SIDE① リア 独りぼっち
リアラ・クンリーは軍事国家ホクレン筆頭将軍の次女として生まれた。将軍家では代々、長男が家督を継ぎ、長女が地元で信仰されている水神の神殿の巫女となる。次男以下も軍に入って兵士となれるので家に貢献できるが、次女では軍にも入れない。
ホクレン将軍家の歴史上、次女以下の女児で幸せになれた者は一人もいないと言われるほどに不遇な身分だった。他国へ嫁いでも、そのままその国へ攻め込んでは、死なせてしまうことも度々あったという。
ただ、リア本人にはそういう印象はない。父母も長兄も姉も優しかった。可愛がってもらった記憶がある。長兄が家督を継いでからも、わざわざリアに嫁ぎ先を見つけてきてくれたほどだ。婚約が決まってからはナドランド王国向けへの軍備も縮小したという。
辛かったのはナドランド王国の王子ヒエドランと婚約し、同国の首都ニーデルで暮らすようになってからだ。十歳になった春からのことだった。父母も話をまとめてきた兄も喜んでいて、あの時はこんなことになるなんて思わなかった。
来る日も来る日も異国の地で戦い方と精霊術、魔眼の3つを併用した戦い方を叩き込まれた。一国の王妃となる以上、相応しい武技を身につけなくてはならないという。訓練をつけてくれたのは筆頭将軍の親衛隊中隊長だ。
「リア様は素晴らしい能力をお持ちだ」
手放しで褒めてくれたのは、その親衛隊中隊長ラッシャ・マカントという名前の小柄な青年だった。
ホクレンに百人しかいない親衛隊の、さらに十人しかいない中隊長は精鋭中の精鋭とされていた。
王子やナドランドの人間に、侍女だと思われていた女性も実は元軍人だった。日常的に暗殺に用心し、撃退する訓練は彼女たちから学んだ。
「リア様は素晴らしい直感をお持ちです。攻撃や気配の感知など教えても出来ることじゃないのに」
やはり小柄な若い女性のエイナが感動していたものだ。
戦闘訓練は全く辛くなかった。体にはキツかったが。いつも傷だらけで疲れていて、毎晩泥のように眠った。后教育やマナーなど習う余力は体のどこにもなかったのだ。
問題は訓練してもらい、習得したことが何の役にも立たなかった、ということだ。
取り憑いた精霊の影響なのか、楽しくなるとリアはついつい踊りたくなる衝動に駆られる。型にはまった貴族のダンスとも違う。その場限りの舞踊、とでも言うべきものだ。
「貴様、何をやっている!」
王城のお庭が綺麗なので浮かれて、風を纏いながらくるくる回っていたら、とても綺麗な少年に怒鳴られてしまう。あとでこの少年が自分の婚約者ヒエドランだと伝えられた。忌まわしいものを見る目を生まれて初めて向けられたものだ。
それからも茶会やパーティーなどの公式行事では、ヒエドラン王子に怒られてばかりだった。マナーや作法など全く分からない。尋ねてみようにも口を利くこともマナーに抵触するらしく、声を発した段階で怒られた。
「貴様は王族に嫁ぐというのに満足にマナーも理解できないのか!なんの教育を受けてきたのだ!」
人々が見ている前で怒鳴られて、惨めな思いで下を向いているしかなかった。
「王族とか貴族とか分かんない」
あのときのことを思い出して、リアは自分の膝に顔を埋めて呟く。
初めてマカントに勝ったのは、14歳の時でとても嬉しかった。その翌日には公爵令嬢から招かれたお茶会で恥をかいて嘲笑されたのだが。飲んではいけないタイミングで口をつけたり、音を立てたりしたのが良くなかったらしい。後で王子に言いつけられて酷く怒られたものだ。
「おかしいですね、王妃としては破格の武技をお持ちなのに。王子殿下には何かお考えがあるのでしようか」
あまりに苦しくて、出来ない自分を嫌悪して相談すると、マカントが首を傾げていた。
