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ここではないどこか

 ◆◇◆◇



 西暦20XX年。

 我々人類が初めてその''穴''と対峙した場所は、アメリカのワシントン州レーニア山付近であった。

 これは奇しくも、かつて実業家のケネス・アーノルドが世界で初めてUFOを観測したエリアと一致している。


 陸軍第10山岳師団が演習中に発見したその''穴''は、ちょうど大の大人が1人分通れるだけの大きさであり、戯れに異次元の中へと飛び込んだ数人の屈強な兵士たちを、次々に肉片として''返却''してきた。


 ''穴''にはおよそ二種類があった。

 一箇所で待ち構えている、通路としての役割を果たす''もの''。

 ''向こう''で異界よりの使者が死んだとき、空中に現れてはそれを捕食し、生身の身体を現実世界へと吐き出す''もの''。


 辛うじて逃げ延びた数人が病床にて今際の際に発した言葉は、最初はただの終末期の譫妄せんもう状態であるとされた。



──''穴''の向こうは、中世ヨーロッパ風のファンタジー世界でした──

──''穴''の向こうは、猿たちの支配する未来の地球でした──

──''穴''の向こうは、核戦争によって荒廃した大地でした──



 しかし別の場所での更なる''穴''の発見、相次ぐ目撃情報、逃げ延びてきた者たちの証言──とりわけ周囲からは物好きで風変わりな、今や凋落した人物として知られている、元バル・ベルデ共和国防衛省長官''バーナード・スタッチマン''のそれは、人類の歩みを次なる未開拓地フロンティアへと向かわせるきっかけとなった。



──''穴''の向こうは……こんな現実世界でうだつの上がらない私でも簡単に英雄になれる……まさに理想郷ユートピアが広がっていた──



「──そして''穴''は世界約200箇所で同時多発的に出現していたと判明、ブチ切れた国連はあちらこちらで高まり続ける信仰熱とネット上の陰謀論、流言飛語、ありとあらゆる玉石混交の情報を跳ね除け、''穴''の徹底的な独自管理政策を施行……異次元の向こう側にあるとされる世界の探索を開始したと……''穴''の周囲に設置された円形のドームへと送り込まれる特別軍事調査隊はさながら古代ローマの剣闘士であり、現代の未開拓地フロンティアへと挑む挑戦者グラディエーターと呼ばれ……」


「いや牡丹ぼたんちゃん、誰に向かって話してんのよ」



 スマホをスクロールする指を止めて、目の前を歩いている永野の背中を見やる。

 着古したGジャンは薄汚れており、先程まで身にまとっていた、人知れず初日からアパート玄関に置かれていたあの白い作業着とさほど変わらないように思えた。


 木造二階建て戸建、C線のN駅から徒歩30分、南向きだが陽当りはすこぶる悪い。

 蜂の巣のように密集した周囲の戸建や空きビルは全ての光を遮り、湿気と陰鬱な雰囲気を充満させている。

 

 どこにでもあるけれど──

 どこにもないような場所──


 この大都会の小さな片隅の片隅の中で、誰も気に掛けない、誰も立ち入ろうとしない。

 この世界から完全に弾き出されて、孤立したようなボロアパート。

 それがこの街に眠る、まだ見ぬ未開拓地フロンティアへの入口だった。

 

 ''夢幻荘''。

 通称──''異世界アパート''。


 表向きには公表されていない、''非合法組織''によって管理された──

 この国に密かに存在する、唯一の''穴''の集合体だ。



 あの場所には、何とも言えない瘴気が立ち込めている。

 秘匿された殺戮の歴史。

 この世の汚穢おわいを、人知れず封じ込めたような場所だった。

 

 私は自分が着ている制服を見やる。多分、これだって既に汚れている。手には先程まで着ていた、白い作業着と手袋の入った大きめの巾着袋。特殊洗剤入り。

 5万円……

 どうせならもっと、と思うが''上''は恐らく、碌なノウハウも持ち合わせていないザルで新興の非合法組織だから仕方がない。

 それに所詮、私たちだって──

 ''彼ら''と同じく消耗品でしかないのだ。



 私は溜息をひとつ吐き、学校指定のブラウスの胸ポケットにスマホをしまった。


「……だって。普通気になるじゃないですか、あれが何なのか。永野もそうでしょ?」


 永野は巾着片手に薄手のスカジャンのポケットからハイライトを取り出し(それはまさしくおっさん御用達の銘柄である)、貧乏臭い100円ライターを何回か擦って火を付けた。


「別に? 俺は金さえ貰えりゃなんでもいーのよ。ほんで俺からしたら、こんな30歳近く年上のお兄さん相手にナチュラルな呼び捨てをかますような17のクソガキが一体全体何で、''その筋''を辿らにゃありつけない、こんな曰く付きの闇バイトをしてんのか? って話だがね」


 私は歩きながら、ふと夜空を見上げた。

 漆黒の闇が広がる大天井の方々で、小さな灯りの点々が散らばっている。初夏の夜風がひんやりと頬をなでつける。

 そろそろプラプラしてないで、学校、行かないとな──


「いや無視すんなよ」


 私は着古した学校指定のブラウスとスカートを翻して、少し先にあった自動販売機の元へと駆け寄り、500mlのペットボトル・コーラを買った。

 


「ま、いいじゃないですか。こっちにも色々あるんですよ。余計な穿鑿せんさくは''センハラ''ですよ」


 

