1 婚約破棄①
少女の体から発せられる魔力に当てられて、何人かが気を失った。風にあてられた板かなにかのようだ。
「馬鹿な奴らだ」
大陸中央部にあるナドランド王国の精霊術師ケイズ・マッグ・ロールはボソッと呟き、密かに笑ってしまう。笑ったところで誰も咎めない。陰気臭い自分になど、誰も目もくれないのだから。
倒れたのは、力も無いのに興味本位で見物にきた愚か者たちだ。
(さすがだ)
離れた場所に立っている自分ですら、ビリビリと肌がひりつくような緊張を感じている。同じ精霊術師の自分ですらプレッシャーを感じるのだ。並の人間では耐えられないだろう。
(生きものとしての格が全然違うって、なんで分からないんだろ)
ケイズは呆れて思うのだった。
芝生の上に少女が胡座をかいている。知らずに尋ねられれば10代前半と答えてしまいそうなあどけない顔立ちだ。実際は16歳と自分と同年なのだが。
ただ幼い見た目とは裏腹に頭上で渦巻く碧色の風は猛々しく大きな虎の姿を成している。自分と同じ精霊術師である証拠だ。精霊術師にとって、魔力を錬成し精霊を、顕現させることは魔力を向上させる重要な基礎訓練である。
魔力の錬成と精霊の顕現に集中し、目を瞑っている少女は周囲の視線に気付かない。髪と瞑った瞼の内側からも碧色の光が漏れ出ている。
「なんだっ!?このおぞましい化け物は!リア!」
彼女の婚約者であるナドランド王国の王子ヒエドランが叫ぶ。
金髪碧眼、透けるように白い肌、澄ましている平時は端正な顔立ちの優男だが、リアの発する魔力に当てられて汗だくだ。金色の髪がべとりと額に張り付いている。
(意識を保っていられるだけ大したものか。一応、魔術の素養もあるんだっけか)
ケイズは冷ややかな視線を王子に向ける。
正確には少女リアの名前はリアラ・クンリーといい、北東の隣国である軍事国家ホクレン出身だ。リア本人は同国筆頭将軍の妹である。軍事国家であるホクレンでは筆頭将軍が国家元首も兼ねるから、彼女はホクレン国家元首の妹ということである。
何年も前に国同士のやり取りで決められた婚約だったが、このまま行けば自分は何年も待った瞬間に立ち会えるかもしれない。
「えっ」
リアが目を開ける。周囲に集まっている面々に気づき、うろたえた表情を浮かべた。常であれば他人に気づかないなどと迂闊な失敗はしない娘だ。体から魔力を絞り出すような訓練で高い集中力を要するため、気付かなかったのだろう。
(こんな魔力を錬成できる人間はそうそういないってのに、この王子はリアの価値が分からないのか?)
人が当てられただけで倒れるような魔力錬成など、そうそう出来るものではない。同じ精霊術師であり、ナドランド王国国防の未来の要、と呼ばれるケイズにだって難しいのだ。
「なんで、こんな、人が。ここ、私の家?」
疑問に思うのも無理はない。
今いるのはリアが婚約に当たって王家から下賜された屋敷の庭なのだ。先触れもなく王子が現れるなど夢にも思わなかったのだろう。
ただ、リアに注がれている視線は、わが家であるのに、一様にひどく冷淡だ。
(ここに今日、来ているのは王子の取り巻きやら支持者やらばっかだもんな)
きっと愛情に満ちた視線を向けているであろうケイズ自身も、距離が少しあるので気づけてもらえてないだろう。
「これは、その、私の、精霊で。私、ただ練習をしてて」
おどおどした口調でリアが言い訳をしようとする。動揺のあまり魔力を引っ込めることすら忘れているようだ。
(いつ見ても美しいくらいの風だと俺は思うんだけどなぁ)
ケイズはもったいない、といつも思っていた。
強烈な魔力の持ち主だが、他のことはからきしだ。社交もできず、作法もわからない。精霊術師としての素養など、王家に嫁ぐ身としては無用の長物だった。
「もういい、とっととそいつを引っ込めろ!」
苛立ってヒエドランが叫ぶ。リアを見世物とすべく連れてきた貴族のご令嬢方が精霊のせいで近付けずにいるのが腹立たしいようだ。
「も、申し訳ありません」
大人しくリアが言われるままに魔力を収め、精霊を引っ込めた。
途端に侮蔑するような笑みを浮かべながら、着飾った令嬢たちが近寄っていく。いずれもリアの後釜での王子の婚約者という地位を狙うナドランド王国の貴族令嬢たちだ。
(こんな奴らの言いなりになる必要もないのに)
痛ましく思いつつケイズは離れた地点からリアを見つめていた。
ただ、助け船はまだ出せない。
ちらりと隣に立つ師匠の老師キバに視線を移す。平民である自分が同席出来ているのは師匠の付き添いだからだ。
地属性魔術の達人であり現在の国防の要でもある師匠は、ヒエドラン王子からの直々の依頼により、リアが暴れた場合に備えて控えている。本来、このような場所に顔を出す人物ではないのだが。
(偉そうに怒鳴っててもリアの実力は怖いってか)
思ってはいても口には出せない。ケイズ自身の目的に照らしても、口を挟むのは余計事であり、賢明ではないから我慢している。
「殿下、でもなんで、こちらに」
リアが思うのも当然だった。何も知らされず蚊帳の外に置かれていたのだから。
「お前が、私の婚約者でありながら、怪しい化け物を操る術ばかりにかまけていると報告があった。今日はイエレス聖教国の大使をもてなす式典があったというのにすっぽかしおって」
ヒエドラン王子の言葉を受けて、周囲の令嬢たちがクスクスと笑みをこぼす。
対するリアがただ驚いて目を瞠る。王子の婚約者でありながら他国からの大使に無礼を働いた格好だ。大問題であることはリアにも分からないはずがない。
(やっぱり今日だな。俺が待ちに待った日は)
ケイズは王子の嫌な笑みを見て確信した。
本作品を、手にとって読み始めて頂き、本当にありがとうございます。出来れば長く読んで頂ければ嬉しいなとも思いつつ、やはり粗く至らぬ点も多いので、最初だけでも、ご閲覧頂けるだけでも、有り難いことだと常々思っています。
評価やブックマークを頂くのは本当は過ぎた幸せで。ノートに埋もれることなく、この作品を、どなたかに読んで頂けたということがただ有り難いです。
また、誤字脱字等、ダメ出しもまた容赦なく頂ければと思います。
最初回につき、このような駄文を添えさせていただきました。宜しくお願い致します。