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氷の魔女は愛さない  作者: 遠堂 沙弥
獣人国の王子と毒疫の魔女
78/78

78 『わずかに生じた軋轢』

 ライザと別れたルーシーは一人、ニコラの待つ部屋へと戻る。

 吹きさらしとなっている廊下は夜風がとても冷たく、羽織ってきた外套から隙間風が入って来ないように、震える手で強く握り寄せた。

 ルーシーの顔色はすっかり血の気が失せて青ざめている。

 寒さのせい?

 それだけではないことを、今のルーシーは痛感していた。

 何年経っても衰えることのない、色あせることのない記憶や感情が、今もなお自分の脳裏にこびりついていることを実感する。

 一体いつになったら解放されるんだろう。

 時折見る前世の夢で、何度目が覚めたことか。

 恐怖が今もルーシーの心を支配している。

 ライザの口からイーズデイルという家名を聞いただけで、恐怖はこんなにも簡単に息を吹き返す。

 一生イーズデイルに囚われたまま生きなければいけないのか。

 それとも、復讐という形で過去を清算すれば解き放たれるのか。

 ルーシーが抱える痛みや苦痛は、それで本当に癒されるのだろうか。

 そんな疑問を抱きながら、ルーシーは部屋へ戻るまでになんとか正常を取り戻そうとする。


(あぁ……、私ってこんなにも執念深かったのね……)


 この震えは恐怖と、歓喜だ。

 やっと見つけることができるのだと思うと、身震いが止まらなかった。

 屋敷から出ることすら許されなかった自分が、イーズデイル家のあった場所を突き止めるには相当の時間を要すると覚悟はしていたけれど。

 こんなにも簡単な方法で情報を手に入れられるなんて、本当に運がいい。

 彼らの居場所を教えてもらう為なら、なんだってしよう。

 確かに動物に対して愛着はあるが、獣人に対しての義理や情など持ち合わせていない。

 他人に深く関わるなと、師から教わった。

 今でいう他人とは、獣人のことだ。

 師は、割り切るという判断を心得ている。

 隣でずっと見てきて、それが時に冷酷な判断だと思ったことは何度もあった。

 だけどそれはやはり間違いではなかったことが、今ならわかる。


(今の私に必要なことは……。ミリオンクラウズ公国が保身のために、獣人国に対して不正を働いたとしても、私には何の関係もない……。そう割り切る為の覚悟だ……)


 情が動いてはいけない。

 どちらが正義で、どちらが悪なのか。

 その判断は今ここで自分がすることではない。

 ルーシーにとって必要なことは、イーズデイルに関する情報を手に入れる為にはどうすればいいのかということだけ。


(大丈夫……。私の特性があれば……、きっとなんとかなるはずだから……)


