流行に乗りたくない令嬢 中編
玉の輿の人生イージーモードに突入し、浮かれている資産力のない伯爵令嬢カミーラは顔だけは美しい婚約者を眺めている。
侯爵夫人の命令で定期的な逢瀬の義務がある婚約者に招かれたのは、婚約者がオーナーの新しくオープンしたばかりのカフェである。
カミーラに相談もなくはじめたカフェで気まずそうにしている婚約者のルシアンを眺めながら、二杯目のお茶を飲んでいた。
「婚約破棄してくれ」
恐る恐る書類を机に置く婚約者のルシアンにカミーラは首を傾げる。
「私は愛人がいても構いませんが、ルシアン様は婚約破棄をお望みですか?」
「カミーラ?」
「ルシアン様は選べるお立場の方。他の方にお心があるなら、私を利用してくださいませ。婚約当時の約定を、うちへの義理を守ってくださるなら、私はルシアン様のお心は望みませんわ」
カミーラは微笑みながらペンを取り出し、婚約破棄証明書にサインを始めた。
怒りや嘆きなど強い負の感情を向けられると覚悟していたルシアンは優しく微笑むカミーラに驚く。
ルシアンの恋人は愛らしいが、正妻に迎えられるほどの教養も後見もない。
愛らしさはないが、歴史ある伯爵家出身のカミーラはルシアンの親族に認められている。
「私はもうカミーラを愛せない。それでもいいか?」
カミーラはルシアンに声を掛けられ、サインをしていた手を止めた。
カミーラとルシアンの間に愛など欠片もないため意味がわからなかった。
ルシアンのために考える時間をもったいないと惜しんだカミーラは顔を上げ、真剣な眼差しのルシアンを見つめたまま頷いた。
「はい。私達は政略結婚です。義務を全うすること以上に大事なことはありませんよ」
「それなら、今まで通りで構わない。いや、」
言い淀むルシアンの言葉をカミーラは今度は待たずに口を開いた。
「私的な私との時間は恋人の方に使ってください。私はケーキを食べてから帰りますので、お先にお帰りください。心配されているでしょう?」
「ありがとう。お土産に好きなだけ注文してっていいから。支払いは私が済ませておくから遠慮なく」
「まぁ。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
カミーラは立ち上がったルシアンに微笑み、手を振る。
振り返ることなく出ていくルシアンの背中が見えなくなったので、ため息をついた。
「不用心ですこと。まぁ、だから私が選ばれたのですけど」
カミーラはルシアンが忘れていった婚約破棄証明書を丁寧に折りたたみ懐に入れた。
ルシアンはすでにサインを終えていた。
ルシアンは婚約破棄証明書をカミーラに書かせる前にお互いの両親を説得しないといけないことを失念していた。
侯爵家嫡男なのにうっかり癖が抜けない息子のフォローのために立場が弱い伯爵家出身の才女のカミーラが選ばれた。
侯爵夫妻とはよいお付き合いができている。
優秀な兄からの教育のおかげでカミーラは高貴な方々に気に入られるのも得意である。
美人でしっかり者のカミーラよりも、素直でお馬鹿な町娘に心を奪われるルシアン。
「多くは望まないので、モラルだけは守ってくださいませ」
カミーラは運ばれてきたケーキを口に入れ、うっとりと微笑む。
「あら?これは初めての味?」
カミーラはルシアンの言葉に甘え、お土産のケーキを注文する。
お土産のケーキを上機嫌に受け取ったカミーラは、婚約破棄の提案をされた伯爵令嬢には見えない軽やかな足取りで伯爵邸に帰った。
貧乏を脱却してもお金は大事である。
支出を最小限にして、必要な時に備えるために。
貧乏な伯爵令嬢はお金持ちの婚約者のおかげで、多くの者を魅了する力を手に入れた。
でもそれだけではカミーラは満足できない。
婚約者の不貞なんてカミーラにとっては些細なことである。
上機嫌に伯爵邸に帰宅したカミーラは薬草園に寝転がっている兄のマティスを見つけた。
マティスは近づいてくる妹に気付き、起き上がって出迎えた。
「お帰り」
心配そうな顔の兄に反してカミーラは満面の笑みを浮かべている。
「お兄様は研究に専念して。心配はいらないわ。お土産があるの。珍しい味のケーキ!!時間があるならお茶にしましょう」
「貴族令嬢は流行に敏感であるべきなのはわかるよ。でも婚約者を恋人のために建てたカフェに呼ぶのは」
「ルシアン様に求めても疲れるだけよ」
「カミーラの幸せを一番大事にしてほしい。今は昔とは違うから、」
「ならお茶に付き合ってくださいませ。辛気くさい顔はやめて」
頷く兄の体中についた汚れを払い、カミーラはお茶の用意をはじめた。
多忙な兄がカミーラを心配して、時間を作って待っていた。
マティスが言葉にしない気遣いにカミーラの心が躍る。
婚約者とのお茶会とは違い楽しいお茶の時間の始まりである。
