75 『宮殿で過ごす夜』
いつも更新が遅くてすみません。
今回もよろしくお願いします。
ライザから受けた予想外の依頼。ルーシーはてっきり、ミリオンクラウズを襲い来る魔獣の討伐を依頼されるものだと、そう思っていた。
まだ見ぬ種族、今となっては未開の地となった獣人国。そこへルーシーが単身赴き、嘘の証言をして事態の収拾に努めてくれという。
そんな無謀としか思えない依頼をされルーシーが困り果てていると、ライザから再び思わぬ提案をされた。
「もうすぐ日暮れですね。この地域では寒暖差が非常に厳しいので、今夜はこの宮殿に泊まって行ってください。もちろん宿代などは不要です」
ルーシーとニコラは見合わせ、渋々それを承知した。
泊まる場所を提供するということは、依頼を快諾するまでここから出さないという意味なのだと、二人は解釈する。
ライザに至っては、どう受け止めてもらっても構わないといった風で終始笑みを絶やすことなく、侍従に二人を案内させるよう命じてから別れることとなった。
「氷結の魔女様、ルーシー様。こちらでございます」
肌の露出の多い衣装を身に着けている様子から、宮殿で給仕係をしている者とは到底思えなかった。しかしここミリオンクラウズ公国ではこれが一般的なのか、宮殿内で生地面積の多い衣装を着ている者は少ない。
だがそれも場所や時間帯によるもので、太陽の光を大いに受ける屋外では強すぎる日の光で肌が焼けてしまわないよう、ショールや外套を羽織っている者をよく見かけた。
二人は宮殿の外廊下から一望できるクラウズキャニオンが、夕暮れ色に染まる光景を目にする。
西日は強いが、昼間と異なり日が沈んでいくにつれ気温がぐっと下がっていくのを肌で感じた。それまで肌が焼けるほどに強い日差しだったのに、日が陰りを見せ始めてくると同時に何か一枚羽織りたくなる程度にまで肌寒くなっている。
今では屋内にいても、ショールなどを羽織っている者がちらほらと目に入るようになっていた。
ルーシーは真夏用のワンピースを着ていたので、外套のひとつでも持って来ればよかったと後悔している。そんな風に思いながら、ふとニコラに目をやる。
ニコラは基本的に露出度の高い衣類は好まない。どんなに暑くてもいつだって長袖に、足首まであるスカートを穿いていた。さすがに生地は風通しの良い薄手のものにしているが、それでも暑くないのだろうかと思っていた時期もあった。
ニコラは氷結の魔女という名に相応しく、涼し気な表情を保っていたものだ。
暑さを和らげる魔法でもかけているのだろうかと疑っていたこともある。そんな便利な魔法があるのなら教えて欲しいと乞うたことがあったが、ニコラは一言「気の持ちようだよ」と一蹴された。
そんなやり取りを思い出していると、先導していた侍従が立ち止まり、宿泊する部屋に到着したことを告げる。
金細工が施された凝ったデザインの扉、両サイドにはルーシーの背丈ほどあるスタンドに観葉植物が植えられたプランターが飾られている。
どれだけ華やかに、豪奢にデザインされていても、この宮殿には必ず植物が飾られていた。どうやら意匠を凝らしたこの宮殿と観葉植物はセットのようだ。緑無くして王の宮殿にあらずと、いったところなのだろう。
通された部屋の中は、想像以上に広かった。この一部屋だけで一般的な民家の面積に相当する。これがもし宿屋であれば、相当な宿泊費を要求されるところだろう。
もちろん室内は客間というだけあって、華美で洒落たものになっている。家具や照明器具の一つ一つが、職人に特注で作らせたのだろうと思わせるような一品ばかりだった。
思わず声が漏れてしまう。これほど豪華な部屋に入ったことも、泊まったこともないルーシーは部屋の質に圧倒されていた。
侍従からトイレや風呂の場所、夕食の時間など。一晩過ごす為に必要なことに関してあらかた説明を受けていたら、侍従がそっとルーシーとの距離を縮めてきた。
にっこりと微笑みながら手を差し出した先は、長く伸びた銀色の髪。
「失礼。ゴミが付いていましたので」
そう一言添えながらも、侍従の指の間には紙切れが挟まれていた。
ルーシーは礼を言いながら髪を整えるフリをして、その紙切れを受け取る。そうして侍従は特に何事もなかったかのように一礼して、部屋の扉を閉めた途端に緊張が走った。
明らかにニコラの目を盗んでの行動だ。この紙はどう考えても誰かからのメッセージ。
(お師様に気取られないように中身を確認するなら、一人になるタイミングしかない……わよね)
初めて来訪したミリオンクラウズ公国、きらびやかな宮殿、聡慧の魔女ライザとの面会、そして豪奢な部屋に、秘め事がつづられているであろうメッセージ。
続けざまに起きた出来事のせいで、ルーシーは疲労していた。だがようやくニコラと二人だけになって、それまで気を張っていた部分がほんの少しだけ和らいだようにも感じる。
きっと慣れない環境のせいだろう。もしかしたら話し相手がライザだったせいかもしれない。ルーシーはずっと全身を強張らせていたのか、ようやく体の力を抜いてリラックスした。
それはニコラも同じだったのか、やれやれとくたびれた声を出しながらロッキングチェアに腰かけ、首や肩をさすっている。
「唯一の救いは、あいつと一緒に食事しなくていいってことだね」
いくらルーシー達がこの国にとっての来賓客とはいえ、相手は公王の側付き。そんな身分の人間と気安く会食だなんて、そうそうあるはずはないとルーシーも納得した。
しかし歓迎という意味合いで考えれば、会食が行なわれたとしても不思議ではない。だが今は公国にとって一大事。そんな状態でのんきに歓迎会を開くことはないのだろう。
どちらにせよ、誘いがなかったことは確かに救いかもしれないとルーシーも思った。
一息ついてからルーシーは席を立ち、外廊下へ続くドアへ向かう。
ニコラは視線をこちらへ向けはしなかったが、動きだけは把握しているようだった。
「どこへ行くんだい」
「のど、乾きませんか? なんだか肌寒くなってきたので、温かい飲み物がないか頼みに行こうかと」
「そうかい、じゃあ熱々のブラックでもお願いしようかね」
「わかりました」
しめしめとは到底思えなかった。
きっと何か裏があるのだろうと思われているに違いない。あまりにも唐突、何より侍従に持って来させればいいことだ。
それでもルーシーは、他に用件を思いつくことができなかった。
ニコラに隠し事をしても、嘘をついたことは一度もない。
これがルーシーにとって精一杯の嘘だった。
勘付かれていたとしても、その時はその時だともう諦めは付いている。
ニコラを出し抜こうなどと、端から考えていないのだから。
***
外廊下に出て周囲を見渡す。
少し来た道を戻ってから、曲がり角を曲がり、立ち止まる。
カサカサと小さく折りたたまれた紙切れを開いて、何が書かれているのかを確認した。
ニコラとの生活を始めて、五年以上の歳月が流れた。欠かさず勉学に励んだおかげで、今では文字の読み書きを普通にこなすことができるようになっている。
スペルどころかアルファベットのひとつ、書くことすらできなかった頃を思い出すとルーシーは今どれだけ恵まれているのかを実感する。
それはひとえにニコラのおかげだ。感謝が尽きない。
恩人に隠れてこそこそしている自分に、少しばかり嫌な気持ちになりつつもメモを読む。
冷や汗がルーシーの額や背中を伝った。
『今夜零時、テラスにて待つ。ライザ』
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
完結に向けてちまちまと進めますので、今後もよろしくお願いします。