流行に乗りたくない令嬢 後編
最近販売された恋愛小説を読みながら、カミーラは優雅な朝食の時間を一人で楽しんでいた。
「小説のように当て馬がいなくても、恋人同士の絆は深まるものよねぇ。お兄様は私が起こすから放っておいて」
カミーラの婚約者が恋人と働く黒字にならないカフェは大繁盛である。
同じように利益を求めない伯爵邸の診療所も大繁盛である。
「恋人同士はお揃いが流行しているのよねぇ。婚約者と同じ大繁盛という状況だけど、全然心が躍らない」
食事中に書類や小説を読むなどマナー違反だが、伯爵家では指摘する者はいない。
小説と現実を照らし合わせて、冷めた感想を述べるカミーラに状況が違うと突っ込む者もいない。
カミーラは小説を読み終えたため、支度をするために立ち上がった。
今日は王宮で王女主催のお茶会に招待されていたため、支度を終えると兄のマティスの部屋にノックもなく入った。
カミーラの調合した薬茶のおかげでぐっすり眠っている兄を見て、カミーラは満足げに笑う。
「久しぶりに調合したけど、腕は鈍っていなかったわ。幼い頃に身に付けたものはなくならないって本当ね。寝かせてあげたいけど、そろそろ時間よね。おはようございます。お兄様」
カミーラに肩を揺すられ、マティスはゆっくりと目を開けた。
「え?カミーラ?おはよう。あれ?寝過ごした?」
出かける支度を整えたカミーラを見て、混乱しているマティスの目の下の隈がなくなっており、カミーラは笑う。
「いいえ。なにも問題ないわ。皮膚病の治療をするお兄様に罵声を浴びせるお馬鹿さんが出るかもしれないわ。だからお兄様はしばらくお留守ね」
「え?それなら、尚更カミーラの代わりに僕が行くよ」
「今から支度をしても遅刻よ、お兄様。窓の外のお客様を捌けるのはお兄様だけでしょう?それにこんなことは未来の侯爵夫人には笑い飛ばせる些細なことなの。お兄様はここで私の帰りを首を長くして待っていらして」
伯爵家の診療所の患者の数はさらに増えたため、カミーラは両親の代わりに最低限の社交には参加していたマティスに社交はカミーラに任せるように声高らかに言った。
カミーラは高慢な一面もあるが、伯爵家では口にする者はいない。
「カミーラの成長が誇らしいよ。でも、嫌なことや辛い思いをしたら言うんだよ。僕はカミーラに傷ついて欲しくないし、妹を守れる兄でありたい」
「お兄様は優秀な妹を誇って送り出してくださいませ」
マティスは偉そうに命じるカミーラの言葉を頼もしいと受け取り、優しく微笑みカミーラを送り出した。
今日の王家主催のお茶会でどんな戦利品をもらおうか昨夜じっくり考え、意気込んでカミーラは出掛けた。
いつも豪華な王家のお茶会ではたくさんの茶菓子が並ぶ。
カミーラは振る舞われたケーキを一口食べると覚えのある味がした。
どこで食べたか思案しているとカシャンと何かが割れる音がした。
「姫様!!」
主催の姫が意識を失い、椅子から落ちる体を護衛騎士が受け止めた。
姫の顔に湿疹が表れ、呼ばれた王宮医の治癒魔法を眺めながら、カミーラは欲をかいてはいけないことを反省した。
カミーラが反省している頃、治癒魔法を受けた姫の呼吸が荒くなり、慌てる周囲の喧騒にカミーラは席から立ち上がった。
カミーラは王宮侍女に近くで使用人の治療に精を出しているだろう両親を呼ぶように伝えた。
薬師のカミーラにとって物凄く、見覚えのある症状だったが、未成年のカミーラの診療は説得力に欠け、後々の対処に巻き込まれないために両親に託した。
王宮での治療は緊急性がない限り、王宮で仕官する者がすべきというのがカミーラの持論である。