***
カミーラが婚約破棄を申し込まれたルシアンがオーナーのカフェは大人気である。
「ルシアン様が手腕を認められたのは初めてじゃない?」
「才女の婚約者様はようやく頭角を現したのかしら」
「侯爵家は安泰ね」
貴族令嬢のお茶会では流行や噂話が主流である。
カミーラは微笑みながら、ルシアンの一人の成果で、自分は関わっていないと返す。
煌びやかな店内に侯爵家のシェフが作った美しい見た目のケーキがショーケースに並び、平民でも手が届く低価格。
ルシアンの侍女が給仕を手伝い、恋人がケーキのアイディアをルシアンと共に考えている。
侯爵家の嫡男に仕える使用人達により貴族気分が味わえる低価格のカフェは大人気になるのは当然である。
低価格で提供できる手腕の秘密を探ろうとする令嬢達にカミーラは真実は話さず、関わってないことだけをアピールするだけである。
お茶会が終わったカミーラは帰りの馬車で一人になり、腹を抱えて笑い出した。
「どんなにケーキを売っても赤字の慈善事業とは思わないわよね。滑稽だったわ。誰も気付かないなんて」
カミーラはルシアンからカフェの相談を受けていない。侯爵家が黙認しているなら口出しはしない。
ケーキの価格より高い材料費、質の高い使用人の人件費など黒字になりえない経営だが、ルシアンが自分のお金をどう使うかは自由である。
幸せそうな恋人達のおままごとにカミーラは嫉妬を覚えることはなく、少しの憐れみを覚えた。
利益の出ないカフェという慈善事業に夢中で現実を見ないことが幸せと思えるほどカミーラはおめでたい性格ではなかった。
「まぁ、おかげで私もルシアン様とのつまらない時間が減ったし、ルシアン様も楽しそうだし、一石二鳥というものかしら?侯爵子息の戯れに騙される方々の滑稽なものも見れたし、高貴な方の遊びに感謝かしら」
慈善事業に夢中で悠々自適な生活を送る婚約者を歓迎し、増えたプライベートな時間を楽しんでいたカミーラの幸福は続かなかった。
謎の皮膚病が流行し、治癒魔導士に払う代金のない者が伯爵家に集まっていた。
伯爵邸の敷地には身分関係なく、受け入れる診療所があるのは有名である。
普段は伯爵領民は伯爵領にある診療所を頼るが、訳ありや診療所でも対処できない者は伯爵邸の診療所を訪ねるようになっていた。
診療所の入り口には立て札があるが、文字を読めない者もいるため、カミーラは声高らかに宣言した。
「初めての方のためにご説明します。今は治療費の支払いは求めません。元気になったらうちのお手伝いか月給の一割を支払ってください。寄付はいつでも大歓迎ですが、優遇はしませんので賄賂は無駄ですよ」
マティスが成人してからカミーラの方針で無償で診療することはやめた。
伯爵家の仕事をカミーラが手伝うようになり、時間に余裕が生まれたマティスは妹の策に委ねた。
支払いの催促はしないが、ほとんどの者が完治した後に、治療代の代わりに伯爵家の手伝いに来る。
稀に、出世し、治療代とは別に多額の寄付金を持って訪ねる者も。
中にはマティスに心酔し家臣になりたいと志願し、カミーラに教育され伯爵家に忠実な家臣になった者も。
診療所内では、手狭なために庭園に治療用テントを設営し、マティスが指揮を執っていた。
「アレルギーによるものだ。感染はしないけど、清潔は」
「心得ております」
「頼もしくなったね。軽症者は任せるよ」
「お任せください」
「頼りにしているよ。なにかあればいつでも呼んで」
マティスは弟子に指示を出し、庭園で足りなくなるだろう薬の調合を始めた。
調合をしながら、様子を見て、弟子に呼ばれる前に、自分が必要な時は動いていた。
「お兄ちゃん、お手伝いしたい」
「ありがとう。ではお願いするよ」
マティスは群がる子供達に指示を出し、送り出す。
大人達はマティスが伯爵家の嫡男と知っているが、礼儀に寛容なのを知っており、マティスの許しを得ているので、子供達の無礼な態度を咎めない。
「この草でいいんだよね!!僕が一番!!」
「お兄様は甘いんだから」
「人の手があるのはありがたい。君達のおかげで僕は薬の調合に専念できるよ。ありがとう」
薬草を抱えてきた子供達にマティスが調合の手を止めて花の蜜で作った飴を渡す姿にカミーラはため息をつく。
マティスに懐き、会いに来る子供達を快く迎え、遊び場として時に学びの場として受け入れている兄の慈善事業。
だがカミーラの婚約者の身にならない慈善事業と違いマティアスはきちんと種を蒔いている。
「カミーラのおかげで人手があるから、必要な材料の採取や薬草の栽培がはかどり、惜しみなく薬を提供できるようになった。ありがとう」
カミーラは自身の魅力をわかっていない兄に、ふざけてあえて大きなため息をついた。
