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瞬く過現未

 


 綺麗さっぱり、心身に纏わり付いていた穢れを落としては最高の気分だった。

 これに更にフカフカのベッドの上での8時間睡眠があれば言うことなしだったが、まあこれ以上の贅沢は時間が許さないだろう。


 全身を風呂上がりの犬のようにブルブルと震わせ続けている、同じく作業着に身を包んだ永野と連れ添って長い廊下を歩く。

 前後には屈強な黒服たち。

 物々しい雰囲気ムードに飲まれて少し足取りが重くなる。

 大丈夫、私ならやれる。

 根拠のない自信と、自信のない根拠がある。

 この世界に与えられた損害を巻き戻して、また何気ない顔で愛子とどこかで再会してみせる。


 もしかしたら、あの壊滅的な光景を目の当たりにして、そこまで胸が傷まずあくまで冷静でいられた自分には、この世界の英雄になる資格などないのかもしれない。

 私はそれでも、自分のやりたいことをやってやる。

 どこまでも歪なこの自我エゴの責任を、最後まで押し通してやる。


「……永野。心配ないです。私が何とかしますから」


 永野はモスキート音のようにどこまでもか細く、儚げな周波数で短く答えた。


「……どうやってだよ? 確かに、牡丹ちゃんはありえないほど喧嘩が強いって話は、さっき周りから散々聞かされたけど……」


 中庭へと淡々と歩を進めながら、私は真っ直ぐ前を向きながら答える。


「最強の''挑戦者グラディエーター''であるクソ親父の娘である私を採用したということは、攻略に必要な、何らかの、一子相伝の強化バフ要素が期待されているからなんですよ。じゃないと、向こうもわざわざここまでやりませんから」


「……いや、俺は?」


「……だから、大丈夫です。大船に乗った気分でいてくださいよ」


「……いや、だから、俺は?」



 清掃員から、挑戦者グラディエーターへ──



 やがて私たちは中庭へと辿り着いた。

 およそ二百坪ほどだろうか。

 シンプルな環境に最低限の木々が植えられ、蓮池や獅子威し、小さな枯山水の備えられた威風堂々とした日本庭園だ。


 すると向こうの縁側から、薄い紅花染めの着物に身を包まれた、私と同年代ぐらいの少女が現れた。

 華奢な身体には酷く不釣り合いな、白くて巨大な大麻おおぬさを手に持ちながら、静かに滑るように畳の上を降り、草履に履き替えてはこちらへとひとり向かってくる。

 その風体は昔からの慣習というよりは、何かチグハグとした即席の組み合わせによって産み出された儀式のように思えた。

 少女はかんざしで黒くて長い髪を纏め上げ、大人びた凛とした表情でこちらを見つめている。



「……そういや、会うんは初めてやっけ? 娘の磨有香まゆかや。まあ、仲良うしたってや……今後絡みがあったらやけど」



 列の先頭から、迫田さん──

 いや、迫田の豚が声を投げ掛けてきた。

 


 下衆ゲス

 反吐、反吐、反吐が出る。



 実の娘を''穴''に放ってまで、日々異界の利潤を貪っている、ただ人間の形をしただけの豚。魂の出来損ない。世界の汚穢おわいそのもの。

 これまで濡れ手で粟で獲得してきた、貴様の全てを、ここで燃やし尽くしてやりたい

 もし、今の私にあの''魔法''が使えたなら。

 私は全てのケジメを付けて、一刻も早く、自分がこの手の''存在''から逃れなければならない必要性を強く感じた。

 これが私の、本当の大脱出(グレイト・エスケープ)となるのだ。


「何故か103号室はな、少年少女の生還率が高いんや。まあ、''シンクロ''の相性がええんやろな。そっちの方が」


 豚が、誰かと話していた。

 その相手は──小野だった。


「でも……本当に……言っちゃなんですけど、こんな精神状態のおかしい娘を、''向こう''に飛ばしていいんですか? 一体どんな数値データが出るか……その結果によっちゃ、''上''だって黙ってないでしょうし……」


「小野ちゃん……こうなったらもう、腹括ろうや。どうせ、最初からこうなる''筋書き''、つまりは''運命''やったんや……そもそも、あの''龍ちゃん''がおらんくなった時点でな……」


「でも……そんなどんな数値データを弾き出すか分からない奴があの秘術に触れたら……時間を単純に巻き戻すどころか、最悪、''時の回廊''の中に閉じ込められてしまうんじゃ……ていうか、それこそ''向こう側''だけの影響じゃ済まなくて、''こっちの世界''にも影響したりして……」



 そして私と永野は磨有香まゆかと呼ばれる娘と目の前の距離に対峙し──

 周囲を反社の豚共が取り囲んだ。



 私より少し背の高いその娘は厳かに、手に持っていた白い飾りの付いた大麻おおぬさを、最初はゆっくりと、そして徐々に素早く、中空に向かって振り回し始めた。



 迫田が──豚が口を開く。



「ほな、頼んだわ。牡丹ちゃん」



 私はその豚に向かって、右手の中指を突き立てた。

 豚は、少し鼻を鳴らしては微笑んだ。



「最初はな、東にあるドワーフの村へ向かった方がええ。あいつら親切やからな。ほな、健闘を祈るで!」



 磨有香まゆかと呼ばれる娘が、彼女自身は清らかなその存在が、高らかにその呪文スペルを詠唱した。



「ムル・ゴウ・トル・デク!」



 私は全身の細胞が震えるのを感じた。

 それはまるで胎動であり、今まで自分がいた世界が、母の子宮の中であったかのような錯覚だった。

 ここではないどこか──

 此処から、何処かへ移動する瞬間──

 

 やがて振動は目も開けられない程に激しく、深く、私の内奥に眠る様々な景色と共鳴してゆく。


 あの公園の──

 家族4人で過ごした一軒家の──

 学校の窓際の席の──

 愛子と初めて話した瞬間の──


 ありとあらゆる心象風景の断片、交わした言葉の切れ端、思考のジグソーパズル、 身体と精神で捉えられる限りの──


 そんな、全ての''情報''が──


 光の渦となって、私を取り囲む。

 そして私は、その光の渦に飲み込まれる。


 それは仕方のないことだ。

 予め、決められていた運命なのだ。

 つまりは──

 そういうことだった。



 ……

 ……

 ……

 …… 



 悲しい女の話をしよう。

 生活苦から死体清掃の闇バイトをしていたら、気付けばこうして異世界で処刑されそうになってしまった少女の話だ。

 名は門倉牡丹かどくら・ぼたんという。

 まあ、私のことなのだけれど。



 物語は''私たちの時間''でいうところの3日前……

 ''夢幻荘''という2階建ての木造ボロアパートから始まり──


 とある夏の日、私にとって一番大切な人との、大好きな図書館デートで終わる。



 何度も繰り返すが──

 これは''ハッピー・エンド''で終わる。

 なぜ、それが''既に''分かるのか?



 ''今''の時間軸の私には──

 キラキラと瞬く過去と、現在と、未来の──

 全てが視えるからだ。

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