88話「狐面の男」
「支配領域っていうのは?」
「ああ……支配領域というのは強力な想造獣が持っている特殊な能力のようなものだよ。現実世界を塗り替えて自分たちに有利な世界を生み出してしまうんだ。夏祭りの時にメアリー・スーが会場を変質させたことを覚えているかな。あれと同じものだ」
「あぁ……あれか」
メアリー・スーの思い通りになっていたあの不思議な空間。なるほどあれが支配領域なのか。
となると、俺たちは今敵の巣の中にいるというわけだ。
「五大獣であるメアリー・スーと同等のものではないと思うけれど、それでも敵に有利な状況であることには変わりない。気を引き締めて行こう」
「ああ、足を引っ張らないように頑張るよ」
紅く染まった空を眺めつつ、俺は舞の言葉を肯定した。さっきまで青々と生い茂っていた草木も全て枯れ果ててしまっており、この空間の異質さが窺え知れた。
戦えない俺は少しでも舞の助けになろうと、周囲の景色をよく観察した。非日常的な風景なので、全てが全て異変に思えてならない。
「ん、あれは……」
そんな中でも一際目立つ異変があった。遥か遠方に、不規則に動く何かが見える。
俺がそれにピントを合わせ、凝視しようとした瞬間。
「ダメッスよ!?」
グイッと身体が他所を向いた。勝手……ではなく、ロールによって。
「いててっ! ロール、強引に身体を動かすなっての! 変な方向に捻っただろ!」
「でも、あれをちゃんと見ちゃ不味いッスよ」
ロールが俺の身体から飛び出して、肩を竦めた。幽霊で俺に取り憑いているロールは、俺の身体をある程度自由に動かすこともできる。あるいは同化して俺の身体を幽霊みたくスケスケにすることもできるんだが……閑話休題。
そんなロールが強引に見せないようにしたアレ。そこまでヤバいものなんだろうか。
「何が不味いんだ?」
「見たらやられるッス……メンタルが。何となく、そんな感じがするッス」
「あのグニャグニャしてるや……あ」
見たらダメでぐにゃぐにゃ動いて、おまけにここは田んぼ……。
「舞、分かった。ここにいる想造獣はくねくねだ」
「くねくね……確かインターネットが発祥の都市伝説だったか?」
「ああ、ロールが言う通りアレを視界に入れるのは不味い。どうする?」
くねくね。夏の田んぼによく姿を見せるという怪談だ。
有名所でインターネットに触れたことのある人間なら誰もが一度は聞いたことがあるほどのビッグネーム。最強クラスに分類されてもおかしくはない。
しかし、厄介なのはその見たらアウトという性質だろう。
いくら舞が強くても、相手を見ることができないのならどうしようもない。
「ああ、問題ない」
「え、問題ない?」
「ああ。ロール君、敵の位置は分かるかな?」
「あ、えーっと。あっちッス! あっ! 凄い速度でこっちに来てるッス!」
それを聞くが早いか、舞は刀をくるりと回して切っ先をくねくねがいると思わしき方向へと向けて見せた。その瞳は閉じられており、くねくねを視認することはない。
舞は確かに問題ないと告げた。俺は彼女がどれだけ強くて、数多の窮地を脱して来たかは知っている。それでもなお、目を瞑った状態で怪物を倒すということを信じられずにいた。
「……」
「マイちゃん、大丈夫ッスかね?」
「分からないけど、でも信じるしかないな」
固唾を飲んで、俺は舞を見守った。 俺も舞と同じく、敵の姿を視認することは許されていない。
真っ直ぐ、刃を構える舞を見ることしかできないので状況を掴めなかった。
「来るッス!」
幽霊だからか、ロールだけはくねくねを見ても問題はないらしかった。そんな彼女の言葉で戦いの火蓋が切られた。
決着は一瞬。
舞の懐に飛び込んで来た何かを、一歩踏み込んだ彼女が容易く両断して終了だった。肉を断つ小気味のいい音が響けば、地面にぼとりと落ちるのは肉塊。
「本当に問題なかったな……」
踵を返し、刀を払う舞を見て俺はロールにそう言った。舞自身の強さもさることながら、やはり彼女の持つ斬想刀がとんでもなく規格外であると思い知らされる。
彼女の持つ刀は、想造獣を斬ることに特化した刀だ。相手が想造獣であれば、どんなものであろうとたちまちのうちに両断してしまえる。
「これで、一件落着かな?」
光の粒子となって消滅していくくねくねを眺めながら、舞は刀を鞘へと戻す。俺もこれで一件落着と思いたいが……どうにも景色が戻らなかった。
「うーん、なーんか変な景色のままッスねぇ?」
「支配領域は残り続けるものなのか?」
「普通は領域の主を取り除けば解消されるものなんだけど……」
「その理由は実に簡単だ。オレが領域の継続に力を貸しているからだ」
「……!」
背後から響いた声。
俺たちは一斉に視線をそこへ向けた。
おどろおどろしいあぜ道の中心に、ぽつりと立っている男が一人いた。時代がかった袴に顔を狐面で覆った明らかな不審者。何よりも目を惹くのは腰に差した一振りの刀だろう。
明らかに穏やかな雰囲気ではない。
「何者だ」
「どう見える?」
