SIDE⑦エリス〜ダイドラの危機⑧
前衛職のうちステラ始め盾や鎧の防御がしっかりした者たちが少しずつ距離を詰めていく。ステラが周りに声をかけているのも見えた。
(でも、大きさが違い過ぎる、あんなの尻尾だけでも)
遠目に安全な距離から見てエリスは思う。
皆の負う怪我が自分に治せるもので済んでくれるだろうか、とも。
「何もさせなければ、同じことだ。みんな、始めようか」
レザンがエリスの思考を読んだかのように言う。
杖を掲げるレザンに向けて、20名の魔術師たちが一斉に詠唱を開始する。連結式の合体魔法、いつ見ても壮観だ。
悍ましいほどの魔力が付近の空気を満たす。
エリス自身が分与して魔力と、更に魔術師の各員から引き摺り出した潜在能力とによるものだ。
あまりの力強さに、距離があるにも関わらず、クロナガスダイルがこちらに気付く。
「おおっ!」
剣で盾を叩き、前衛職たちがクロナガスダイルの気を引く。
魔獣特有の赤い巨大な瞳がステラたち前衛職の一団を捉えた。
「ゴオオオオッ」
咆哮をあげ、クロナガスダイルが恐ろしい速度で這い寄ってくる。
ステラ達も圧倒されたかのように退がってきた。
勢いに任せて、クロナガスダイルが迫ってくる。遠目でも鱗の模様まではっきりと見て取れるほどの大きさだ。
(まだなの?まだ)
どこまで引きつけようというのか。立ち竦みエリスは巨体に半ば恐怖しつつ、ただ見つめていた。
轟音とともにクロナガスダイルの身体が傾く。
落とし穴だ。なんとなく全身を落とすのかと、エリスは思い込んでいたのだが。足の一本だけでも落とせば十分なのであった。
(やった!これで!)
エリスは詰めていた息をそろそろと吐き出した。
泥濘の中、穴にはまった足を抜こうと藻掻くクロナガスダイル。
既に術式は完成している。
レザンの杖が示す先には巨大な赤い魔法陣が浮かんでいた。
「よしっ、いけぇっ!」
いつになく大声を張り上げて、術式の主導権を握っていたレザンが魔力を解放した。
巨大な炎の鳥が頭上の空を覆う。
そのまま炎が過り、クロナガスダイルの巨体をすら、周辺の木々もろともに飲み込んだ。
「やった!」
しばし炎の中でのたうち回っていた巨大な影。やがて、クロナガスダイルが動かなくなったのを見て、エリスは喜びの声を上げる。
周囲の魔術師たちも飛び上がって歓声をあげていた。
(この私が強化した、しかも合体式の魔術だもの。当然の結果だわ)
エリスは無意識に誇らしくなって胸を張った。自分一人の力ではない。それでも嬉しいのだった。
「いや、これは」
水を差すように、呆然としてレザンが声を漏らした。かすれ声だ。
すぐに皆がその意味を知ることとなる。
炎が消えた。
「うそっ、そんな」
エリスも我が目を疑った。
クロナガスダイルの巨体。漆黒の鱗がさらに焦げ付いてボロボロと剥がれ落ちている。
「生きてる、そんな」
だが、誰かの言う通り、未だに生きて動いているクロナガスダイルの姿をエリスも視認した。
辺りを魔力の代わりに、絶望的なうめき声が満たす。
「どうすりゃいいんだ、あんなのを食らっても、動いてるだなんて」
魔術師の誰かがこぼした。
気持ちはエリスにもよく分かる。
一撃で仕留める作戦だった。消耗戦をあの巨体相手にやって勝てるのか。犠牲はどれだけ出るのか。
白い光の線が過る。ジードの魔力矢だ。鱗のない生身に突き立つも当然、致命傷とはならない。
(効かない、でも)
少なくともジードは諦めていない。エリスは気力が湧いてくるのを感じた。
「鱗を落とした、すごく、弱らせてる。あと少しです!」
エリスも声を上げた。何でもいい、誰でもいいから攻撃するのだ。
「危ないっ!」
前のめりになりかけたところ、ステラの鋭い一声が皆を止める。
クロナガスダイルの鼻先、黒かと見まごうような濃青色の魔法陣が浮かぶ。
「マジックシールド!」
とっさにエリスは反応して杖を掲げる。不可視の障壁に魔法陣から生じた水流が激突した。
「ぐっ、うぅっ」
重たくてエリスは苦悶の声をあげる。
水流の幅も何もかもが小柄な自分より遥かに莫大なのだ。
それでも皆を守らなくてはならない。エリスはひたすら魔力を放出し続ける。
(だめっ、重たいっ)
膝を折りそうになったエリス。攻撃どころの話ではない。他の皆も自分の後ろで萎縮している。レザンですら有効な手段を思いつけないのだ。
「あっ」
不意に攻撃が止んだ。
良い話ではない。仕切り直しだ、とばかりにさらに巨大な魔法陣がクロナガスダイルの鼻先に生じる。完全にエリスが障害なのだ、と見て取って距離も詰めてくる。
(終わるの?ここで?こんなところで?)
