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想造獣  作者: 雨有 数
第1.99章 厨二病少女とヒーロー
86/91

後編

 夜の町を俺たちは駆ける。

 足を止めたら、いつ吸血鬼に追いつかれるか分からない。だから俺たちは必死に足を動かした。


「どこまで逃げれば……いいのかな?」


 隣で走るアリスが不安そうにそう言った。


「アリスは一人で家に帰ってろ!」


 吸血鬼の狙いがメアリーなら、アリス一人帰ったところで何にもならないだろう。だったらそうするのが一番安全だ。

 でも、アリスは首を横へ振る。


「嫌だ!」

「あのなぁ、今はそういうことを言ってる時じゃ――」

「もし、もしだよ? 一人になった私を吸血鬼が人質として狙って来たら?」

「……」


 その反論は最もだった。

 確かに、可能性は捨てきれない。そんなことを絶対にしないとは言い切れないのだから。……迂闊だった。


「お父さんとお母さんを巻き込んじゃう……。それに、家に押し入るような奴なんだからどこにいたって危ないと思うよ」


 落ち着いた様子でアリスが淡々と話した。全くもってその通りである。

 アイツは既に俺の自宅に侵入した。俺たちの常識が通用しない相手だ。だとすれば、安全な行動というものも……多分存在しない。


「落ち着いてるんだな……アリス」

「ううん、凄く怖いよ。でも、分かってるんだ」

「……?」


 走りながら、ニッコリと笑みを浮かべてアリスは俺を見た。


「私のヒーローなら、きっとしっかり守ってくれるって」

「……」


 真っ直ぐそんなことを言われたら、照れてしまう。私のヒーローか。

 自分に不釣り合いな称号だが、それも悪くないと思ってしまう。


「ごめんなさい二人とも……。私のせいでこんなことになってしまって」


 空を飛ぶメアリーが申し訳なさそうに俯いた。こうなってしまった責任を感じているのだろう。

 でも、それは無用のものだ。


「大丈夫、大丈夫! それに、あんなのアイツが悪いよ!」


 俺も頷いた。

 二人の間にどんな因縁があるのかは分からない。でも、こんな子供を殺そうとする奴が認められるわけがなかった。


「アイツをどうにかするためにも、メアリーには知っていることを話して欲しいんだ」


 五大獣だとか、吸血鬼だとか、訳の分からない単語で溢れている。それを知っているのは、メアリーしかいない。


「ええ、もちろんよ」


 頷いてメアリーは続けた。


「私たちは想造獣って言ったでしょう? その中でもとっても凄い想造獣が五体いたのよ」

「だから五大獣ってわけか……」


 その一角が吸血鬼、格としては納得だな。

 文字通り他の想造獣とは格が違う存在らしい。とは言っても、俺はシャドウマンとメアリーしか普通の想造獣を知らないが……それも納得できる。


「そして、私もその一人」

「えっ、メアリーちゃんってそんなに凄い子だったんだ……!」

「あの力を見たら……まぁ、納得だなぁ」


 人の夢を叶える力。そういう意味ではメアリーも別格。トップ5に入るのも理解できた。

 ということは、あと三人は少なくとも同格がいるというわけだ。正直言って気が滅入る。こんな怪物だらけの町で、よく俺はそれを知らずに二十数年を過ごせたなぁ。


「私たち五大獣は、その成り立ちから他の想造獣とは違うのよ? だから、それぞれ象徴するものがあり、望みがある」


 そこから、メアリーはいつもの調子で話し始める。


「一つは羨望にして恐怖。人を羨む怪物は、結局人にはなれないの」


 くるりと身を翻して。


「一つは希望にして理想。人のために生きた傑物は、そのために命を落とすでしょう」


 空中を踊るように進み。


「一つは絶望にして空想。人を理解できない生物は、何の望みも抱けない」


 胸に手を当てて。


「一つは切望にして幻想。何にも代えがたい望みがあったはずなのに、今ではそれも分からないのよ」


