流行に乗りたくない令嬢 前編
世間にはたくさんの物語が存在している。
町娘と王子様が結ばれる玉の輿の物語。
婚約者の不貞を暴き婚約破棄をする物語。
虐げられた子供が聖者に育ち、王を病から救い認められる物語。
伯爵令嬢カミーラは同じような展開ばかりの小説を読み終え本棚に片付ける。
次に手を伸ばし、目を向けたのは新聞である。
玉の輿や婚約破棄がハッピーエンドになるのは小説の中だけ。
新聞のようにおもしろおかしく語られるほど社交界も現実も甘くない。
楽しめるのは他人か、大概のことは揉み消せる立場にある権力者達である。
できることならカミーラは他人事、無関係でいたかった。
でもカミーラの人生は王道とは逆をいき、いつも甘くない。
カミーラの一族は薬師である。
かつては王宮医を務め、資産力もあったが時代が変わった。
王国に治癒魔法の使い手が現れた。
王国の医療は薬師が担ってきたが、見目麗しい治癒魔法の使い手が現れ、薬師の地位は転落した。
一流の薬師を多く輩出してきたカミーラの一族が調合する薬は効果抜群だが、強い薬ほど臭みや苦さがある。軟膏は効果があるものほど傷に染みる。
薬の効果を知っていても、不快な思いをする薬よりもお金さえ払えば一瞬で治してくれる治癒魔法を望むものである。
カミーラが幼い頃は王族専門の王宮医を務めていた父は現在、王宮の使用人を診察するだけの閑職になり、王宮治癒魔道士が王族の体を管理している。
能力主義の王家は王族に貢献していない伯爵の給金も急激に下げた。
「古きは廃れ、新しきものを人は好む。でも新しきものは危険でもある。副作用のない薬がないように」
「生活に困らない財力があればいい。陛下に必要とされずとも、私達の手を求める者は多い」
お人好しの両親は、王族以外の多くの者のために力を尽くせることに喜びを見出し励んだ。
幼い実娘よりも目の前にいる患者を大切にする両親をカミーラはただ眺めていた。
「おなかすいた」
「うちのお姫様はここにいたのか」
寂しいという感情に気づかず、動かないカミーラ。まだ知らないことばかりのカミーラには両親とは正反対の兄がいた。
カミーラの気持ちを察しようとはしない両親とは違い、カミーラの気持ちを常に掬い上げ、抱き上げてくれる兄がいた。
「ここにいるの」
「見つけるのが遅くなってごめんね。カミーラのおやつを作ったんだ。食べてくれるかい?」
兄の作った甘味の少ないクッキーはカミーラの人生によく似ていた。
成長してから気付いたカミーラの甘くない人生の中で最大の幸運は兄という絶対の味方がいることである。
「節約しないといけないんだ。うちのことは僕達で頑張ろうか。カミーラ、協力してくれる?」
頷いたカミーラにクッキーを食べさせている兄のマティス。
頼りにならない両親の代わりに社交デビューしたばかりの嫡男のマティスが頂点から転落した伯爵家を切り盛りしていた。
薬師として天才と謳われたマティスは新薬の研究を止めた。そんなマティスが一番大事にしたのはカミーラとの時間である。
使用人や教師に暇を出し、優秀なマティスが家事をしながらカミーラの教育を引き継いだ。
「お金があれば安全で品質のいいものだけを食べられる。でも、もうお金がないから、別の視点を持たなくてはいけないよ。貴族達が卑しいと厭う食材も、知識さえあればお腹を満たしてくれる。栄養価も組み合わせによっては高級な食材より高いものも多いんだ。カミーラの好みに合うといいんだけど」
「美味しい!!今までで一番美味しい!!」
「良かった。料理も調合も本質は同じだけど、嗜好に合うかは別問題だから。簡単だからカミーラにもできるよ。やってみるかい?」
庭園にある草花を使った料理は見慣れないものばかりだが、カミーラのために可愛らしく盛りつけられていた。
