46 飛竜襲来①
夕方になってもケイズは部屋のベッドに寝そべっていた。自己暗示がうまくいかず、何度言い聞かせても心のどこかで自分が悪いと思ってしまう。
冒険者ギルドからの使者を追い返して、既に数時間が経過している。誰も、以降訪ねてくる者はいない。無駄だ、とフィオナあたりには分かっているのだろう。
「ケーイーズッ!」
日も暮れて、よりによって、やってきたのはリアだった。
今の情けない姿を見せたくない。相当ウジウジしていると客観視できるくらいには冷静なつもりだ。
ケイズは居留守を使うことにした。
「ケイズッ!」
鋭く叫び、リアがノックしてくる。
なぜ住所が分かるのか。まだ招き入れたことはないのでフィオナの差金だと分かる。冒険者登録したときの資料をリアにも見せたのだろう。
「むぅ、おかしいな。なんで居るのに出てこないんだろ?」
相変わらず恐ろしい直感を持っている。リアの中ではケイズの在宅は確定事項のようだ。
問題は直感が正確であるということだった。実際にケイズは今、家の中にいるのだから。
「仕方ない。出てこないケイズが悪い」
リアが結論に至ったようだ。
嫌な予感がする。
ケイズは杖を掴んで立ち上がる。
玄関の扉がリアに叩き壊された。廊下を戸板が横切っていく。
ケイズはすかさず杖で床を突き、土の壁で玄関を塞いだ。
「やっぱりケイズ、お家にいる。ダメだよ、一人で全部知らんぷりなんて」
土の壁まではリアも壊そうとしない。壁の向こうから語りかけてくる。
何と言っていいかも分からない。土の壁を維持したまま、ケイズは黙り続けている。
「一角竜の角、折られちゃったから。飛竜がいっぱい襲ってくるって。隣のシュバルトって国の差し金だって、ステラが言ってる。放っておいたらダイドラの町、ひどいことになるよって」
リアが状況を説明してくれる。どうやらステラがドーン・レフツの神殿からダイドラの町に来たようだ。
「俺とリアには関係ないだろ。リアだって首を突っ込むことはない」
言ってすぐにケイズは後悔した。
今、この土壁の向こうで、リアがどういう表情で、自分の情けなくて身勝手な言葉を受け止めたのか、つい考えてしまう。悲しんでいないだろうか。ケイズに失望しているかもしれない。
(あぁ、情けない)
ますますケイズは落ち込んでしまう。
それでもリアからの返事はない。ただ黙って待っていてくれているようだ。その気になればリアなら風で壊せるのに壊そうともしない。
ケイズ自ら壁を取り払ってくれると信じているから、リアもただ黙っているのだ。
そう思ったら馬鹿馬鹿しくなってきた。
「ごめん」
短く告げて、ケイズは土の壁を崩した。
「いいよ」
リアがにっこり笑って歩み寄る。ぎゅうっと抱きしめてくれた。
「なんか、全部嫌になっちゃってな。俺は悪くないって思わないとやってられなくて」
ケイズはリアの頭頂部に向かって言い訳をした。
リアが上を向いた。自分の顔を正面から見上げてくる格好だ。
「塞ぎの虫」
リアが笑顔のままで言う。
「え?」
端的に言われて、ケイズは訊き返してしまう。
「ずっと、冒険者になってから、小さい失敗続きだから、やんなっちゃうね。私達、強いのにね」
言いながら、リアがどういうつもりなのか、ケイズを寝室に連れて行く。
「慰めてあげる」
ドキッとさせられる一言の衝撃。
気が付くとケイズはリアの太腿を枕にしてベッドに横たわっていた。
「リア、一体、何を」
流石のケイズもあまりのことに赤面してしまう。ただ、嬉しすぎて起き上がるつもりにもなれない。
「父様が落ち込んでると、よく母様がやってた。だから、私もケイズにしてあげるの」
また素敵な笑顔を浮かべてリアが言う。
「膝枕」
優しく、リアの手の平がケイズの頬を撫でてくれる。
義母さんが義父さんに膝枕をしていたのは、夫婦として色々な段階を越えていった後と思うのだが、とりあえず幸せなのでケイズはされるがままになっている。
