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囚人番号No.9、門倉牡丹 その②

 


 …………

 …………

 …………

 …………



 ◆◇◆◇



 どうやら独房ここに入れられて、ちょうど20年が過ぎたらしい。



 何も覚えていない。

 何も思い返したくない。

 昔のことを思い返そうと試みる度に、背筋に悪寒が走る。喉の奥が酸っぱくなり、口から戻してしまう。頭が急激に痛んでしまう。

 だからその詳細は、今や完全に忘却の彼方へと葬り去られてしまった。



 何らかの罪状で私をこの地下の牢獄にブチ込んだ後、周りの従者たちからシルクちゃんと慕われているエルフの女王は、どうやら今や世界陸ワールド・マスの全てを統一するまでになったらしい。

 今朝、この6畳ほどのスペースの独房にエサを運んできた従者エルフが教えてくれた。

 私が懇願し続けると、見兼ねた彼女は毎日数分間だけ、世間話の相手となってくれていたのだ。食料のついでに、少しだけ''外の世界''の様子などを教えてくれる。

 


 この独房──

 一切の光の遮断された空間の中で、私は今日も鳩の死骸に喰らいついていた。



 口の中いっぱいに広がる腐臭と、獣の匂い。血の匂い。

 腰の下まで伸び切った髪の毛はボサボサになりすぎていて、下を向く度に身体中に突き刺さって痛かった。

 鳩を持つ手に寄った深い皺を見ながら、日々少しずつ老いてゆく自分の身体を実感する。

 あぐらをかいたまま、今日も私はその悪臭の塊のような固形物を喰い尽くした。



 独房が立ち並ぶ薄暗い回廊の向こう側には、種々多様な造形をした沢山の労働者、もとい奴隷たちが、薄気味悪い魔力オーラを放っている小さな樹のようなものに縄で括り付けられていた。

 彼ら、彼女らは皆が一様に白目を剥きながら、口を半開きにしてそこからよだれを垂らしていた。どうやらその身が朽ち果てるまで、魔力を吸い付くされては''地上''の「シルクちゃん大帝国」を運営するサイクルにご奉仕する仕事らしい。



 まあ、私には関係ないけれど。



 そもそも自分がなぜこの場所にブチ込まれたのかも既に忘れてしまっているし、なぜ自分が今でも生きているのか、生かされているのかも分からない状態だ。

 ただ毎日、与えられたエサを食って、1日中ボーっとした後に部屋の片隅にあるトイレで排泄を済ませて寝るだけの生活。たまに半年に1回、身体と衣服を綺麗にする魔法をかけてもらえるのは何だか嬉しい。他の誰かに気にかけて貰えてるみたいで。



 私は、一体これからどうなるのだろう。

 そして、これからどこへいくのだろう。



「……何言ってんだよ。呆れたよ、本当に」



 すると目の前に小さな火花が散った。

 一瞬の煌めきに目を閉じると、そこには小さな緑色の少年が宙に浮かんでいた。



「……え? 誰?」



 そして妖精は立て続けに何やら不可思議な呪文めいた言葉を唱えると、私の全身の汚れはみるみるうちに落ちていき、囚人服も綺麗になっていった。どうやら胃腸や腰の調子もよくなったようだ。

 そして腰の下まで極限まで伸びた真っ暗い髪は、肩の辺りまで短くカットされていった。

 相変わらずゴワゴワとした髪質だったが、目と耳と鼻を塞いでいたものがなくなり、私は少しだけ爽快な気分になった。



「……ありがとう。で、君は誰なの?」



 宙を舞う緑色の妖精は溜め息を吐きながら、私の周囲を旋回し始めた。



「……これはあくまで、"借り''を返しただけ。約束してたからね。それと……僕からの精一杯の''謝罪''の気持ちだよ。本来、僕は''中立''にいなきゃいけないんだけど……まあ、特別にね。牡丹ちゃん……君は僕にわざわざ『飛び方』を教えてくれる必要はなかったんだよ。わざわざ『最終決戦』の前にさ。最初から、僕はあいつにハメられてて、君を罠に誘う役回りだったんだからさ……」



