2 婚約破棄②
軍事国家ホクレン筆頭将軍の妹リアラ・クンリー宅でのやり取りは続く。
「貴様のような女に私がどれだけ我慢し、耐えてきたことかっ」
激高してヒエドラン王子が怒鳴る。
(我慢してきたのは俺の方だ、馬鹿め)
ケイズはケイズで思うのであった。口に出して注目を集めたくないので心の内の言葉である。
(仕方ないだろ、リアの出身はそういう国なんだから)
リアが精霊術を始めとする戦闘訓練に明け暮れていたのは、彼女の母国である軍事国家ホクレン筆頭将軍の意向だ。あの国は兎にも角にもまず武力なのである。
王妃教育を施したかったナドランド王家の不満はもっともだが、少なくともリア自身を責めるべきことではない。
(まぁ、ナドランドの立場も分からないではないけど)
ただ確かに公的な行事をすっぽかしたのはケイズから見てもまずいのだが。相手もあることなので内内のことではもう済ませられない。
「え、でも、私には何の連絡も」
リアが驚き、縮こまる。もう数カ年に渡って、似たようなことが繰り返されている。連絡を寄越さなかったのは意図的なものだ。リアを王子の婚約者から外すため、王子本人を含む何人もの人物がリアを貶め、陥れてきた。
(あぁ、理不尽な奴らを殺したい。リアのことは助けたい、護ってあげたい。でも、俺も自分の都合で動けない)
ケイズもまた、何年もリアに向けられる悪意を我慢してきた。助けてしまえば王子とくっついてしまうかもしれない。自己都合を優先している自分に疑問を持った時期もある。
(でも、どうしても)
初めて見かけたときのことをケイズは今でも思い出せる。碧色の風を纏って、踊るように戦うリアの姿はいつも美しい。活き活きとしていて、ナドランドの王家ごときに、宮殿の奥で飼い殺されるなどあってはならないと思える程に。
宮廷魔術師として王宮に詰めていた師匠の元で修行をしていると、どうしてもリアを目にしてしまう。他人、ましてや王子の婚約者では手を出すことも簡単ではない。
「黙れ、婚約者としての教育も務めも、蔑ろにするなど言語道断!」
いよいよ王子の物言いが芝居がかってきた。
(正直、早くしてほしい)
ケイズはじっとリアに視線を注ぐ。
「申し訳、ありません」
消え入りそうな声でリアが言う。
しゅんとしている華奢な肩をそっと抱いて、真心と愛情たっぷりの優しい言葉をかけて慰めてあげたい。そんな衝動をケイズはなんとか抑え込む。
「もう遅い。お前との婚約を解消する。これはもう国王陛下まで了承済みの決定事項だ」
はっきりと重々しい口調で王子が言い切った。聞き間違いではない。ケイズが何年もの間、待ちわびてきた言葉を王子が発した。顔に喜色を出さないようケイズは用心する。
この場の勢いで決められる事ではない。リアのことを、王子は理不尽なまでに嫌っているが、馬鹿ではない。既にホクレンにも連絡し、ナドランドの自分の父王や高位高官たちにも根回し済みなのだろう。
「は、破談ってことですか?」
リアが泣きそうな声で言う。母国に見捨てられかねないからだ。王子との結婚に失敗すれば、利用価値はないと判断される。次女であり、家督を継ぐことも出来ない立場なので、国に戻ってもどういう処遇となるのか分からず、不安に思うのも無理はない。
(順当に行けば、ホクレンに帰されるんだろうな。でも将軍家の次女って歴代不遇らしいし、相当肩身が狭いのは間違いない)
ケイズは私的な時間の大半を利用してリアのことを調べ上げてきた。リアの母国ホクレンにも足を運んでいる。好きな女子のことを知ろうとするのは当然と思っていたが、師匠のキバからは理解されるどころか頭を抱えられたものだ。
理由はよく分からない。いい歳をして自分の純愛を目の当たりにし、きっと照れているのだろう、とケイズは勝手に思っていた。
「そうだ、お前などにこの国の王妃は務まらない。考えただけでも反吐が出る。どこへなりとも立ち去るがいい」