カミーラの予想通り、到着した伯爵の迅速な処置により、姫の顔色は落ち着き、呼吸も穏やかになり、健やかな寝顔に変わった。
「毒ではなくアレルギーです。姫様はもともとアレルギー体質ですから」
姫が口にしたものが調べられ、ルシアンが献上したケーキが原因と判明した。
ルシアンのカフェのケーキは恋人が採集した香草や木の実を使っている。
普段食べていない物を口に入れてアレルギーが発症するのは珍しいことではない。
「野草を私達に食べさせたの!?」
姫が倒れた原因のケーキに使われている材料を知った貴族達は眉を顰めた。
貴族にとって野草を食べるのは家畜だけである。
採集したのが侯爵家嫡男だろうと過程に価値はない。
家畜の餌を食べさせ、高貴な者を害した者を高貴な者は許さない。
「いやぁぁぁぁ」
「これは、お母様!!」
侯爵家を糾弾したい貴族の一部は痒みや湿疹に襲われた。
アレルギーが原因のため、生命力に働きかける治癒魔法は効果がなく、さらに悪化させることもあった。
掻きむしった部位から菌が入り、全身が熱に襲われ命を落とした者、痕は残ったが自然に治癒した者、薬師を呼び軟膏を処方され、しばらくして痕は消えた者など様々である。
謎の皮膚病について社交界で話題になった頃、カミーラはいつも通り友人達と情報交換のためのお茶会に参加していた。
カミーラの友人の貴族令嬢達は誰も謎の皮膚病に襲われていない。
「治癒魔法に頼り、楽を覚えた所為で傷に染みる消毒を疎かにしたのが悪いわよね。汚いものを排除するのが、社交界の常識なのに」
「治療の知識を持っている貴族が少ないのよ。治癒魔導士と薬師は仲が悪いし、高給だから二重契約ができないから、一方しかお抱えにしないもの。まぁ治癒魔導士の給金がさらに高いことは有名だからお抱えにすれば箔がつくって言われ、多くの薬師が解雇され、他国に流れたのよねぇ」
「治癒魔法が万能と思わず、お金の力で薬師を派遣し、指示を守って完治した家が再度契約を望んだけど、伯爵家はお断りしたのよね。カミーラ達にとってはいい気味かしら?」
「仕事が増えて迷惑なだけよ。貴族ではない薬師は国に仕えていないもの。厚遇される場所に行くのは当然でしょ?かつて突然解雇した各家に専属に派遣できるほど今はいないの。その代わり、必要があり、支払いをしてくださるなら、派遣はするわ」
「お金の力だけではどうにもできないこともあるわよね。特にカミーラのところは。そういえば、ご存じ?ルシアン様が献上したケーキで姫殿下が倒れたことが市井で噂になっているのよ。それで平民や下級貴族に大人気だったカフェは閑古鳥が鳴いているそうよ」
「流行は変わりゆくものよ。お客様の満足や信用を得られないならそこまでよ。私は何も聞かされていない部外者だもの」
カミーラはこの時は次回の友人達とのお茶会が今の和やかさとは正反対になるとは思っていなかった。
ルシアンのカフェには、閑古鳥が鳴き続け、診療所の患者の数が落ち着いた伯爵邸では落ち着きを取り戻し始めた。
ただカミーラに平穏は待っていなかった。
カミーラは招かれたお茶会で友人からの情報に眉を吊り上げた。
「なんですって!?」
「私はカミーラやマティス様を疑ってないわ。でも、今回の件で一番得したのは?」
「薬師の有能さを見せつける結果になった私達ですって?ふふふ…薬師の天才のお兄様がこんな杜撰な計画を立てると?自らの手で病を流行らせ、治療してうちの地位を取り戻す?笑いが抑えられずに、ごめんあそばせ。ふふふ…売られた喧嘩は高値で買わないと。教えてくれてありがとう」
最愛の兄への侮辱にカミーラは怒りに震えていた。
「落ち着いて。カミーラ」
カミーラは友人に宥められて怒りを隠し、妖艶に微笑んだ。