 妖精が何を言っているのか、全く理解不能だった。

 そんなこちらの様子を察してからか、妖精はさらなる呪文めいた言葉を私に向かって投げかけた。



 そして、次の瞬間──

 私の頭の中に、''全て''の出来事が蘇ってきた。



 ◆◇◆◇



 私は声にならない悲鳴を上げながら、床に向かって嘔吐し続けた。

 全身を掻きむしりながら、冷たい地面の上をのたうち回った。

 


 どうやらこれが、「生きている」ということらしい。

 この身を引き裂くほどの悲しみに、打ちのめされては絶叫することが。



 私はノラたんと、愛子と、シルクの名前を叫び続けた。

 目にいっぱいの涙を溜めての咆哮は、他に誰も正常な意識を保っていない地下の牢獄に虚しく響き渡った。


 勿論、誰も助けてはくれなかった。

 今の私を救い出せるのは、私しかいなかったからだ。

 


「……大丈夫? 牡丹ちゃん」



 およそ小一時間ほどもがき苦しんだ後、パックちゃんが小さく呟いた。

 私は小さく震える声で礼を言うと、その身を起こしてその妖精に向き合った。



「……『魔導書』。永野が持ってるかもしれない」



 すると妖精は、小さくかぶりを振った。

 


「……どうかな。僕には一瞬だったけど、君ら人間にとっては長い時間が流れたし、もうあの人も忘れてんじゃない? 牡丹ちゃんも、なんか凄い老け込んじゃったし」


「老けたとか言うな。『成長』よ、これは」


「……ごめん」



 勿論、私はこの20年間で何一つ成長なんてしていなかった。むしろ退化していたぐらいだ。

 身体能力だってあの頃より低下している。もう一回、あのクソッタレのクソエルフと喧嘩したところで勝機は皆無だろう。

 それどころか、前回のように幻覚の秘術に心身を掠め取られて、リング上にすらあげて貰えないはずだ。



 私、門倉牡丹かどくら・ぼたん37歳は考えた。

 ない知恵を必死に絞り出して。

 こうして必死に頭を働かせることが、少しずつ生きる活力になってゆく気がした。

 少しずつ、希望に変わる気がした。



「……斬首刑だ。ここで生殺しにされるんじゃなくて、斬首刑にしてもらえるよう、裏で仕組んでよ。パックちゃん。そしたら、多分あいつは群衆を集めて派手にやりたがるでしょ? そん中に、永野も来てるかもしれない。あいつの逃げ足は''本物''だからね──きっと、まだ生きてる。そもそも、なんで今、私がここで''生殺し''にされてるかといえば、例の魔導書についての詳細を、私の頭から''吸い上げたかった''からでしょ? でも、その前に私は正気を失っちゃったから、何にも出来ずに放置してるんだと思う。ほら、あいつってそういうとこあんじゃん。『これは後で何かに使えるかも』ってさ。断捨離とか苦手なタイプの」


「いや……''裏で仕組む''って……それって、具体的にどうやんの?」


「……魔導書の入手を''完全に''断念させる。人海戦術やローラー作戦で以て近隣諸国を蹂躙していく、膨大なリソースに見合うものじゃないと思わせる……具体的には、『てか、女は低身長の方が可愛くね?』という価値観を、今から旧帝国(この国)、いや、世界陸ワールド・マス中に蔓延させる。価値観の規範スタンダードを一新させるんだよ! 君のありとあらゆる多彩な魔法を総動員してね」


「……それ、マジで言ってんの?」


「大マジよ」


「うーん……いや無理じゃない? そんなん普通に考えて。そもそもあの……''永野''ってまだ生きてんの? あいつ。そもそも『あの謀叛事件』の後、数少ない生き残り達は方々の国に散ったらしいし、方々の国からこぞって反逆を起こされたことを口実に、あれ以降シルクには''表向き''にも外部諸国を堂々と侵攻しちゃう大義名分が出来ちゃったんだよ。それに、この国にいる限りは、『あれ』があるから……」



 そう言うと妖精は檻の向こう側にいる、物言わぬ労働者、もとい奴隷たちを見やった。



「分かってる。''香り''で操作されちゃうんでしょ。だから、それを''逆手に取る''。この国のどこかで、魔導書を隠し持って生き延びている限り、永野は私の公開処刑を見学にくるはず。絶対に。それに、断頭台の上でも……君は姿を消すのは''大得意''なんでしょ?」


 

