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双子果の行方

作者: 幕田卓馬

 本作品における表現は、ある一定の特性を持った方を揶揄する意図はない旨を、ご了承ください。

 おばあちゃんが死んだ。


 久しぶりに訪問したおばあちゃんの家は、記憶の中よりも全てが小さく見えた。


 最後におばあちゃんの家に行ったのは、小学校高学年の頃だったと思う。あの夏休みの夜、おばあちゃんの家で()()を見てから、私は一度としておばあちゃんの家に行ってない。


「夏休み、毎年会い行って来てあげればよかったのに」


 遺留品を整理しながら、お母さんがボヤく。


 私はそんなお母さんの言葉を聞き流して、居間の窓から小さな空を眺めていた。



   *   *   *



 小学校6年生の夏休み、私は両親に連れられておばあちゃんの家に来ていた。

 おばあちゃんの家は車で5時間離れた遠くの県にある。後部座席での退屈な時間を、私はおばあちゃんに何を話すか考えながら過ごした。

 テストで100点を取った事、運動会のリレーでアンカーになった事、クラスに好きな男の子ができた事……。

 私がどんな話をしても、おばあちゃんはニコニコしながら聴いてくれた。そして『亜右子(あゆこ)は私の宝だからね』と、何度も頭を撫でてくれた。


 あの頃の私は、そんなおばあちゃんが大好きだった。


 車から降りたらもう夕方だった。

 おばあちゃんの家は地元の名家らしく、大きくて古い。でも庭は雑草ひとつ生えてなくて、とても綺麗に整理されていた。おじいちゃんが亡くなってから趣味で始めた菜園は、今年も美味しそうなトマトやきゅうりやとうもろこしのを実らせていた。


「よく来たねぇ」


 おばあちゃんはニコニコ笑う。

 おばあちゃんの家は畳と古い木の匂いがしたけど、どこか安心する匂いだった。いつも寝泊まりする一階の客間に荷物を置いた私は、キッチンでばあちゃんの料理を手伝った。

 お父さんはもうビールを飲み始めている。

 お母さんはおばあちゃんが採ってきたとうもろこしの皮を剥いている。


 都会にはないのんびりとした時間が、そこには流れていた。


 夕食を食べた後は、おばあちゃんと一緒にお風呂に入った。おばあちゃんの家のお風呂はすごく大きくて、2人で入っても全然狭く感じなかった。


「あゆこが、今年も元気に会いにきてくれて、おばあちゃんは嬉しいよ」


 湯船に浸かったおばあちゃんは、頭を洗う私の背中を見ながら言った。

 おばあちゃんの目が、私の背中にある『子供の頃の大怪我の跡』に向けられているのがわかって、胸が詰まった。


 私の背中から脇腹にかけての左半身には、大きな傷跡がある。皮膚が引き剥がされたみたいな、ケロイド状の跡だ。


 この大怪我がいつ、どんなふうにして起こったのか、私にはわからない。

 誰に聞いても『思い出さない方がいい』と優しく頭を撫でてくれる。その優しさを無碍にすることは出来なくて、私はこの傷跡について追求できなかった。


 服を着ていればわからないし、学校指定の水着でも隠れる場所だ。だから日常生活で気にした事はないし、なんなら普段は忘れているくらいだった。


 おばあちゃんの視線が、この傷跡のことを思い出させる。

 

 そして、私と一緒にお風呂に入ると、おばあちゃんは決まっておかしな事を言う。


「あゆこ、右を大事にしなさい。左側は、どうとでもなる。でも右を失ったら、(しま)いだ」


 おばあちゃんの『右を大事にしろ』という言葉を、私は子供の頃から聞かされていた。

 全然意味がわからないので、その理由をおばあちゃんに聞いても「心配しなくていい。ただ、おばあちゃんの言う事はしっかり守るんだよ」と諭されて、訳もわからず頷かされてしまう。

 

 そういえば幼稚園の頃、自転車と正面衝突して足を骨折したことがあった。

 その時もおばあちゃんは、怪我した足が右か左か、すごく気にしていた。怪我した足が左足とわかると「それならよかった。左なら、なんとでもなる」と言いながら笑った。

 それを聞いてちょっとムッとした記憶がある。

 右でも左でも、私が痛いのに変わりはない。左ならよかった、と笑うおばあちゃんに、なんだか嫌な感情を持った記憶がある。


 そんなの、おばあちゃん全部の優しさにとっては、些細なものなんだけど……。


 おばあちゃんちの楽しい夜は更けていく。

 遊び疲れた私は、いつもより早い時間に布団に入った。

 隣の部屋から聞こえる、バラエティ番組の笑い声と、お父さんとお母さんとおばあちゃんの話し声。その温かな声に安らぎを感じながら、私は眠りについた。



  *   *   *



 真夜中に目を覚ました。

 いつの間にか両親は隣の布団で寝息を立てていた。


 水道の水が流れる音がする。


 おばあちゃん?

