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世界はボロアパートで出来ている

 ◆◇◆◇



 最寄りのK駅を出て情熱商店街を抜けると、やがて''ふれあい通り''に出る。

 駅前にあった東京を代表するサブカルチャーの町、といった活気と風情はもはや消え失せたその寂しげな通りを更に直進すると、アパートや戸建の乱立する猥雑な住宅街に入った。

 このエリアは貧乏人にとってのオアシスだ。

 それはかつてのうちの両親にとってもそうだったらしい。

 

 私はスマホ上のネットバンクに刻まれた50000の数列を確認し、安堵の息をつく。

 そして近くのコンビニに現金を卸してから、我が家の前まで着いた。


 2階建てのボロアパート、201号室──部屋の間取りは2DK、40平米ぐらい。

 ギリギリS区、東側過ぎてほぼほぼN区。

 三人で暮らすには必要最低限の空間。

 これが私の宇宙。

 この世界はボロアパートで出来ている。


 こうして今夜も、無事に帰ってこられたのだ。

 私は先程の肉体労働で身体に纏わりついた死臭を掻き消すべく、先日愛子からプレゼントされた香水を上着のポケットから取り出し、自らに散布した。


「ただいまー」


 蝶番の外れかかった木製のドアを開けると、いつものように珠妃たまきが出迎えてくれる。


「お・か・え・リットン調査団まだまだたまーに活動中ー!」


 腹部目掛けてのドロップ・キック。

 私は咄嗟に右腕でガードするも、脚先の連撃による鋭い衝撃と共に後方へと倒れそうになる。

 それを何とか持ち堪えた後、珠妃たまきの脚を両手で掴んでは、彼女を空中へとぶら下げた。

 

「はい! そこまで! 何? 学校ではまだ仮面ライダーごっこが流行ってるの? 先週、茂登しげと君泣かして怒られたばっかでしょ? 程々にしとくんだよ、程々に」


 小学5年生の女性ライダーはこの星の重力によって堕落したツインテールを宙ぶらりんにさせながら、依然として快活に叫び散らした。


「うん! 今日は王蛇のベノクラッシュの連撃入れてみた!」


「うん、器用だね。偉い偉い」


 この妹は目に入れたって痛くないほど可愛いけれど、出会い頭の攻撃には流石にまいってしまう。

 一体、誰に似たのか。

 珠妃たまきは更に私に抱き着こうとしてきたが、私は何とか両腕でそれを制した。

 私は溜息を吐いて、珠妃を地上へと帰還させた後、その前髪を優しく撫でつけてやった。


 

 所々が錆び付いた狭っ苦しいユニットバス。

 身体と、特殊洗剤を使って作業着を念入りに洗う。

 部屋着に着替えた後、頭をバスタオルで拭きながら台所に寄って、コンロに置いてある大鍋に一瞥をくれる。

 昨日のカレーはまだ残っていたはずだが、追加で何か買ってきてもよかったかなと思う。


 ふすまの開けっ放しになった、遠くの部屋から珠妃たまきの声が響いてくる。


「お姉ちゃん、そろそろ髪切ったらー? また愛子ちゃんにバッサリさー」


「うーん、考えとく」


 それもそうだ。今や私のゴワゴワした硬い髪の毛は肩の辺りまで伸び切っている。次の現場からは流石に結んでいかないとまずいだろう。

 でも、愛子にあれもこれも頼むのは気が引ける。

 私だって、そろそろ一人で生きていけることを証明しないといけない。


「ねー牡丹ぼたん姉ちゃん、その顔は今夜もその、いつもの濃ゆーい味付け、ゴロゴロじゃがいもの''特性カレー''で何とかお茶を濁そうか……ってやつ?」


「……そう! 何だかんだでゴロゴロしたじゃがいもが一番お腹に溜まるからね」


「……カレーっていうのはご飯物だよ? なんでお芋をメインに据えた構成なの?」


「……いや、ご飯も入ってるよ。もちろん。ちょこっと野菜だって……」


 貧乏メシ、雑メシの極意。

 結局、1日の食事というものは個々の有機体に見合ったエネルギーをブチ込めればいい訳で、私にはこの''特性カレー''さえあればよかった。

 でも、それも3日までだ。

 3日もあれば、人は何にだってうんざりしてしまう。


 私はふと愛子が一時期作ってくれていた、あの手料理を思い出す。

 その中にはカレーもあった。ご飯がしっかり詰まっていて、肉も野菜もじゃがいもも綺麗に切り揃えられたカレー。

 あれだけは、何日続けて食べても飽きない自信がある。

 というか、愛子の作るものなら何だって──

 


