳥肌が走る、腹の底に焼けた石を詰めこまれたようだ。

 出会えた…出会うことが出来た。

 俺が理想とする、生命をまるで感じさせない人。

 俺が憎悪する感情という物を、まるで持たない人。

 心の無い人。

 俺は、この女の子に対して、感動…いや戦慄していた。


 真っ直ぐに女の子を凝視する俺に、親父は些か吃驚したのか

 「驚いた、息子が人にここまで興味を示すのは、初めてかもしれません。

  おい、あまり人の顔をジロジロと見るな、恥ずかしい」

 と言葉を発し、さらに男に対して取りなすように

 「ところで娘さんのお名前は何と仰るのですか?」

と訪ねた。

 男はもうさっさと金をもらって帰りたいという体であったが、一応答える。

 「ああ、娘の名前は――――」


 男はこの女の子の名前を告げる。

 それを聞いて、思わず俺は吹き出しそうになってしまった。

 別におかしな名前という訳ではないが、こいつの名前として考えると悪い冗談のような名前だ。

 親父も同じように感じたのか、息を潜めて笑いをこらえている。

 そんな俺たちを、女の子は人形のような目で見つめていた。



 「それじゃあ、今からこの子はお前の物だ、好きなようにしていいぞ。」

 男が金を受け取り、そそくさと立ち去った後、親父は軽い調子で俺にそう告げた。

 本人の前で、とんでもないことを言うものだと思ったが、当の本人は相変わらず他人事のようであった。

 「まあ、いいけど、俺は父さんみたいにはならないよ」

 豚親父に合わせて、俺も軽い調子で答える。

 「なるさ」

 「え?」

 虚を突かれ、思わず親父を見上げると、親父が不敵な笑みを浮かべていた。

 「お前も俺みたいになるさ……何せ――――」


 「お前は俺の息子だからな」


 

 あいつは本当に人形のような奴だった。

 俺が何を言っても逆らう意思を見せない、というよりそもそも意思なんてものがあるのかさえもわからない。

 俺が服を脱げと命じた途端、何の躊躇いもなく服を脱ぎ始めた時は流石に度肝を抜かれたものだ。

 何を考えているのやら、いや、そもそも何も考えていないのか……。


 本当に人形なんじゃないか?こいつ。


 

 俺はまず、あいつに無駄な会話をしないように命じた。

 最も、命じるまでもなく、あいつはもともと無駄な会話なんぞしなかったが。

 

 次に俺は、あいつに自分の体に触れることを禁じた。

 あいつの体は俺のものなのに、あいつは体を乱暴に扱う。

 特にまいったのが自傷癖だ、目を離すとすぐに爪やら腕やらを噛み始める。

 その度に何度もお前の体は俺の物であって、お前のものじゃない、勝手に傷つけるなと叱責しなければならなかった。

 根気よく指導したことが功を奏したのか、あいつの自傷癖はいくらかマシになったようだ。


 そして最後に、これは別に命じた訳ではないが、あいつに名前を使わせなかった。

 あいつの名前は何度聞いても吹き出してしまいそうになるし、個人的に俺はあいつの名前が大嫌いだ。

 だから俺はあいつを名前で呼んだりしなかったし、家の者たちにも決して呼ばせなかった。


 俺はあいつと出会ってから、過去の人生で最も充実した日々を過ごしていた。

 俺はこれまで、部屋に所狭しと置かれていた人形たちを全て処分した。

 あいつが手に入った今、お前らはもう必要ない。


 俺は毎日あいつを着せ替えさせる。

 学校にいる時も、床に付いている時も、頭の中は常にあいつにどんな服を着せるかということで一杯だった。




 「よくやったな、流石は俺の息子だ」

 豚親父が何かを言っている。

 「はあ、何が?」

 「正直お前がここまでになるとは思っていなかったよ。

 お前は俺の自慢の息子だ」

 「褒めてくれてるところ悪いけど、父さんの言っていることがよくわからない。

 俺は、あんたとは違う」

 「違う?どこが?あれだけあの子に酷いことをしておいてか?」

 「俺がいつ、あいつに酷いことをしたんだよ。

 俺はただ、あいつを着せ替え人形のように扱っただけだ」

 「ただ?人形のように扱った、だけ?

