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氷の魔女は愛さない  作者: 遠堂 沙弥
獣人国の王子と毒疫の魔女
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69 『逃亡』

 ヴァルゴはメリィを取り囲む魔女達を注視した。

 警備隊に配属される程の実力がある魔女だからこそ、誰一人として油断してはならない精鋭であることは自明の理。


 現状わかっている限り、危険度が高いと思われる魔女がまず一人。

 他の魔女の中で最もメリィに近い位置にいる、幽閉の魔女パラリス。

 ストレートロングの銀髪が、顔半分を覆っていて片目しかわからない。眠そうな赤い瞳がメリィをずっと捉えている。

 そして手に持っている小瓶。ラガサがその小瓶を受け取り、名前を呼ばれた途端に一瞬にして小瓶に吸い込まれてしまったことを思い出す。

 どんな魔法で、どんな仕組みなのかまでは不明だ。パラリス自身による使用許可制なのか、それとも小瓶自体がマジックアイテムとしての役割があって、誰にでも扱えるようになっているのか。

 ともかくパラリスが持っている小瓶にだけ注意するのは危険だと判断する。もしかしたらあらゆる事態に対応するよう、全員が小瓶を所持している可能性も否定できない。


 あとはメリィを取り囲む魔女達……。

 完全に能力不明なので、ある意味パラリス以上に危険度は高い。

 ヴァルゴが近寄った際にほぼ全員が杖を構えたところから察するに、杖から発動される魔法だと予想はされる。これらの行動から、恐らく攻撃タイプの魔法を扱うのだろう。

 それが地水火風といった属性の魔法を操るものなのか、それ以外なのか。今ここで想定したところで無意味だろう。


 ヴァルゴの背後にある休憩所から出て来たライザ、ラガサ。そしてライザに付き従うマルタ。ラガサの能力はすでに二度ほど経験しているので、要注意人物であることに変わりはない。だがなぜかヴァルゴの本能が、ラガサのことはそこまで警戒する必要がないと判断していた。

 メリィの心に突き動かされたヴァルゴは、今や全神経が研ぎ澄まされている。だからこの本能による判断は信用出来ると、なぜだかそう思えた。


「グオオオオオ!」


 ヴァルゴは猛った。

 ビリビリと空気が振動する。突然の咆哮に魔女達は驚き、体勢を崩しながら両手で両耳を押さえた。咄嗟の行動だったので、杖を素早くしまう魔女とそのまま地面に落としてまで両耳を塞ぐ魔女とで分かれる。


「御仁! 一体、何を……っ!?」

「猛獣が吠える声……っ、怖い……っ」


 猫科といえど、肉食獣だ。

 巨躯に加え迫力あるその咆哮は、人間の中にある恐怖心を存分に煽った。人間にとって肉食獣は、本能的に恐れる存在。全身に、体内にまで響くほどの猛り声は魔女達を恐怖と混乱に陥れる。

 メリィもまた耳を塞いでいたが、魔女達とは違い恐怖の色は見られない。ただ、疑問に思うだけだった。メリィはヴァルゴの優しさを知っている。どんなに恐ろしい咆哮を上げようと、ヴァルゴが残忍な行動をするはずがないという確信があった。


「ヴァルゴ、さん……?」

「メリィ! こっちへ来い!」


 そう叫んで手を差し出す。

 ヴァルゴの大きな手の平には、大きな肉球が見える。普通の猫の肉球ならば、触れれば非常に柔らかい。以前に一度だけ、メリィはヴァルゴの肉球を触らせてもらったことがあった。

 その時の感触としては、無骨なヴァルゴの肉球はメリィが思っていたより硬くてガサついていた。

 そんなことを思い出しながら、メリィは戸惑いつつも無意識的に駆け寄っていた。

 覚悟は決めていたはずなのに。

 このままお別れなのだと、自分はもう決して森から出ることはないのだと思っていたのに。

 森へ戻るつもりでいたのに、メリィの足は、意識は、ヴァルゴへと向かっていた。


「させないっ! メラン……」

「カァッカァッ!」

「なっ!? カ……、カラスっ!? どうしてこんなに!?」


 気付けば上空にはおぞましい量のカラスが飛び回り、その内の数匹が真っ先にパラリスを攻撃してきた。

 カラスは本来、魔女が使役する動物の代表例とされる。そのカラスが一斉に魔女に襲い掛かる光景は、後にも先にもこの時くらいだろう。それ程にカラスは魔女に対して忠実だったはずなのだ。魔女達の恐怖心は最高点に達そうとしていた。


「カラス達よ、そのまま魔女達を足止めしてくれ!」

「こいつ……っ!? まさかさっきの咆哮は、カラスに命令を出す為の……っ!?」

「やああっ! 痛い痛い! つつかないでよ! やめて!」

「やめなさいっ! やめ……っ!」

「もうダメっ、こんなの無理だわっ!」


 そう叫んだ魔女の一人がカラスに襲われながら杖の先端を上空に向けて、魔法を放った。

 杖から炎が伸びていく。まるで炎を纏った蛇が出て来たように、うねりながら上空を飛び回り、カラスを次々と焼き殺していった。


「フレア! こっちもお願いっ!」

「ごめん無理っ! 私のフレイムスネークはそこまで精度が高くないっ!」


 フレアと呼ばれた魔女は、パラリスを襲うカラスだけをピンポイントで攻撃することは出来ないようだ。ただ暴れるように上空を飛び回る炎の蛇は、カラスがいなくなってもまだうねうねと獲物を求めるようにさまよっていた。