「あー美味しかった! ごちそうさま!」


 気付けば和室にいて、卓袱台の向こう側から声が飛んできた。珠妃たまきは既にその大盛りになった雑メシスペシャルを平らげている。

 薄っぺらい緑色のカーテンが夏の夜風に揺れている。小さなベランダの向こうには町の灯りがある。

 珠妃たまきの満足気な顔を見ながら私は、この生活を何とか自分の手で守り抜きたいと実感した。


 私は左肘をつきながらスマホを操作しつつ、淡々と自分の分を喰らう。

 指先は自然と''穴''の話題に向いてしまう。

 あんなバイトをやっていれば、当たり前か。


 最近、会員限定のディープウェブ、闇サイトにて秘密裏に向こうの世界の様子が映像記録として報道レポートされているとの噂もある。

 一体、誰がどうやって調査を行っているのだろうか?

 今まで直に目にしてきた死体の状態からして、恐らく向こうにはドラゴンは本当にいるのだろうけれど。まさかあれだけ見事にこんがりと焼けた人体の破片を、自作自演でたまに部屋に置いているとは思えないから。


 ファンタジー世界のドラゴンだけではない。

 荒野のロード・ウォーリアーも、サンド・ワームも。宇宙忍者や、宇宙ヤクザも……

 とにかく、人間の考え得る限りのありとあらゆる脅威が、あの''穴''の向こう側には待ち構えていて──


「あー、愛子ちゃんいればなー。今夜はこないの? あと早くスマホ買って」


「……別に……来ないよ。向こうも親御さん、心配するんだから。あとスマホはまだ駄目。自分で月に数万稼ぐようになってから」


「え? お姉ちゃんは妹がクラスメートの女子たちの、使用済みのあれやこれやのグッズのテンバイヤーになってほしいと……」


「そうは言ってない。あとその年で既に終わってる、発想と倫理観が。ちゃんと自分の手で、自分の力で稼げるようになってから。真っ当な仕事でね」



 真っ当な仕事、か──

 どの口が言っているのだろう。

 スプーンを持つ右手の甲に鼻を近付けてみる。心なしかあの、無惨に散らばった死体のきつい匂いが残っている気がした。



「ねー、テレビ付けてよ」


「駄目よ、ご飯中は」


「何でそんな変なとこ厳しいの、自分は肘付き片手スマホ決めてる癖に」


「労働者に許された権利を行使してるだけよ」


「行儀悪くご飯を食べるのが、労働者に許された権利なの?」


「もっと言えば、''肉体''労働者に許された権利よ」



 そう言って前を見ると、珠妃は膨れっ面で下を向いていた。これだ、この顔にはすこぶる弱い。

 私は溜め息をつきながら、部屋の片隅に設置されたテレビをリモコンで起動させた。


「30分だけよ」



 珠妃はまた笑顔を私に向けて炸裂させた後、食い入るように液晶画面を凝視し始めた。

 見ているのは、やはり''穴''についてのニュースだ。



 近頃の小学生はマセているな、と思う。

 私がまだ幼かった頃は、自分のいる世界が余りにも小さすぎた。

 外の世界で何が起こっているかなど気にも掛けなかった。

 毎日、自分のことだけで精一杯だった。



「ねー、愛子ちゃん次来るのいつ?」


「知らない」


「また絵本読んでほしいの。あのお姫様の話」


「そう、絵本は素晴らしいよ。スマホやテレビなんかよりずっとね。ここではないどこかへ連れてってくれるから」


「でも珠妃たまき、あんな茨の城に囚われになるの嫌だよ」


「でもお姫様の前にはね、絶対白馬の王子様が最後に現れるから」


「お姉ちゃん、その世界観もう古いよ。マッチョイズムとヘテロセクシャルの価値観が前提になってるし」


「……愛子にならったの? それ」


「うん」


「……まあ、いいけど。その単語の意味は分かる?」


「分かんない」


「文章を丸暗記するんじゃなくて、その言葉の裏に隠された意味や、前後の文脈ってのを読み取れるようにならなきゃね」


「……うん! ''文章を丸暗記するんじゃなくて、その言葉の裏に隠された意味や、前後の文脈ってのを読み取れるようになる''!」


「……まあ、いいんだけどさ。本当に可愛いよ、君は」


「うん、ありがと! 牡丹姉ちゃんも可愛いよ」



 すると雷鳴が轟いた──

 それは窓枠の向こうの外気ではなく、紛れもない我が家の玄関口で炸裂したのだった。


「ただいまー! 牡丹ぼたんいるー? 牡丹ぼたんー!」

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