 お水でも飲んでるのかな?

 

 私は布団から抜け出して、そっと襖を開けた。

 襖からは2階に続く階段が見える。細長く切り取られた世界を、私は寝ぼけた目でぼんやりと眺めていた。

 

 やがて水音が止まる。

 そして、大きなバケツを持ったおばあちゃんが、細長い世界へと映り込んだ。


 おばあちゃんは曲がった腰でゆっくりと階段を上り始めた。一段ごとにバケツを踏み板に置いて、時々辛そうなうめき声を上げながら、苦しそうな表情で階段を上り続ける。


 そんな様子を私は襖の隙間から眺めていた。


 おばあちゃん、何してるんだろ?

 そんな疑問が頭をよぎったけど、それは再び訪れた眠りの中へ、容易く吸い込まれていった。



   *   *   *



 その翌日も、更に翌日も、同じだった。


 おばあちゃんは夜中になると、水を張ったバケツを持って、階段を上っていった。


 時々、長いため息を吐きながら。


 時々、小声で悪態を吐きながら。


 昼間のおばあちゃんとは全然違うその様子に、私は恐怖と好奇心を同時に覚えた。


 二階を歩く軋みは、廊下のずっと奥に向かって、どんどん小さくなっていく。

 30分ほど静かな時間が続き、再びおばあちゃんの足音が聞こえ始める。

 バケツを持ったままま、後ろ向きで階段を下りて来る。肩で息をしながら、ひどく疲れた顔で、時々忌々しげに奥歯を噛み締めながら、おばあちゃんはバケツの水を洗面台に空けて、自分の寝室へと消えていった。


 私は眠れなくなってしまった。

 薄暗い階段の照明に照らされ、小声で悪態をつくおばあちゃんの顔が、私の脳裏にこびりついて剥がれなかった。

 

 私はそっと起き上がり、抜き足差し足で洗面所へと向かう。

 洗面所の床にはさっきまでおばあちゃんが運んでいたバケツ。中には水滴が残っていて、照明に照らされて輝いている。


 そして洗面台の排水口に、私は見つけた。

 

 長い、長い、髪の毛。


 それはおばあちゃんのものでも、お母さんのものでもない。私の髪の毛は長いけど、それよりも明らかに長い髪。


 誰の、髪の毛?


 布団に戻ってからも、やっぱり私は眠れなかった。好奇心によって形作られた色々な夢想が、私の脳内を騒がせた。

 気になって気になって、仕方がない。


 明日の午後には家に帰らなくちゃならなかった。だから私は、この好奇心に決着をつけようと思った。



   *   *   *



 今日はみんなでお墓参りに行く予定だったけど、私は体調不良を理由にそれを休んだ。これからまた5時間かけて家に帰らなくちゃならないわけで、無理をさせたらよくないと思ってくれたらしい。


「だいじょうぶかぁ?」


 心配そうに私の額へ手をあてるおばあちゃんは、やっぱりいつものおばあちゃんだった。


 みんなが家を出たのを確認して、私は布団から起き上がる。

 洗面所に行くと、昨日のバケツはそのままの状態でそこに置かれていた。そして、バケツ近くの壁に、ひっそりとかけられた小さな鍵。念のためそれをポケットに突っ込むと、私は階段を上った。


 今まで2階に行った事は殆どなかった。

 生活に必要なものは全部1階にあったし、おばあちゃんも「2階は今じゃ物置になってて、物が落っこちてくるかもしれないから危ないよ」と言っていたから、あえて近づこうとはしなかた。

 

