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ハロー・ワールド



『旅に出るのは、たしかに有益だ、旅は想像力を働かせる。

 これ以外のものはすべて失望と疲労を与えるだけだ。僕の旅は完全に想像のものだ。それが強みだ。

 これは生から死への旅だ。ひとも、けものも、街も、自然も一切が想像のものだ。これは小説、つまりまったくの作り話だ。辞書もそう定義している。まちがいない。

 それに第一、これはだれにだってできることだ。目を閉じさえすればよい。

 すると人生の向こう側だ』


「夜の果てへの旅/ルイ=フェルディナン・セリーヌ著/生田耕作訳」

 


 ……

 ……

 ……

 ……



 身体と精神がどこまでも遠い場所へ移動しても、頭は依然として重いままだった。

 まるで8時間の快眠後のように明朗快活、とはならずに、まるで目を瞑ってエレベーターに乗っただけの、刹那の体感時間と滞空時間。

 


 目を開ければそこは夜の向こう側──

 誰もが頭に、一度は思い描いたことのある異界──



 曠野こうやだった。

 見渡す限り何もない。

 ただ一本、天空を穿つように伸びている肌色がかった大木が、遠く向こうに霞んでいる以外には。



 微風にたなびく小さな草いきれが点在しており、その殆どは土や石ころの転がっているだけの野晒しの大地。

 空には雲があり、陽の射し方からして太陽らしき恒星の存在も感じられる。

 私たちの世界と何ら変わらない、誰もが思い描く異世界の出発リスポーン地点だった。



「……これが」



 しかし、横の永野が一歩、その足を踏み出すと──

 それはただの正常性バイアスであることが分かった。


 

 まるで足元が全て、崩壊したかのような震動。

 低い呻き声と共に、辺り一面に大地の裂け目が現出した。

 その不快なときの声に耳を塞ぐ前に、身体中の細胞が警醒を発信し、私たちは逃走本能に従って走り出した。


 地中から凄まじい勢いで姿を表した、無数のモグラ──というかモグラの形状を保ったまま漆黒の巨体へと進化した、今では熊のようになったその異形が──私たち人間の虫けら二匹の周囲を取り囲んだ。



 その呻き声の不協和音は今や特大のハーモニーとなり、私たち虫けらに狙いを定め、その座標を測るための相互確認動作となった。

 高らかに鳴り響く、死神の声──



「……分かってると思いますけど、取り敢えず逃げましょうか!」



 永野は、言葉にならない絶叫と共に既に走り出していた。

 巨大なモグラたちはその爪先を次々と野晒しの大地へと向かって振り落とし、目の前には轟々とした土煙が拡散した。



 そして周囲には──

 無数のドス黒い、''穴''が浮かんでいた。

 嗚呼──

 きっと大半が、''ここ''で早速、殺られるのだ。



 そしてその亡骸の欠片は中空で待ち構えているあの''穴''へと吸い込まれ、更に解体、分解されては''あの懐かしのボロアパート''へと送り出されるのだろう。

 未曾有の新天地、前代未聞のフロンティアへと実際に足を踏み入れた今、''挑戦者グラディエーター''として、それは無慈悲なサイクルとして、よりすんなりと受け入れることが出来た。

 こんな場所で一体、何をどう足掻けば、生き永らえることが出来るのだろうか?



 無数のモグラたちの猛攻……ジグザクに走り回っては身をかわす……それももう限界だろう……強化バフ……伝説の戦士の娘……そんなものは恐らく、なかった。

 私は足を止め、目を瞑り、その最後にして至上の時を待った。

「死」という、この全ての責め苦からの解放の時を──



「モグ・トム・ゼブ・ウツ!」



 何者かの声によって目を開けると──

 眼前にいた無数の巨大モグラたちの動きが、完全に静止していた。

 そして、凄まじい勢いで次々と破裂した。



 耳をつんざくほどの炸裂音の嵐の中で、私はこの地獄絵図の中で、1人の少女が中空に浮かんでいるのを視認した。

 視界が、肉の弾け飛ぶ朱に染まる。

 モグラたちの漆黒の巨体は、今やどれも文字通りに''裏返っている''のだった。



「まあ、30秒も持てば合格。結局、最後に物を言うのは足腰。呪文スペルにかまけてるだけじゃ駄目」



 その聞き覚えのある声は私の目の前に……化け物たちの血肉に染まった私の目の前へと着陸した。

 見覚えのある艶のある黒髪──左側に括られた髪の束に思わず目を奪われた。

 私たちの世界でいうところの、白のロングスカートに黒のカーディガンのような織物を羽織った、その見覚えのある顔立ちの少女は……

 右手に長い木製の杖を振りかざしながら、ゆっくりと微笑んだ。



「……おはよう」



「……愛子。また会ったね」



「……愛子? 誰それ?」


 