舞が姿勢を落として、簡潔にそう問いただした。
彼女の放つ“圧”をものともせず、狐面は堂々とした佇まいを崩さない。多分、この男も想造獣なのだろう。俺の予想が正しければ、さっきのくねくねよりもうんと強力な……。
「オレも暇ではないし、問答をやりたいわけでもない。奴の言葉を借りるのは癪だが、通りがいいのもまた事実。オレは五大獣が一人……」
「!」
男が名乗り終わるよりも先に舞が動いた。
信じられない速度で飛び出した彼女は、一息に狐面との間合いを詰める。舞の意図は理解できた。今、目の前に立っているのが本当に五大獣だとすれば、悠長に会話をしている時間はない。
メアリー・スー、吸血鬼。今まで俺たちの前に姿を見せた五大獣は全て、桁違いの化け物たちだ。そんな化け物を相手にして後手に回るのは愚策にもほどがある。
だからこそ、舞は速攻を仕掛けた。
彼女の判断はこの上なく正しいものだったろう。
「ったく、話は最後まで聞くものだ」
「……受け止められた?」
一つ誤算があったとすれば、五大獣と目される怪物が舞の速攻を容易く受け止めたことだった。
斬想刀は相手が想造獣であれば触れるだけで斬ってしまう。だというのに、目の前の狐面は己の刀で斬想刀を受け止めていた。ここから導き出される答えは一つ。
「その刀、本物か」
「ああ、お前の振るう厄介な武器についてはもちろん対策済みだ」
二度の剣戟。両者引く素振りを見せない。斬想刀が斬ることのできない刀、舞の言う通り本物の刀なのだろう。
にしても、剣術で舞と張り合うなんてあの狐面、相当に強い。五大獣というのも嘘ではないようだ。何か、俺もできることが……。
「そして、お前の弱点もな」
「……亜月君っ! 逃げて!」
狐面の視線が俺へと向けられた。
ぞわり。
死神が俺の背を撫ぜた。俺は反転、一目散に狐面から離れようとするが……。そんな俺の前に鏡が出現。
「無駄だ。雲外鏡」
「余所見を、するなっ!」
鏡に狐面が映ったかと思えば、鏡の内部より腕が出現。俺の首根っこを掴むためにその手を伸ばした。
「ロール!」
「はいッス!」
瞬間、透過。
狐面の手は俺の身体をすり抜けて、虚空を掴んだ。
今の内に距離を……。
「ほう、変わった力だな。だが、仕組みさえ解れば……この通り」
「ぐっ!」
鏡から完全に姿を現した狐面のもう一方の手により、俺は胸ぐらを掴まれてしまった。今まで、この状態の俺に触れることのできる奴なんて誰一人いなかったというのに、この狐面は容易く俺の姿を捉えた。
「余所見をするなと、言っているだろう!」
腕が飛んだ。俺を掴んでいた狐面の腕が舞によって飛ばされたのだ。
「確かに彼奴が気をつけろと宣うだけはある。だが藤坂舞よ。お前の敗因は一人ではなかったことだ」
「言っていろ!」
踏み込み、刀を翻す舞。このまま行けば、彼女の刃が狐面を斬り彼女の勝利が確定する。
「回れ、回れ、火車」
ガコン。
そんな物音が背後から聞こえてきた。嫌な予感を感じ取って背後を見た時にはもう遅い。そこにあったのは高速で回転する巨大な火の車輪。
「亜月君!」
踵を返した舞が俺を押し退けて、その火車に轢かれてしまった。
「舞っ!」
すれ違い様に斬り倒したのか、火車と呼ばれた怪物は真っ二つに斬られていた。それでも舞のダメージは少なくない。
地面に刀をつけ、体重を預けている彼女は誰が見てももう戦えない。
「舞、逃げるぞ!」
「いや、私が時間を稼ぐ。二人は逃げてくれ」
「できるわけないだろう!」
そんな俺たちのやり取りを嘲笑うように、狐面が肩を竦めた。
「どの道お前たちはここで殺す。千載一遇のチャンスだからな?」
「うーん、それは困る。ボクとしてもね?」
煙草の香りがふわりと漂った。
この気怠げな声は……。俺たちの前にヨレた白衣を着たダメ人間が立っていた。
「屋流!」
「やぁ、少年少女。大変そうだね、力を貸そうか?」
「言ってる場合か! 舞が!」
「ああ、知っているさ。なぁ、ここはボクの顔を立ててドローにしない?」
白煙を吐いて屋流はいつもの調子で狐面に話を持ちかけていた。屋流の顔を立ててドローになんてするわけがないだろ……。俺でもしないぞ?
「お前は馬鹿か、オレに何の得がある」
「んー、ボクの店の珈琲を一杯サービスするよ。望むならクッキーもつけてね」
「巫山戯るな、情報屋ついでだお前も殺しておこう」
「交渉決裂か、残念だよ。運動は苦手なんだけどなぁ、だろ? 迅ちゃん」
「……!」
糸のようなものが狐面の周辺に張り巡らされたかと思えば、煙草の煙を覆うような黒煙が一気に俺たちの視界を塗り替える。
ついで誰かが俺の身体を持ち上げて、凄まじい速度で狐面から遠ざかっていく。
「お嬢と日々君の回収完了! 私はこのまま離脱する。黄成も無理はすんなよ!」
どうやら風間さんが、俺たちを助けてくれたらしい。
屋流は残っているが……大丈夫なのだろうか。そんな疑問と、舞も助かったことの安心感が一気に来て、情けないことに俺は意識を失くしてしまった。