 壁沿いに積み上げられた古い道具や段ボールが、窓を覆い隠してしまっていて、昼間なのに薄暗い。

 同じおばあちゃんの家なのに、そこはまるで知らない洞窟の中みたいに感じた。


 その洞窟の奥には、ドアがあった。


 足音の響く感じから、おっばあちゃんは毎晩、このドアの方へと向かっていると思う。


 私はドアの前で立ち止まった。古い家には不釣り合いなほどに、黒くて重たいドアだった。


 私はドアの前で、しばらく立ち尽くしていた。

 窓ガラスを抜けて、セミの声が染み入ってくる。冷房のない廊下の隅っこは、湿気を含んだ埃が発酵したような、腐葉土に近い匂いがどどまっていた。


 私はそっとドアノブに触れえる。

 汗が滲み出した手の平に、そのドアノブは張りつきそうなほど冷たかった。


 ドアノブは回らない。

 洗面所から持ってきた鍵を鍵穴に通すと、なんの抵抗もなく回った。


 おばあちゃんは毎晩、この部屋で何をしているのだろう。


 ゆっくりとドアを開ける。

 その瞬間、激しい臭いが私の鼻に突き刺さり、一瞬で胃液が上がってきた。

 

 なんとも形容し難い臭いだった。

 雑草が生い茂った、忘れ去られた公園の隅っこにある、トイレの個室――人間から捻り出される全ての『いらないもの』を煮詰めた、そんな臭いだ。


 私は引き返したくなったけど、同時に目に飛び込んできた景色への好奇心が、それを拒んだ。


 その部屋には何もなかった。

 机も、タンスも、ベッドもなかった。


 でも壁一面に、紙が貼られていた。

 

 紙には人間らしきものの絵が描かれている。線はぐしゃぐしゃで、芋虫が這った跡みたいに見える。

 不思議なのは、その描かれた人間の姿だ。

 

 一つに身体にふたつの頭がかれている。

 

 それは絵心を知らない子供が描いたみたいな、独創性に溢れた絵にも感じられる。

 でも、単なる気まぐれや遊び心ではない。異常なまでの執着心をもって、何枚も何枚も何枚も、二頭の人間の姿が描かれていた。


 私は背筋が凍るのを感じた。

 背中の大きな古傷が、ピリピリと痛んだ。


 逃げるように、床へと視線を移す。

 所々にこびりついた、黒い塊。そしてそれを乱暴に擦りとった跡。

 おばあちゃんは、バケツに入れた水で、この汚れをこすり落としていたのかもしれない。

 毎晩、毎晩――


 普通のフローリング部屋のはずなのに、そこはまるで畜舎の一角だった。なんらかの家畜を死なない程度に飼い殺す、残酷で自分勝手な部屋だ。


 私は床にこびりついた黒い塊に注意しながら、部屋の奥へと向かった。

 窓は木の板で塞がれていて、廊下のドアから差し込む光でしか、周りが見えない。奥に向かうにつれて、全ての輪郭が曖昧になっていく。


 何もない。


 不気味なほどに、何もない。


 私はこの部屋がなんのための部屋なのか考えようとして、でもどんな答えに行き着いたところで、それは喜ばしいものじゃないような気がした。


 バケツ一杯の水に雑巾を浸し、黙々とこの部屋の床を拭うおばあちゃんの姿は、想像するだけでおぞましかった。


 そして、こんな部屋を孕んだ家に来る事を、臆面もなく喜んでいた自分ですら、なんだか気味悪く感じた。

 

 ふと、違和感を覚えた。


 薄暗い部屋の左端。

 

 そこから、視線のようなものを感じる。


 私はそちらを見た。



 

 ()()()()()()()()()()()()

 



 でもそれは、私であって私ではない。

 頬は汚れ、衣服も擦り切れていた。髪は長くて、枯れた蔦みたいにうねっていた。

 そしてその私には、片手がなかった。

 

 これはなんなのだろうか。

 

 この部屋の瘴気にあてられた私に、悪魔が取り憑いた末の姿なのだろうか。


 叫びながら、私は部屋を飛び出す。

 ドアを閉めて、鍵をかける。

 

 何が何だかわからない。

 どう考えて、どう解釈すればいいのか、私にはわからない――


 私は布団に潜り込んで、三人が戻るまで震えていた。



   *   *   *



 あれから、おばあちゃんの家には行っていない。

 中学生になり、部活が忙しいという理由で、私はあの家に行くことを拒んだ。


 でも本当の理由は、あの家の2階にある異界だ。あんな場所を孕んだ家に寝泊まりするなんて、考えたくもなかった。


 そして、あれから数年後に、おばあちゃんは亡くなった。


 そして大学生になった私は、両親に強制されて一緒にこの家の遺品整理にやってきていたわけだ。

 