「初めて小説に感情移入したわ。罪を着せられ、怒りに身を任せ、罪に手を染めるのねぇ」
カミーラの笑みに友人達は寒気に襲われた。
「何か混ざってない!?そんな小説知らないわよ」
「小説と現実の照らし合わせなんてどうでもいいわよ!!カミーラの刑が軽くなるように署名を集める?」
「カミーラなら完全犯罪をやり遂げますわ。逃亡先の手配はうちの商会を使えばいいわ」
「止めないと!!マティス様に知らせては、いいえ、危険だわ。カミーラの怒りの矛先がこっちにくるわ。カミーラの兄への愛の前では友情など小石よりも小さいわ」
「資産力以外の全ての資質をお持ちのマティス様に愛を注がれ、育てられればこうなるのは当然よ」
犯罪に手を染めそうなカミーラを心配する友人達の心配は杞憂に終わった。
カミーラ達を貶める噂は大きくなる前に収まった。
「私と愛する民を救ってくださった臣民を糾弾するなら確かな証拠はあるんでしょうね?」
完治した姫は復帰したパーティーで伯爵家を糾弾しようとする貴族に問いかけた。
貴族達は王族を味方につけた力のない伯爵家ではなく、侯爵家を追い落とすことに方針を変えた。
「罪に問うなら侯爵家では?婚約者という理由だけで罪に問う法はない」
糾弾された侯爵家と手を切る者がほとんどの中、カミーラは婚約者として役目を放棄しなかった。
カミーラはルシアンのカフェで提供されたレシピ集をマティスに渡した。
「この薬草と花を掛け合わせると相互に作用して強くなるのか……。調べたら面白そうだね」
「お兄様の役に立つのは嬉しいし、好きなだけ研究させたいんだけど後にして。痕をなんとかできる?」
「痕を完全に消すことはできない。でも、薄くすることはできるよ。それを隠すまでならできるけど、それ以上は今は難しい」
「隠せるなら十分よ!!さすが、お兄様!!」
マティスは傷痕を薄くする軟膏と傷を隠すクリームを調合した。
カミーラは侯爵家の名のもとに軟膏と美容クリームを配布した。
「無知であることは教養深い貴族として恥ずかしいことでは?」
カミーラはアレルギーについて説明し、今回のことは不運な事故であったと語る。
薬師一族の才女として称賛を受けていたカミーラは評判を利用した。
「多少の痒みは伴いますが、ひどくなる前にわかる方法があります。侯爵家に後見をいただきお兄様が作りました」
カミーラはアレルギー検査の技術を侯爵家に譲った。
ルシアンの所為で身近な脅威に気付かせ、排除するための方法を侯爵家が普及させた。
落ちぶれていく侯爵家と婚約を破棄することもできたが、今までの恩があるからと落ちていく侯爵家を支えることを選んだカミーラの評価はうなぎ登りである。
突拍子のないことをするルシアンがいると邪魔にしかならないため、カミーラはルシアンを関わらせなかった。
騒ぎが落ち着いた頃、ルシアンが倒れた。
「あら?まぁ、病ですか…」
恋人に振る舞われた料理で吐き気に襲われ、腹を下したルシアンをカミーラは冷静に看病した。
「平民なら耐性があるので問題ないけど、耐性も免疫力も体力も精神力もないルシアン様にはちょっと…。恋人のゲテモノ料理を口にする男気だけはあったのねぇ」
平民が食材として扱う蛙は弱毒性を持っていた。
幼い頃から食べていれば耐性がつくため、成人してからたくさん食べても体に害がない。
ただ毒から遠ざけられ育つ貴族は別問題である。
平民にとっては祝いの日に用意する蛙料理のフルコース。
ルシアンと恋人の記念日のお祝いに用意された料理はルシアンにとって毒のフルコースだった。
即効性のものではないので、翌朝からルシアンは熱と吐き気と下痢に襲われた。
