第六話 芽生え
近くの砦へと撤退したものの、ヤマトの胸に巣食う違和感は拭えなかった。
敗北――それ自体が原因ではない。
何かがおかしい。何かが引っかかる。
その感覚は、王都へ戻ってもなお消えることはなかった。
戦況の立て直しと戦力再編のため、一時的に戦線は引かれ、ヤマトたち前線部隊も転移装置によって王都へ帰還することになった。
“勇者の初めての敗戦”ということで、上層部から短い休暇が与えられた。
数日後の朝――。
ヤマトはスキル《気配遮断》を使い、誰にも気づかれぬまま城を抜け出していた。
向かった先は、王都の街――下町。
理由は特になかった。ただ、なんとなく、この目で市井の暮らしを見てみたくなっただけだった。
そして、彼は見た。
痩せ細った住民たち。
どこか怯えたような、誰にも目を合わせない子どもたち。
壁の剥がれた粗末な家屋に、泥水のようなスープをすすって空を見上げる老人。
そして何より目を引いたのは――。
騎士団たちの横暴だった。
「これは徴収だ。魔王軍に備えるためだ。文句があるのか?」
「この倉庫に隠してたな? 食料物資はすべて押収する」
住民を怒鳴りつけ、力でねじ伏せ、蔵や畑から食料を略奪するように回収していく。
その手つきにはもはや使命感などなく、ただの傲慢さと自己正当化がにじんでいた。
(……守ってやってるから当然?)
その言葉が、耳の奥に刺さった。
――どこかで聞いた言葉だ。
あの頃、PKOで訪れた先でテロリスト達も同じように銃を手に力を振るっていた連中も、そう言っていた。
(……何が正義だ。何を守ってる?)
ふと、己の両手を見下ろす。
いくつもの命を奪ってきた剣の手。
だが、それは果たして“誰のための正義”だったのか。
この国は本当に、守るに値するものなのか?
本当に守るべきは"国"なのか?
静かに、心の底に沈殿していた疑問が、かすかに輪郭を持ち始めた。
帰りに戦場でよく見かけた冒険者達の集まり「冒険者ギルド」に行ってみる。
戦場で仲良くなった冒険者も何人かいたのだ。
ヤマトは、王都の一角――軍の管轄からは少し離れた場所にある、石造りの建物へと足を向けた。
扉を開けた瞬間、濃密な喧騒と酒の匂いが鼻をついた。
内装は質素だが頑丈な木材で統一されており、壁際には掲示板があり、さまざまな依頼書が釘で打ち付けられている。剥がされた跡が多いことから、戦争に関連する依頼が絶えないことが見て取れた。
中は昼間だというのにすでに賑わっている。
冒険者たちが無造作に置かれた長テーブルを囲み、肉の塊を噛み千切りながら安酒をあおっていた。
「おい、見ろよ。あれ、騎士団の依頼だったやつじゃねぇか?」
「また死人が出たらしいぜ。貴族の坊ちゃんが無茶したって噂だ」
火のついていない暖炉の近くでは、女魔術師が膝に猫を乗せながら魔道具のメンテナンスをしており、その隣では黒ずんだ鎧を纏った戦士が手斧を研いでいた。
ヤマトの姿に気づく者は誰もいない。
──いや、正確には《気配遮断》によって、誰の意識にも引っかからない。
彼はそのまま奥の一角、喧噪から少しだけ離れた壁際の席へ向かった。
そこには、かつて戦場で共に戦った冒険者たちの姿があった。
「……お前、生きてたんだな、勇者さんよ」
粗野な口調で笑ったのは、筋骨隆々の戦士。
女剣士が続ける。「あんたが崩れたって噂、あちこちで流れてたよ。戻ってきて何より」
「で、聞きたいことがあってな」とヤマトは静かに言った。
「お前らから見て……今のこの国は、どう見える?」
私が国の関係者だからだろう。冒険者たちは顔を見合わせたが、私の思い詰めた様な顔に何かを感じたのか、しばしの沈黙ののち、槍使いの男が口を開いた。
「王都は、まだマシだ。飯はあるし、薬も手に入る。だが地方は酷い。補給も届かねえし、魔王軍の襲撃からもまともに守ってもらえねえ」
「一部の街じゃ、領主が自警団やら農民を“供物”扱いしてんのさ。『守ってやる代わりに娘を差し出せ』ってな」
ヤマトの拳が無意識に握られる。
(……これが、俺が守ってきた“国”の姿か)
「戦争は、終わらせないとダメだ」
戦士が酒を一口あおりながら言う。「だが、どうやって? あの魔王の強さはみただろう?」
ヤマトはゆっくり立ち上がった。
「……俺自身で、確かめてみるさ。各地を回って、この国の本当の姿を――」
「それに、戦って勝つだけが全てじゃないさ。」
彼の中に芽生えたのは、ただの疑念ではない。
“変えなければならない”という、使命だった。
とはいえ、戦争は待ってはくれない。
ヤマトの休暇は終わり、再び各地の戦線へと赴くこととなる。
胸にしこりを抱えたまま、それでも戦場に立つ。
何かが変わり始めていることに気づきながら――それが何かは、まだ言葉にならなかった。