 どうやら愛子ではないらしいその少女は──

 ひび割れた地面の上へと着陸し、再び小さく呪文スペルのようなものを呟きながら、杖で中空に文字のような軌跡を切った。



「フク・ケガ・ハク・ダク」



 すると私の作業着全身に纏わりついていた化け物の血肉は、一欠片も残らず一瞬で取り除かれた。

 なんて素晴らしい。

 ''これ''を最初から清掃員全員に付与してくれればよかったのに。


 巨大モグラの真紅の血肉に染まり切った、まるで終末世界そのものを表したかのような腐敗の地を少女はしばらくの間、無言で歩き回った。

 そして、私の方へと黒の外套を軽快に翻しては、今度は無表情で言った。



「私の名前はノラ、この世界の案内役、よろしく」



「いや、愛子だね。君の名前は坂口愛子。容姿端麗のスーパーモデル。なおかつクラスで常に危険な噂、毀誉褒貶きよほうへん……というか流言飛語の飛び交う''とある女子生徒''と仲良くしているため、自身もあらぬ誹謗中傷の的に晒されている─それでも自分の意思は曲げない強い子。とっても格好いい子……私の、唯一の……まあ、いいや。そういう''坂口愛子''よ、君は。顔も言語も完璧日本人だし」


「違う。私はノラ」


「もしかしてそのスカート、絹? 何? 今のトレンド? 涼しげだけどゴージャスな感じでいいじゃん! よく分かんないけど。てか産業革命、もう起こってんだね! この世界。ああよかったー! じゃあお風呂もちゃんとあるってことじゃんね! 産業革命後のイギリスは人口増加に伴う疫病ペストの蔓延もあって、人々の衛生観念がより進捗したからね、うん。まあ、こんなに便利な魔法があるなら最早、お風呂とか要らないのかもしれないけど」



「だから違う。私はノラ」



 どうやら本当に愛子ではないらしいその少女──ノラは、その大きな杖で地面に何かしらの紋様をガリガリと書き殴り、再び呪文スペルを唱えて血肉に染まった大地の清掃を完遂してしまった。

 視界の端の方に、地面にうずくまったままの血みどろの永野の姿が見えた。

 逃げ足が早いのはよいことだ。何事も、始まるのはまず逃げ足からだ。

 この少女──ノラの言うとおりに。



「最悪! 返事が素っ気ない! 会話の応酬が皆無! 別人なら愛子の容姿をするな! クソが!」



 正直なところ、これが''そっくりそのまま''愛子であった場合、私は思わず赤の他人に初対面で抱き着いてしまうところだった。

 


 ノラはこちらのヒステリック症状も我関せずのまま、杖の先で辺り一面の点検を行っていたので、もしやこいつはただのNPCなのではないかという気もしてきた。

 


 しかし次の瞬間には打って変わって俊敏な動きでこちらの元へと歩みより、私に向かってハキハキと喋り出したのでその疑念は雲散霧消うんさんむしょうした。



「地盤が緩い。まだ''あれ''が何匹もいる。取り敢えずここを離れよう。門倉牡丹かどくら・ぼたん……私はあなたがここに来るのを待っていた──何年も、何年も。積もる話は、移動しながらでも……''クウ・ユル・ウク・ワレ''」



 顔が、近い──

 愛子と違って冷血クールな感じで、これはこれでよきかな、と思ったその次の瞬間、私は自分の足元が地面から離れていくのを感じた。

 実際に、それはかつての腐敗の地から、完全に離れて浮遊していたのだった。



 私は下腹を伸しかかる浮遊感を堪えつつ、ノラに永野も同じく連れてゆくよう頼んだ。

 大口をあんぐりと開けてこちらを見上げていた永野は、極めて粗雑なフォームで、同様に空中の旅と強引に引きずり出された。



「……取り敢えず、予言者オラクルである彼女に会いにゆく。あの子は''人との距離感が分からない''から、初めは戸惑うかもしれないけど気にしないで。すぐ慣れるから……多分」



 脳が処理落ちする程の信じられない出来事の連続の中で──

 

 晴天の霹靂へきれき

 

 私はそれを見て、まさに言葉を失った。



「あの子は──''人との距離感が分からないから''、''遠近法というものが適用されない''──この世界では」



 私たち三人の向かっている、遠く向こうの景色の中に霞む、肌色がかった大木のようなもの──



 それは改めて見ると、紛れもなく人間の足だった。



 そして上方、天高くを更に注視すると──

 それは、襤褸ぼろ切れのような衣服を身に纏った……七分丈のズボンのようなものを穿いた……

 


 私の風変わりなクラスメイトである、阿部その人だったのである。

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