 そして、ゆっくりと息を吐き出し。


「最後に残るは大望にして信仰。愚かな人は、神を目指す」


 確か、吸血鬼は絶望とか自分のことを言っていたな。何の望みも抱けない……か。だからアイツは俺のことを似たもの同士だって表現したのかも。

 なんて、メアリーの紹介を聞いて思う。


「五大獣については分かった。じゃあ、吸血鬼について他に何か知っていること……なんでもいいから教えてくれるか?」

「そうね……」


 うーんと唸ってメアリーは首を傾げた。


「単純な戦闘能力は私たちの中でもズバ抜けて高いということかしら?」

「まさしく絶望……」

「ごめんなさい……あの人は自分のことを人に明かさない人なの。いいえ、私たち自体があまり仲がよくないの……」


 つまり元仲間だったメアリーでも吸血鬼の情報は強い以外に分からないということか。何か付けいる隙の一つでもあればよかったんだけど……それもなさそうだし。このまま逃げ続けるくらいしか、俺たちにできることはなさそうだ。


 幸いにも、まだ追いつかれる気配はないし……。

 そう思い、空を見上げれると三日月を覆うように無数のコウモリたちが夜空を羽ばたいていた。

 まさか……。


 群れたコウモリたちが降下。

 俺たちの前に降りたって、人型を形成する。ぐちゃぐちゃと無数のコウモリたちが混ざり合って、一つになる。

 その様はまさしく異形。


「や。逃げても無駄だよ」


 柔和な笑みを浮かべて、吸血鬼は片手を振り上げた。それを見て、俺たちは即座に反対方向に踵を返す。


「だーかーら、無駄だよって」


 が、反対側には既に吸血鬼が。

 あり得ない速度でコウモリたちが俺の周囲を飛翔していた。


「追いかけっこも飽きたし、そろそろ終わりにしない? 時間は有限だよ?」

「……」


 吸血鬼は相変わらず余裕綽々とした態度でそう言った。

 どうやら、俺たちの逃亡劇はただの余興だったらしい。どこまでも吸血鬼の手のひらの上。たとえここで逃げても、ずっとコイツは追いかけ続けてくるだろう。

 だとすれば、ここでやるしかない……か。


「ああ、そうだな」


 俺はそう返事をして拳を握り絞める。

 努めて自然体を演じて、俺は一歩吸血鬼に踏み出す。


「分かったよ。諦める」

「それはよかった。時間も、命も無駄だからね」


 俺の返事を聞いて、吸血鬼は頷いた。

 二歩、距離を詰めて俺は思いっきり吸血鬼の顔面を蹴り上げる。


「逃げるのを、諦めたよ」



 ◆



 俺の蹴りが吸血鬼の顔面に突き刺さった。俺はいつでも、相手が格上であればあるほど狙う場所は同じだ。

 顎、相手が人体ならば問答無用の急所の一つ。

 ただ、今回は相手が人体ではなかったし……なにより、俺の蹴りは虚空を貫いていた。


 違う。


 明らかに当たっていた。

 でも、吸血鬼の顎が、顔が、綺麗に裂けた。まるで、そこだけ別の部位のように。蠢くのは無数のコウモリ。

 羽根が動く。足が藻掻く。


「わぁお。これは予想してなかったな」


 割れた顔のまま、吸血鬼は一歩退いてそう言った。本来あってはならない場所にある口が、当然のように動いて発音しているのが不気味だ。

 そんな怪物染みた姿に気を取られていると。


「お返しね」


 俺の額に、人差し指が当てられた。

 ヤバい。

 そう思った時には時既に遅し。

 身体が吹き飛んでいた。塀に身体がぶつかる。


「難しいんだよねー、潰さないように痛みを与えるのってさ。死んでないよね?」

「モモくん! 大丈夫……?」

「なんとか……」


 受け身を取れた。我ながら、咄嗟によくやったものである。身体を起こして、吸血鬼を見据える。


「よかった生きてて! 食べ物を無駄にすると、もったいないからね。うんうん」

「食べ物……?」

「そ、オジさん吸血鬼だからさ。君たちはみーんな、オジさんの食事ってわけ。だから、無駄にしちゃダメなんでしょ? 吐き出すほどに君たちはいるみたいだけど、サステナブルって奴さ! ……意味は分からないけど」


