17 東の都市ダイドラ④
フィオナが用紙を受け取り、記載した事項に目を通していく。
「えーと、ケイズ・マッグ・ロール君に、リアラ・マッグ・ロールちゃん。兄妹かしら? 」
フィオナがにこにことリアに微笑みかけながら尋ねる。身長差があるのでフィオナの言葉通り、歳の近い兄妹ということで通るだろう。
「違うよ」
しかし、リアがケイズより先に答えてしまう。ケイズには止める間もなかった。
「同い年だよ」
まったく悪気のないリアの顔。ケイズはその頬を思いっきり引っ張ってやりたくなった。
(いや、まだ、何か俺には思いもつかないような話をするのかもしれない)
まだ怒るには早い。ケイズは折檻を思い止まった。
「あら、じゃあ、なんなの?」
フィオナが頬に手を当てて首をこてんと傾げる。
リアが困ったような顔をしてケイズのほうを見てきた。
(ここで困るなよっ!)
ケイズは内心で盛大に突っ込んだ。やはり何も考えてはいなかった。今ほどリアの可愛らしい困り顔に腹の立ったこともない。
「ふ、夫婦、です」
自分でも苦しい回答をケイズはせざるを得なかった。他に姓が同じ関係性をケイズは思いつけない。が、あと数年先ならだまし切るどころか事実にするぐらいの覚悟はあるが、客観的に見てまだ早過ぎる。
「え?」
案の定、年の割に幼い見た目のリアと自分とを見比べてフィオナが驚いている。
さすがのリアも同じ姓を使っているため、何かうまく言わなくてはならないと、今更ながら分かったようだ。あたふたしている。
フィオナの笑顔が固まった。狙いを定めた肉食獣のように、リアを見つめている。
「あなたたち、何歳なのかしら?」
怖い笑顔のままフィオナがリアに尋ねる。
ケイズは代わりに答えようと口を開きかけ、フィオナに睨まれて断念した。
「じゅ、16歳」
リアがケイズのほうを見ながらもしっかりと答えた。
ただ、自分の意向を窺うような素振りを見せていては、いつまでもフィオナの疑念は晴れない。
「リアラちゃん、あら、なんか長いわね。リアちゃんって呼んでいい?」
フィオナが馴れ馴れしくも愛称を指定している。一文字しか変わっていないではないか、とケイズは指摘したかったが到底口を挟める雰囲気ではない。
「うん、いいよ」
素直なリアが頷いてしまう。指摘事項が終わったと思ったようで安心している。
「結婚するってどういうことか分かる?」
一体、リアはフィオナに何歳だと思われてしまったのだろうか。つい先日婚約破棄されたばかりのリアに随分な質問をしてくれている。
リアがしばし黙り込む。律儀に考え込んでいる。
「男の人と一緒に暮らすこと?」
悩んだ末にたどり着いた答えをリアが口にする。あながち間違ってもいないようにケイズには感じられた。
「んーっと、具体的にどういうことするか知ってる?」
フィオナが更に追及する。リアの回答に満足がいかなかったようだ。
(どういう答えを正解だと思って、あんたは質問してるんだよ)
正解のなさそうなフィオナの問い。完全に正解はフィオナ次第だろう。ケイズ自身は、自分の想像した正解に赤面してしまう。
リアがぶんぶん、と首を横に振る。ちょっと泣きそうな顔なのが可哀相だ。
(大丈夫、もう、ここまで来ればリアのせいばかりじゃない)
ケイズは心の内でリアを慰める。最初のきっかけはリアのミスだが、途中からの質問は理不尽だった。
「君っ!」
フィオナが待ってましたとばかりにケイズを睨む。勝ち誇った表情の一つ一つが腹立たしい。
「ダメでしょっ!こんな可愛い子をたぶらかして」
何をどう返そうと、ここに話を帰結させようとしていたのがあからさま過ぎて、ケイズは返答しようという気にもなれなかった。
「私、騙されてないよ。ケイズ、良い人だよ。困ってる時に、手を差し伸べてくれたの。それに、いつも優しいよ」
リアが一生懸命に弁護しようとしてくれている。健気な姿にケイズの胸がいっぱいになった。
自分の気持ちが十全に伝わっていたということで、喜びのあまりその華奢な身体を抱きしめたくなる。
「でもダメよ!一度しちゃった以上、結婚した事実は取り消せないかもしれない。でも、一緒に暮らすのはまだ早すぎるわっ!」
フィオナがバンッと卓を両手で叩いた。なぜかとても興奮している。さすがのリアもどうしていいか分からないようだ。
(あ、なんか結婚はしたことになってる。なんか嬉しい)
それにしても、自分たちの何がフィオナを激昂させたのか。一体話をどういう決着に持っていきたいのか、ケイズにもさっぱり分からなくなった。結婚など嘘だろう、という話かと思っていたのだが、どうも違うらしい。
「俺、まだリアには何も」
反論しようとケイズは口を挟もうとして、フィオナに遮られてしまう。
「まだって何よ!ふしだらねっ!」
フィオナが騒ぐので人目が集まってきた。
「すげーな、あれ、青鎧牛の角か。でも、フィオナちゃんを怒らすなんて」
