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獣王紋奇譚  作者: 大峰とうげ
 
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プロローグ

 ここは空港にある喫茶店。落ち着きのある雰囲気でリラックスできる空間だ。そんな喫茶店で男がテーブル席に着き珈琲を注文する。

 注文した珈琲が来るまでの間、店内にあった新聞を手に取り、掲載されている記事を読み時間を潰す事にする。

 男が座る席の横にはやや大きめの鞄が置かれていた。かなり使い込まれた鞄だが仕事用の物ではなくプライベートで使う肩から下げるタイプの鞄だった。

 男が座る席に喫茶店の女性従業員が近寄ってきて注文した珈琲が注がれたカップを男の目の前に静かに置き「ごゆっくりどうぞ」の言葉を残しカウンターの方へ戻っていく。

 男は読んでいた新聞をテーブルに置き、運ばれてきた珈琲カップを持ち上げ、香りを楽しんだ後に、一口ほど口に含んでその味わいを楽しむ。


 カップの中身が半分くらいになるころに腕時計で時間を確認する。そろそろ予定の時間が迫って来たのか、カップに残った珈琲を一息に飲み干し席を立つ、そして手早く会計を済ませて喫茶店を後にする。


 喫茶店を出て、空港ロビーを横切り、目的の場所へと向かう。向かった先は受付カウンターであった。

 男の目的は見送りや出迎えではなく、自らが空の虜囚となるべく飛行機に乗りに来たのだ。


 受付カウンターで搭乗手続きを終え、案内に従い肩から下げていた鞄を預ける。

 男の搭乗するのは東京羽田発328便の旅客機で、行先は北海道の新千歳空港だ。

 北海道へは仕事ではなくプライベートの旅行なのか、男の格好はビジネススーツではなく、割とラフな感じの服装で旅客機へ乗り込んでいった。


 旅客機の機内に入った男は、手に持った航空チケットの座席番号を確認しながら、自分が座る座席を探す。チケットに記されていた座席番号は窓側にある二人掛けの席だった。


 窓側には女性がすでに座っており、男は再度座席番号を確認して、女性が座る隣りへと腰を下ろす。

 しばらくすると機内アナウンスが流れシートベルトを装着するように促されたので、指示に従いシートベルトを装着し離陸するのを今や遅しとやや緊張気味にしながらも腕組みをして待つことにする。


 旅客機のエンジン音が唸りを上げ始め動き出す。そして滑走路へと侵入していく。

 滑走路へ出た旅客機は速度を増して加速していく。体が後方へ引っ張られるように少しシートに押し付けられる。

 十分な速度に達し離陸していく、この瞬間の何とも言えない浮遊感に体が強張る。無事離陸していくが、どうもこの浮遊感だけは幾度経験しても慣れる事がない。


 上昇していた旅客機が水平飛行となり、安定飛行になったことでシートベルト着脱のアナウンスが流れる。

 シートベルトを外す時に緊張気味だった体の力が抜けていく「ふぅ」と息を漏らし人心地ついた時、突如機内が真っ白な閃光に包まれた。


 突如の閃光に困惑する。

 最悪の状況が頭を過る。

 しかし、体に感じるような衝撃は起きていない。


 白。白。白。……目の前が白一色でいっぱいになる。


 現状を理解する事ができないまま、眩しい閃光の中で男は意識を奪われていくのだった。



 ◇  ◇  ◇



 闇の中から浮上するように周りがぼんやりと明るくなってくるのを感じた。朝が来たのかと混濁した意識の中で考える。起きなければと思いながらも体が重く感じる。

 そして、意識が段段と覚醒してくるがいつもと違う違和感に気づく。体を起こそうにも手足が思うように動かない。声を出そうにも思うように口が動かない。目を開けようにも開けられない。


 どうしたらいいのか考えていると、周囲でざわめきが起きる。


『おめでとうございますお館様。立派で元気な男の子ですよ』

『おおー、ついに生まれたか』


 誰かが近くにいるのか外国語で話す会話が聞こえてくる。誰かいるのかと思いを巡らせる間もなく急激な浮遊感に襲われた。


 どうやら抱えられたようだが一体どういうことだろうか?

 体が妙に重く感じるから病気にでもなったのだろうか、それとも事故に巻き込まれ怪我でもして担架にでも乗せられたのだろうか?