 悪びれるわけもなく、吸血鬼は到底理解できない言葉を話す。ここまで、自分たちの感覚と乖離している人間を見るのは初めてだった。

 人が好物な肉食動物が、同じ言葉で俺たちを食料だと言っているのが酷く恐ろしい。


 捕食される気分を、俺は初めて味わった。

 普通に生活していれば味わうことができないであろうこの感覚。嫌に居心地が悪い。許されるなら、全てを放り出してこの場から逃げ出したいくらいには。


 でも、そうするわけにはいかなかった。

 俺は震える両膝を叩いて、拳を握り絞めて己を鼓舞する。まだ諦めるわけにはいかない。そう自分に言い聞かせた。


「え、まだやる気なの?」

「当たり前だろ。ヒーローは諦めが悪いもんなんだよ」

「ふぅん……ヒーローね。それは大変興味深いけれど、オジさんも暇じゃないんだ。遊びはそろそろ止めにしようか」


 次の瞬間。視界から吸血鬼が消えた。

 同時に俺は倒れていた。首を押さえるのは吸血鬼の手。背中にぶつかった堅い感触で、自分が地面に倒れ込んだという事実を認識する。

 反応できなかった。それだけ吸血鬼が早かった。


「そもそも、どうしてそんなにメアリー・スーを守るわけ? 君たち、そんなに深い仲ってわけでもないんでしょ?」

「そんなの当たり前でしょ! 友達を見捨てるなんて、人としてどうかしてるもん! モモくんから離れて! じゃないと……」


 スマホを構えて、アリスが叫ぶ。

 彼女を止めたいが首を押さえられた俺は声が出せない。不味い。アリスに標的が移ったら……。

 最悪の結末を予想して、俺はどうにか吸血鬼の手から逃れようと身を捩る。


 でも、吸血鬼の手は異常な力で岩のように動かない。片手で、そう力んでいる様子すらないのに、俺は自分でもびっくりするくらい敵わなかった。


「んー? じゃないと何をするの? 流行りのマシンで多くの人に吸血鬼の弱点をでっち上げて、それをオジさんの弱点にしてやるって?」

「そ、そうだよ! もう、準備はできてるんだから!」


 シャドウマンも倒せた方法。俺が時間を稼いでいる間に、アリスは自分にできることを全力で全うしていた。

 でも吸血鬼の余裕が崩れることはない。言葉と雰囲気こそは柔らかだが、時折垣間見える本性は、氷のように冷たいものだった。どこまでも、この怪物は俺たちに興味がないのだろう。


「じゃあ、やってみなよ。何をするつもり?」

「容赦しないから!」


 そう言ってアリスは吸血鬼にスマホのライトを向ける。

 暗がりの中、吸血鬼の身体が照らされた。


「ぐ……こ、これは……!」


 一瞬、吸血鬼は苦しそうな表情を見せるも……。すぐに、ニヤリと笑った。


「なんてね。効くわけないでしょ? 生まれたばかりの都市伝説なんとかマンとオジさんじゃ、伝承としての格が違うんだよ。ちょっと変な解釈が出回ったくらいで、歴史そのものであるオジさんの存在は簡単には歪まない」


