(あなたを振り向かせる)魔法はそれほど得意ではない
そしてそれから約6時間後──
村の西側にある集落にて──
''裁量''と''塩梅''によって見事に省略された時空の中で……
私は敵勢がまず最初に見せしめのために差し出した、牛頭馬頭の猛攻に耐えていた。
牛頭と馬頭を携えた、筋骨隆々とした2頭の異形の者たち。仏教における地獄の使いである。
私は無宗教なのに。
最も今では、およそ30メートルほど向こうの後方に控えている、種々多様なモンスターたちを従えた、うちの高校の生活指導員似の着飾った軍師様の使いっ走りでしかないのだが。
「おい! 何を小娘一匹に手間取っておる! さっさと殺ってしまえ!」
先程から大振りでブン回されている、この棍棒のようなものには多大なる魔力が込められているため……
それによって放たれた地獄の業火が、周囲の集落を藁葺き屋根ごと、その殆どを焼き尽くしている。
そして当然、身を焦がすほどの灼熱が、私の清掃用防護服にも襲いかかっている訳である。
二本の棍棒と業火の間を塗って、私は極めて敏捷に、持ちつ持たれつの距離を保って反撃の機を伺う──
そして頭の中にある、その''モヤモヤ''を思い浮かべながらそれを小さく唱えると──
私の掌からは大量の湧き水が、凄まじい勢いで放出される訳である。
「テル・タキ・デル・ダズ……」
日本語は系統的にもユニークで面白い言語だと思う。
特に漢字以前の古代日本語は、呪文や魔法のような力を持つのだろう。
「凄い! 牡丹さん! 凄い!」
後方に控える武装した村の戦士たち(ここまで特に何もしていない)の叫び声が聞こえるが、冷静に考えて、辺り一面を覆い尽くす程の炎に対して、17歳のか弱い少女が掌ふたつ分のホースを翳したところで……焼け石に水である。
これは精々、ボヤ騒ぎを収めるための初級魔法ではないのか。
「おい! 何をしておる! 早く殺ってしまえ!」
そうだ、何をしておる牡丹。
こんな下らない、些末な奇術に囚われている暇などない。
私はもうひとつの、頭の中にある複数ある''モヤモヤ''の中から、それを''選択''した。
無茶苦茶に恥ずかしかったが、今度は仕方なく、大声で唱えた。
「カル・バル・ムキ・バク!」
膂力の開放。
全身に活力が漲る。
喩えるなら、海外製のエナジードリンク(カフェイン含有量200mg超え)を一気飲みした後のような──
全く経験のない、アッパードラッグの覚醒のような──
頭と身体がブルブルと連動し始めて、全身から心地よい発汗作用と高揚感が立ち現れては、ナチュラルな戦闘意欲が湧き立ってきた。
今の自分なら、何でも出来るような気がしてきた。
ヒュッと片方の牛頭の懐に飛び込んでみる。頭で予測したより倍以上のスピードで身体が自然に動く。
そして棍棒を振り上げてる途中の、ガードの空いた腹へと目掛けてストレート。ワン・ツー。
拳が一気に熱くなる。
生臭い感触が鼻につく。
血飛沫が辺り一面に飛び散る。
「グロい! 牡丹さん! グロい!」
最早NPC同然の脳死村民たち(ここまで特に何もしていない)を横目に、私はそのまま牛頭のボディと四肢に目掛けて拳を連打する。
腰をそれほど入れなくても、その筋骨隆々とした巨大はまるで発泡スチロールのように砕けていった。
それに合わせて、溢れ出る朱。
血肉と臓物が彩る交響楽。
私の高揚した心臓は、バスドラムのような重低音を打ち鳴らす。
返り血のシャワーが、作業着の上に降り注ぐ。
「なんだと!」
後方に待機していた生活指導員似の軍師様──恐らくただの人間は、口をあんぐりと開けてこちらを見ていた。
そして残りの多様性に富む他の怪物たちを、私の元へと目掛けて一目散に解き放った。
私は身体中に穴を開けた牛頭の体躯を片手で放り投げ、もう一体の馬頭へと向かって猛スピードで足を踏み込んだ。
下半身の──取り分け腿と脹脛の筋肉が以上な速度で緊張し、収縮から開放されるのを感じる。
確かに地面を全身全霊で蹴飛ばしたような、凄まじい推進力で以て私は中空を駆り、牛頭へと目掛けて一目散に突進してゆく。
そして、その勢いのまま──
馬頭の頭部を豆腐のように片手でもぎ取る。
周囲のハッと息を呑む音と同時に、私はその頭部をこの身に向かって直線上に迫り来る……ガーゴイル、河童、ゴブリンなどといった和洋折衷のモンスターたちへと向かって放り投げる。
まるでボーリングの球がピンを押し倒すかのように、それらのモンスターたちの頭部は、連続でトマトが潰れたように''開花''する。
真っ赤な花。
それはまさに、牡丹そのものだった。
「何なんだあいつ! あれはただの基礎的な肉体強化魔法だろ! なんであんなことになってんだよ!」
「凄い! 牡丹さん! 凄い!」
そして私は、目の前の与えられた仕事を着実に始末していった。
思えばこうして、何かに使役されることで自ら考えることを放棄してきただけなのかもしれない。
色んなクソ面倒臭いことから、こうして束の間だけ逃避出来る。
思えばこうして、ずっと周りに流されてきただけなのだ。
◆◇◆◇