 本当に理想通りのクズに育ってくれたな、優気ゆうき

 

 ……………………。

 お前が……

 お前が!

 「お前が俺の名前を呼ぶんじゃねえぇぇ!!!」

 俺は豚親父をおもいきりぶん殴った、俺に殴られた親父は空を飛び、アフリカまでぶっ飛んでいった。




 

 私は目を覚ます。

 「?」

 私は不思議に思って周囲を見回し、ようやく気づく。

 そうだ、今日は主様の部屋で眠ったのだった。


 まだ真夜中のようだ。ブルっと体が震える。

 肌寒さで目が覚めたのか、さすがにこの時期、毛布も掛けずに眠るのは少し無謀だったかもしれない。

 よし、今度は毛布も主様の部屋に持ち込もう、彼のことだから別に気にしないだろう。


 「うう…」

 うめき声が聞こえ、私は主様のベッドへ視線を移す。

 主様がベッドの中でうなされている、何か嫌な夢でも見ているのだろうか?

 主様の部屋に泊まることが多くなって、私は彼が寝ているとき、よくうなされていることに気付いた。

 睡眠薬は不眠症というより、嫌な夢を見ないために飲んでいるものなのかもしれない。

 私は音を立てないように気をつけながら、主様に近づく。

 起こした方がいいのだろうか、わからない。


 主様は以前から、自分が寝ている時は決して起こすな、と厳命している。

 起こしたら怒られるかも…私は主様に怒られるのが嫌だった。彼に嫌われたくなかった。

 この家に来たばかりのころ、私は自分の体を噛む癖のせいで、主様に何度も怒られた。

 私の噛み傷の手当をする度に、普段無表情な主様が泣き出しそうな顔をする。

 私は主様のそんな顔が見たくなかった。

 「ぐぅっ…」

 主様がまた苦しそうな声を上げる。

 ああ、本当にどうしたらいいのだろう?

 私はこんな時どうしたらいいのかわからない、何が正しいのかわからない。


 


 「勇気って言うのはな、あればいいだけのものじゃないんだ。

 一緒に優しい気持ちも持っていなくちゃいけない」


 「だからお前の名前は優気ゆうき、優しくて勇敢な心を持った人間になって欲しいってことで 母さんと散々悩んで決めたんだ。」


 俺は小さなころ親父が大好きだった。

 仕事がうまく行かなくても、仲間に裏切られても、弱音を吐かず、真っ直ぐに立ち向かう親父は俺の憧れだった。


 「優気、金貸しってのは正直、世間的にあまり格好のいい仕事じゃねえ。

 だけどな、だからこそ気を張って、誇りを持って仕事をしねぇといけないんだ」

 

 そして俺が10歳の夏、俺は親父が大嫌いになった。


 

 俺は歩いている、よくわからない場所を。

 前を見ると、誰かが地面に座っているようだ。

 あいつだ、人形のようなあいつが地面に座っている、俯いていて表情はよくわからない。

 「なあ、聞いてくれよ。

 親父がさ、俺と親父は同じだって言うんだよ。

 違うよな?俺と親父は違うよな?」

 「‥‥‥‥‥‥‥。」

 あいつは何も言わない、人形のように。

 「お、お前はどう思う?」

 「私は「お前」じゃない。」

 「え?」

 あいつが真っ直ぐに俺を見つめる、あのガラス玉のような瞳で、睨みつけるように。

 「私の名前はなに?」

 「お前の…名前?」

 こいつの名前…名前、確か笑えるような名前で、でもそれはこいつに似合ってないから笑えるって意味で、俺はこいつの名前が大嫌いで、でも本当はそんなことはなくて…。

 「もういい」

 あいつはガラス玉のような目のような黒で俺を包み込むと、口を開く。


 「お前は、豚が人の皮を被ったような男だ、大嫌いだ」

 