 俺の首を押さえる手に力を込める吸血鬼。

 嫌な重みが首に容赦なくのしかかる。


「うっ……!」


 思わず、呻いてしまった。


「後何秒持つかなぁ。オジさん、力のコントロールは苦手でさ。本当に、ぽろっと殺しちゃうかも」


 両手で手を掴み、爪を立てる。

 でも全然効かない。それどころか両手の指が吸血鬼の手の中に沈み込む。つくづく化け物染みている。


「分かったわ……。もう止めて貴方。ハイアンドシークもタグもおしまいよ。だから、離してあげて?」


 吸血鬼の肩に触れて、メアリーがそう言った。

 情けないことに俺はそれを見ることしかできなかった。



 ◆



「よかった。このままだと、無駄なことをしちゃうところだったからね」


 俺から手を離して吸血鬼は姿勢を正した。

 重圧から解放された俺は、新鮮な空気を肺に送り込む。目眩と痛みが俺を襲うが、それに感けてはいられない。

 立ち上がって、状況を観察する。


 そんな俺を嘲笑うように、吸血鬼がメアリーの肩に手を置いた。


「君はあの二人に本当のことを話したのかな?」

「……」

「その反応だと、話してないみたいだね。それはダメだよメアリー・スー。オジさんは人間の文化に疎いけれど、そういうものなんだろう? 君は人に近いんだから、人の道を外れちゃいけないよ?」


 そのまま、吸血鬼は俺たち二人を見据える。


「君たちが命を賭けて守ろうとしているメアリー・スーだけど、本当にその価値がある? 特にさ、そっちの君」


 吸血鬼の人差し指が俺を指した。


「もういいから! 私は貴方についていくのよ! だから……」

「メアリー・スー。少し黙っててね」

「……」

「君一人の命を賭けるのは自由だろう。でも、子供、しかも女の子を危険に晒している。もし、二人に一人しか救えないなら……。君はどっちを助ける? いいや、そうじゃないな」


 トントン、と顎に手を当てて吸血鬼は頷いた。


「その子を助けて君も生き残るか。メアリー・スーを庇って全員仲良く死ぬか。どっちがいいってことさ」

「そんなの……!」

「君には聞いてないよ。次喋ったら殺す」

「――!」


 アリスが即答しようとするが、氷のように冷たい声がそれを制した。吸血鬼という男の本性が現れた。

 この男は本当に俺たちの命をどうとも思っていないらしい。今俺たちが生きているのも、ただの気まぐれということだ。その事実が、酷く恐ろしい。

 俺はアリスにアイコンタクトをする。頼むから、これ以上喋らないでくれと。俺はもう、彼女を守ってやれないからだ。


「答えはでない? じゃあ、ヒントをあげよう。メアリー・スーは人を殺しかけたことがある」

「えっ……」


 驚く俺たちの顔を見て、吸血鬼は淡々と続ける。


「女子高生? っていうんだろ、そっちの女の子のことを。それと同じ子をね。他にも教えてあげようか? たとえば、君たちと戦った……えーっと、なんだっけ? あのなんとかマン?」


 シャドウマンのことだろう。それがどうしたっていうんだ。


「あれを生みだしたのも、メアリー・スーだ」

「……」


 絶句した。

 そんなこと、メアリーは一言だって言ってなかった。


「彼女は紛れもない……悪だよ。それでも助けるって? しかも、いい子を犠牲にして、いや助けもできないのに?」

「……」


 俺は黙る。

 思考が停止していた。いや、ゆっくりと現状を検討している。吸血鬼の言葉は本当なのだろうか。

 そう考えて、メアリーの顔を見る。俯いた彼女。その様子から、吸血鬼が嘘を言っているようには思えなかった。


「そんなの! 嘘だよね! メアリーちゃん!」

「……」

「あのねぇ? オジさんがこの状況で嘘を吐く必要があるわけ? その気になれば君たちはいつでも消せる存在だ。だっていうのに、こんなことを教えてあげるのは一重に親切からだよ」

