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氷の魔女は愛さない  作者: 遠堂 沙弥
獣人国の王子と毒疫の魔女
72/78

72 『最期まで共に在りたい』

 あれだけ緑豊かだった密林全体が、おぞましい瘴気に蝕まれていた。

 近くに民家が一軒もないことが唯一の救いと言ってもいいだろう。

 生命力に溢れていた木々は腐食し、禍々しい色形をしたきのこ類が胞子を放出する。それがさらなる毒気を撒き散らしているようにも見えた。

 森で生息していたであろう虫や動物も死んで、異常な速さで腐敗が進んでいる。

 もはやここは、自然があふれていた森としての様相を成してはいなかった。


 森から少し離れて取り囲むように、警戒態勢に入っているミリオンクラウズ警備隊。

 誰もがその異様な光景に絶句し、どう対処していいものか指示を待っている様子だ。

 時折、森からうごめく何かが這うように出て来てはそれを処分する。

 それは上空でも同じことで、森から何か異形のものが飛び出したかと思うと、空で待機していた魔女が魔法を放って、それらを次々と撃ち殺していった。


「何なの? ここは魔界か何か?」

「まるで魔族を相手にしているような気分だわ……」


 疲弊している魔女達が、ぽつりと呟く。

 少なくともこの時代、この大陸に魔王や魔族といった者は存在しない。

 太古の昔に語られた物語、神話の時代、伝承の中でしか出て来ないようなものだ。

 それがまるで現存しているかのような状況に、思わずこぼれるバカげた話。

 地上では浄化の魔女マルタを筆頭に、毒や呪いを浄化する魔法を扱える魔女達が戦っていた。


「毒の瘴気がこれ以上広がらないように、みんな踏ん張ってください!」

「あのきのこも厄介ですわ。火炎系の魔法で焼き払った方がいいのでは?」

「……この森を焼き払っていいのかどうか。それを公王様の権限無しで実行するわけには」

「待ちましょう、ライザ様を!」


 ミリオンクラウズ警備隊が瘴気を防ぐに留め、一気に森を焼き払ってしまわなかった理由がそれだ。この国にあるものは全て、ミリオンクラウズ公国のものである。

 それを一介の隊員による一存で処分するわけにはいかない。

 抑えながら、魔女達は聡慧の魔女ライザを待つ。彼女が導いてくれるはずだと信じて。

 ライザならば必ず、最適解を与えてくれるのだから。


 ***


 森の中にあった可愛らしい家は、見る影もなかった。

 周囲にあった畑は荒れ果て、飼っていた鶏などの死体が地面に転がっている。そこから蛆が湧き出し、さらに不衛生な状態を作り出しては毒のガスが噴出していた。

 毒に侵され死んだ生物からは、体内に蓄積されたガスが毒を帯び、それが体外へ噴き出して瘴気となる。

 蔓延していく毒は、周囲を腐敗させ、腐敗したところからまた毒の瘴気を……。

 毒疫の魔女メランコリンの毒は、そうやって地上を穢していく災厄級の特性を持っていた。


「あぁ……、世界が……。あんなに綺麗だった景色が……、どんどん穢れて行く……」


 家の中、二人で過ごしたリビングでメリィは涙をぽたりと落とし呟いた。

 その腕に抱かれているヴァルゴは静かに眠る。

 膝枕をするように、メリィはヴァルゴのたてがみを愛しそうに撫でつけながら、またそのふわふわとしたたてがみに顔をうずめた。


「ごめんなさい……、ヴァルゴさん……。ごめん……っ」


 嗚咽しながら謝り続けるメリィは、冷たくなったヴァルゴを再びぎゅっと抱きしめ肩を震わせる。


「こんなはずじゃ、なかったんです……っ」


 愛していた。

 確かに二人は、心の底から愛し合っていた。

 それを確かめ合うように、きっと大丈夫だと……。

 平気だと信じてキスをした。


 しかし二人は、それでも一線を越えなかった。

 メリィは求めた。ヴァルゴも心の底では求めていた。

 決してライザの言葉に従ったわけではない。

 獣人と人間が交わればどうなるのか。

 それが頭をよぎったから、互いの身体を求めなかったわけじゃない。


「あなたはいつも正しいわ……。でも……」


 あの時――、クラウズキャニオンにあった横穴の中で愛する者の肌を求めたメリィに、ヴァルゴはそっと優しく引き離し、こう告げた。


『メリィ、交わるだけが愛ではない……』


 ヴァルゴはメリィのことを愛しそうに、目一杯の愛情を込めて優しく頭を撫でた。