 俺は全力でその場を駆け出す、

 俺はあいつが恐くなった。

 人形のようなあいつが恐くなった。

 ガラス玉のような目が恐くなった。

 生気を感じないことが恐くなった。

 以前、俺が愛したものが、全て恐くなった。


 どれだけ走っただろうか、あいつは追ってきてはいないだろうか。

 何度も後ろを振り返りながら、俺は暗闇の中を当てもなく彷徨う。


 前にドアが見えた、俺は慌ててドアを開け、後ろ手でドアを閉める。

 これで…これであいつは入ってこれないだろう。

 俺は一息つくと、前を見る。

 前には母さんがいた。

 俺が最後に見たままの母さんが、いた。

 母さんは首を吊ったまま、夕陽に照らされ、茜色に染まっていた。

 何も映さなくなった母さんの瞳は、俺をぼんやりと見つめている。


 「母さん…」

 「優気、大きくなったね」

 「母さん」

 「立派になったね」

 「母さ…」

 「私の大嫌いな、お父さんそっくりになったね」



 俺の母親は、俺が10歳の夏、家で首を吊って死んだ。

 遺書には一言

 「もう、疲れた」

 とだけ書かれていた。


 最初に母さんを見つけたのは俺だった。

 俺は母さんの死体を見つけた後、誰にも知らせないまま、何時間もその場に座り込んでいたのだという。


 そうだ、思い出した…

 俺は母さんの死体を見つめながら…

 

 とても綺麗だ、って思ったんだ…。




 母さんが死んで、俺の周りは全てが変わった。

 父さんは、一日中仕事にかかりきりになり、負債者に対し恐喝まがいのことをしたり、暴力を振るったりして、何度も警察に呼ばれるようになった。

 父さんの周りには悪い噂が沢山たつようになった。

 ただ、遮二無二に働いたからだろうか、父さんの会社はどんどんと大きくなっていった。


 俺は父さんが大嫌いになった。

 母さんが死んだのは、父さんが苦労ばかりかけたからだと思った。

 そして、母さんが死んでなお、生命力に溢れる父さんが大嫌いになった。

 本当は…俺が父さんを支えてあげなければ、いけなかったのに。


 俺は活力に溢れる人が嫌いになった。

 感情豊かな人が嫌いになった。

 他人と関わろうとする人が大嫌いになった。



 そして、静かで、美しい人形が好きになった。






 俺の部屋の中で、俺がベッドの上に壁側を向いて寝転がっているのが見える。

 そして俺の部屋の隅で、あいつがしゃがみ込んでいるのが見える。

 そうだ、あれは俺が初めてあいつに「着せ替え遊び」をした日だ。

 遊びの間、あいつは文字通り人形のように無表情で、俺はそれに満足したことを覚えている。

 しかし、遊びが終わったあと、あいつはこらえきれなくなったように嗚咽し、泣き出してしまった。

 そして、俺は泣き出したあいつに対して失望した、人形だと思い込んでいたあいつが人間らしさを見せたことに失望したのだ。

 あの頃のあいつは、ストレスを感じると自傷行為に走る傾向があった。

 あいつは部屋の隅にしゃがみこんで、自分の手の甲を噛み、声を押し殺して静かに泣いていた。

 初めは無視を決め込んでいた俺だったが、あいつの皮膚が裂け、血がしたってきたあたりでようやく、重い腰を上げた。大切な衣装に血が付いてしまわないように。


 「さすがは俺の息子だな、文字通り血も涙もない鬼畜じゃねえか」

 どこからか親父の声がする。

 「どこにいるんだ糞親父!消えやがれ!」

 俺は恐慌をきたし、叫ぶ。


 俺はあいつの手を消毒し、さらに包帯を巻きつける。

 あいつは驚いたような表情を浮かべながらも、俺に対して

 「ありがとう」

 と礼を言った。


 「ほう、なかなかいい所もあるじゃねぇか」

 この声は親父の声じゃない、これは、俺の…声

 「それでお前はあいつに何て言ったんだっけなあ?」

 お、俺は……

 そうだ俺はあの日、初めて感情を表したあいつに対し、一つ命令を与えた。


 「二度と俺の前で泣くな。目障りだ」


 あの日から、俺がどんなことをしても、あいつは、泣くことはなくなった。

 