いつの間にかヒエドラン王子からの最後通告が告げられている段階だった。
ケイズは喜びすぎて細かいやり取りを聞き逃していた。そんなことよりこれからどうやってこの好機を活かすか、のほうが大事なのだ。
王子たちがぞろぞろと立ち去っていく。もはや誰も、うなだれているリアには目もくれない。貴族の子女であろう、きらびやかな彼女たちの中から、いずれ、リアに代わる国母が選ばれるのだろう。
(まぁ、俺たちには関係ない)
ケイズはリアに視線を送る。
王子はかつて、リアの幼さが残る体型やあどけない顔立ちを毛嫌いしていたが、目鼻立ちは整っており、とても可愛らしい。肌の張りもみずみずしく健康的であり、碌に日にも当たっていない軟弱な貴族令嬢などよりもよほど魅力的だ。
「もったいないのぅ」
一緒に残っていたキバが言葉を発した。大きくため息をつく。
(この色ボケジジイめ)
ケイズは耳を疑った。
ついに年甲斐もなくリアに懸想したのか、とケイズは身構える。
「あの年齢であれほどの魔力濃度で精霊を顕現させるなど、歴代の筆頭将軍にも劣るまい。王家にあれ程の精霊術師の血を入れられるなど僥倖であろうにのぅ、もったいない」
どうやらリアの能力についての話だったらしい。完全にケイズの誤解だった。
(まぁ、紛らわしい言い方をした師匠が悪い)
老師キバは百歳をいくつか超える。長身痩躯の魔術師だ。強力な魔力を持つものの常で、実年齢よりは若々しい。それでもさすがに見た目からして、シワの多い老人なのだが足腰もしっかりしている。
出身国が軍事国家ホクレンであり、筆頭将軍の何代かとも面識があるらしい。
「師匠」
ケイズはリアに視線を向けたまま呼びかけた。
「俺はこの場で独り立ちしたいんですが」
弟子という立場では自由に行動できない。もともと考えていたことではあった。
「構わん」
即答された。
すんなりと許可が出たことに驚き、ケイズは顔を向けた。
感情の読めないいつもどおりの微笑を、キバは浮かべている。
「最早、技も判断力も極めている。そもそも、魔術師の儂がなんで精霊術師の師匠をしていたのやら。今となってはよくわからん」
同じ地属性の技を使うからである。細かいところは違っても魔力を用いて砂や土を操る部分は共通だ。実際、自分の使う技の殆どはキバから伝授されたものである。
「ただ、お主ほど不純な動機で技を極めようとしたものもおらん」
初めてリア関連の事を、師匠に認められたとケイズは感じた。何年も『リアが他人の婚約者』という状況を耐えてきたことを師匠は誰よりも知っている。
(まぁ、いよいよとなれば、一国相手取ってでも略奪するつもりだったけど)
内心不穏なことを思いつつ、ケイズは師匠に頭を下げた。
「ありがとうございます」
心の底からの感謝を込めてケイズは告げる。
「な、なにがじゃ?いや、ほめとらんぞ。なぜリア嬢が絡むとおかしくなるんじゃ」
いつも冷静で泰然としている師匠が身を引くほどに呆れている。この人は、恋は盲目、という言い回しを知らないのだろうか。
(まぁ、そういえばさっき不純とかなんとか言ってたな。俺は昔からリア一筋なのに)
多分、婚約破棄されて即座に次の男として名乗り出てもいないことが、誤解を招いたのだろう。
(昔、男なら惚れた女には全力をもってどうたらこうたらとか師匠、酔っ払って言ってたな、うん)
内心でケイズは勝手に納得し、背中に差していた杖を抜く。
「では、俺のこの力でリアを」
土で包んで動けなくして、目的地まで連れて行く。
「やめんかぁ」
一喝してキバがケイズを制止する。
怒鳴ってもリアは膝を抱え込んだまま動かない。ひどく落ち込んでいる。まだそっとしておいた方がいいかもしれない。
「一晩、儂の酒に付き合え。送別の酒宴じゃ、良いな!」
ナドランドでは十五歳から飲酒ができる。
(まぁ、ホクレンの出方も気になるし。様子見だな)
ケイズは頷き、キバに引きづられるようにして、リアの屋敷を後にした。