 大きな手に包まれながら、メリィはなぜと訊ねる。

 うっとりとした、熱を帯びた眼差しでヴァルゴを見つめた。


『俺は君のことを心から愛している。だから俺は、君と一生を添い遂げたいと思っているんだ。危険を伴うより、俺は』


 ヴァルゴの言葉を思い出しながら、メリィは泣きじゃくる子供のように駄々をこねる。


「最期まで……っ、共に在りたいって……言ったのに……っ!」


 それが叶えられることはなかった。

 お互いに愛を誓い合い、添い遂げようと――死ぬまで一緒にいようと交わした約束。

 それが果たされることはなかった。


 メリィもヴァルゴも、気付けなかった。

 彼女がもたらした毒が粛々とヴァルゴの身体を侵食していた事実。

 毒は彼の体内に蓄積し、ゆっくりと時間をかけて蝕んでいたことを。


 やがて溜め込まれた毒がヴァルゴの中で暴れ始める。

 最後に直接注ぎ込まれたメリィの毒により、爆発的に成長を遂げて、命を奪った。


 何が起きたのかわからないメリィは、ただヴァルゴが静かに息を引き取ったようにしか見えない。

 色々なことが起き過ぎて、その疲労で気絶するように眠りに落ちてしまったのかと思う程……、穏やかな死だった。

 直後、肉体の腐敗が進んでから気付く。

 じゅくじゅくと肉が溶け出し、地面に染み込んでいった。

 メリィは恐怖するより、愛する者を失った悲しみの方が勝り絶叫する。


 どうやって帰って来たのか覚えていない。

 嘆き悲しみ、混乱し、彷徨うように帰路に就いたメリィの腕には、しっかりとヴァルゴを抱きしめていた。


 メリィを取り巻く瘴気の渦が、夜に溶けて不可視とする。

 それが二人の逃亡者の行方を、ミリオンクラウズ警備隊の魔女達は全く捉えることが出来なかった。

 深い絶望と喪失感は、メリィから疲労感を奪う。あれだけ体力に自信のなかったメリィは、一晩かけずに森へと戻っていたのだ。


 歌を口ずさむ。

 幼い頃によくメリィの母親が歌ってくれた子守唄。

 静かで心地の良いメロディは眠気を誘う。

 今のメリィはまるで抜け殻のように、ただ茫然と歌を歌いながら赤ん坊をあやすような仕草で、腕に抱いたヴァルゴをゆらゆらと揺らしていた。


 遠くから轟音が響き渡る。

 窓の外を一瞥すると、外は真っ赤になっていた。

 まるで秋の夕暮れのような紅だ。

 何かが燃え落ちる音も聞こえて来た。

 だんだんと温かくなってきたのは、外が炎に包まれているせいだと、やがて気付く。


 それでもメリィは愛しそうにヴァルゴを離すことなく、子守唄は鼻歌となり、たてがみに頬を摺り寄せて瞳を閉じた。

 ゆっくりとした時間が流れているような感覚でいると、突然ドアが吹き飛ぶ。

 見るとそこには片足を上げたまま、何か文句を言いたそうにしている顔をした魔女が立っていた。


「ここかぁ? 物騒なもの撒き散らしてる元凶は?」


 銀色の髪に長い三つ編み、その瞳は炎の如く真っ赤に燃えているようだった。


「エーテル、火炎魔法で燃やすのは毒疫に侵された動植物のみにしてください」

「わかってるよ、ライザ」


 メリィが長年住み続けた森を、毒疫によりすっかり魔の森と化した場所を焼き払っていたのは、劫火の魔女エーテルによる火炎魔法だった。

 エーテルの後からは、水のヴェールで包まれたような形でライザを含む三人の魔女が続いている。

 一人は万が一ライザが毒疫に侵されても即刻処置出来るよう、浄化の魔女マルタが付き添っていた。そしてもう一人の魔女はメリィも知らない魔女だ。


「ライザ様……、私の毒疫で穢してしまいます……」

「大丈夫ですよ。その対策として、水の精霊アクアの力を借りることが出来る魔女を連れてきましたから」


 多くを説明されなくとも、見知らぬその魔女が精霊の力を行使してライザ達の周囲に水の守りを作ったのだと理解出来た。

 そんな危険を冒してまで、ここまで来る必要があるのかとメリィは思った。

 てっきりこのまま劫火の魔女エーテルの火炎魔法で、メリィもろとも焼き尽くしてしまうものかと思っていたから。

 ライザは家の出入り口付近で足を止め、それからメリィの様子を見て表情を曇らせた。

 毒疫を放出し続ける彼女の腕の中で、静かに目を閉じているヴァルゴにどうしても視線が釘付けになってしまう。

 エーテルもマルタも、その光景を目の当たりにして表情を歪めた。凄惨な光景を見せられているような、その状況を作り上げた毒疫の魔女に対して憎悪と畏怖を含ませたような顔だ。