 俺ははっきりと、自分の心が張り裂けていくの感じていた。

 

 


 



 

 

 やめてくれ、


 恐い、恐い、恐い、


 何もない暗闇の中、俺は叫び声を上げている。

 もう俺の周りには何もない、何も見えない。

 体が、動かない。

 

 誰か助けてくれ、誰か、誰か、誰か、


 声にならない叫びを上げる、俺の世界には音も無くなってしまったようだ。

 光も、音も、何もない、ただ心だけが張り裂けそうなこの世界で、俺は唯々、恐怖した。

 

 嫌だ、嫌だ…、


 寒い…


 母さん…


 父さ…ん


 助け…


 ……… 


 ……


 …

 










 ドクン


 何も無くなったはずの世界に突然、音が鳴り響く。


 ドクン


 冷え切ったはずの俺の体が暖かさに包まれる。


 ドクン


 ああ…そうだ、思い出した。


 ドクン


 人の体って暖かいものだったんだな。


 ドクン


 こころ。







 


 俺はゆっくりと目を開ける。

 体は汗まみれ、

 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

 トクン…小さな鼓動の音が聞こえる。


 これは…心臓の音、心の音だ。


 この音は…


 

 月明かりに照らされ


 人形のような少女が


 ガラス玉のような瞳に、涙を一杯貯めて


 俺を、自らの胸に抱きしめていた。





 「すいません…起こしたら、主様は怒るかな…とは思ったんです…けど」

 心がぼそぼそと、何度もつっかえながら言葉を紡ぐ。

 「うん」

 「主様が…あまりにも苦しそう…で、その、だった、…ものですから」

 思えば彼女がこんなに長く話すのは、初めてのことかもしれない。

 「うん」

 「私は…こんなとき…どうしたいいのか…わからなくて」

 トクン、とまた心の音が聞こえる、人形ではない、人間から発する音。

 「それで…思わず、主様を抱きしめて…しまいました…」 

 「うん」

 「あの……怒りますか?」

 心がガラス玉のような瞳で、おずおずと不安気に俺を見つめる。

 

 俺は心の胸に顔を埋めたまま、伝える、伝えたい。


 「とても恐い、夢を見た」

 「は…はい」

 「恐くて、悲しくて、つらくて、出来れば目を背けたいような、そんな夢だ」

 「……」

 「覚めることが出来たのは、きっと心のおかげだ」

 「わたし…の?」

 「ありがとう、それに…ごめん、今までごめんな、心」

 「う…」

 突然、心がしゃくりあげる、慌てて俺は彼女の肩を支えた。

 「ど、どうした!?」

 「わ…わた…私の…名前」

 しゃくり上げた、心が嗚咽を上げる。

 「あ…ああ…あああ」

 心が俺の胸に顔を埋めた。


 そうだ、こころ。それが彼女の名前。


 不器用で、気弱で、感情を表すのがとても下手くそで、

でも、とても心優しい、彼女にぴったりの、素敵な名前。


 心が俺の胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくる。

 「ごめん、ごめんな、心。

 俺、馬鹿だった、どうしようもない馬鹿だった」

 俺は悔恨の涙を溢れさせながら、彼女を強く、強く抱きしめた。



 

 

 彼の声が震えている、彼は一体どうしたのだろう?

