73 『ライザの本性』
斯くして獣人国の王子ヴァルゴが死したことを、聡慧の魔女ライザは話し終える。
あまりにも壮絶な話に、ニコラもルーシーも言葉がなかった。
ライザは一息ついてから再び口を開く。その表情は痛ましいようにも、涼し気にも見えた。
「忠告はしたのですが、若いお二人の情熱を抑えることは適いませんでした。せめて私にもっと智慧があったならと、悔やまれてなりません」
指で目頭を押さえ、ライザは悲しむ様子を見せた。
だがそれも彼女の悪い癖、演技だと見抜いたニコラが呆れたように言葉を吐き捨てる。
「そういうのは求めてないからやめな。見てて気分が悪くなるよ、全く……」
「お、お師様……っ?」
驚くルーシーをよそに、ライザはあっけらかんとした表情で笑顔になると明るい声を上げた。
「やっぱりニコラは見抜いてしまいますか、残念……」
「前から何度も言ってるだろう。私はお前のそういうところが嫌いだって」
二人はかなり昔からの知り合いだ。それはヴァイオレットやシスティーナからも聞いていたので、今さら驚くことはなかったルーシーだったが。
この話の流れから、軽々しく冗談を言うライザの気が知れなかった。
ライザを一目見た時、まるで女神のような神々しさを放っていたことをルーシーは思い出す。慈愛の女神、友愛の権化、そのように表現しても過言ではない程ライザの魅力は絶大だったのだ。
彼女から溢れ出す優し気なオーラが、柔和な微笑みが、雰囲気が、おっとりとした言葉遣いが、ライザのことを優しさの塊だと信じて疑わなかった。
しかしどうだろう。思えば彼女の言葉の端々には、その場の雰囲気に似つかわしくない冗談の数々があったような気がしてならない。
魔女の夜会の時もそうであった。問題が生じても、彼女に至っては対岸の火事を眺めているような様子ではなかっただろうか。
結果的にライザがその場を鎮めたように思えるが、彼女は問題を起こした魔女達に警告をしただけだ。ルーシーは彼女の真意を本当の意味で理解していなかったのかもしれないと、そう疑念を感じる。
「……それで? 自分の知啓が上手くいかなかったから、私達に面倒の後始末を依頼するってわけかい? 聡慧の魔女、いや……慧眼の魔女ライザ」
「もう、ニコラったら……。その二つ名はとっくの昔に捨てたって言ったじゃない。相変わらず意地悪ね」
「お前の話でしか状況はわからないが、どうせその王子が毒に蝕まれている様子も……。お前の慧眼で、すでにわかっていたことなんだろう?」
「買い被り過ぎよ、ニコラ」
どういうことだろう、とルーシーは困惑する。
だがどうせ今ここで師に事情を求めたところで、その答えを教えてもらえるとは思えなかったルーシーは沈黙を貫いた。
長い間この師と旅をしていれば、そういった我慢くらいどうということはない。
辛抱強さが身に付いた自分に拍手を送りたい位だった。
ライザは困ったという風に、手の平で頬を支え、ため息をつく。
だがやはりその様子に切羽詰まった様子は見られない。
「ニコラは何でもお見通しみたいだから白状するけど、別にこの結末を予想していなかったわけじゃないのよ? 少しばかり面倒にはなったけれど。でも、小さな魔女さんの存在を思い出したらイケる! って確証が持てたから。だから細かいことは気にしないでちょうだい」
「どこまでも自分本位だね、お前は。ミリオンクラウズ公国の不始末に、私達を巻き込まないでくれるかい?」
いつものニコラならば、このまま見捨てていただろう。
面倒事に必要以上に首を突っ込まない。
それをモットーに旅を続けて来たのだから、恐らくニコラにとってライザ相手でも例外ではないのだろうとルーシーは思っていた。
しかしニコラが立ち去る気配を見せなかったことは意外だった。
「……だからこその交換条件、ということだろうとは思っていたよ。お前のことだ、こういうこともあろうかとわざわざ時間を稼いだね?」
「それは誤解よ? 確かにいつかは、借りを返してもらうつもりではいたけれど。まさかこのタイミングだとは、私も思っていなかったわ」
「お師様、もしかして……私が原因でしょうか」
ルーシーがミリオンクラウズを目指した理由、それが足枷になっているのだと察した。
ピンと来たルーシーを見て、ライザは嬉しそうに声を上げる。
ニコラにとってはそんなあからさまな態度が、余計に鼻についたようだ。
「さすが小さな魔女さん! 察しがいいのは、ニコラがお師匠様としてしっかり教育をしたからかしら? いえ、違うわね。元々、利発そうな女の子だったもの!」
「もういい、わかったから。いい加減本題を話しな。お前の顔をこれ以上見ていたら氷漬けにしたい衝動を抑えられなくなる!」
いつもは氷のように冷たく、何事にも関心を示さないニコラが珍しく嫌悪を見せている。
こんなニコラの態度は久しく見ていないと、ルーシーは驚きを隠せなかった。
ニコラにせがまれ、ライザはいつもの柔和な微笑みを浮かべて続きを述べる。
「小さな魔女さん、ルーシーにはお願いがあります」
「……はい」
ミリオンクラウズ警備隊の魔女から、それらしいことは聞いていた。
獣と言葉を交わせるルーシーの力を借りたい、と。
だが果たして会話が出来るだけで、国同士の問題を解決させることなんて。自分のような見習い魔女に出来ることなのか、という疑問は拭えない。
「あなたの特性を活かして、どうか獣人国の現国王を説得してもらえないかしら。王子ヴァルゴ殿は我が国の民と恋仲となり、野獣化した為に討たれたと」
「それは……っ、虚偽の報告を私にしろと? そういうことですか?」
ルーシーは耳を疑った。
虫も殺せないような笑顔を見せる女性の口から出てくる言葉とは、到底思えなかった。
まるで「ただの子供のいたずらでした」とでも言うように、いとも簡単に虚偽報告をするようルーシーに依頼したのだ。
「嘘も方便、この方が向こうも収まりがつくというものです。毒疫の魔女がもたらした恥と、獣人国の王子による野獣化という恥。どちらも天秤に釣り合う程度のものだと、私は思っています」
「あ、あれだけあなたのことを慕っていたメランコリンという魔女のことを、恥だとあなたはおっしゃるんですか?」
自分は今、誰と会話をしているのだろうと思った。
目の前にいる人物は、本当に自分が知る聡慧の魔女ライザなのだろうか。
いや、自分は聡慧の魔女ライザのことをどこまで知っていただろうか。
めまいがしてきた。
信じていたものが揺らぐような、裏切りに近い衝撃。気分が悪かった。
「それに、ヴァルゴ王子は最期まで野獣化していません。ライザ様が先ほどお話したじゃないですか」
「だから、それが場を治める為の方便でしょう? ルーシー、あなたはまだ若いからわからないでしょうけれど、戦争を食い止めるというのはそういうことなのですよ?」
柔和な微笑みに影が差す。
人の笑顔でこんなにも背筋が凍るものなのだと、ルーシーは初めて経験した。
なんて恐ろしい人なのだろう。
そう思うと、今目の前にいるライザのことが空恐ろしい存在のように感じられた。
ヴァルゴとメリィのお話は、読者の方により深く知ってもらう為に描いたものです。
よってライザがルーシー達に話して聞かせた内容は、あくまでライザが関わってきた部分のみとなります。
誤解を与える表現になってしまいましたが、そんな風に理解していただけると助かります。
次話もよろしくお願いします。