14 いわれなき糾弾〜ヒエドラン王子の来訪③
「ケイズとは、私が一緒にいるの。ヒエドラン殿下の勝手な都合で連れて行かないで」
リアの握りしめた拳が震えている。相当、気持ちが昂ぶっているのか、髪と瞳が淡い碧色の光を放つ。心なしか無風のはずの土壁の中にあって風も生じているようだ。
「勝手なのはどっちよ!こっちの苦労も知らないで。あなたがケイズさんをたぶらかしたせいで、ヒエドラン殿下には夜眠る時間もないのよ?」
今度はイレーネと呼ばれていた水色の髪をした女まで怒鳴り始める。度胸はあるようだ。ただの貴族令嬢でありながら、リアに気圧されていない。
「そんなの知らないっ。ケイズは自分で決めて、私をここに連れてきてくれた。それで、善意でランドーラ地方を守ってあげてるんだから。文句言われる筋合いない!」
リアがイレーネにも噛み付いた。おそらく散々ひどいことを言ってきた人間の一人なのだろう。どれだけ強くても言葉の暴力、心への暴力は止められない。かつてのリアにとっては、体への暴力以上に、ひどいことを言われることのほうが怖かったはずだ。
「分かった。ケイズ、リアラ・クンリーも一緒で構わない。ニーデルに戻ってほしい。我が国は四方を他国に囲まれている。ランドーラ地方だけを守っていればいいものではない」
ヒエドランがリアを睨みつけながらも、感情を抑えるかのよう、冷静な口調で提案してきた。
今までの経緯を思えば、ケイズから見ても驚くほどの譲歩だと感じられる。サナスやイレーネすら驚いた顔をするほどだ。
(アリかもしれない。ここでヒエドランと揉めてでもダイドラで暮らそうとして、かえって下らない妨害をされるくらいなら)
しっかり公的な身分を得てしまったほうが楽かもしれない、という見方はあった。ケイズとしてはリアと幸せに暮らせればどこでも良いのである。ただ、ここまで全て整えて良い人間関係を構築できた、ダイドラより幸せになれる場所が他にあるだろうか。
(それに、心配なのはまたナドランド王国の貴族社会に戻してもリアは平気か、だいぶ辛いんじゃ)
ケイズは悩み始めてしまう。
「違うよ。ケイズは私とここで暮らしてるから、ホクレン軍と戦ってあげたんだよ。ナドランド王国のことなんて知らない」
リアがツンとそっぽを向いて言った。
ケイズは思わず吹き出してしまう。リアの言うとおりであり、迷うまでもなかった。確かにナドランド王国の都合など知ったことではない。
「貴様っ」
ヒエドランが憎々しげにリアを睨みつける。
「リアの言うとおり、たまたま、俺とリアはランドーラ地方に暮らしているから、ホクレン軍の撃退に力を貸しただけだ。しかもこのやり取りを見て、リアもニーデルに連れていけるとでも?」
自分の態度を少しは省みろということだ。
ケイズは訊き返し、更に続けた。
「別に他所の国へ行って、そこを守ったって良いんだ。ホクレンでもシュバルトでもイェレスでも。せめてランドーラ地方にいて、ここを守るって言ってるだけマシなんだなと思ってもらいたい」
話しているのはケイズなのに、ヒエドランが睨みつけているのはリアである。
ただし、リアももう負けてはいない。碧色に光る瞳でヒエドランの視線を受け止めて睨み返している。
「貴様、リアラ・クンリーめ。ここまでケイズをたぶらかすとは」
また、あらぬ言いがかりをリアにぶつけている。
本当にこの王子は死にたいのだろうか。
「そんなの、さっきも言ったけど。私達の知ったことじゃないよ。私は好きでケイズと一緒にいるけど、たぶらかしてなんかない。言いがかり」
リアが即座に言い返す。さりげなく、とても嬉しいことを言われた気もする。ただ浮かれていて良い場面ではない。
「国防で苦労してるのは、あんたがリアの価値に気付かずに、ホクレンを敵に回したからだろ?リアのせいじゃないのに、リアのせいにするなよ。俺はあんたと違ってリアの魅力にずっと昔から気付いていたから一緒にいるだけだ。ほんと、言いがかりは止めろ」