吐物まみれのルシアンに恋人の恋は冷めたのか、カミーラが会いにいった頃には姿がなかった。
「働かないと生きていけない平民なら役に立たない夫はいらないかぁ。まぁ賢明な判断とはいえないけど、一理はあるかしら」
眠っているルシアンをカミーラは静かに眺めていた。
弱った顔に母性がくすぐられるという話があるが、カミーラにはわからなかった。
「風向きが変わってきた?まぁ、振り回された分だけきちんと支払いをもらわないと」
カミーラは改めて決意し、衰弱しているルシアンのために嘘の噂を流した。
ゲテモノを食べて衰弱するなど品位を大切にする貴族の恥である。
恋人に捨てられたルシアンをカミーラは優しく慰めた。
****
久しぶりに伯爵邸に帰ったカミーラは目を見開いた。
マティスのファンが増えることには今更驚かない。
ただルシアンの恋人だった町娘がマティスのファンに加わるのはドン引きだった。
「ルシアン様はもう駄目。お金持ちになるには、もうマティス様でいい」
「もう?お兄様をアレと比べるのは侮辱ではなくって?お馬鹿だから、自覚がないのかしら」
マティスはルシアンの恋人の顔を知らない。
そしてちょろいルシアンとは違うことをよく知っているカミーラは排除せず、自滅を待つことにした。
マティスは手伝ってくれる人に感謝はするがそれだけである。マティスは多大な愛情を妹から向けられているので好意に鈍い。多忙なマティスは恋するほどの心の余裕も隙もない。
「どんな人が好みですか!?」
「考えたことがない、あぁ、それは重いから、運ばなくていいよ。水汲みはもう少し大きくなってからにしようか」
愛らしく笑う町娘との会話より、その後で無茶をしようとする子供を止めるほうが優先である。町娘を残し、マティスは立ち去った。
カミーラが兄に近づけば、マティスはカミーラを気にかける。マティスの関心を向けられる健康的な異性はカミーラだけである。
「おかえり。カミーラ」
「ただいま!!お兄様、なにも変わらないわ」
「カミーラが納得してるならそれでいいよ。今回のことはルシアン様の名誉のために隠蔽されたけど、本来なら極刑ものだ。でもルシアン様は蛙とわかって口にしたのなら彼女だけを責められない。貴族が口にしないものには理由があると教育を受けているはずだから」
「学べる環境にいるのに、無知は罪。裁判すれば教育を受けられない環境で、知らずに罪を犯した彼女のほうが罪が重いのは不公平よね」
「身分制度があるんだ。平等なんて存在しないと知ってるだろう?学びの機会をもっと増やせば防げたこととわかっていても、これ以上は僕達の役目ではない。手を伸ばしすぎて大事な者を蔑ろにするのは本末転倒だ」
カミーラはマティスの言葉に嬉しそうに笑う。
マティスの最優先は常にカミーラである。
子育てに適性のない両親の代わりに、マティスが守らないといけない小さな妹。その優先順位は妹が逞しく育っても揺るがない。
マティスはカミーラが声をかければ、どんな時も手を止めて振り向く。
両親が第一にする治療より、カミーラを優先する兄。
マティスの所為で、カミーラの理想が高くなっているが兄妹共に無自覚である。
****
カミーラは眠っている名誉も恋人も失ったルシアンをぼんやり眺めた。
「侯爵家の名誉は回復しても、タイミングの悪いルシアン様の名誉は回復しない。何もしてないもの」
「マティスはいつも庇われるのに、なんで、マティスが」
ルシアンの寝言にカミーラは妖艶に微笑んだ。
「私に興味がなくても、大事にしているものさえ知らなかったのね。何かの顔も三度までだっけ?、三度も許して差し上げるなんて、心が広いのか酔狂か」
カミーラの独り言はルシアンには聞こえない。