「青鎧牛を二人で倒したとか化け物かよ」
「フィオナちゃん怒らす奴初めて見た。やべーな」
背後からのひそひそ声が気になってきた。困ったことにフィオナは本来、温厚な人間ということで通っているらしい。ケイズたちがおかしい、ということで定着してしまいそうだった。
「私、ケイズのこと好きだよ。何となくだけど。だから、心配しなくて大丈夫だよ」
リアが頬を赤らめつつ、ケイズをまた弁護しようとしてくれた。
「何となくじゃだめっ!」
一瞬、リアからとても幸せな言葉をもらえたのに即座にフィオナが打ち消してしまった。
さすがにケイズも苛々してきた。何よりリアから自分への愛を一言で却下したのが気に入らない。
「何だってこんな言いがかりばかりつけるんです?百歩譲って俺らがふしだらだとしたって、あんたにはまったく関係ないでしょ」
本当は問答無用で地針でフィオナも宙吊りにしてやりたい。しかし、暴力を用いては、リアまで白い目で見られてダイドラで平穏に暮らせなくなる。
「俺ら、じゃないわよ」
フィオナが『ら』の言葉に力を入れて説明する。
「君がもの知らぬ可憐な少女をたぶらかして、ふしだらな目論見を達成しようとしているのを、ギルドの受付として私は阻止しなくてはならないの」
フィオナが芝居がかった口調で、リアを見て告げる。どうやらフィオナがリアを気に入った、というだけのことのようだ。ひどく理不尽なことのようにケイズには感じられた。
「家一軒、買うだけでも大変だったのに」
思わず呟いてしまう。ギルドに着く前にもリアと言い合いをしたことが若干の鬱憤にもなっていたかもしれない。
いくら惚れているとはいえ、一緒になれるかもわからない女の子のために、10代前半から貯金して家を買ったのだ。しかも何軒も。もっと誠意を認め、熱意を評価してくれてもいいのではないか。
とっさにケイズは思ってしまった。先程、当のリア本人にすら引かれてしまったことも忘れて。
「え、好きな子のために家一軒?その年で?どれだけ変態なの?」
かえってフィオナが、汚らわしいものを見る目を向けてきた。
「ケイズ、駄目だよ。それ」
リアもションボリしている。もう、弁護のしようがないと諦めた顔だ。
風向きが更にケイズにとって不利なものとなってきた。
「やべーやつ、来た」
「腕が立つって言っても、頭のタガが外れてるんじゃな」
「あの小さい嬢ちゃんも可哀想に」
「完全な変態だ」
いつもは気にならない他人の評価が気になってきてしまう。
「どうすれば勘弁してくれますか?」
ケイズは諦めて尋ねた。もう、早く帰ってリアといちゃいちゃしたい。頭にあるのはその一念だけだ。
「リアちゃんは私が預かるから。結婚とか同棲とか、もっといろいろ分かるようになるまでダメよっ!」
しかし、ケイズにとって、フィオナから返ってきた答えは残酷なものだった。
勝手にフィオナがリアの分の書類だけ書き換えている。発言からして、住所地欄だけをフィオナ自身の家に書き換えているのだろう。一応、確認しておこうと覗き込もうとしたところ、魔獣を見るような目で睨まれた。
「一応、住所ぐらいは確認させてください」
仕方なく、ケイズは丁重に頭を下げた。もう、夢にまで見たリアとの同棲生活は難しい。寄る辺のないリアにつけ込んだ自覚もあったから、フィオナに指摘されたことに負い目もあった。無理押しも出来ない。
「ダメよっ!君みたいに、見るからに強そうな精霊術師につきまとわれたら、私じゃリアちゃんを守りきれないわ」
フィオナが、顔を書類に向けたまま言い切る。
平常な状態であれば、なぜまだ明かしてもいないのに精霊術師と知られたのかを追及するところだ。
(だめだ、がっかりしすぎて、なんか気力が)
肩を落とすという体験をケイズは初めてした。
それでも1つだけは絶対に確認しておかなくてはならない。
「リア、フィオナとは初対面だと思うけど、大丈夫か?嫌じゃないか?」
小声でケイズは確認する。何だかんだ言い合おうと最後にはリアの希望どおりにしてあげたい。例えば自分のこともフィオナのことも嫌だと言うなら、宿屋住まいをしばらくしたっていいのだ。
「いいよ。フィオナ、多分、良い人だよ。それにケイズとも初対面なのに、私、ついてきたんだよ?」
リアが微笑んだ。ケイズが散々な言いがかりをつけられたのになぜそうなるのか。
「ガッカリしてるのに、心配してくれてありがとう」
それでもすぐに、無邪気な笑みを向けられてケイズはどきりとしてしまう。
(これは、リアは俺の好意に気付いているんじゃ?気付いてる上でありがとうってことは?)
これはもう、リアにぎゅっとするしかない。
ケイズは思い立ってリアを抱きしめようとした。
しかし、折悪しくフィオナが顔を上げる。
「きゃー、変態よ!」
絹を裂くような叫び声とともに、ケイズは、待ってましたとばかりに控えていた冒険者達に、リアから引き剥がされてしまうのだった。