 ***


 そっとドアを開け、寝室へと戻る。

 ニコラのベッドに変化はなかった。部屋をこっそり出て行った時と、何も変わらない。

 外套をクローゼットにしまい、寝間着に着替える。


「答えは決まったのかい」

「……」


 隣のベッドで寝ているニコラに背を向ける形で、ルーシーがベッドに横たわったと同時だった。

 そう声を掛けられ、あぁやはりこの人は何もかも見抜いているのだと観念する。


「……明日、承諾する旨を伝えてから発つつもりです」


 この国にとって一刻の猶予もないことは承知の上だ。

 了承と共にそのまま獣人国へ出立することを言い渡されるに違いない。

 次はどんな言葉が出てくるか覚悟する。

 だがニコラが口にした言葉は、ルーシーにとって意外なものだった。


「お前がそうしたいならそうすればいいさ」

「……はい」

「ただ私は反対だ」

「反対、なんですか?」

「そもそもお前に単独でやらせようってところが気に食わない。リスクが大きすぎる」


 もう何百年も鎖国を続ける獣人国へ、魔女とはいえ年端もいかない少女が単独で渡る。

 どう考えても無茶なことはわかりきっていた。

 何が起きるかわからない。ましてや偽証行為をしに行くのだから。

 下手をすればその場で処刑されてもおかしくないようなものだ。

 冷静に考えれば、ぞっとする話である。

 それに加え、ルーシーはこれまで一人で何かを成した経験がなかった。

 数年間ニコラと旅をしてきて、あらゆる依頼を受けてきたことはあったが、そのどれもがニコラ主体でこなしてきたようなもの。

 時々、依頼内容によっては修行の一環としてルーシー一人に任されたことはあっても、必ずニコラの監督の下だった。

 しかし今回は完全にルーシーが一人で受けることになるのだから、不安がないと言えば噓になる。

 承知の上だ。十分理解した上で、それでもルーシーはこの依頼を受けなければいけない理由ができた。


「……獣人も、魔女の存在は警戒している。だからその警戒を少しでも緩める為に、私一人で行かないといけない。そういう話でしたよね」


 ルーシーのはっきりとした言葉に、ニコラはそれを覚悟だと捉えた。

 長年旅をしてきて、ルーシーが疑問に思ったり戸惑いを見せたところは何度も見ている。

 自分の決断に、本当に間違いはないか。

 不安、心配、それらを滲ませてきた。

 しかし今のルーシーの語気に、迷いはない。

 はっきりとした口調は意志の強さを思わせた。

 これ以上自分が何を言っても、ルーシーはきっと覆さないだろう。

 それほどの決意をニコラは感じ取った。


「……わかったよ。これ以上は何も言うまいさ」


 ため息交じりの言葉に、許可を得たことに喜ぶべきところで妙な寂しさを覚えた。

 いつもならきっと、ニコラはルーシーがぐうの音も出ないほど理詰めしてきたはずだ。

 どんな時も、いつだってそうだったから。

 常に自分の心の奥深くを見通しているかのように、ルーシーの考えの甘さや知識不足。

 それらを抜け目なく指摘するのが、これまでのニコラだったはずなのに。

 それ以上何も言うことなく、呆れたように会話を断ち切られたと受け取ったルーシーは、初めて師に見放されたと感じてしまったせいかもしれない。

 いつもなら、具体案をもっと聞いてきたはずなのに。


(どっちなの? お師様の方が折れて許可してくれたというのに。私はお師様にもっと強く反対してほしかったの? そんなことになったら、イーズデイルに関することまで白状しないといけなくなる恐れだってあるのに……)


 心に芽生えた違和感がわからない。

 ルーシーの今の立場でいうなら、ニコラが何も言わずに許可してくれることこそ都合がいいはずだ。

 なぜそれを突き放されたような感覚で受け止めているのか。

 自分の心がわからない。

 もやもやとした渦のようなものが体内をうごめく感じは、ただただ不愉快だった。

 この不快感を払拭したくて、つい牙をむく。


「具体的にどうするのか、とか。解決策とか、そういったことは聞かないんですか」


 棘のある言い方だったとわかっているのに、止められなかった。


「自分の弟子が未知の危険地帯へ一人で行くのに、こんな時だけ子ども扱いしないんですね」

「……弟子が覚悟を決めたのに、水を差せって?」

「そうじゃありません! いつもならちゃんとした勝算とか、算段とか……っ! そういうのを確認してたのに、どうして今回だけそれを聞かないのかって言ってるんです!」


 ちぐはぐな、支離滅裂なことを言ってる自覚はあったのに、衝動が抑えられなかった。

 これまで堪えて来た感情が爆発したかのように、ニコラに反論するルーシー。

 本当はわかっているくせに、頭の中がぐしゃぐしゃになって、まるでかんしゃくを起こした子どもみたいに噛みつく。

 せめて、言って欲しかった。

 ニコラの性格から、望み薄だとわかっていても。


『がんばっておいで』

『応援している』

『信じている』


 さっさと諦めてしまえばいいのに、心のどこかで期待してしまう自分がいた。

 そんな期待など、希望など抱いたところでどうしようもないと、ルーシー・イーズデイルの頃に散々思い知らされたくせに。

 罵倒しないことが、無視しないことが、暴力を振るってこないことが、ルーシーにとってはそれが優しさだと、……そう紐づけてしまう。

 しかしニコラは誰も愛していない。愛さない。

 あの日、あの時、自分が特別でもなんでもないのだと思い知らされたことを思い出す。

 師は精霊との制約だからと説明したが、やはりルーシーの心の中では今でもしこりとして残り続けていた。

 自分もまた誰も愛さないと、これ以上誰かに対して深入りしないように気を付けると誓ったはずなのに。

 そのために感情を殺した師を倣って、自分も感情を希薄にするよう意識してきたはずなのに。

 とめどなくあふれ出る激情が、そんなルーシーの矛盾を砕いていく。


「もう、いいです。私は私で勝手にしますから」

「ルーシー」


 何度か名を呼ばれたが、ルーシーはその一切を無視した。

 重苦しい気持ちに苛まれたが、不思議と涙は一滴も出なかった。

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