「あれだ、あえて苦手な部門で厳しくして、王妃としての自覚を持ってほしいということではないですか?」
しばらく考えてから、ポン、とマカントが手を打って納得していた。
このとき、マカントが本国に大変困っている旨の相談は一応してくれたらしい。しかし、兄からは強ければ間違いないから鍛錬を怠るな、という軍令が届いたという。
何が悪いのか分からないまま、リアはさらに鍛錬を重ねた。風の虎も思うまま動かせる。精霊はそのまま使役するよりも、精霊の現す身体の部分をイメージして、色々な技を使うほうが強い。リアはこれも難なく出来た。
(でもしくじった)
強くなっていくのと反比例して、ヒエドラン王子の覚えはどんどん悪くなっていった。
馬鹿にされて、罵倒された。自分以外の貴族令嬢とばかり一緒にいて、自分には見せないような素敵な笑顔を彼女らには向けていた。
嫉妬もできなかった。
(別に好きなわけではなかったから)
最初から一貫して怒鳴られていて好きになれるわけもない。結局、自分も軍令だから王子と結婚しようとしていただけで。
「今だって、私、失恋じゃなくて、失敗したって思ってる」
呟いて自嘲する。
全部が軍令だった。
そして今は独りぼっちで、自室の隅でうずくまっている。惨めな気持ちでいっぱいだ。
「軍令ですので」
申し訳無さそうに告げて、マカントもエイナもホクレンに帰ってしまった。自分だけを残して。
「兄様の考えが分かんない」
リアは呟く。
婚約破棄から撤収までの流れが早すぎる。ヒエドラン王子が、だいぶ以前からホクレン本国へも根回しをしていたのだと思う。屋敷にいた皆への軍令も数日前には発出されていないと時期が合わない。
一人、置き去りにされた理由は、兄の不興を買ったからとしか思えなかった。
(これは罰、結婚しろって命じたのにしくじって破談された私への)
皆が退去すると、お昼すぎくらいには、屋敷の各所から争闘の気配が伝わってきた。戦おうとも逃げようとも思わない。むしろ、今いる連中だけなら1人で殲滅する力くらいは持っている。
(でも、それでどうするの?行きたい場所もないのに)
うずくまったまま思う。
政治的価値を失っても、自分にはまだ精霊術師としての価値があるのだろう。魔術研究の盛んな国にとっては、精霊術の研究に使える存在だった。
いくら自分でも一国と戦い続ける力はない。今は打ち払えてもいつかは捕獲される。ましてやここは他国なのだから。誰も助けてくれない。
夕方近くなると、争闘の気配も消えた。最後に残った気配が近づいてくる。
リアの暮らす屋敷は軍営としての機能を持っていて、複雑な造りの上、場所によっては罠まで仕掛られている。その人物は迷うことなく近づいてきた。
とっても強い人だ、とリアは思った。意外だったのは入ってきたのが自分と同い年くらいの少年だったこと。まして一人だった、ということ。茶色いローブに身を包んでいて、髪と目も茶色い。
自分を見る目は優しくて、攫いに来た、とは到底思えない。
「私、ここにいるのもダメですか?」
尋ねたのは、もうこの屋敷も自分のものではない、と思い至ったからだ。攫われるのではなくて、追い出される可能性も高い、と思った。
しかし、ケイズと名乗った少年が口にしたのは誘い文句だった。
ただのお節介だと言った。落ち込んでいるのは間違いないことで、慰めるのでもなく、次にすることを提示してくれたことが嬉しかった。
(独りぼっちが嫌だ)
結局、婚約破棄されてから今に至るまで突き詰めると、辛いのはそこなのだった。
たとえ、ただのお節介なのだとしても、優しさを向けられることが素直に嬉しい。
(私、身体の辛さには耐えられても、独りぼっちには耐えられないんだ)
それでリアはケイズとともに屋敷を出ることにしたのだった。