今のカミーラを見た友人達は恐怖に襲われただろうが、今は誰もいない。
病が完治したルシアンの名誉を回復させるためにカミーラは尽力した。
ルシアンのカミーラに向けられる視線の種類が変わったことに気付いても、気付かないフリをした。
ルシアンの手綱を握り誘導し、カミーラに触れようとするときは酒を飲ませて、いい雰囲気になる前に眠らせた。
しばらくして、ルシアンはカミーラの献身のもとで事業が成功した。
成功した日に、ルシアンはカミーラの手を握り跪いた。
「式の日取りを決めよう」
甘い笑顔と声音のルシアンにカミーラは握られた手を振りほどいた。
「お断りします」
目を丸くするルシアンにカミーラは優しく微笑んだ。
「どんな手を使っても権力を手放したくない気持ちはわかります。他のスキャンダルで揉み消そうとする方法も。でも、守らないといけない一線があります。ルシアン様はその一線を超えました」
「カミーラ?」
「私達一族の誇りを汚しました。お兄様に冤罪を着せようとした。あの噂を流したのはルシアン様達でしょう?」
小説では時を重ね、情が生まれ、愛が育まれるとあったがカミーラは逆だった。
反してカミーラに気を許した酒に酔ったルシアンの口からこぼれた言葉はカミーラにとって戯れで流せるものではなかった。
それからカミーラは今まで調べなかった皮膚病とルシアン達のカフェのことを自ら調べた。
町娘からも聞き出した情報とも相違はなく、裏も取った。
ルシアン達は皮膚病をカミーラ達の所為にしようと嘘の噂を流した。
治癒魔法の効かないアレルギーを流行らせたのはカミーラ達とも。
ルシアンのカフェでケーキを食べたカミーラが止めてくれればこんなことは起こらなかったと。
全てカミーラにとってお門違いな責任転嫁。
ルシアン達の迷惑を被り、対処したのはカミーラ達である。
「一度裏切った殿方を信じられると思いますか?」
「カミーラ?」
「欠片も愛してなどおりませんわ。人生を歪めた責任をとっていただきたいと思いましたの」
苦労しても利益があるならカミーラはルシアンと添い遂げてもよかった。
でも、状況は変わった。
最愛の兄を貶める者と添い遂げるなど、無理である。生理的嫌悪は努力ではどうにもならない。
殺意を抱かせる財力しか魅力のない男との人生などイージーモードでもごめんである。
カミーラは驚くルシアンに提出し受理を待つだけのサインをしてある婚約破棄証明書を見せた。
以前、ルシアンが置き忘れたものを大事に保管していた。
「これを受理していただきます。今のルシアン様なら、選り取り見取りでしょう」
成人したカミーラの持つものの中で、一番尊いのは自分で全てを決められる権利である。
伯爵令嬢だが、次期当主は伯爵家のために妹を利用することを嫌う性分ゆえに将来の選択はカミーラ本人に委ねている。
カミーラは色んな選択肢の中から自分の意思で選びとり、生きてきた。
貧乏な可哀想なお嬢様、玉の輿に乗れた運のいい強欲な少女、良縁を逃した憐れな行き遅れ女、どれもカミーラにとっては迷惑きわまりない代名詞である。
貧乏でも学ぶことに必要な環境が整えられていた。
薬師の教育も上手く生きていくために大切なことだった。
地位を奪われ転落しても幸せそうに働いていた矜持がないと馬鹿にされる両親は、無責任に人任せにする大人よりマシである。
社交を疎かにする伯爵家嫡男に相応しくない兄は、カミーラを育て、実のなる種を蒔いた自慢の兄である。
かつて薬師として荒れた指は自慢の兄の作った薬のおかげで傷一つない美しい指に変わった。
「婚約破棄証明書の申請欄はルシアン様の名前だから、婚約破棄の賠償は侯爵家が負う。カミーラへの慰謝料も受け取ってきたから、好きに使っていいよ」
