また、巡り逢えたら~最後に思い出す人~
ふと目を開けると、そこは、白い天井に白いカーテン。
柔らかな日差しがカーテンの隙間からこぼれる、静かな白い部屋だった。
「あ、そっか」
私は病院の一室にいた。
ふぅ、と息を吐く。
近くの中学校から、吹奏楽の音がわずかに耳に入ってくる。
目を閉じると、懐かしい光景が脳裏に浮かんだ。
音楽室のベランダから眺めるグラウンド。
汗を流すサッカー部の人たち。
(そういえばこの頃はまだ、まじめに学校に行ってたなぁ)
思えば、まじめに学校に通っていたのはその頃だけだった。
いつの間にか私は遅刻の常習犯になり、クラスメイトから『社長出勤』と言われていたのを覚えている。
(今頃、こんな昔のことを思い出すなんて)
無意識に、頬が綻んだ。
あれから数十年の時間が流れ、嬉しいことも、悲しいことも、悩みも、色んなものを積み重ねて、私は私の人生を歩んできた。
そして今まさに、その幕が閉じようとしている、この時に……。
ずっとどこか心の奥底に仕舞っていた、あの人を思い出す。
頭がよくて、勉強を教えてくれた、青春のど真ん中だった頃の私の、たぶん、初恋だった人。
(ああ、好きだったなぁ、あの人)
勉強を教えてもらった日のこと。
バイクのエンジンの音、あの人の背中。
ツーリングの帰り道、コツンとわざとヘルメットを当てた瞬間。
たぶん私はずっと"あの人"が大好きで、これからもずっと好きなのだろう。
私の人生は総じて不幸ではなかったけれど……
もしも来世があるのなら、また巡り逢いたい――。
いつしか私は眠っていて、そのまま、目が覚めることは無かった。
◇ ◇ ◇
いくつかの時が流れ、街も、人々も、すべてが移り変わっていた。
自然は時を越えて移ろい、色を変え姿を変えて、それでも息づいていた。
どれほどの月日を積み重ねては巡り、ここまで流れてきたのか。
小さな気持ちを胸に秘めたまま、私は何度の生を繰り返しただろう。
幾度も繰り返した人生は、そのひとつひとつ全てが、私の人生だった。
幸せだった時も、苦しかった時も。
けれど、終わりを迎えるたびに、思い出すのは"あの人"だった。
(ああ、好きだったなぁ、あの人)
今となっては、顔も姿も分からない。
何を感じ、何を求めていたのかすら、曖昧になっていた。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、母さん。今日の夜だよね?」
「ええ。遅くならないようにね」
「うん、わかった」
今日は母の友人の息子だという人が、勉強をみてくれる約束になっていた。
その人は家庭教師のアルバイトを探していたらしく、それならということで、母が頼んだらしい。
いつも通りに学校へ行き、いつも通りに過ごす。
何も変わらない、いつもの日常。
今日のお弁当も、いつも通りにとても美味しかった。
「今日から家庭教師くるんでしょ?」
「うん、そう。母さんの友達の息子で大学生だって」
「いいなぁ。イケメンだったら最高~」
「いやぁ、どうかなぁ。私はイケメンってあまり」
「あ、そうだよね。イケメンには靡かないもんね」
なんて言われても、イケメンだから靡かない、というわけではないんだけど。
そんなことを思いながら、いつもの道を自宅まで急いだ。
「ただいま」
「おかえり。19時には来るから、それまでにご飯済ませておく?」
「うん、そうする」
ひとりで早めの夕食を済ませ、約束の時間を待った。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
「来たみたい」
母はバタバタと急いで玄関へ小走りし、家庭教師をしてくれるという友人の息子を出迎えた。
私も母を追って玄関へ行くと、そこには少し肌の濃い爽やかそうな青年が立っていた。
「いらっしゃい、よく来てくれたわ。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
母と青年がペコペコとお互いにお辞儀をし挨拶を交わす。
「ほら、挨拶して」
母に促され、私も挨拶をした。
「あ、よろしくお願いします」
一言で言うと、イケメンだった。
「ここまでどうやって来たの?」
「バイクで来ました。外に停めたんですが、大丈夫でしたか?」
「ええ、敷地内よね? 大丈夫よ。交通費はガソリン代がいいかしら」
「いえいえ、そんな」
「あら。交通費も払うわ。当然よ?」
「すみません、ありがとうございます」
そんな二人の会話を聞きながら、リビングへと移動した。
(……ふぅん。バイクに乗ってるんだ)
リビングの窓から玄関方向を見ると、大きなバイクが停まっているのが見えた。
外灯に照らされた黒いヘルメットが、シートの上に無造作にポンと置かれていた。
「じゃ、あの。そろそろ……」
母が出したお茶を飲み干すと、彼が腰を上げた。
「あ。ごめんなさいね。なんだか引き止めちゃったみたい。よろしくお願いしますね」
二人で私の部屋へ向かい、ここからがようやく、本題だ。
正直なところ、母が家庭教師を頼むだなんて思ってもなかった。
母のことだから、友人の息子さんが家庭教師のアルバイトを探していると聞いて、特に何も考えずに手を挙げたに違いない。
(まあ別にいいんだけど。塾に行くのも面倒だし)
成績は中の上くらいだけれど、部活が好きだから学校に行っているようなものだった。
毎日遅刻しがちだけれど、それで成績が悪いとなれば格好が悪いし、勉強が嫌いというわけでもないから、まあまあ頑張っているつもりだった。
(……部活の時間が減るのは嫌なんだけどな)
「わからないところ、どのあたり?」
「あっ、ああ……えっと……」
ふいに声をかけられ、慌てて、先日の数学のテストで分からなかった箇所を指した。
「……この問題なんだけど」
「うん。それは……」
(あれ? この感じ……なんだったかな)
「これでどう?」
「あっ、うん、すごい! わかった! 先生より全然わかる!」
「ははっ。じゃあ、こっちも解けるよね。やってみる?」
「やってみる!」
どうにも難しかった問題が、スラスラと解けた。
(あれ? こんなに簡単だったの?)
「簡単でしょ?」
「いや、あの。お、教え方が上手いからだと思う!」
「コツが分かれば簡単だから」
家庭教師のお兄さんは優し気に微笑んでいた。
そうしていくつかの問題を解いていると、時間が経つのはとても早く、気付けば予定の90分が過ぎていたのだった。
母に次の予定を確認すると、お兄さんは「ではまたね」とひらひらと私に手を振ってくれていた。
私は家庭教師のお兄さんが帰宅する後ろ姿を、じっと見つめていた。
黒い大きなバイク。
黒いヘルメット。
(ああ、好きだなぁ、この人)
なんとなく、そう思っていた。
思っていた、というよりも、胸に秘めた小さな気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
でもそれは、懐かしいようでもあり、なんだかとても、不思議な感覚だった。




