S IDE①クロウ 不機嫌な妹①
ダイドラの北方にある森で、クロウは保護した妹のリアを抱え、親衛隊隊長のカスルとゲイリー率いる200人と合流した。
ランドーラ地方にいるナドランド王国軍の索敵は同国西部の軍と違って厳しく、2200人いる親衛隊全軍での潜入は出来なかったのである。ゴブセンとジエンエントの2城から離れた森に潜伏するしかなかった。
「リア様」
クロウの脇に抱えられたリアを見て、カスルとゲイリーが目を瞠る。本当にダイドラにいるとは思っていなかったようだ。
(一応、ダイドラでケイズ・マッグ・ロールと暮らしていることは言っといたんだがな)
老師キバからの情報のみで、単身ダイドラに行くと言ったときには反対された。せめてマカントに確認するよう言われたのだが、クロウの方が我慢の限界だったのである。
「行くぞ、目的は達した。本拠へ戻る」
短くクロウは告げて、リアを下ろしてやった。
連れてきたときから、終始リアが無言である。不貞腐れた顔をしてそっぽを向いた。小動物のような愛らしさは変わらない。懐かしさで胸が詰まる思いだ。
「婚約破棄された翌日に置き去りにしたことをまだ怒ってる」
リアに対して申し訳なく思いつつ、腹心2人にクロウは小声で告げた。
行き違いだったことは、おいおい説明しようと思う。
「絶対に違うと思いますが」
カスルが同情の眼差しをリアへと向ける。悲しそうにリアが頷く。
「リア様お一人ですか?連れてきてしまったのは」
ゲイリーも意味不明の質問を発した。『しまった』などとまるで間違ったことをしたかのような言い草だ。
クロウは首を傾げる。腹心の部下2人はどうしてしまったというのか。
「いや、俺もちゃんといるぞ。2人だろ、どう見ても」
見てわからないのだろうか。
カスルとゲイリーが顔を見合わせて深くため息をついた。リア本人に至っては涙ぐんで唇を噛んでいる。
「とにかく、こうなってしまった以上、ホクレンへ戻るしかありません。この地方のナドランド王国の軍は甘くないようです。包囲されれば、我らとて危ない」
剣士隊のほうを指揮しているカスルが告げた。更に弓隊のほうを率いているゲイリーとともに、互いの部下へ移動の号令をかけている。
クロウも頷いた。ケイズ・マッグ・ロールを筆頭とし、あのバンリュウ軍を2度も撃退した、実績のある軍だ。数の上でも数万からの兵員を抱えているという。
一丸となって森の中を進む。不貞腐れていた妹のリアもついてきてくれるか心配だったが、なぜか観念したかのような顔でついてくる。
駆けながら、リアを連れ去ったときのことを思い出す。
隣りにいた、杖を2本背負った男が尋常ではない量の魔力の持ち主で、とっさに蹴り飛ばしてすぐに逃げ出すしかなかった。首を斬ろうなどと余計な殺気などを発していては、気付かれて迎撃されていただろう。
まともに戦って負けるとも思わなかったが、自分のことをどこぞの刺客と誤解して、リアまで立ち向かってくれば面倒なこととなっただろう。
「リア、悪かった。婚約破棄のことなんか、俺はまったく怒ってないからな」
走りながら、クロウは呼びかける。
最愛の妹が無言で顔を向けてきた。ナドランド王国へ送り出したころと変わらない。いや、少し大人びただろうか。
いつもクルクル回って、楽しそうに笑い転げていた思い出しかない。
無邪気なリアに、自分の失敗で、辛い思いを長らくさせてしまった。
「ごめんな。兄ちゃんのせいで辛かったな。でも、もう大丈夫だ。今度こそ幸せになれるんだからな。兄ちゃんに任せておけ。でも、まずは家に帰ろう」
心を込めて、クロウはリアに言葉をかける。いくら言っても足りない。
リアがはっきり、怒った顔をした。
「兄様、また間違ってる。もうっ、知んないっ!」
涙ぐんでリアが顔を背けてしまう。
クロウもクロウで悲しくなってしまった。『知んないっ』というのはリアが怒っているときの、最上級の言い回しの1つだ。
それでも自分で駆けてくれてはいて、軍事国家ホクレンへ帰ること自体は受け入れているようにも思える。リアが何を怒っているのか、クロウにはさっぱり分からなくなった。
「大丈夫か?辛くないか?」
更にクロウはリアに尋ねる。
行軍速度はかなり速い。元よりクロウの親衛隊は軍事国家ホクレンの最精鋭であり、身体能力も極限まで鍛え上げた集団だ。
全員歩兵だが、まともに戦えば騎馬隊でも圧倒するほど。通常の軍よりもはるかに速い行軍にも、リアは顔色1つ変えずについてくる。ただし、クロウからの問いかけは完全無視なのだが。
「よく訓練してたんだな、偉いぞ」
褒めて、クロウは頭を撫でてやろうとする。幼い頃にはよくやっていたものだ。
「知んないっ!」
またリアが叫び、クロウの腕を振り払う。
キッと威嚇するように睨まれてしまい、クロウはまたしても寂しくなってしまった。
そのまま日が暮れるまで走り続ける。森の中で小休止を取った。
「明日の昼にはホクレンの国土に入れます。そのまま本拠でよろしいですね?」
カスルまでもが、自分に冷たい眼差しを向け、確認してくる。いつもならクロウにとって、1番の理解者なのだか。
「あぁ、もちろんだ」
クロウは勢いよくうなずいた。一歩も引く気はない、ということだ。
『本拠』とはホクレンという名の大都市であり、軍事国家ホクレンの首都だ。軍事国家ホクレンとは、本拠地を置いたこの大都市の名前をそのまま冠して国の名前としたものである。もともとは、大陸北部の山岳地帯にある、都市の1つに過ぎなかったところ、軍事国家ホクレンとなったことで大陸有数の大都市となった。
「戻ろう、という気はないのですね。ダイドラへ」
呆れたようにゲイリーも尋ねてくる。
いつもならば、以心伝心の間柄にある腹心なのだが、今日ばかりは意味不明だ。
「当たり前だ。せっかくリアを連れ戻せるんだぞ?帰らないでどうするんだ?」
クロウは驚いて言い、リアの方へと向き直る。2人分の深いため息が聞こえてきた気がした。
「本拠に行けば、父さん母さんもいるし、セイラやクオンにも会えるぞ」
かつてホクレンにいた頃、父母や兄妹たちと仲の良かったリアを思い出してクロウは告げる。少しでも機嫌を直してほしい一心だ。
「うん、父様に母様、姉様にクオンと会えるのは本当に楽しみ」
硬い表情のまま、リアが皮肉たっぷりに返答した。クロウの名前が入っていない。
やはり、随分、大人になったのだと感じてしまう。セイラはクロウのすぐ下の妹でリアの姉、クオンが末の弟である。2人もまた、リアが戻ってくれば喜んでくれることだろう。
ちなみにセイラは水の神殿で巫女を、クオンは軍属である。
「リア、兄ちゃんは?」
未練がましく、クロウは自らの顔を指差して尋ねる。自分との再会も喜んで欲しかった。
「兄様は知んないっ!」
つれなく言われて、クロウは肩を落とした。
何を間違えたというのか。カスルもゲイリーも、連れてきたことからして、を婉曲に諌めようとしていたようだった。
もう一度連れてきたときを思い出そうとする。




