4 戦いの前②
「んーん」
リアが首を横に振った。
「ケイズに美味しいもの、いっぱい食べてもらう。最近、元気ないし。いつも小麦の塊しか食べてないの知ってるから」
ケイズは食べる手を止めた。自分を思いやってくれたことが素直に嬉しい。今、自分は耳まで真っ赤だろう。
鍋がぐつぐつと煮える音が響く。
「リアの方こそ、ホクレン軍のことを聞かされてから元気ないぞ」
もらったお肉をリアの小皿に移した。行儀が悪い気もする。ただ、リア本人の言ったのと全く同じ理由で、自分もリアにたらふく食べてほしいと思った。
リアがじぃっとお肉を見つめる。なにか迷うような顔だ。少し考えてから箸でお肉を掴んで口に入れる。
「うん。私の国が、せっかく好きになってきたダイドラの町に攻めてきたらどうしようって」
リアがお肉をモグモグ食べてから言う。やはり腹の割った話を2人きりでしたくて食事に誘ってくれたのだった。
「ゴブセンとジエンエントの2城がある。あの2つの城を攻め落とさないと、ダイドラは攻められない」
ケイズは頭の中で改めて、ランドーラ地方全域の地図を思い浮かべて告げる。
北にある2城の兵力を残してそのままダイドラ攻めに入れば、確実に背後を突かれる形となってしまう。そういう愚をホクレンの軍人が犯すことはないだろう。
「バンリュウ将軍はとっても強いの。私達よりも、もしかしたら。あまり国外の軍と戦ってないから実力を広く知られてないけど。ナドランド王国には強い人、いないよ」
リアが不安そうに俯く。
確かにリアの言うとおりバンリュウという将軍の名前はあまり印象にない。ホクレン出身でよく知っているからこその不安だろう。
「俺がいる」
本来、強さを誇示するのは無意味で情けないことだ。師匠のキバからの教えである。今、ケイズはリアを安心させたい一心で言った。
「ケイズは軍の人じゃないでしょ」
リアが指摘する。不安が心配に変わった。微妙な違いだが、はっきりとケイズには察せられる。
気付いているのだろうか。リアと一緒にいたくて、ランドーラ地方を守る、という密約をナドランド王国としていることを。
「そうだな。でも、この間の飛竜みたいなこともあるから」
自分から打ち明けられるようなことではない。リアのことだから一緒に戦うと言い出しかねなかった。
魔獣を倒すのと、戦場で他人の命を奪うのは似ているようで全く別のことだ。リアを巻き込みたくない。
「私ね」
リアが切り出した。
「色んな人にケイズは嫌われてるけどね。私には優しいし、すごく大事にしてくれる。仲も良いんだって思う」
リアが鍋の中を箸で突きながら言う。
「だから、私にとってもケイズは大事だから。私、ケイズに無理してほしくない」
明確にすべてを知られているわけがない。
それでもリアなりに察して、心配してくれているのだった。
思うと、ケイズの胸にもぐっと来るものがある。
「分かってる。無理なことは何もしないから大丈夫だよ」
ケイズは安心させるように微笑んでリアに告げた。
リアも少しほっとしたようで力なく微笑む。まだ、何か懸念があるのかとケイズも気になってしまう。
「でも、私、フィオナやレガート、ジードとかダイドラに住んでる仲の良いみんなにも危ない目にあって欲しくない」
しょんぼりとリアが言う。幸せであればあるほど失うのが怖くなるのは誰でも同じことだ。
「その時はまた、俺たちでダイドラを守ろう」
実際、ダイドラが戦場になればどうなるかは分からない。頭で分かってはいても、リアには力強く約束しようとしてしまうのだった。
「うん」
リアがこくんとうなずいた。
ケイズとリアは残っている食材を残さず食べきり、さらに少し休んでから支払いに向かう。食べすぎてすぐには動けない、という経験をケイズは久しぶりにした。
「いや、リアちゃんからお代なんてもらえんよ!いつも素材を無料でもらっているというのに!今までで幾ら分になると思っているんだい?」
店主のタズムが額から汗を飛ばして首を全力で横に振る。
(それは俺も知りたい。一体、リアはどれだけのことを)
ケイズもつい興味深くなって困り顔のリアを眺めてしまう。
「え、困る。だって、おいしかったよ?いっぱい食べたし、ズルはだめ」
リアにとって美味しいものを食べておきながら、支払いを免除されることはズルとなるらしい。
ケイズもケイズで、支払いの免除は困るのであった。
「リアとの初めての夕飯デート。かっこよく男の俺が支払いたいんだけど」
一緒に女性と食事をした場合、男が払うべし、というのも師匠キバの教えだ。時と状況によっては惚れ直してもらえることすらあるという。惚れ直してもらえる好機を逃すわけにはいかない。
結局、ケイズとリアから二人がかりで言われて、タズムが不承不承、ケイズから代金を受け取った。ケイズの『リアじゃなくて俺なら良いでしょ』が決め手である。正直、滅多にできない出費ではあったのだが。
すっかり暗くなったダイドラの夜道、ケイズはリアを冒険者ギルドのダイドラ支部にまで送り届ける。まだ、飲み歩いている冒険者や商人があちこちで見られる時間帯だ。酔っぱらいも多い。
リアぐらいの実力であれば、絡まれても危険はないのだが。家まで送り届けないとケイズが安心できない。
さすがにもう、リアとフィオナが暮らしているのは冒険者ギルド職員の女子寮なのだろう、とケイズも気付いてしまっていた。
「ケイズ、ありがと。少し元気出た」
リアがはにかむように微笑んで告げた。
「俺もだよ、また明日」
手を振ってケイズは、ギルド支部内に入っていくリアの小さな背中を見送った。
(さて)
ケイズは自宅へと向かう。まだ、会わなくてはいけない相手がいる。
果たして、家の前にはナドランド王国外相のサナス伯爵が立っている。前回の華美なものではなく、今日は夜の闇に溶けるような黒いローブという出で立ちだ。お忍びということなのだろう。
「私の使者、気づいた上で、無視された、と」
サナスがうらめしげに言う。
「リアから夕飯に誘われたんだ。行かないわけがない」
ケイズは正面からサナスを見据えて告げる。
「まぁ、そのおかげで国防に協力してもらえているわけだから、文句も言えんな」
ため息をつくサナスを、ケイズは家に招き入れた。居間のソファに向かい合って座る。
「来た理由は分かっているかもしれんが、ホクレン軍5万がここランドーラ地方を攻める」
サナスが切り出した。バンリュウの名前はまだ出てこない。
「知っている。バンリュウって将軍の指揮でかなり手強いと」
ケイズの言葉にサナスが眉を吊り上げた。なぜ知っているのかと言いたげな顔だ。訊かれたところで、ケイズには誰からどういう情報を得たのか明かすつもりはなかった。
「それなのに、ヒエドラン王子は狙いがランドーラ地方ならばケイズに任せておけばいい、との一点張りだ」
サナスが気まずそうに言う。
本来、まだヒエドラン王子の上にはナドランドの現国王がいるのだが。いよいよ代替わりにし、実権をもたせようということだ。ヒエドラン王子の考えが国政に反映されるようになってきている。
ただ、本来、部下でもない自分に国防を丸投げするなど、非常識の極みだ。
「俺にも事情があるから、やれるだけはやる。そこまでは約束できるが、相手がホクレンの正規軍なら不測の事態だってありえる」
軍を相手に1人で渡り合えるものではない。老師キバとてあくまで軍に付属して戦っていたものだ。