 本当はこんなところに来たくなかった。でも私だってもういい大人だ。子供の頃の曖昧な記憶だけで、尽くすべき礼儀を蔑ろにするのは気が引けた。


 おばあちゃんの家はあの頃のままだった。


 一息ついて麦茶を飲み始めた両親を置いて、私は2階へと上る。

 もし子供の頃見たあの景色が、幼い感性による白昼夢なら、そうはっきりさせてしまいたかった。はっきりさせて、ちゃんとした形で、おばあちゃんの死に向き合い悲しみたかった。


 ポケットに忍ばせていた鍵で、ドアを開ける。

 部屋の中は、漂白剤に浸したみたいに何もない。臭いも、床の黒い汚れも、窓に打ち付けられた木の板も――

 

 やっぱり全てが白昼夢だったのだろうか。


 私は部屋の奥に進んで、鏡のあった場所を見る。


 そして、息を呑んだ。


 そこに鏡はなかった。

 あるのは一枚のガラス窓と、その先に広がる一畳ほどの空間たった。


 その様は、ホームセンターのペットコーナーにも似ていた。自由を奪われた存在を、ガラス越しに値踏みする、地獄のような場所に見えた。

 

 じゃあ、あの夜私が見た、鏡に写った『私』はなんだったのか?


 白昼夢だったのか、それとも――


 そして私は、ガラスの向こうの空間に、一枚の紙切れが落ちている事に気づく。


 私は目を凝らす。


 そこには芋虫の食い跡のような線で、不恰好な人間が描かれていた。


 1人の女の子。

 その隣に、片腕と片足がない、女の子。


 背中から脇腹にかけての、古い傷跡が痛む。

 

 夢ではなかった。


 

 アレは――


 ここで見たアレは――


 きっと私の――



 粘ついた汗が頬を伝い、Tシャツの首周りに染み込んだ。忘れかけていたセミの声も、あの日と同じように窓から染み込み、私の脳を満たしていく。

 

 臭いを感じた気がした。


 人間の『いらないもの』を取り出し、煮詰めて、腐敗させたような、受け入れ難い背徳の臭いだ。


 私は部屋を後にし、フラフラになりながら一階へと戻る。麦茶を飲む両親は、ひどく青ざめた私の顔を見ると、椅子に座らせて麦茶を差し出した。


「あんまり無理しないの。あんたはちょっと休んでなさい……」


 困った顔で笑いながら、お母さんは言った。そして「もらい物だから、これでも食べてなさい」と、さくらんぼの入ったざるを私の前に置く。


 そこからお母さんが手に取ったさくらんぼは、2つの果実が繋がっていた。


「あ、ラッキーね」


 お母さんはつがいの果実を口に放り込み、前歯で切り離し、奥歯ですり潰した。


「2階は物が散らばってるからな。フラついて、転んで、怪我すると危ない」


 お父さんは呆れた声で言う。


 そして――


「右は、大事にしなさい」

 

 私は顔を上げる。


 お母さんとお父さんが、歪んだ笑顔で私を見ていた。 


 この歪んだ笑顔は、私から切り捨てられた『いらないもの』の上に成り立っている。

 それは今でも、変わらないらしい――


 私の古い傷跡が、痛んだ。

 


 お読みいただきありがとうございます。

 本来、こういったテーマの作品は、おいそれと手を出していいものではないと自覚しているつもりです。

 幕田の稚拙な文章や表現力では、全てが作者の持つ偏見やヘイトだと見誤られ、誰かを傷つける結果になるかもしれないからです。

 ただ、幕田はホラーを書く時、素人ながらも『タブーと肉薄する事』を心掛けている部分があります。

 肉薄しようとした結果、全く近づけないか、逆に傷つけてしまうか……それは完成してみないとわからないし、完成させたら投稿したくなるのが素人作家というものです。

 だから、少し悩みましたが、結局は投稿しました。

 

 

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そこまで気にしなくても大丈夫かもしれない‥‥とAjuは思いました。 Ajuの「読み」では、片割れは手術後に死んでしまっていて‥‥、だから、そこから持ってくるためにミミズの這ったような「絵」で呪術を行な…
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