8 鎧の巨牛①
ナドランド王国の王都ニーデルと東部の街ダイドラとは太い街道で繋がっている。途中枝分かれしているが、都度案内が出ている。ニーデルに近いあたりはまだ石畳で舗装されており歩きやすい。
ケイズはリアと連れ立って街道を歩いていた。周囲に他の旅行者はいない。2人とも歩くのが異様に速いため、途中で商人の集団を何度も追い抜いた。
「疲れてないか?」
ケイズは立ち止まり振り向いて、後ろを歩くリアに尋ねた。相変わらず隣を歩こうとしないことに若干の不満を抱く。自分は常にリアを見ていたいのだ。
「平気」
ダイドラを出てから既に3日が経過している。つまり3日間は2人で一緒に過ごした、ということだ。
(途中の街で寄って、デートでもしていれば。でも、ニーデルから距離をとりあえず稼がないと、奴等がリアの魅力に時間差で気づくかもしれない)
まだ懐かれていないように感じられてケイズは葛藤する。
追手はかかっていないし、他国の密偵などが尾行している気配も感じない。だから恋愛に集中しても良い気もするが、いろいろ後悔をしたくない気持ちが先に立つ。
(我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢)
内心で何度も自分に言い聞かせている。
戦闘で不覚を取って、リアが怪我したり連れ戻されたりしては元も子もない。
結果、日中は歩き通して、夜は野宿、という旅行になっている。
戦闘になったときのことを考えざるを得ない状況が、自分とリアの仲の進展を大きく阻害していると思えた。
「どうしたの?全然平気だよ」
いつの間にかリアが顔を近づけていた。くりっとした瞳で自分を見上げている。
「そ、そうか」
近すぎる。
我に返ったケイズは後退ってしまう。距離を縮めたいのに自分から距離を取ってしまった格好だ。
「ほんとに平気。お屋敷にいたころ、野営の訓練もみっちり受けてるから」
すごいんだか悲しいんだか分からないことをリアが言っている。
実際にリアはずっと涼しい顔をしているので、確かに疲労はないのだろう。常に可愛い顔で、もの珍しげにキョロキョロしている印象だ。
(あぁ、可愛い。本当に可愛い。でも我慢。本当に我慢)
今までのところは大過なく旅程をこなせてはいる。ただ、ニーデルから離れて東に進むに連れて別の問題に見舞われるようになる。
「ケイズ、この先に何かいる?」
更にしばらく進むとリアが声をかけてきた。街を出た当初、とてもぎこちない『さん』付けで呼ばれたのですぐに止めさせた。
「ちょっと分かんないな。確認してみよう」
ケイズが目を凝らしても、見える範囲には人間も他の生き物もいない。随分と先の地点の話をしているようだ。いつも背中に差している2本の杖のうち1本を抜いて、地面をつつく。地面に魔力を浸透させる。
それでもすぐには分からない。目を瞑ってしばらく集中する。
(どんだけ先の話をしてるんだよ、この娘は)
丘3つほど先で重たい足取りを感知した。
「魔獣だな。かなり大きい」
ナドランド東部には魔獣が多い。
リアの母国ホクレンでは軍隊がすぐに駆除してしまうので、リアは存在を感知しても魔獣を連想できなかったようだ。
ナドランド含む他国では、そうもいかず、冒険者などが駆除に当たっている。人里や街道沿いで遭遇することも珍しくない。
「魔獣って何?」
案の定、リアから質問が返ってきた。
「その土地の魔力、魔素で変異した獣」
辞書を読んで覚えた知識をそのままリアに披露した。
「ケイズは物知りだね」
リアが素直に感心して頷いている。
地面から伝わってくる振動が重い。
ケイズは眉を顰めた。
(でかいなぁ)
戦ってもいいし、避けてもいい。大きい魔獣はただ大きいというだけでも脅威だ。
今なら周辺に人がいないので多少派手に戦っても問題はないように思えた。何より今後、戦闘において連携することを考えれば一度は2人で手強そうな魔物と戦っておきたい。
(理屈はそうなんだけど)
はぁ、とケイズは大きなため息をつく。
「まったく、俺はただリアと楽しく旅行がしたいだけなのに」
ボソリとケイズは呟いた。楽しく語らいながらダイドラまで行くのはさぞや楽しかろうと最初は思っていたのだ。
「かわいそう」
リアが労るように言葉をかけてくれる。抱きしめたくなったが堪えた。まだ多分早い気がする。恋愛には段階があるのだ。師匠からの教えは胸に刻まれている。
「ありがとう」
抱き締める代わりに礼を言うと、リアがきょとんとした顔で見返してくる。
「ケイズ、何か勘違いしてる。魔獣が、かわいそう」
リアが予想の斜め上を行く意見を告げる。正直、言っている意味がよく分からない。
「え、なんで?俺じゃなくて?」
リアの言葉にケイズは思わず訊き返してしまう。自分より魔獣が可哀想になるという論理的な流れがまるで分からない。
「だって、別に変わりたくて変わったんじゃないんでしょ?」
リアは自分の説明を聞いて、獣にとって魔素の影響で魔獣に変容することは不本意なものだったのだろう、と類推したようだ。
「滅法強くなってるし、野生の中じゃ食える獲物も強くなった分、増えるわけだから、むしろ幸せなんじゃないか」
ケイズはケイズで自分なりの解釈を告げてみた。
もっと違う話題で親しくなりたいのだが、リアにとっては興味深いことなのかもしれない。ただ、訊き返されると結論は出なかったようで、顔を上げた。
「そっか。じゃあ、この先にいる大きいの、やっつける?」
リアは表情を変えずに言った。とりあえず自分たちがどう行動するかが問題だ、という結論に至ったようだ。
ケイズはまだ詳細なリアの実力を知らない。先日、錬成していた魔力からして強いとは思う。身のこなしにも隙がない。ただ、どういう戦い方をするかが詳しくは分からなかった。
「ちなみになんで魔獣の存在が分かって、しかも大きさまで分かるんだ?まだ俺、言ってないよな?」
自分の索敵範囲並に広い範囲を探れるのだろうか。
しかし、リアが魔力で何かをしている様子は無かった。
「うん、なんとなく」
リアがあっけらかんと答える。説明が足りないと自分でも思ったのか、慌てた様子で口を開く。
「なんとなく、昔から強い人とか近づいてくると分かるの」
ケイズは素直に感心した。要するにただ直感が鋭いということだ。
今後も似たようなことがあるかもしれない。当てに出来るようなら心強いことだ。
「なるほど、じゃあ、二人で気をつけてれば誰かに不意打ちをされる心配もないな」
ケイズは意識的に微笑んで告げる。良いことは良い、とはっきり言ってあげることが信頼関係の醸成に繋がるからだ。良い関係を作りたいならまずは自分がそういう方向で動かねばならない。
「うん」
ケイズの言葉にリアが嬉しそうに微笑んだ。屈託のない笑顔が眩しい。
(これはこれでアリかもしれない)
「じゃあ、やっつけにいくか」
ケイズはリアに告げて魔獣のいる方へと足を向けた。