マティスが作る見慣れない不思議な料理はカミーラの好奇心を刺激し、食事の時間が楽しい時間に変わった。
「暇を出した乳母に可哀想なお嬢様達って泣かれたの。可哀想なの?」
「カミーラが可哀想かどうか決める権利を持つのはカミーラだけだ。僕は可哀想じゃないけど、カミーラはどう?」
成長するにつれて、カミーラは兄の優先順位の中で自分が一番高い事に気付いた。
兄が一番時間をかけて掃除をするのはカミーラの部屋である。
カミーラを起こし、カミーラが支度を整える間に寝室を整え終えている。
朝食を終えると、マティスはカミーラの部屋を掃除しながら、カミーラに勉強を教える。
「お兄様はお勉強しないの?」
「貴族の嫡男たるもの社交デビュー前に全ての教養を終えるものだからね。人から教わるのは終わり。僕が教わったものを妹に授けるのが今の役目だよ」
「お兄様は天才だものね」
「天才ってなんだろうね。まぁ、人の価値観はそれぞれだ。でも自慢の兄になれるように頑張るよ」
貧しくなる前は使用人達がマティスを天才と称賛していたのをカミーラは覚えていた。
天才でも驕らず、誰にでも優しく、臨機応変に大抵のことをおさめる兄をカミーラは誰よりも尊敬していた。
カミーラの子供時代は貧乏でも幸せだった。
ただ成長して視野が広がるにつれ、不満が生まれた。カミーラは両親のようにお人好しにもお気楽者にもならなかった。
「伯爵位返上して、亡命しようよ!!」
「父上達は先祖から受け継いだものを捨てることはできない人だよ。それにまだ薬師が必要とされていると使命感に燃えているから。カミーラに新しいドレスを買ってあげられない不甲斐ない兄でごめん」
「お兄様が悪いことなんて一つもないわ!!ドレスなんかいらない!!王家が薬師を捨てたのに、なんでそんなに、」
「不敬罪になるから口に出してはいけないよ。父上達は時代の流れを読むのが苦手なんだよ。生まれた時から不自由ない生活をしているから、今の生活も新鮮と楽しんでいるみたいだし。治療した民に感謝され、喜んでるし、」
「貧しい者からお金を取らない気持ちはわかるけど、だからってうちが火の車なのってどうなの!?」
「新しい薬でも作れれば、他国に売れるんだけど、材料が…。試してみたいことはあるんだけど、優先順位は低いかなぁ」
「家事をするのはいいわ。でも、このまま善人として感謝だけされて、私達に何も返ってこないなんて嫌ー!!」
子供の頃と違い、部屋の掃除、料理、洗濯と家事を一通り覚えたカミーラの叫びにマティスは目を逸らした。
いつも優しく頭を撫でて宥める兄の珍しい反応にカミーラは不満を叫ぶのをやめた。
「一つ、方法はあるんだけど…。ちょっと」
小さな兄の声をカミーラは拾った。
「教えて!!話すだけならタダよ。気分が上がれば儲けもの」
「カミーラが褒められるのが嬉しくてつい自慢しちゃったんだ。薬を調合する薬師は成人した者ばかりだけど、僕達は子供の頃から薬の調合ができただろう?薬師って賢いイメージがあるし、カミーラのことを聞いた人達が才女って言ってね、そんなカミーラをお嫁に欲しい方がいらして」
「才女!?今は事実なんてどうでもいいわ。うちの後見に?祝い金をたんまりもらえるの!?」
「侯爵家だからねぇ。でも、ちょっと問題が」
「訳ありなのね。旦那様はだいぶ年上のお爺様?」
「カミーラより三歳年上だよ。ただ、たった一人の跡取りが頼りないらしく、」
「ポンコツはどこにでも転がってるのよねぇ…。侯爵家に逆らえない、従順でこっそり舵取りする伴侶が必要か…。歴史だけはあり、貧乏なうちが丁度いいのねぇ。お兄様、楽しそうじゃない」
珍しい物を見つけた時と同じように目をキラキラ輝かせているカミーラ。
