9 鎧の巨牛②
丘を2つ越え、3つ目の丘の頂上にて、ケイズたちは眼下に草を食む魔獣を視界におさめた。見た目は牛だが、とにかく大きい。一見して魔獣と分かる。
体の上半分を覆う、青色の甲殻が陽光を弾く。ケイズの身長が5メイル(160センチ)ほどとして高さは3倍、幅は2倍くらいはありそうだ。目を引くのが頭の黒い双角、緩やかに婉曲し鋭い。貫かれればひとたまりもないだろう。
「青鎧牛っていう上級魔獣だな」
ケイズは図鑑で見た知識を引っ張り出した。
「あまり、こういう街道で見かける魔獣じゃないんだけどな」
魔獣は強さに応じて上級、中級、下級に区分されていた。
上級魔獣は数こそ多くないものの、個別の戦闘力が高い。弱いものでも100人からの兵士が討伐に必要とされていた。また、上級魔獣の中でも特に強いものもいる。
ただ、滅多に人里近くには現れない。人の住む土地には魔素が少ないからだ。
「強い?」
短くリアが尋ねる。視線は青鎧牛に釘付けだが、怯えている様子もない。興味津々という表情である。
「まぁ、普通、二人で戦っていい相手じゃないな」
ケイズは言いながらすたすたと歩みを再開する。
青鎧牛は縄張りがとにかく広いという。見かける頻度は少ないものの、街道を縄張りに含んでいても、なんら不思議ではない。
「ただの牛にしか見えないけど」
リアの言葉にケイズは苦笑する。
「そう見えるんなら、リアはやっぱりすごく強いと思う。こういう機会で、実力を発揮して、自信を取り戻して、元気になってくれるといいな」
心の底からケイズは告げる。
倒すつもりである。討伐隊も最寄りの街で編成されているのだろうが、ケイズとしては青鎧牛の角が欲しい。せっかく出会えたなら逃したくはない獲物だ。
青鎧牛自体は初めて目にしたが、一般的にもっと強いとされる魔獣を単独で倒してきた。いざとなれば自分一人でも倒せると思う。
「とりあえず、少し引きつけておいてくれるか?仕留めるのは俺がやる」
ケイズは青鎧牛を油断なく注視している。
重量級の体に踏まれれば潰れるのは間違いない。相手が何であれ巨獣に油断など一番してはならないことだ。
「いいよ」
リアの瞳と髪が淡い碧色の光を放つ。婚約破棄の時よりも随分薄い。人を圧するほどの魔力を常時、発するものではなく、戦闘に応じ引き出す力を使い分けているのだろう。
(俺も同じだからな)
ケイズも杖を抜く。背中に二本の杖を常備しているので、自分も『双角』などとあだ名されている。妙な親近感を青鎧牛に抱いた。
リアが魔力を発したことで青鎧牛も自分たちに気づいた。顔を上げて自分らを睨みつけてくる。
「まだ、何もしてないのに、生意気」
リアが庇う様に前に立つ。
肌のひりつくような感覚。
(たまらないな、この感覚)
自然と口角が上がる。自分は本能的に戦うことが好きなのだろう。リアも似たようなところがあるのだろうか。今の位置関係では表情を見ることは出来ない。
青鎧牛が大きな口を開けて吠えた。耳を圧するほどの咆哮だ。大抵の相手であれば恐怖で竦ませて動きを封じる効果がある。
咆哮で敵の動きを封じ、動けなくなった相手を角と重量で潰して倒す、というのが青鎧牛を上級たらしめている、単純にして強力な戦法だった。気持ちを奮い立たせて攻撃しても甲殻に通常の攻撃は弾かれてしまう。
ただし、自分より強い相手には咆哮の効果は薄い。
リアの口が動いたように見えた。咆哮のせいで聞こえなかったが、『うるさい』と呟いたようだ。
弾かれたようにリアの体が左斜めに動く。
青鎧牛が突進を始めるより早い。気勢を削がれた相手が一瞬、自分とリアとを見比べる。
更にリアが左へ大きく飛び退いて距離を取った。
(いい動きだ)
ケイズは感心しつつ、右に動いた。青鎧牛のように突進してくるのが分かりきっている相手には正面に回らないのが鉄則だ。
最初の位置から青鎧牛は動けずにいる。