「……どういうこと?」

「だって、お互いに無駄だろ? 君たちは健康そうだ。血も美味しいだろう。だからそういう無駄はなくさないと」


 その言葉も的確だった。

 こんな会話、それこそ回り道なのである。吸血鬼が、少なくとも俺たちを殺すことよりも、殺さないことを選んでいる理由はそれ以外考えられなかった。

 普通の人であれば、他にも色々と考えることができる。でも、目の前の相手は人外の怪物。俺たちのルールが通用しない。


 だから、多分そうなのだ。


「で、どうするつもり?」

「モモくん、決まってるよね……?」

「……」


 俺はどうすればいいんだ。

 もちろん、ここで漫画やアニメのヒーローならば多分首を横に振る。それで、カッコイイ言葉と共に吸血鬼に立ち向かうんだろう。

 でも、これは現実だ。

 ここで俺がカッコイイ言葉と共に吸血鬼と戦っても都合よく奇跡は起きやしない。殺されて終わりだ。だから俺は。


「え、モモくん……。嘘、嘘だよね?」

「メアリー……ごめん」


 自分の命も惜しい。でも、何よりもアリスが大事だった。


「……そうよね。ええ、知っていたわ。私は誰からも求められていないって。でも、貴方たちと過ごした時間は、とても楽しかったわ」

「ま、そういうことさ。もう会うことはないだろうけど、またね」


 コウモリたちがメアリーを包み込んで、吸血鬼が空を飛ぶ。


「ま、待って!」


 アリスが手を伸ばすが、届くわけもなく。

 二人の五大獣は夜空を駆けていった。


「……」


 自分の選択に後悔がのしかかる。でも、ああするしかなかった。そう自分に言い聞かせた。


「……モモくん、追いかけるよ!」


 そう言って駆け出すアリスの手を俺は掴む。


「……なんで止まってるの? 早く追いかけないと見失っちゃう!」

「アリス、やめろ」


 腕を引っ張って前へ進もうとするアリスを引き留める。段々と、彼女の手にも力がこもり始めるが、それでも俺の手から離れることはできない。


「メアリーちゃんを助けないと! 殺されちゃう!」

「どうやってだ?」

「それは、なんとかなるはず! 取り敢えず、動かないと! ここで見捨てるなんて」

「ヒーローじゃない、か?」

「そうだよ。それに、友達なんだから!」


 目眩がした。

 吐き気も。

 今まで散々抑えつけていた自分の黒い部分。アリスに抱いていた負の感情が溢れ出す。


「アリス、夢を見るのはいいことだ。でもな、現実を見てくれ。あんなのに、俺たちはどうやって勝てばいい。いいか、本物のスーパーヒーローなんて、いないんだ。それに、誰にもなれない」


 言ってしまった。

 自分に、アリスにそう言った。思い上がっていた自分。もしかすると、本当にヒーローになれるかもしれない。そんな風に信じ込んでいた愚かな自分に言い聞かせる。

 やっぱり無理だった。

 でも、アリスの目は死んでいない。


「分かってるよ。私がバカで無鉄砲で世間知らずなのは。でも、今いかなかったら私はこれから先ずっと、後悔する!」

「……」


 心底呆れた。

 眩し過ぎる。そんな考え方も、生き方も。何を言っても、アリスは自分の考えを改めないだろう。


 俺は、手から力を抜く。

 するりと、アリスの手が抜けていった。


「じゃあ、行けばいいさ。俺は止めたからな」

「……」


 諦めた。

 アリスを止めることを。もうこれ以上、こんな眩しいものを目の前に置きたくなかった。

 彼女の視線が俺に突き刺さる。


「モモくんの言う通りだよ。スーパーヒーローなんていなかった。モモくんは、私のヒーローじゃなかったのかも」


 それだけ言って、アリスは俺に背を向けて駆け出した。なんとも言えない喪失感だけが、俺の心に残る。



 ◆



 人生は挫折の連続だ。

 そんな言葉がある。今俺がでっちあげただけかもしれないけど。ともかく、人生を生きていくうえで挫折というのはつきものだと思う。

 俺はそれが嫌だった。


「……」


 一人、自宅を目指して俺は歩いた。

 俺はこれ以上挫折したくなかったんだと思う。二度の挫折で、もうお腹いっぱいになってしまった。

 だから挑戦せず、踏み込まず、挫折しないように、しないようにと毎日を過ごしてきた。


「三度目だ」


 今回が三度目。

 しかも、この挫折って奴は回を追うごとに酷いものになっていった。今回は、二人の友人を……守るべき人を失う?