「カミーラ?」
「お金はあるところにはたくさんあるのよ。それなら分けてもらいましょう。侯爵家を牛耳って、貧乏生活からおさらば。お兄様にも思う存分研究させてあげられるし、侯爵家のコネを使えば薬で儲けられるかもしれない。お話、まとめて」
「妹を売るなんて」
「お兄様でもお馬鹿なことを言うことがあるのね。私は売り手じゃなくて、買い手よ。正当な取引よ。私の能力で侯爵家から対価をもらう。大丈夫!!幸せになるし、お兄様も幸せにするわ」
「僕は幸せだよ」
「お兄様の幸せは次元が低いのよ。もっと幸せにしてあげる!!薬師の天才のパトロンになってあげる」
乗り気ではない兄にカミーラはパチンとウインクをする。
興奮して盛り上がるカミーラに押され、マティスは頷いた。
王宮医を務める一族は王族の前で相応しい振る舞いをするための教育を徹底していた。
転落した伯爵家嫡男は礼儀と話術だけは妹の自主性を無視して、厳しく教育した。
伯爵家に相応しい高価なものを身に着けられないカミーラは装飾具に頼らない美しさを身に着ける必要があった。
「どんなに効果のある薬を作れても、使ってもらえなければ意味がない。病や傷で苦しんでいる者は疑心暗鬼だ。だから一人前の薬師は腕だけでなく、話術と礼儀作法も一流であることが求められるよ。薬師として生きなくても礼儀作法と話術は武器になるから頑張って覚えるんだよ」
マティスが社交デビューしてからすぐに伯爵家が転落していった。
多くのことが変わるのを目の当たりにしてきた。
歴史があるのに、一気に落ちぶれた力のない者に社交界は甘くない。
親しくしていた者が距離を置き、中傷や暴言、嘲笑、美しくないものばかりを向けられる。
薬師一族の嫡男として王族との面識があり、王宮で鍛えられたおかげで人の欲や闇をよく知っているマティスは傷つくことなくうまく立ち回ってきた。
ただ初めての社交デビューを転落した立ち位置から始まるカミーラを守るために手段を選ぶ余裕はなかった。
「ポンコツってお父様達よりもなのかしら。お兄様が手配してくれる?お父様達だと頼りないもの」
「カミーラのためなら頑張るよ」
カミーラは両親より頼りになる兄に手配を頼み、玉の輿といわれる婚約への道を手に入れた。
カミーラは兄の教育により礼儀作法は完璧に身につけている。侯爵家に招かれ問題になるのは、身につける服や装飾品のことだけである。
社交界でカミーラが潰されないようにするための兄心はきちんとカミーラに伝わっていた。
他人とあまり関わらないカミーラは婚約者との出会いは衝撃的なものだった。
カミーラの婚約者は突然現れた。
「初めまして。えっと…」
突然伯爵邸に現れたルシアンは薄汚い作業着を着た伯爵令嬢らしくないカミーラに言葉を濁した。
「ようこそおいでくださいました。突然の訪問ゆえ、おもてなしの準備ができておりませんが、お許しください」
「マティスか。貧乏伯爵家とは聞いていたが、ここまでとは」
作業着のマティスはルシアンの突然の訪問を笑顔で受け入れ、礼をした。
カミーラの瞳には高価なもので身を包む婚約者よりも作業着の兄のほうが魅力的に映っていた。
ルシアンの終わりの見えない不満をマティスが笑顔で聞き流し、自然な流れで口を挟んだ。
「妹に挨拶させていただいてもよろしいでしょうか」
「貧乏伯爵家とは聞いていたが、ここまでとは」
非常識の塊への文句は飲み込み、カミーラは兄の隣に立つ。
「このような姿で申し訳ありません」
カミーラは兄直伝の美しい礼を披露した。
「ルシアンだ。近くに来たから寄った。これはつまらないものだが」
「素敵なお花を有り難うございます。お時間があればお茶でもいかがですか?」
カミーラは花束を受け取り上品に微笑みながらお茶の用意を始めた。
