私
私は前の世界で、フェドナリア王国の北西にある、小さな領地で領主をしていた。
冬の日、その日は珍しく温かい陽気であった。その日に私は自らの命を絶った。なぜそうしたのかと言われても、うまく説明できそうもない。とにかく、そうしない事が出来なかったのである。
私は命を絶った。生きることを放棄したのだ。後悔はなかった。事前によく考えた上でそうしたのだから。しかし、世界はそれを許してはくれなかった。ああ、なんという残酷な仕打ちだろうか。私はまだ生きている。いや、一度は確かに死んだのかもしれない。だが、こうしてまだ生を実感しているのだ。だが、まったく同じというわけでもない。此処は私が以前住んでいたところとはずいぶん違う様だ。自分の姿も見てみたのだがとても私の顔に似ているとは言えない。これがどういうことなのかは分からないが、夢や幻でないならば、別人、別の国に生まれ変わったのだろうか?いや、我が国は世界一発展していた国ではなかったか?この世界の文明は、私の理解をはるかに超えている。祖国が赤子に感じられるほどにまるで違う。
男は祖国では、イーシスと呼ばれていた。この我々の良く見知った世界に転生してから、数日が立ち、彼は自らの存在が画家を商売にしているらしいこと、通貨に金属だけではなく紙が使用されており、しかもこちらの方が価値が高いこと、各部屋に水が供給されていること、どういうわけか、ボタンを押すと灯がともること、その他、いろいろな珍しいものについて多少なりとも程度を把握した。また、これは不思議なことだが、この国の言語は問題なく取り扱うことができた。
彼の手元にあるお金は、少しばかり余裕があった。使ってよいものだろうか。そういうことも少し考えたけれども、どうせ一度死んだ身である。使わないでいたってどうなるわけでもない、そう思って、しばらく預かっておくことにした。
さて、これからどうしようか。生かされてはいるものの、別に好きでそうなってるわけではないし、でも、確かに目新しい世界には惹かれるものもある。それに、今はまだ誰とも知人らしい人がやってこないけども、いつ訪れてくるかわかったもんじゃない。イーシスはとても内気であった。故郷で彼が最も嫌だったのは来客であった。仕事で家令や代官と打合せするのも好きではなかったが、それは、割り切って何とかこなしていた。彼はこの世界に来てからも、誰にも相談などしてはいないし、そんな気も起きなかった(尤も、見ず知らずの人に何を相談するのかと思うが)。そんなことを思いつくと、憂鬱な気持ちになってきたが、別のことを考えて紛らわすことにした。
そういえば、分からないときは学べと、昔、家庭教師が言っていた。彼のことは嫌いだったが、今は聞き入れるのが得策なようだった。きっと、どこかに図書館があるはずだ。幸いにも文字は読める。そこで、とにかく現状を学ぶことにしよう。そう思いっ立たのだが、どこに図書館があるのかさっぱり分からない。初めは、自力で探し出そうと奔走していたが、とうとう諦めて、道行く人に尋ねることにした。「こんにちは、すみませんが、図書館の場所を教えていただけませんか?」少し不自然な話し方で人がよさそうな老人に尋ねた。「大通りをまっすぐ行くとの左に丸屋があるから、そこを曲がってすぐだよ」老人は少し驚いた様子であったが、親切に教えてくれた。「ありがとうございます」初めて喋った時にも感じたが、自分の口から異国の言語が淀みなく出てくるのには、少し気持ちの悪さを感じた。
思ったよりも地味な建物だったけれども、図書館は簡単に見つかった。この日は、平日の昼時だったためか、老人と独特な雰囲気の人ばかりだった。ちらほら、若い男女も見かけた。さて、何から読んだものか。やはり、歴史を学ぶのがよいだろう。イーシスは歴史と書いてある棚から2,3冊取り出して机に持って行った。まずは、最初に目に留まった『世界史の全て』という本を読み始めた。「歴史に全てなど有るものか」そう思ったが、気に留めないで置いた。この本には、有史以来のこの世界全体の大まかな概要が記載されていた。やはり、祖国のことは記載がなかった。少し期待していたのだが。だが、いくつか祖国に似たような時代や国があり、彼が今いる世界の立ち位置が少し分かってきた気がした。