「ケイズ、関係なくないよ」
リアの声が優しく上から降ってくる。
「この町に私達も住んでて、楽しく暮らしてるんだから」
ケイズからの返事を求めているような語りかけではない。幼子に言い聞かせるかのような話し方だ。ケイズにも自分の思いを共有してもらいたい、というリアの気持ちが伝わってくる。
「レガートいないと、良い武器作ってもらえないよ。フィオナいないと、お仕事もらえないよ。ケイズはつまんなくてもいいの?」
全くもってリアの言うとおりなのだった。先日、似たような理由でランドーラ地方は守ってやると、サナス外相にも啖呵を切ったばかりである。実のところ拗ねてはいても、飛竜を無視するわけにはいかないのだ。
ケイズは目を瞑った。
(あぁ、でも、全く集中できない。リアの太腿柔らかい。快適だ)
自分の魂までふやけきって落ちていくような、堕落の感覚である。幸せになるということは堕落する、ということなのではないかと思ってしまうほどだ。
(さっきとは違う意味で何もしたくない)
目を開くと、リアが真っ赤になって、自分を見下ろしている。膝枕は維持してくれているが、どうやら恥ずかしさの限界を超えたらしい。
「ありがとう、とっても元気出た」
名残惜しさを覚えつつ、ケイズは起き上がった。リアの隣に腰掛ける。
「ケイズ、助平、恥ずかしい」
リアが俯いている。恥じらいで消え入りそうな声で言う。ベッドの上で正座したままである。
「なんで?リアの方から許可してくれた至福の時間だろ」
ケイズは経緯をしっかりと、リアに思い起こさせる。もう二度となし、などという話はゴメンだった。新たなご褒美の選択肢として残してもらわねばならない。
「父様はじっとしてて、母様を困らせなかったのに!ケイズは目つぶってても、ちょっとずつ動いて、くすぐったくて、私、恥ずかしかった」
リアが涙目で訴えてくる。リアとしては誤算が幾つかあったようだ。というよりなぜリアが義父と義母の膝枕やり取りを知っているかも謎である。
一番ステキな場所を探して、無意識で動いてしまった可能性は否定できない。
「まぁ、その辺は許可されたもんがちだよ」
横を向いてケイズは言った。嫌ならば最初から膝枕などという素敵な選択肢を使うべきではなかったのだから。
不承不承という顔でリアが立ち上がった。
ケイズも立ち上がろうとして重大なことに気付く。
「はっ、でもお義母さまがお義父さまにしていたことをしてくれるなんて。これはいよいよ!リアもそういう気持ちになってくれたんだな!」
言いながら立ち上がり玄関まで歩く。冒険者ギルドへ行く気にはなれた。
「だって、あれ、リアからの」
興奮冷めやらず、という状況である。
壊れて戸板のなくなった玄関で、一人はしゃいでいるケイズをリアが追い抜いた。
「ケイズの馬鹿、早く行こ。みんな、待ってるよ」
恥ずかしそうに、怒った顔でリアが言う。
2人で冒険者ギルドのダイドラ支部へと向かう。町は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。魔獣の大量発生や襲撃は時折あることである。人間同士の戦も、だ。そのたびに戦う力のない人は避難所まで行って災難を避けるしかないのだった。
自分とリアが一角竜を倒そうとしたことが原因だ。ケイズもさすがに責任を感じてしまう。
「帰るか」
それでも『閉鎖中』と書かれた看板を見て、ケイズはリアに告げた。リアを呼びにこさせておいて随分ではないかと思う。
「俺はまた膝枕の続きをしてもらうんだ」
期待に満ちた眼差しをケイズはリアに向けた。
対してリアの眼差しは硬く険しいものだ。だいぶ怒っている。
「大変なことになってるから、ギルドはお休みなの。中で大事な作戦会議してるの。私とケイズも会議に出てってフィオナが言ってる」
リアが言い、立て札を除けて冒険者ギルドのドアを開けた。