ケイズもヒエドランたちを睨みつけて告げる。
「き、貴様ら」
ヒエドランが端正な顔を歪めて歯ぎしりをする。
リアとホクレン憎しで歪んだ人間性をあらわしているかのようだ。他にどれだけ優れた点があっても相容れない。
「でも、もう良いよ」
不意にリアがニッコリと笑った。
「は?」
ケイズ含めて、場にいる全員の思考を凍りつかせる一言だった。
「言いがかりは腹立つけど、許してあげる。私もケイズと同じぐらい強いから、このランドーラ地方ぐらいなら守ってあげるよ」
リアの言葉にはケイズの思考も追いつけない。
「は?な?」
ヒエドランも同様らしく、戸惑ってしまい、憎まれ口すら叩けずにいる。
「でも、そっちの勝手な都合で、ニーデルに来い、とかそんなのはヤダよ。そしたらこんな国、出ちゃうから」
リアの小さな身体から、強烈な殺気が噴き出してくる。
更に碧色の風が渦を巻き、風の虎となった。婚約破棄されたときの光景をケイズは思い出す。ケイズ以外の全員がジリジリと後ずさる。
「分かってると思うけど。私とケイズがその気になったら、ここにいる人、みんな簡単に殺せるんだから。それで、ヒエドラン殿下は怖くて私のこと、いぢめたんでしょ?」
リアがヒエドランを睨みつける。もうかつての言いなりの弱々しい心のリアはいないのだと、ヒエドランも思い知ったようだ。口をパクパクさせて何も言えずにいる。
「でも、それももう、許してあげるから。その代わり、ここで私とケイズが楽しく暮らすの、許して欲しいな」
噴き出す殺気とは裏腹に、リアの笑顔はどこまでも可愛らしい。
少しはリアとの婚約破棄を、ヒエドランは後悔しているだろうか。こんなにもリアは魅力的なのだ。
「わ、分かった」
ヒエドランが土壁に背中をぶつけてそのまま寄り掛かった。
「殿下」
サナスや護衛たちですら、リアの殺気に当てられて動けない中、イレーネだけが震えながらもヒエドランに寄り添おうとする。
ヒエドランが優しくイレーネを押し退けて庇うように立ち上がった。
(そもそもおかしなこと連発してるのはそっちなんだけどな)
ケイズは白けきった眼差しを、ヒエドランとイレーネの茶番劇に向けた。
「ランドーラ地方を宜しく頼む」
かすれた声でヒエドランが言った。
言質を取ったリアがくるりと回ってケイズの方を向く。
「ケイズ、良かったね。殿下がここで仲良く暮らしていいって」
リアの肩が微かに震えているのをケイズは見逃さない。本当に嬉しいのならばいつものようにクルクルと回り続けるはずだ。
本当はかなり緊張しているのだろう。
「ああ、ありがとな。俺も腹立って、何しでかすか分からなくなってたから。ヒエドラン王子殿下を殺さずに済んで助かったよ」
ケイズは言い、土壁を解除した。周りには野次馬がたくさん立っている。大半は冒険者でケイズとリア、むしろ主としてリアを心配していたようだ。
分厚い防音土壁のおかげで、やり取りは一切聞こえなかったようだが。
「では、話しはよく分かりましたので、お帰りください」
ケイズはリアとともに、ふらつきながら馬車に乗り込むヒエドランを見送った。最後まで華奢なイレーネが甲斐甲斐しく仕えていたのが印象に残る。
「ふぅ、怖くて緊張した」
ヒエドランの乗り込んだ馬車が見えなくなると、リアがほぅっと肩の力を抜いて言う。ふにゃりとケイズにもたれかかってくる。
公衆の面前での幸せご褒美だ。むしろ頑張ったのはリアの方なのだが。偉い偉いとケイズはリアの頭を撫でてやる。
ふと心配そうな顔で駆け寄ってくるフィオナの姿が目に入る。
(はぁ、ヒエドラン王子がダイドラにいることを認めてくれても。フィオナが認めてくれないと同棲までは出来ないんだよなぁ)
ケイズにはさらなる大きな目標があるのであった。