 あまりに手痛い罰だ。


 叶う夢しか見てはいけない。それが現実だ。

 で、俺がヒーローになるっていうのは叶わない方だった。分かりきっていたことなのに、同じ失敗を繰り返してしまったんだ。

 シャドウマンを倒せたから? それとも、アリスに乗せられてその気になってしまったから?


「分からないな」


 俺は自問自答を続ける。

 多分、答えは出ない。


「……」


 結果的に俺はメアリーを見捨てた。吸血鬼の話しを聞いて、俺は確かにと納得してしまった。

 そんな奴に、ヒーローの資格はもちろんない。胸を張って、これからを生きていくこともできないだろう。

 でも、アリスは……。まだ助けることができる。


「アリスは止めないと……」


 このままアリスが吸血鬼を見つけて、メアリーを守ろうとすれば……。彼女は多分、殺される。

 それはやっぱりダメだ。


 俺は自宅に帰ろうとする足を逆に向けて走る。

 アリスを止めて、せめてアリスだけは助けるんだ。


 ◆


 走る。走る。走る。

 夜道を走った。

 アリスが行ったであろう道を追いかけて、でも彼女の姿はどこにも見えない。汗が額から落ちる。


 どこまで行ってしまったんだ。

 せめて、自転車でもあれば……。何も考えず衝動的に飛び出した自分の迂闊さを反省する。

 早く見つけないと、間に合わなくなる!


 がむしゃらに走り回っている俺を強い光が照らしたかと思えば、併走するようにタクシーが止まった。

 俺は不思議に思って隣のタクシーを見る。

 窓ガラスが駆動音と共に下がって、そこに座った運転手の顔が見えた。


「お客さん、お急ぎですか?」

「……え、貴方は……」


 その顔に見覚えがあった。

 他でもない俺たちがショッピングモールへ向かった時に利用したタクシーの運転手。アリスと言い合いをした少し感じの悪い人だ。


「さぁ乗って」


 その言葉と共に、反対側の扉が開いた。

 戸惑う俺だが運転手は有無を言わせずにジェスチャーを続ける。その圧に押し負けて俺はタクシーに乗り込んだ。


「何かお困りごと、でしょう?」

「え、ええ……まぁ、はい?」


 だと思いました。

 という言葉と共にタクシーが緩やかに動き始める。全くもって状況を理解できない俺は、戸惑いを隠せずに運転手に問いかけた。


「お客さんたちにお礼を言いたくて」

「え、ああ……はい?」


 と、その前に運転手に先手を取られた。

 文句を言われることはあっても、この人にお礼を言われるようなことは何一つしていないはずだが。……だよな?

 やっぱり状況が飲み込めない俺は、ただただ当惑するしかなかった。


「あの時、お客さんたちに言われた言葉を考えてたんですよ」

「僕たちが言った言葉ですか?」


 はい、そうですと運転手は頷いた。


「夢を目指して頑張れる自分が好き。あの子が言うように、私も最初は高い志があったんです」


 そのまま運転手は続けた。

 俺は急いでいるのだが……それを退けることもできずただ運転手の話を聞くしかなかった。


「タクシー運転手になりたいと思ったのは、二十年くらい前のことでした。ある日、車を運転していると、強引に呼び止められたんです」


 話しながらも、慣れた手つきで車を操り、スムーズに走る。


「なんてことのない、ちょっとした困りごとだったんですよ。大切な予定に遅れてしまいそう、という。でも、送り届けたあと凄く感謝されたんです。そのやりがいをまた感じたくて、もっともっと多くの人の役に立てるはずだと思ってタクシー運転手になりました」