魔力を使い果たして気力も折られた魔術師たちが1人、また1人と膝を折ってへたり込む。仲間の体たらくがエリスを絶望させた。
「だめ、そんな」
迫りくる巨体にいちかばちか数人の剣士が斬りかかろうとする。身体の大きさが違いすぎるのだ。時間稼ぎにもならずに踏み潰されるだろう。
ステラだけがエリスの護衛であることを忘れず駆け寄ろうとしていた。
「あっ」
エリスは声を上げた。
光が3つ、視界をよぎって行ったからだ。
そのままクロナガスダイルの巨体に吸い込まれる。
思った時には光の大きさからは想像も出来ないほどの大爆発が視界を圧した。
「グオオッ!」
激痛でのた打ち回るクロナガスダイル。
(誰っ!何っ!?)
混乱してエリスも辺りを見回す。自分の知る限り、単独で強烈な魔力攻撃を放てるのはケイズとリアぐらいなのだ。
「エリスさんっ!」
まったく聞き覚えのない声だ。
ぜえぜえと息を乱しながら金髪の魔術師と思しきローブ姿の男性が駆け寄ってきた。
エリスは少し記憶を辿って、ノレドという男だと思い出す。ケイズの足枷としてつけたはずの人物だ。大して強くない。そう、思っていた。
「間に合って良かった。町で聞いて、慌てて駆けてきたんですよ」
息を整えると微笑みを浮かべてノレドが言う。
ケイズやリアはどうしたのだ。一緒に連れてきてくれたのではないのか。
エリスとしては問い詰めたいところ、機先を制される。
「俺がトドメを刺します。魔力強化をかけてください」
ノレドが背筋を伸ばし、攻撃を受けて動けなくなったクロナガスダイルに目を向けたまま告げる。
先の一撃もノレドが撃ったものなのか。弱っていたとはいえ激烈な破壊力であり、有効だった。
「はい」
何か気圧されるような気分にもなって、エリスは素直な返事をした。
(この人に賭けるしかない)
杖を掲げて、エリスはノレドに白い魔力を注ぎ込む。
なけなしの魔力を自身の身体から全て引き摺り出した。
(もうだめ、今度こそ、空っぽ)
すべてを使い果たして、とうとうエリスも杖に縋りつくようにへたり込む。
「すげえ、力が漲ってくる」
対するノレドが自身の両手のひらを見て、勝手に感動している。そう言えば魔術師のはずだが、杖はどうしたのか。なぜ持っていないのだろうか。
答えはすぐにわかった。
ノレドが無詠唱で巨大な赤・黄、緑の魔力球を中空に浮かべる。手から発した魔力を球状にして中空に留めているのだ。
(すごい魔力密度と精度。きっちり均等な配分だわ)
エリスはへたり込んだまま感心する。それぞれ炎、雷、風の三属性、クロナガスダイルの弱点だ。
「いけっ!」
ノレドが鋭い声を発する。
3つの光球が入り混じって飛ぶ。
そして、クロナガスダイルの頭部を直撃した。
大爆発とともにクロナガスダイルの頭部が消し飛んだ。
(やった!今度こそっ!)
頭部を失ったクロナガスダイルの亡骸が横倒しになるのを見て、今度こそエリスは安堵し、駆け寄るステラを迎えるのであった。