「知識は生きていくうえで必要だろう?楽しく学べれば一番だ。カミーラは怒るかい?」
「まさか。私はお兄様に育てられたことは一番の幸運で誇らしく思っていることよ。お父様達みたいになりたくないもの」
ため息をついたカミーラが不安がっていると勘違いしたマティスの問いに首を横に振って、自慢げに微笑む。
マティスのお手伝いのおかげで、毒のある植物を子供達は覚えた。
食べられる草や花を使う料理も。
子供達を教育しながら預かってくれるマティスに感謝して親達が食事を差し入れてくれることもある。
負担にならない程度に助け合っていくことが兄妹の方針である。
貴族の矜持や誇りだけでは生きていけない。
価値観はそれぞれであり、義務より実益を優先することは嘲笑われても、罪にはならない。
搾取されてばかりの両親ができないことをマティスとカミーラは成し遂げた。
兄はカミーラに負担をかけていると思っているが、カミーラは負担に思ったことはない。
言葉では伝わらないので行動に移す。
地面に座り込んで薬草をすり潰している兄の背中にカミーラは寄りかかった。
兄の背中はカミーラの特等席である。
「ここは私の席だから、譲らないわよ」
マティスはカミーラに薬師の仕事を手伝うようには言わない。
カミーラは手伝いたい時に手伝うスタンスである。
「薬を塗って、これを飲んで。詳しいことは」
「こんにちは!!私が説明します!!マティス様はマティス様にしかできないことをしてください」
「ありがとう。助かるよ」
かつての貧乏で落ちぶれた伯爵家であればたくさんの患者の対応はできなかった。
兄妹で頑張ったおかげで手伝ってくれる人達に恵まれた。
マティスの弟子や恋焦がれる領民、ご褒美目当ての子供達のおかげで伯爵邸の診療所は滞りなくまわっている。
***
民達に皮膚病が流行しても命に関わることはないので王家は支援をしなかった。
貴族に発症者がいないので大きな問題として上がらなかった。
王宮の豪華なお茶会でカミーラは優雅な貴族達を眺めながらお茶を飲む。
貴族子息も招かれているが、マティスは欠席である。
「マティスは欠席?」
「申し訳ありません。兄は民の治療に忙しく、私が」
「お母様、民のために尽力してくださるのよ?ありがたいことですわ。カミーラ、なにか欲しい物はあって?」
「ありがとうございます。恐れながら患部を保護する清潔な布をいただきたく存じます」
「聖水でもいいのよ?」
「高価な聖水よりも――――――――――」
カミーラは王家から良質な包帯と薬草を手に入れた。
王家が大量に購入した薬草の販売の蔵元はカミーラのお抱え商人である。
カミーラはもらえるものはもらう主義である。
外聞よりも大事なものがあるとよく知っている。
「きちんと治るから心配しないで。きちんと教えたことを守ってくれれば痕も残らないよ」
顔に湿疹が出て、泣く少女を慰め軟膏を塗るマティス。
「お兄様に恋焦がれる者がどんどん増えていく」
「一時的なものだよ。でも、こんな顔で気が晴れるなら父上達に感謝かな」
「患者が気の迷いで言ってるんじゃなくて、お兄様は美男子って自覚を持ったほうがいい」
「カミーラに褒められると照れるなぁ。薬草をありがとう。無理はしないように」
照れくさそうに笑うマティスは実の妹さえ推したくなる。
無自覚な人たらしのマティスはしっかりしているようで自分のことには無頓着な一面もある。
婚約者のルシアンのバカな惨事を心の中で嘲笑うカミーラは、兄のマティスに限ってはどんなことも魅力的と思える重度のブラコンである。
婚約者の関心を町娘に奪われたと憐れまれる伯爵令嬢は同情を利用し、排除されない立ち位置を気に入っている。
「悲劇のヒロインなんてお断りと思っていたけど、便利ね。民のために私財を使い、心優しい聖女のようなお嬢様って、私よりもお兄様にぴったりじゃない?」
「カミーラとマティス様の生まれと性別が逆なら、伯爵家は没落せず、流れは変わってましたわ」
「マティスだから友人になった。カミーラ嬢とはちょっと」
「お兄様がいるから、今があり、私は満足してますよ。お兄様はお忙しいので、遊び相手は他を探してくださいませ。深夜のお客様の所為でお兄様の睡眠時間が減りましたので、今日は早く休ませたいので、ご理解くださいませ」
カミーラはお忍びで訪ねたマティスの友人を兄に気付かれないように追い返した。
マティスは望まないだろうが、カミーラが追い返したかったと言えば、優しく笑って許してくれるのを知っている。
兄の睡眠時間の確保のために奔走するのは、妹の使命であり特権であり、カミーラにとっては有意義なことである。
ぐっすり眠れる薬茶を振舞い、翌朝寝起きの兄を起こした時の反応を思い浮かべカミーラは笑う。