「……」

「そんな志をいつの間にか私は忘れていました。色々失敗もしましたし、生活に追われもしましたから。夢を真っ直ぐ追いかけることが恥ずかしいことのようにも思えましたから」

「それも正しいと思いますよ」


 俺はそう返事をした。

 これが本音。このタクシー運転手が俺と同じような考えを持っているとも言える。


「ですが、そうじゃないと分かったんですよ」

「どういうことですか?」

「実際に触れなくても、ただ側にあるだけでいいものだと」

「……」


 そして運転手は俺を見る。


「あの頃の気持ちを、少しだけ思い出しました。そんな中、必死に走っているお客さんを見つけたんです。これも何かの縁だと思うのも不思議ではないでしょう?」

「じゃあ……一緒にあの子を探して貰ってもいいですか?」

「ええ、もちろん」


 改めてハンドルを握り直して、タクシー運転手はそう返事をしてくれた。

 ただ側にあるだけでいいもの……。それを目指している自分が好き、か。そんな考え、俺にはなかったな。


 アリスを見つけたら、俺はどんな話しをすればいいんだろうか。

 そう考えて俺は窓の外に視線をやって、必死に彼女の姿を探した。



 ◆



 あれから十数分。

 アリスの行動を予測して、捜索を続けてようやく俺は彼女を発見した。立ち入り禁止の観光街のほど近くだった。タクシーを止めてもらい、俺は助手席から降りる。

 この十分間で彼女に何を伝えるか、俺もある程度考えをまとめることができた。そして、ここから先の俺が、何をするべきかも。


「アリス!」


 走る彼女の行く手を塞ぎ、俺は叫んだ。

 その声に気がついて、アリスは立ち止まる。俺に視線を合わせようとせず、彼女は踵を返そうとした。


「待ってくれアリス。少し話をしよう」

「急いでるの。止めたって無駄だよ」


 やっぱり怒っているのか、取り付く島もない様子だった。でも、ここで諦めることはできない。

 俺はアリスに向かって頭を下げる。


「俺はアリスの身が危なくなるのだけは避けたかったんだ」

「私のためだったら、メアリーちゃんは見捨ててもいいってこと!? そんなの、理由にならないよ」


 彼女の言葉も最もだ。

 俺もそれがいいことだとは思っていない。むしろその逆。


「でも、吸血鬼は言ってただろ……? メアリーは」

「悪い子だって? じゃあ、悪い子は死ななきゃいけないの? 助けちゃいけないの?」


 俺は誰に向かって言葉を吐いているのか分からなくなっていた。

 アリスを止めるために話しているのか、自分に言い聞かせるために言っているのか。一体どちらなんだろう。多分、どっちもだ。


「私が目指してるヒーローはそんなヒーローじゃないの! みんなを助けるようなカッコイイヒーローなの!」

「……正直な話しをすると、アリスのことが苦手だった。嫌いだって言ってもいい」

「……え?」


 俺は耐えきれず、本心を吐露した。

 彼女といる時にずっとずっと感じていた黒いそれを、俺は遂に彼女に明かす。


「初対面の、あの記念撮影の時から嫌いだったし、その夜に不審者から助けたことも後悔してた。それが原因で会社もクビになったようなものだったし」


 自分で言っていて嫌になるくらい暗い感情だった。

 今更止めようと思っても、それは止まらない。だから俺は最後まで話すことにする。


「俺も昔はアリスと同じものになりたかった。みんなを助けるスーパーヒーローだ。でも、挫折した。三回。それで、叶わない夢は見ないようにしてた。だから、アリスみたいなのが嫌いだった」