リアが右手を振るう。生じた碧色の風が衝撃波となって青鎧牛を直撃した。並の相手ならひっくり返るか吹っ飛ぶかしている攻撃だが、極度に重たい青鎧牛には効果が薄いようだ。
怒った青鎧牛がリアの方を向こうとした。縦への動きは速いのだろうが、その場で回る横向けの動きは随分と遅い。
対してリアは舌打ちしながら、更に左へ逸れる。ひっくり返してそれで勝負を決めようとしたらしい。
(間違っちゃいない。確かにあの重量ならひっくり返せば、勝負がほぼ決まる)
ケイズは冷静にリアと青鎧牛の動きを見ていた。
また、青鎧牛が相手を見失った格好だ。苛立ったのか頭を上に向けて咆哮をあげた。
自分は完全に青鎧牛の死角、真後ろに立っている。魔力を練り込んだ、それなりに強力な一撃でないと仕留められない。
殺気を感じたのか、今度は青鎧牛が重たい動きでケイズの方へと向き直った。無駄な動きだ。リアならリア、自分なら自分、と相手を決めたなら倒し切る気で行かないとこの牛に勝機はない。
完全に相手を翻弄できている。ケイズはにやりと笑みを浮かべる。
青鎧牛ごしに、リアの周りで碧色の風が渦を巻く。そして右手を振るう。
今度は巨大な竜巻が走り出そうとした青鎧牛を囲んだ。
竜巻きといってもただの風、強靭な青鎧牛にはわずかな時間稼ぎにしかならない。
(だが、それで十分だ)
ケイズは存分の魔力を以て、地面に杖を打ちつけた。
巨大な石の針が真下から、青鎧牛を腹から貫く。巨体が持ち上がり、四足が宙に浮くほどの一撃だ。確認するまでもなく絶命しているだろう。だらりと力なく四本の足が垂れている。
「すごい威力」
リアがケイズの横に立って言う。激しく動き続けていた印象だが、息一つ切らしていない。
「私の攻撃、効かなかった」
真面目くさった顔でリアが言う。由々しき事態だ、と言わんばかりの表情である。
「そんなことない、いい動きだった」
手放しでケイズは褒めた。最初からケイズが仕留めると決めていたから、お互いにそのつもりで動いていただけだ。
短い戦いだったから、リアも実力の全てを出しきってはいない。だが、動きのキレは常人離れしていたし、撹乱としては申し分なかった。
「あの針は、蜂さんの?」
リアが照れくさそうに頬を赤らめて話題を変えた。
(あ、照れて話題変えてる、ほんと可愛いな)
ケイズは存分にリアの表情を堪能してから口を開く。
「無意識に蜂っぽさが出たにせよ、実のところは師匠の猿真似。魔術師でいうところのアーススパイクって魔術に近いように思う。俺は地針って呼んでる」
戦法自体は魔術師であるキバから学んでいるので、自分の戦い方は魔術師に近い。
先程の戦闘でも、二人とも精霊を直接顕現させることはなかった。精霊術師にとって、精霊はあくまで魔力を術に変換してくれる存在でしかない。
(実際あの局面で、砂の蜂と風の虎に襲われても、青鎧牛は困りもしなかったろうな)
ただ、術や技を使い、形とするにはイメージをしっかり持つことが大事なので、自らに取り憑いた精霊に近いもののほうが扱いやすい傾向にはあった。
「すごい攻撃だった。でも、ケイズ一人でも余裕だった?」
リアが、顔を覗き込んできた。不安そうだ。まだたったの一戦なので自信を取り戻すには至らないようだ。
「一人で相手を引きつけて、魔力を練り上げてあれだけの一撃を撃つのが大変なのは、リアも分かるだろ?リアがいてくれて良かったよ」
リアの頭を撫で撫でしながらケイズは告げた。
どちらかというと、兵士に戦い方を叩き込まれたリアは前衛寄りの戦い方をするようだ。魔術師もどきの自分とは戦闘面でも相性が良いように思えた。
「普通はこの牛、強いの?」
改めてリアが尋ねる。あっさり倒せた、という感覚があるからだろう。
やはりリアは強過ぎる。ケイズは苦笑してしまう。
「この辺の野原で出くわす中じゃ一番強い。甲殻のせいで生半可な攻撃は通らないからな。うるさい咆哮で弱い人じゃ動くことも出来なくなる」
答えてもピンときた様子のまるでない、無邪気なリアなのであった。