 フレアが言うように、上空に大量にいたカラスは始末出来た様子だが、未だに魔女達それぞれを攻撃しているカラスだけは放置されている。

 各自、邪魔なカラスをどうにかしようと魔法を繰り出そうとする中――メリィの手はしっかりとヴァルゴを掴んでいた。

 そのまましっかりとメリィを抱きしめるヴァルゴ。メリィもまた自分の感情が溢れているせいか、いつもなら自ら相手に触れようとしないのに……両手でヴァルゴを包もうとする。腹部がたくましく分厚いので、背中まで回すことは不可能だった。

 それでもしがみつくように、もう離すまいとするように、メリィは切実にヴァルゴに抱きついた。


「メリィ、ほんのわずかでいい。……毒を放て」

「……っ!? そんなこと私……、出来ませんっ」

「いや、出来る。魔女の魔法は心身に大きく左右されると聞いたことがある。現にメリィと共に暮らしている動植物達に、毒の影響が与えられていないじゃないか」

「でもそれは、ライザ様の研究のおかげなだけです。ロバやニワトリ位なら、私程度の管理で何とかなっただけで……」

「それは毒疫を抑えることに集中したからだろう。それをほんのわずかでいいんだ。今度はほんの少しだけ、放出するイメージをしてみよう。魔法とはイメージだ」

「イメージ……」


 思えば突然現れた毒疫の特性によって、メリィは地獄のような経験をさせられた。

 自分は殺戮兵器なのだと思い込む程に心が病んだ。自分に近付く者は、触れる者は全て毒に侵されると信じ込んだ。

 そのせいか……、自分自身に死のイメージを常に持っていた。


 森に引きこもることで人間との接触を断ち、心穏やかに暮らしていく内に毒疫の効果が薄まっていることに、メリィは目を逸らしていた。

 期待してはいけないと自分を律したからだ。

 そんなはずはないと、この毒疫をコントロールする術はないのだと諦めようとしていた。

 それでもライザの助言によって、魔力のコントロールの訓練をするにはした。どうあがいてもメリィが生きていくには、毒疫を抑える必要があったから。


 気分が沈み、不安と恐怖で心が闇に落ちることで、毒疫の効果は最大限発揮される。

 ある日、特性が現れた日のことを夢に見た時……。自責の念に苛まれ最悪の気分でいた時に、メリィの周囲に自生していた植物が次々と枯れ果てたことがあった。

 そんなことがあったから、さすがに生きているもの全てを死に絶えさせる程の毒疫は、メリィが生きていく上で大きな障害にしかならないと、改めて自覚させられたことがある。


 それでもメリィは自分の意思で、毒疫を自在にコントロールしようとはしなかった。

 抑える面では必要性があったので、それに関しては訓練することで多少は抑えられるようになりはした。

 しかし毒疫を発生させるとなると、それは過去のトラウマを呼び起こすようなものだった。


 ――怖い。


 そのせいで、ここにいる魔女が全員死んでしまったら?

 すぐ目の前でライザ様が一部始終を見ている。

 今度こそ情状酌量の余地はない。


 自分の力が恐ろしい。


「メリィ! 俺が付いている! 一緒に逃げよう!」

「……逃げる」


 このままここにいても、森に帰るだけ。

 ヴァルゴから引き離されるだけ。

 そんなのは、嫌――!


 メリィはウィンプルを取って、長い銀髪の三つ編みと素顔が晒された。

 実際どんな風に毒を放ったらいいのかわからないが、それはヴァルゴの言うイメージとやらを試してみた。

 口に手を当て、キスを投げるような仕草で。

 まるで煙草の煙を吹き出すように、ふぅっと息を吹きかけた。

 イメージとしては、吹き出した息が標的に向かって行くような、追尾するような感じを思い描く。

 すると口から吹き付けた息が、キラキラとした紫色の煙となって飛んでいく様子を目視出来た。

 毒疫を視覚化出来たのはこれが初めてだった。驚いたメリィは咄嗟にヴァルゴを見て、頬を赤らめ戸惑った。戸惑いながら、その表情の奥には喜びのようなものがわずかに浮かんでいる。


「私……、自分で……っ!」

「上出来だ」


 メリィの毒疫が辺り一面に広がっていく。

 視覚化された毒疫は、メリィだけではなく他の者にも見えているようだ。悲鳴を上げながら、ある者は走って逃げまどい、またある者は空飛ぶホウキを取り出して上空に逃げようとしている。

 そしてまたある者は杖を突き付けて、魔法によって毒疫を蹴散らそうとしていた。


「一陣の風よ! 巻き起これ!」


 轟音と共に風が吹き荒れ、広場の真ん中にまるで小さな竜巻が現れたように、砂埃が風によって舞い上がる。

 視界すら遮られ、もはや広場は混乱状態となっていた。


「ライザ様、中へ!」


 マルタは半ば強引にライザの腕を掴んで、無理やり屋内へ避難させた。ラガサは全てを見ていたにも関わらず、ヴァルゴの直感通りに邪魔をすることが一切なかった。

 砂嵐の中で、ヴァルゴがメリィを抱き抱えて跳躍しながら去っていく姿が見えた。目に砂が入りそうだったので、手の隙間からその光景を目にしたラガサはなぜだか心がスッとするような感覚になる。


「良かったですね、メリィ」


 まるで別れの言葉のように、ラガサは静かに微笑むとライザの後に続いた。

 ラガサが見せた笑顔……。

 それは嗜虐性に満ちた歪んだ笑みではなく、どこかラガサの中にあるわずかな優しさが表れたような、そんな柔らかい微笑みだった。


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