 しかし、担架にしては感じが違う。手で頭を支えられている感じがするし、お尻の方にも温かい感触がする。どうにも人の手で担ぎ上げられているようだ。

 "大人"の自分を抱え上げるなんて、さぞ重いだろうに。一体どんな怪力の持ち主が抱え上げているのだと訝しむ。その間も周りでは外国語による会話が続いていた。


『シルヴィ、よくやったぞ。この子はきっと立派な騎士になるだろう』

『あなた、まだこの子が何になるかなんて分かりませんよ』


 段段と目が開いてきて周りが見えるようになってくる。これで状況が少しでも把握できればと思った時、目の前には若い男がいた。


 一瞬、医者か救急隊員だろうかと思ったが、まず服装が違った。男が着ていたのは普段着と思しき格好で素材は木綿だろうか、化繊のような光沢はなく質素な感じの服装だった。


 日本人ではなさそうだが黒髪の茶色の瞳をしていて、醜男(ぶおとこ)ではないが特別美男子でもない。ごく普通のザ平凡と言っていい顔立ちの男だった。体つきは筋肉質であるがややほっそりとしている。所謂細マッチョな感じの20代後半だろうか、そんな感じの男に抱き抱えられている状態だった。


「えっ?」


 一体どういうことだ。頭が混乱しパニックを起こす。混乱したことで手足をジタバタと足掻くもうまく動かない。そこで初めて自分の体の異変に気付くことができた。

 手足が驚くほど短くなっているのだ。どうやら自分の体が赤ん坊になってしまっている。


おぎゃあああああああ(なんじゃこりゃあーー)!」


 思わず絶叫したつもりが赤子特有の鳴き声しか上げれなかった。


 いきなり泣き出したことに、自分を抱き上げていた男がオロオロと狼狽え始める。


『あらあら。……あなた、その子をこちらへ』


 一体どうなっているんだと更に混迷を深める。そして男の腕から女性の腕へと移されていく。

 若くて綺麗な女性だ。見た目は20代前半に見える。少し赤味がかった金髪で腰の辺りまで伸びているだろうか、少しウェーブのかかったロングヘアーが揺れていた。瞳の色は緑色をしており少したれ目なのが優し気な雰囲気を醸し出している。


 その女性の胸元へ優しく抱き抱えられ頭を優しく撫でられる。

 なんかいい匂いがしてくる。甘い匂いが。そう考えていると、いきなり胸元の布がはだけて乳房が露になる。


『フフフ、お腹がすいたんですよねぇ』


 どうやらこの女性が母親のようで、母乳を与えようとしているのだろう。しかし、突然の状況に戸惑うばかりだ。

 何せ身体は赤ん坊でも前世の記憶があるので中身は立派な大人なのだから。

 日本で普通にサラリーマンをしていた40代後半だった頃のおっさんの記憶がである。

 そんな元おっさんの目の前に見知らぬ妙齢の女性の乳房があれば欲情しない訳ではないが、現状の理解が追い付かずあたふたするばかりだ。


『ほらほら、しっかり飲んで大きくなるんですよ』


 女性のほっそりとした手が自分の頭に添えられる。そして添えられた手で母乳を飲みやすいように頭の向きを変えられて乳房に押し付けられるような形になる。


 状況が呑み込めないまま思わず吸い付いてしまった。ほんのりと甘い匂いがする乳房に。それが、この女性の匂いなのか母乳の匂いなのか心が落ち着く甘い匂い。


『うふふ、くすぐったい』


 この時になって自分がお腹が減っていることに気づいた。今はこの空腹を満たすべく母乳を飲むことにする。


『それで、あなた。この子の名前は何にするんですか?』

『この子の名は、コリスアーデにしようと思うんだが、どうだ?』

『コリスアーデ。とっても響きのいい名前ですね』


 この二人が何を話しているのか、よく分からない。聞きなれない外国語を話しているので全く理解できないでいる。恐らくは自分の事でも話しているのだろう。それは何となく想像できる。

 過去にそんな経験をしたようなと思った時に記憶が曖昧に霧散していく。


『まずは元気に育ってほしいな』

『そうですね』


 乳房に吸い付いて母乳を飲みながら、まず現状を把握しようと冷静に考え始める。


 夢にしてはリアル過ぎる。

 味覚も嗅覚も感じるし、ましてや、このやわらかい乳房の感触が生々しい。


 まずは自分の名前をと考えた時「えっ?」と本日二度目の驚きに頭が真っ白になる。自分の名前が分からないのだ。その事に気づき狼狽えてしまう。


 前世の記憶は確かにあるのだが、前世での名前が思い出せない。更には家族の事も全く思い出せないことに驚愕する。

 まるで前世の記憶のほうが夢のように思えてくる。しかし、赤ん坊の姿で意識が大人であることがそれを否定する。


『そろそろお腹がいっぱいになりましたかねぇ?』


 自分が母乳を飲み終える頃に、そっと女性の胸元から離され、横に寝かされる。

 そこで力尽きたように意識が朦朧としてくる。とうやら腹が満たされた事で睡魔が襲ってきたようだ。


 これからどうなるのかと、いろいろと考えないといけないが、今はこの眠気に抗えそうにない。仕方なく意識を手放すことにする。


 眠りにつくとき優し気な女性の子守唄が聞こえてくる。きっと先ほどの母乳を飲ませてくれた綺麗な女性が歌っているのだろう。


 女性の子守唄が遠くに感じ始める頃に意識がまどろんでいく、そして再び闇の中へ意識が沈んでいくのだった。

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