「ライザ様……。ヴァルゴさんを治療出来る魔女の方は、おられますか?」

「……メリィ、残念ですが。ヴァルゴ殿はもう、亡くなられています。わかっているでしょう?」


 もちろんそんなことはわかっていた。

 ヴァルゴをその腕に抱いて、彼がすっかり冷たく固まってしまっていること位。

 それでも自分以外の誰かに証明して欲しかった。

 彼はまだ助かると、希望を与えて欲しかった。

 それでもメリィは諦めず、ライザに泣き縋る。


「お願い、します……。それなら蘇生を……っ! まだ今なら間に合うはずなんです……っ! お願いしますライザ様っ! ヴァルゴさんを生き返らせてください……っ!」


 懇願するメリィの姿に、ライザ以外の魔女達は目を逸らしていた。

 きっと勝手我が儘を言う自分の厚かましさに呆れているんだろうと、救いようのない愚か者として見ているんだろうと。メリィはそう思っていた。そしてそう思われても仕方ないと受け入れていた。

 更にメリィが乞おうとするも、それを遮るようにライザが現実を口にした。

 はっきりとした口調で、メリィに真実を突き付ける。


「聞いてください、メリィ。私の知る限り……、全ての生物において『頭部のみ』残した状態で生存出来るものなんて、……この世に存在しません」


 沈黙が訪れた。

 小屋の外でごうごうと音を立てて、木々が燃えている。

 メリィはぎゅっと、抱きしめているヴァルゴを更に強く抱きしめた。

 彼はここにちゃんといるのだと、確かめるように。


「メリィ、クラウズキャニオンで身を隠していたことは知っています。あなたの痕跡は瘴気となって、点々とここまで残っていましたから」

「……ちがう」

「あなたの倍以上ある身体で、倍以上の重さがあるヴァルゴ殿を……あなた一人でどうやってここまで運べるのですか」

「ちがう……っ」

「肉体が毒と瘴気で腐敗し朽ち果て、首だけになったヴァルゴ殿をあなたがここまで運んできた」

「いやっ、聞きたくない……っ!」

「しっかりとその目でご覧なさい。首だけになっても、それでもまるであなたを憂うように穏やかな表情で逝った、ヴァルゴ殿の顔を」

「やあああああっ!」


 メリィの心は、完全に壊れた。壊れていた。

 激しく絶叫するメリィから紫煙のように毒を含んだ瘴気が噴き出していく。

 それはライザ達を襲うというより、今まで抑え込んできたものが一気に溢れ出したといった風に、爆発的に広がっていった。

 小屋の中を満たし、それが更に窓やドアから勢いよく飛散する。

 かろうじて水の精霊による結界で守られていたライザ達であるが、火炎魔法を使う為に水の結界で守られていなかったエーテルは自身の炎で瘴気を防いだ。


「バカ! このバカ! 暴走しちゃったら、もう……やるしかないじゃないっ!」


 エーテルは魔力を解放し、炎の精霊イグニスを召喚する。

 水の精霊アクアによる水の結界まで炎で蒸発してしまわないよう、より魔力を強めながら後退を促した。


「ライザ様、水と火は相克関係です。結界がある内に早く避難を……っ!」


 隣国の王子ヴァルゴを死なせてしまっただけでなく、自国の民でもあるメランコリンすら救うことが適わなかったライザは残念そうな表情を浮かべ、従うしかなかった。

 それでも最期まで見届けようと、その視線はずっとメリィを見つめ続ける。目に焼き付けなくては、この悲劇が繰り返されないように。

 手を差し伸べるどころか、何の解決策も見出せなかった自分の無知さを恥じるように。


「悪いね、メランコリン! 出来るだけ早く終わらせてあげるっ!」


 暴走しながら、頭部だけのヴァルゴを両手でしっかりと抱きしめながらメリィは、目の前にある巨大な炎の塊を受け入れた。

 火は毒を浄化すると、何かの本で読んだことがある。

 この炎で自分が浄化されれば、もう毒のことで悩み続けることはなくなるのだと信じた。

 多くの命を奪った自分に最も相応しい最期なのだと、メリィは清めの炎に焼かれることを拒むことはなかった。

 それでもヴァルゴを手放さなかったのは、せめてこの後すぐに彼の元へ追い付けるようにしたかったから。


 死んだ後、天国と地獄があるのだとしたら自分は間違いなく地獄で、最後まで愚かな自分を愛してくれたヴァルゴは天国に行くのだろうと思う。

 でもせめて天国と地獄の分かれ目の間だけでもいい。

 メリィはその刹那まで、ヴァルゴと共に在りたかった。


 劫火の魔女エーテルは、せめてもの慈悲として二人を瞬間的に灰とする。

 小屋すら消し炭になるほどに、一瞬にしてエーテルが立っている場所にあったものは全て炭化して、巻き起こる風に煽られ吹き飛んでいく。


 後に何も残ることなく。

 ただひとつ――。

 獣人国の王子ヴァルゴと、毒疫の魔女メランコリンに対する複雑な感情だけが……。

 二人に関わった魔女達の心に深く突き刺さったまま、後味悪く終わりを告げることとなった。

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