 コーラを飲んで、前を向く。

 仕事終わりの帰り道はいつだって退屈だ。

 退屈な仕事。

 退屈な仲間。

 退屈な日常。


 永野は呆れ顔でこちらへと大声を投げ掛けた。小さな灰色のトートバッグから、銀メッキの至る所が剥げ落ちた筒を取り出している。


「あんな! んなもん買ってっから金貯まんないんだぞ! 男は黙って水筒だ水筒!」


 少し歩幅を緩めると、かつては栄華を誇っていたサブカルおじさんがのっそりと私に追い付いてきた。


「永野がロリコンじゃなくて助かりましたよ」


「だから普通に敬語が使えんなら、''さん''を付けろ''さん''を」


「永野には本当に感謝してます。私の年齢詐称、密告スニッチしないでいてくれるし」


「USのラッパーかお前は」


「年齢詐称……まあ、関係ないんだけどね」


「あ? 何?」


「何でもないっす」


「まあ、お前もきっと色々あんだろうが、普通に学校にいって、普通に働ける身分になるのが一番だぞ。出来ればこんなキナくさい仕事はなしでな」



 そう言って遠い目をしながら、30近く年下の淑女に向かって、そんな手垢の付いた人生訓を投げかけることしか出来ないから今、あなたはそんな状況に陥っているのですよ──的な小言を返そうと思ったが、やめた。

 

 流石にそんな鬼ではない。

 それに今夜は星が綺麗だ。

 たとえ現実の生活がどんなに困難を極めても、私はたったそれだけで嬉しくなってしまう。


「まあ、働いてんの殆ど私ですけどね」


「……まあな。でも本当に、牡丹ちゃんには感謝してるよ。俺なんかもう、人生終わったようなもんだからさ」


 永野のそのくたびれた表情を振り返る。

 後ろ向きで歩きながら、私は少しだけ自分の胸が痛んだ気がした。


「そんな事ないですよ」

「人生これからです。だから頑張ってください」


 こんな定型句を投げかけて、一体何になる? こんな小娘が。私は一瞬、途方にくれた。


 きっと誰の人生にも、色んな落とし穴があるのだ。

 それはこの先、私にも待ち構えているだろうし、既に私はその中に落っこちてしまった後なのかもしれない。

 

 こうして私たちはその''穴''から這い上がろうともがいているけれど、世の中には自らその''穴''へと飛び込もうとしている、金も権力も既に手中にある、この世界を統べるお偉いさん方もいる。

 きっと彼らは私たちとは全く別の理由で、この世界に飽きてしまったのだ。

 全てを手にした後に現れた、未知の世界へ続く更なる欲望か。

 この全てがくだらなくて辛いだけの現実から、逃れたいというだけの現実逃避か。



「永野は、''向こうの世界''に行ってみたいとか思ったことないんですか?」


「……ないね。どんなに好奇心をそそられようが、血と肉と骨だけになって送り返されるのはごめんだね」


「……この世界の外側。ここではないどこか。''Anywhere Out Of The World''」


「おう、ボードレールじゃん」


「へえ、知ってるんですか」


「舐めんなよ、これでも役者よ。文学でも映画でも何でも、若い時分にしこたま叩き込んだわ」


「偉いですね」


「おうよ、お前も小説、頑張れよ」



 考えるより前に、先程の自販機に駆け寄って、コーラをもう1本買った。今の自分には、これしか出来ることがない気がした。


 永野の元へ走り、それを手渡す。



「……''もう人生終わったようなもん''とか、そんなこと言わないでくださいよ。''まだまだこれからですよ''なんて安い言葉は口が避けても言えないですけど、現に今、私たちは生きてるんで。まだ人生が終わってないのは事実なんですよ」


 永野はどこか遠い夜空を見上げたまま、乾いた笑い声を立てた。


「それにガキに向かってそんなガキみたいなこというガキは、一生ガキのままですよ」


 45歳児のおじさんは、元々は美形であったであろう表情の上にクシャクシャの笑顔を浮かべて、それを受け取った。


「ありがとな、うん」


 そしてスマホを開き、何やらニヤつき始めた。恐らく口座を確認しているのだろう。


「……まあまあ。しっかし! 今日はいい夜だなー! 久々に肉でも食いに行くかなー!」


「よく食えますね」


「……いや、逆に。というか……」


「……次からはもっと手伝ってください。マジで」



 とある''中継業者''へと送信した清掃後の画像データが向こうに確認されると、日当金の5万円は毎回、''組織''の人間によって極めて迅速に振り込まれる。

 もちろん、明細も何もない。誰の手によって入金されたかも分からない。ただその''50000''という数字だけが、まるで小雨のように静かに正確に、帳簿の上に刻まれてゆくだけだ。



「それと永野。分かってると思いますけど……」


 永野は慌てて頭を振って答えた。


「分かってる! 分かってるって! 言わねえよ誰にも!」

 

 私は再度、この45歳児に念を押しておいた。


「……前にいた人たちは、ある日突然現場に来なくなったそうです。それで欠員が出たから、''上''の人は増員の決定をして、私たちがおこぼれに預かったんです。だから……」


「分かってる! 分かってるってマジで!」


 やがて、N駅が見えてきた。

 私たちはいつもどおりに電車に乗って、それぞれの帰路に着いた。


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