「お兄様?」
「カミーラは傷ついてなくても、侯爵夫人にならないなら、背負わなくていいもののために今まで励んできたんだろう?婚約者なのに誠実さの欠片もない扱いを受けたんだから当然だよ」
お人好しの伯爵夫妻ではなく、マティスが侯爵家と婚約破棄の話し合いをし、カミーラの想像を超える慰謝料を得た。
「カミーラも成長したし、うちは僕の代で終わりにするから、これからは好きにしていいよ。慰謝料はカミーラが好きに使うんだよ。父上達は何も言わないから安心して使っていいよ」
「お兄様、怒ってるの?」
「カミーラには怒っていないよ。ただ大事な妹を蔑ろにされて喜ぶ兄はいないよ。カミーラが望まないのに、僕の我が儘で行動して、カミーラに迷惑をかけるのは本末転倒だろう」
「お兄様でも怒るのねぇ」
婚約破棄の慰謝料を得て、未来の侯爵夫人としての役割もなくなり、時間にも懐にも余裕ができたカミーラは新たな趣味を見つけた。
「お兄様以上の素敵な男がいないなら作ればいいのよ!!お芝居ならやりたい放題よ!!」
カミーラは劇団を立ち上げた。
演目が変わるごとにオーディションをし、カミーラの好みで役者を揃える。
報酬目当ての演技ができない者でも、カミーラの言う通りの立ち回りをする意志があり、外見が好みに合えば採用される。
雇用期間は半月と短期間のため、お試しや小遣い稼ぎには最適である。
カミーラの完全な遊びのため技術も利益も追求はしなかったが、友人達の強い勧めで公開したら大衆受けした。もっと演じたいという役者の強い希望とお金を払うので特等席で見たいという観客の希望があり、チケットを売れば常に完売でさらに懐が潤った。
「チケットが手に入った!?」
「ええ!!団長の役の理想に合う者を紹介すると、チケットをいただけますのよ!!協力しませんこと?」
「もちろん!!その情報は初めて聞いたわ」
カミーラの劇団は大人気である。
「芸術性の欠片もないのに大人気って…。オーディションに参加した人気の踊り子より、大根役者を選ぶ団長のオーディションが記事になってたぞ」
「大根は初心者でも栽培しやすいから、重宝されるよ。僕はカミーラが楽しいならそれでいいよ。でも、カミーラが人形遊びをしたかったとは知らなかったよ。カミーラが欲しがらないから、うちに人形はなかったね。次の誕生日は人形を贈ろうかなぁ」
「マティス様の贈り物ならカミーラはどんなものでも喜びますわ。でも、不貞をして、地位を失った婚約者の断罪シーンは民に人気ですわね。現実でも稀にありますが、公開して断罪し、見せ物にするなんて、品位のないことはしませんものね」
「他人事って素晴らしい!!どんな笑えないこともおもしろおかしく上演すれば、笑いとお金になるのね。小説はたくさんあるから、演目は選びたい放題!!」
小説には様々な世界が広がっている。
婚約者よりヒロインを選び、没落しても二人が幸せに暮らす小説や、裏切られた婚約者を許し、献身的に尽くし、最後には結ばれる小説も。
カミーラは侯爵子息としての名誉が没落した婚約者を献身的に支え、元の立場に戻した。
堕落した婚約者を矯正し、カミーラへの恋心が芽生えたルシアンを捨てた。
カミーラの友人が執筆したルシアンをモデルにした小説を演目にしたら、大人気になった。
カミーラの身の上を不幸と嘲笑う者は誰もいない。
だが、目をギラギラさせて監督をしているカミーラに憧れ、目指したい者もいない。
カミーラは結婚をせず自由恋愛を謳歌しやりたいことをやる。
家族の絆は兄のおかげで満たされている。
流行にのらない令嬢は幸せである。