 こころ、私の名前。

 大嫌いだった、私の名前。

 なのに、彼に名前を呼ばれた途端、私は何が何だかわからなくなってしまった。

 胸の奥に熱いものがこみ上げ、目から熱い何かが溢れて止まらない。


 そうか、私は泣いているのか。

 ああ、どうしよう。

 彼の前で泣いてはいけないのに。

 私が泣くと、彼はとても苦しそうな、泣き出しそうな顔をする。

 初めてのあの日、泣くなと命じられたあの日。

 表情の無い、人形のような人だと思っていた彼が、初めて顔を歪ませたあの日。

 そして…私が生まれて初めて、人に優しくしてもらったあの日。

 私は決して彼の前では泣かないと誓ったのだ。


 でも、今は、今だけは泣いても許してくれるだろう。

 こんなにも強く抱きしめてくれているのだから。


 抱きしめられるのは好き…かもしれない。とても暖かいから。





 翌日、私と彼は同じベッドで目を覚ました。

 どうやら二人共々、泣きつかれて眠ってしまったらしい。

 お互いに泣きはらした目、体は涙やら汗やらでびしょびしょだ。

 私は彼が私の体を洗うものだと思い、目を向けたが、彼は赤面し目を外らすと、自分で洗え、と言ってきた。

 やはり昨日のことを怒っているのかと思い、私が慌てて謝ると、彼はさらに慌てて、怒っている訳ではない、とにかく自分にはもう無理だ、というようなことを言った。

 怒っていないのなら別にいい。

 ただ、彼に髪を触られるのは好きだったので、少し残念だった。



 あの日から、私の日常にあまり大きな変化はない。

 相変わらず、私は声が小さいし、沢山のことを話すのは苦手だ。

 それでも、毎日、少しずつ周りが変化していっているのを感じることがある。

 

 彼の日課であった着せ替え遊びは、あの日からぷっつりと無くなってしまった。

 彼に着せ替えはしないのですか、と訪ねたところ、彼は真っ赤になって壁に頭を打ちつけはじめたので、この話題は二度と出さないことにした。

 着せ替え遊びが無くなった変わりに、私は彼の部屋で毎日沢山のことを話す。

 無口だと思っていた彼は、本当はとても話し好きで、私に沢山、冗談を言う。

 私がそれに笑うと、彼はとても嬉しそうな表情を浮かべるので、私も何だか嬉しくなる。


 ある日、私が彼に主さま、と声を掛けると、彼は今度から優気、という名前で呼んで欲しいと言い、私に名前の由来を教えてくれた。

 私が素敵な名前ですね、と伝えると彼は、はにかむように笑っていた。

 

 彼は自分の父親である旦那様のことが大嫌いなのだと思っていたが、最近、彼は足繁く旦那様の部屋に通って何か話しているようだ。

 親父を認めることは出来ないが、あいつがあんな風になってしまったのは自分にも責任がある、と言っていた。

 あまり背負い込まないで下さいね、と伝えると、彼は困ったような笑みを浮かべ、私の肩を軽く抱いてくれた。

 

 毎日、少しずつ変わっていく、私の周りも、私自身も。



 放課後、教室の中。

 同級生たちは教室から徐々に姿を消し、教室に残っているのは私だけとなった。


 私は彼を待っている。


 教室の外では部活動に向かう者や、下校後の予定について話し合う同級生たちの喧騒に満ちている。

 私はそんな喧騒を尻目に窓の外を眺める。

 空は夕陽に照らされ、グラウンドや校舎が茜色に染められている。


 夕陽は好きだ。綺麗だから。

 呆けたように窓の外を眺めていると、後ろから声を掛けられた。

 「こころ、帰ろうか」

 彼が迎えに来たようだ、私は笑顔を浮かべ振り返る。

 「はい、優気ゆうきさん」

 私は、彼が呼んでくれる私の名前が大好きだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] すごくかわいい。 登場人物がキュート。別の作品にも登場した女の子がでているところも私は好き。 [一言] とっても面白かったです、ありがとうございました!
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