87話「支配領域」
蝉の鳴き声が延々と頭をついていった。街中を抜けて郊外の田圃にやってきたからか、いつもよりも騒々しいような気がする。暑さとそれに辟易としつつ、俺は水筒に入った水を呷った。
時刻は昼過ぎ。俺はとある理由でここにやって来ていた。
「はぁ……生き返った」
「それ、死んで幽霊になった人がいる横で言うッスか? ふつー!」
「気にしてないだろ……」
「ま、そうなんすけど!」
くるりと身体を宙で回転させて、ロールはクスクスと笑った。どうにも、幽霊は夏の暑さなんて気にならないらしく、酷暑の中でもいつもの騒がしさを保っている。それがやっぱり、ちょっとだけ羨ましかった。
「二人とも相変わらず仲がいいね。集合時間にもぴったりだ」
「あ、マイちゃん!」
そんな俺たちの前に姿を見せるのは舞。いつも通りの制服に長い黒髪がよく似合っていた。
「屋流にここに来いって言われたんだけど、舞は先に来てたっぽいな」
「ああ。私一人で大丈夫だと先生に伝えたのだけど……私のためにも亜月君のためにも、一緒に行動した方がいいと言われてね」
「屋流の奴……また変なお節介を焼いたのか?」
「どうだろうか。私は先生の判断は信頼している。それに、その……二人と一緒にいたいというのは私も、だから」
照れた様子でそう零す舞。その意地らしい様子に面を喰らいつつ、俺もだよと返事をしようとすれば。
「もっちろん自分もッスよ!」
「うわっ、身体を貫通して出てくるなよ……」
俺の腹部をすり抜けたロールが元気よく舞に返事をした。
「ありがとう二人共。さて、今回のターゲットについて話は聞いているだろうか?」
「どうでしたっけセンパイ」
「うーん……屋流から一応は聞いているけど、心配だから改めて聞かせて欲しいな」
脳裏に過ぎるのはだらけきった屋流の様子だ。俺は基本的に屋流を信頼していない。
あんなダメ人間をアテにするのは間違っていると思うからだ。というわけで、俺が知る中で最もまともな人間の舞を頼る。
「本当に亜月君は先生が苦手みたいだね」
「ねー、悪い人じゃないッスよ?」
「なーんか嫌いなんだよなぁ」
理由は分からないけど、俺は屋流という男が嫌いだった。
同族嫌悪……いや、俺が屋流と同族だなんて思いたくもない。だからこれはあいつがダメ人間だから嫌いなのだ。そういうことにしておきたかった。
「話を戻すけれど、今回私たちが討伐を目指すのはここに姿を見せたという想造獣だ。情報はいつも通り他にはない。ただ、レベルは都市伝説クラスらしい」
「都市伝説クラス?」
俺とロールは揃って首を傾げた。都市伝説クラス、そんな言葉初めて聞いたからだ。
人気のないあぜ道を進んでいく俺たち。先頭を歩く舞は怪訝そうに言葉を漏らす。
「先生は何も?」
「ああ、全く。なぁ、ロール?」
「はいッス」
「……亜月君が先生に不信感を募らせる理由が少し分かったような気がするよ」
「だよな……」
なんて、微妙な空気になったところで舞が突然現れた単語について説明をしてくれた。
「想造獣にはその器の大きさによって、ランクがあるんだ。下から幻、噂、迷信、想造獣、都市伝説だ」
「つまり俺たちが今回倒しに来たのは……一番上の奴ってことだよな?」
「ああ、そうなる」
「大丈夫なのか……それは」
「自分で言ってしまうのは恥ずかしいけれど、私がいるから大丈夫だよ」
くるりと振り返って、舞が優しく微笑んだ。何の迷いもないその言葉遣いを見るに彼女の自信はどこまでも正しいように見えたし、実際に正しいのだろう。
何せ彼女は最強の女子高生。今まで幾度となく俺の命を救ってくれた怪異狩りなんだから。
「私が先に来て調査した結果、この辺りにいるということが分かったんだけど……」
「それっぽい反応はないッスね?」
「ああ、隠れているのか……それとも」
竹刀袋から斬想刀を取り出して、舞は鋭い目つきで周囲の様子を窺っている様子だ。あまり役には立たないだろうけど俺も舞に習って警戒は怠らない。
田んぼということもあって、見晴らしは良かった。何かあっても見逃すことはそうないはずだ。
ぐるりと一周させたところで、異変が起きる。一瞬青空が真っ赤に染まった。
「ん……?」
気のせいかと思い目を擦った刹那。ジジジという不気味な音と共に景色が震えた。
不気味な空模様と美しい青空とが凄まじい速度で数度、入れ替わる。そうして青空へと戻ったのだが、流石にこれを見間違いで片付けるわけにはいかなかった。
「これは……」
刀の柄に手を置いて、舞は姿勢を低く、低く下げた。彼女の所謂臨戦態勢である。俺もそれを見て、気だけは引き締めた。
「来るっ!」
舞のその言葉と同時。
黒と赤が周囲の景色を塗り替えっていった。目まぐるしく変わっていく景色に合わせて、何ともいえない悪寒というものが俺の背中をなぞっていく。舞が言った通り“来た”のだ。
「支配領域か……!」
様変わりしていく景色を見て、舞は刀を翻してそう呟いた。またも飛び出した聞き覚えのない言葉に困惑しつつも、俺は彼女の後ろへと移動する。
今確かなのは、景色を一変させる怪物が俺たちに牙を剥いたということのみだった。