「うーん、60点。だからね、実践ではその時の状況に応じて、色んな魔法を使うの。何で、体術で一点突破しちゃうの。そんなんじゃこれから、格上と戦う時に苦労する。それに最初の''水''に関しては、もっと大声で唱えないと駄目。極一部の上級魔法を除いて、呪文の威力は声の大きさに比例するって、何度も言ったでしょ。だから戦闘中には、相手に何の魔法か悟られるハンデがある分、反動的に、その魔法の効力は跳ね上がるって……何度も何度も」
「いや、だって……やっぱ恥ずいじゃんか。唱えるの……」
黒のカーディガンのような上着を、ヒラヒラと夜風に靡かせがらノラが今後の改善点を出してくる。
賊の首謀者である生活指導員似の軍師様は、村の中心広場にある噴水脇の岩場に縄で括り付けられ、その周囲ではレイラを中心に村人が取り囲み、シルクについての尋問が行われている。
「いや……あの、ごめん。それに、なんか面倒臭くてさ。他にも色々あったけど、結局ステゴロが一番でしょって……それに魔法一個覚えんのに、あんな分厚い魔導書を一冊読破しろってのも中々……妖精さんはチャチャっと一瞬で教えてくれるんだっけ?」
ノラは前髪をかき上げながら溜め息をつき、恐らくは私の後方に広がっているであろう広大な夜空を見やりながら言った。
「いいわ。今回は及第点ってことで許してあげる。次からはもっと頑張って」
私は歯ぎしりをしながら、返り血を浴びて見事な朱の色に染まった自分の作業着に一瞥をくれては返答した。
なぜだか、いつもの暴力の陶酔などといったものは、今回に限っては微塵も感じなかった。
「あの……さ、少しは褒めてくれてもいいんじゃない? こうして、ちゃんと……まあ過程はお粗末だったかもだけど、仕事を終わらせたんだからさ……」
ノラは視線を私の元へと戻し、まるで何事もなかっかのように返答した。
「なぜ?」
「……なぜって……」
「……今のあなたには、成し遂げなければならない、もっと大きな大義がある。今日の戦いは力任せに拳を奮うだけで、はっきり言って一流の戦士、魔法使いとは程遠いものだった。まるでただのゲテモノ。あなたはもっと、気高く飢える術を身に着けなければならない。戦いは華麗な舞なの。今のあなたは獣そのもの。ただの野蛮人。これからもっと実践を重ねて、研鑽を積んでいかないと、''リュウ様''のようには……」
「あのですね! なぜにもっと! 褒めて頂けないのでしょうか?」
「……は?」
「いや! 今の私の姿を見て下さいよ! 真っ赤っ赤じゃないですか? もう、真っ赤っ赤で、ギットギトじゃないですか? いい加減シャワー、お風呂……河で身体洗ってきてもいいすか? いいすよね? もう……」
私は踵を返して、近くの河へと向かおうとした。
ノラは私の背中に向かって、この夜の冷気に乗せては、極めて機械的な声を発した。
「……あなたの世界にいた、''私の顔をした女性''は……きっと今まで、際限なくあなたを許し続けてきたのでしょうね」
私は少しだけ、足を止めた。
そしてそのまま河へと向かった。
◆◇◆◇
朱に染まった純白の作業着と身体を洗い、あらかじめ村民から借りていた襤褸服に着替えた後──
広場に戻ると、軍師様への尋問は未だに続いていた。
村人たちによって次々と打擲や水責めが飛び交うが、依然としてその口は固いようだ。
そこで近くの小屋の中から出てきた永野が(戦闘中はずっとそこに隠れていた)、昼間に授けられた魔法を試してみると言い出した。
どうやらその人物が、今まで一番の心理的外傷として抱えている幻像を見せつけるというものらしかった。
どうやら私だけでなく、異界の地で特異な能力を授けられた人間は、皆がこうも簡単に、残忍になれるものなのだ。
「ミル・ゲン・ウツ・バラ!」
永野は軍師様の目の前で大声で呪文を唱え終えると、軍師様は白目を向きながら、ビクビクと痙攣し始めた。
「あれ……? なんかヤバそう、やり過ぎた……解除の呪文唱えないと……」
するとどこからか人混みを掻き分けて、巨体の女が現れては小さくなった──レイラだった。
「待って……今なら答えるはず……ねえ、現在のシルクたちの軍勢と、財政状況を教えて。『旧帝国』を攻め込むための糸口、綻び……警備の手薄になっている場所とか……その他なんでも。答えてくれたら、解除してあげる……特に、『何でこの村を襲っているのか?』ってのが聞きたいの、こっちは」
すると軍師様は、口の切れ端からブクブクと泡を吹き出しては、息も切れ切れに呟き出した。
「……現在、シルク様がここを襲っているのは……」
そして次の瞬間──
その頭部は、破裂音ともに飛び散ったのだった。
返り血を大量に浴びて、ドン引きしている永野の周りで、NPC的な村人たちが喧々囂々と喚き立てる──
「おい! レイラ! お前もうちょい慎重にやれや! 今日一日の苦労がオジャンじゃねーか!」
「あー、ごめんごめん。まさかこんな末端の末端のチンピラみたいなのにも、呪文が掛けられてたとは……」
「あー! 最悪! グロすぎ! クローネンバーグの''スキャナーズ''みたい! 言っとくけどやったの俺じゃないから!」
「喩え古すぎでしょ……今は''ザ・ボーイズ''ですよ……」
「……お前な! まずはルーツを掘れ! 先人を敬え! こんな時代だからこそまずはクローネンバーグの偉大さを……」
「シネハラやめて下さい」
ああ、これが中世の道徳規範……
私はもう、魔法には懲り懲りだった。
出来れば早く、可愛いモフモフの動物などと出会い、戯れてみたかった。