 妖精はお手上げのポーズを取った。



「……なんかさ、もう。希望的観測でしかないね、それ。そもそも『城』に攻め込んだ時もそうだったけど。何でそうガバガバな計画にすがってられるの? 信じらんないんだけど、人間」


「……あいつはきっと、生きてるよ。それにもう一つ根拠はあるよ。この、''クソみたいなゲーム''をクリア出来るかもしれない確信。それは……『私たちの宇宙はまだ生きている』ということ」



 すると妖精は空中で羽ばたくのを止めて、一瞬その場で静止した。

 そしてまた、空を自在に飛び回りながら呟いた。



「……そうか。この''夢幻荘103号室、中世ファンタジー宇宙バース''──''穴''の中の''虚妄''は、依然として続いてるからか……''穴''が全部ひとつに繋がって宇宙全てを覆い尽くしちゃったら、もうこのファンタジー宇宙バース自体がなくなっちゃうだろうから……確かに、盲点だったかも……」



 妖精は更にスピードを上げて、独房の中を縦横無尽に飛び回った。

 まるでそれを楽しんでいるかのようだった。



「……でも、『20年』だよ? そんなのありえる? ''穴''の侵食は''あの時''ですら加速度的に進んでたのに、まだ君の宇宙は無事な訳が──」


「でも! そうとしか考えられない。パックちゃん。私は信じるよ、希望を」



 パックちゃんは空中からこちら見つめながら言う。



「……分かった。やれることはやってみる。だけど、僕の個人的な懸念としては、『やっぱり全クリにはシルクを倒さなくちゃいけないんじゃないか』ってこと」


 

 私は心底呆れ返って、肩をすくめながら言った。



「何でだよ? 20年前と言ってたことが違うじゃん!」


「『20年前』だからだよ! もうあの時と、状況が全く違うじゃん。牡丹ちゃん……もう君は、この世の絶望と辛酸、屈辱の味を舐め尽くしてる……シルクの手によって。だから今更、僕からその''裏ルート''で向こう側の宇宙(ジ・アザー・サイド)に飛んだからって、万事上手くいくとは到底考えられない……」



 確かにそうだ。

 私は約数十年ぶりに、自らの拳を固く握り直した。

 結局、私はあのクソエルフをブチのめさなければならない運命なのかもしれない。

 それが、自分自身への唯一のケリの付け方なのかもしれない──



「……それにさ、''約束''では、僕を呼び出せるのはあと2回ぐらいだから、上手いこと情報を伝達出来るかどうか……」


「いや……今更そこ? そんぐらい、''裁量''とか、''塩梅''で何とかしてよ……そんぐらいは」


「いや、''約束''は''約束''なんで……」


「飛べるようにしてあげたじゃんよ」


「いや、そういう恩着せがましいのはちょっと……てか思い出したけど君、初対面で普通に僕のアバラ、ブチ折ってたし……」


「なんだよ!」


「うーん……でも、分かったよ! 到底上手くいくとは思えないけど、本当に永野が見つかったら、教えてあげる。あの究極の魔法を!」



 その後もパックちゃんとは何回か連絡を取り合った。

 その間私は、牢獄の中でひとり孤独に、''発狂した''演技を続けていった。



 ◆◇◆◇



 そして、遂に──

 その日はやって来た──



「……囚人番号9番、門倉牡丹さま。シルクさまがお呼びです。こちらの目隠しをしたまま、檻の外へとおいで下さいませ」



 従者エルフたちに連れられて、私はその牢獄プリズンの外へと連れ出された。

 あの、高い城の頂上──

 断頭台の元へと──



 ◆◇◆◇



 悲しい女の話をしよう。


 生活苦から死体清掃の闇バイトをしていたら、気付けばこうして異世界で処刑されそうになってしまった少女の話だ。


 名は門倉牡丹かどくら・ぼたんという。

 まあ、私のことなのだけれど。



 物語は''私たちの時間''でいうところの3日前……

 ''夢幻荘''という2階建ての木造ボロアパートから始まり──


 とある夏の日、私にとって一番大切な人との、大好きな図書館デートで終わる。



 何度も、何度も繰り返すが──


 これは''ハッピー・エンド''で終わる。

 なぜ、それが''既に''分かるのか?


 ''今''の時間軸の私には──


 キラキラと瞬く過去と、現在と、未来の──

 全てが視えるからだ。


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