お茶を飲みながら止まらないルシアンの自慢話に相槌を打ちながら、カミーラは自分の世界の狭さに気付く。ルシアンとの初めてのお茶会でカミーラは新たな経験をした。
ルシアンを見送った後、カミーラは大きくため息をついた。
「つまらない話ってああいう事なのね。侯爵家を訪問する前に知れて良かった」
「つまらないか。でも上手にできていたよ。社交デビューすればよくあることだよ。ルシアン様が嫌なら僕が精一杯頑張るから言うんだよ」
「きちんと料金をいただくから安心して。お金持ちのポンコツなんて最高よ」
「道を踏み外してもモラルだけは捨ててはいけないよ」
マティスは妹の自主性を尊重している。
目をギラギラさせる妹が心配になり頭を優しく撫でながら忠告した。
カミーラは知らないが社交デビューしたばかりのマティスは貧乏伯爵家の嫡男とは思えないほど洗練された所作を披露した。
話術も素晴らしく、人を惹きつける魅力を持つ爽やかな少年を侯爵夫人は気に入った。
侯爵夫人好みの外見と、息子にはない聡明さを持つ少年が褒める妹はさぞ優秀だろうと侯爵家はカミーラに興味を持った。
マティスと同じ系統の顔立ちのカミーラは侯爵夫人の心を掴み、招かれたお茶会で現実を知り世界を広げていく。
「マティスは勿体ないわ。嫡男でさえなければ」
「治癒魔導士の後見は公爵家。薬師の地位を落とした伯爵家の影響力を削ぎたい公爵家が怖くて誰も後見につかないものねぇ」
「知ってるかしら?カミーラのお母様は公爵のプロポーズを断って伯爵にプロポーズしたのよ。公爵夫人は夫の心を魅了した女が夫と同じ王宮で働くのが許せない。公爵も仲睦まじい伯爵夫妻を見ると私怨に襲われるのよねぇ」
「善良さや素直さが美徳とされるのは物語の世界だけ。現実を直視しないで生きられるのは選ばれた者だけ」
カミーラは静かにお茶を飲みながら、選ばれた者が幸せという話に心の中で頷く。
くだらない私情に巻き込まれ、うまく立ち回れず、貧しい生活を送っていても両親は幸せそうである。
婚約者がうっかりするたびに惨事が起きるが、侯爵家の力でもみ消され、婚約者は幸せそうに笑っている。
幸せそうに笑っている者の後ろには尻ぬぐいに駆け回る者がいることに気付かない。
カミーラが幸せになるために必要なものを手に入れるためには手段を選ばない。
社交界で生き抜く方法や権力の使い方や権力者の考え方をカミーラは侯爵家から学んだ。
「欲しい物はある?」
「お花が欲しいです」
カミーラが婚約者のルシアンに強請るのは花束と決まっている。
行動範囲の広いルシアンは珍しい花を見つければ、カミーラにプレゼントしてくれるようになったことをカミーラは心から喜んでいる。
ルシアンから贈られた花束はマティスの手に渡り研究に使われるが伯爵邸の薄汚れた温室にルシアンは入らないので気付かれることはない。
「お兄様、美容にいいものが欲しいわ。効果を落としても香りがいいもの」
カミーラは貴婦人達の話を聞きながら、貴婦人受けするものを考え兄に作ってもらう。
ルシアンから贈られた花を水栽培し、種を手に入れ、再び栽培するのはマティスにとって簡単なこと。
治癒魔導士と被らない医療に関係のない商品をマティスが作り、カミーラが侯爵家の流通ルートで販売する。
カミーラはうまくお付き合いすることで貧困から抜け出せた。
「さすが歴史ある伯爵家のご令嬢」
「才女を迎えられ羨ましい」
侯爵家嫡男の婚約者に相応しいドレスや装飾品が贈られ、美しい所作のカミーラは社交界でも花の一つに数えられるようになった。
玉の輿の人生イージーモードに突入、とカミーラの浮かれ気分はあまり続かなかった。
玉の輿に乗り、順風満帆のように思えたカミーラは再び甘くない現実を知る。