 真っ直ぐ夢を目指して、それを語り、進める人間を見ると自分が常に失敗してるような気分になるからだ。

 夢を叶えてる人間も嫌いだった。自分が負け組のように感じるから。

 俺が心の底から安心できたのは、俺と同じように夢を見ない人間だけなのだろう。ただ、そういう人間は少なかった。


「でも、アリスと過ごした日々は楽しかった。もう君は俺の嫌いだった人じゃない」

「モモくん……」

「そう考えると、メアリーもそうだった」


 うーんと、俺は唸った。

 これから自分が言おうとしていること、やろうとしていることは無責任過ぎる。俺が本当にすべきなのは、良識ある大人として何が何でもアリスを止めることなんだろう。

 そうすべきなのは分かっていた。でも、アリスの真っ直ぐとした目を見て、俺は止めることはできなかった。


 かと言って、見送るのも違う。

 だから、俺は……。


「いい子、悪い子以前に、メアリーは友達だもんな」


 俺は諦めた。

 自分に嘘を吐き続けるのも、アリスを止めることも。ただ一つ諦めていないことがあるとすれば……。


「分かった。助けに行こう。二人で」

「……!」

 

 パッと、アリスの顔が明るくなった。でも俺は、そんなアリスに釘を刺すように人差し指を天に突き立てる。


「だけど、約束してくれ」

「何々?」

「俺とアリスが最初にした約束、覚えてるか?」

「どんな内容でも首を突っ込むなって奴? うん、覚えてるよ! 守るかは別だけど」

「あのなぁ……」


 胸を張って堂々とそんな宣言をしてのけるアリスにため息を漏らして、俺は肩を落とす。


「危険なことは俺がする。もし俺が……命を落とすようなことがあったら、その時は諦めてアリスだけでも安全な場所に帰るって約束してくれ」

「……分かったよ」


 何か言いたげだったが、俺の真剣な目を見てアリスは観念したのか首を縦に振った。自分が死ぬ時のことを約束するなんて、縁起でもないが……。そうでもしなければアリスは止まらないだろう。

 でも、無駄死にだけは避けないといけない。


 今でも十分勝ち目はないが……。


 やるしかないよな。


「よし、じゃあ行こう」


 そう言って踵を返しタクシーを目指す俺だが、手首を握られた。


「ちょっと待ってモモくん。あの、さっきは酷いこと言ってごめん……」

「酷いこと?」

「うん。私のヒーローじゃないとか、そんなこと、本当は思ってないのに。分かってたよ、モモくんが私のために辛い選択をしてくれたってことも……。私のために、私を止めてくれたってことも」


 柄にもなく、しおれた声色でアリスは話す。

 俺は何と返事しようか迷ってしまう。


「ヒーローじゃないのは、事実だから気にしてないさ」

「ううん。いつでもモモくんは私のヒーローだよ。私は、最初からモモくんのこと大好きだから!」

「……」


 やっぱり、真っ直ぐな彼女には敵わないな。

 正面から大好きとか言われて、ちょっと照れる。……ちょっとどころじゃないか。

 そんな自分を隠すように、咳払いをして俺は話しを変えた。


「それで、吸血鬼を倒す秘密兵器は? 本当に考えなしで突っ走ってたわけじゃないんだろ?」

「もちろん。私だって、万が一の勝ち目がないと流石に無茶できないよ」


 アリスはステップを踏んで俺の前に立つ。

 身につけたリュックサックから取り出したのはフライパンに包丁。キッチンにありそうなものばかり。

 これがどう吸血鬼に立ち向かう秘密兵器なのか、イマイチ理解できない俺は腕を組んで首を傾げた。


「吸血鬼は銀の武器に弱いって知ってる?」


 アリスがそう言って、俺はさらに首を傾げた。一般的に吸血鬼の弱点って日光と十字架とニンニクなんじゃ……。


「本当は銀じゃなくて鉄なんだよ。吸血鬼は鉄が弱点なの。だから、フライパンと包丁ならきっと吸血鬼の姿も捉えられるはず!」

「アリスがそういうなら、きっと大丈夫なんだろうな」


 なんせ、あのシャドウマンを倒す方法を見つけたのも他でもない彼女だ。俺よりもそういう点ではずっと優れているだろう。


 俺たちは二人でタクシーに乗り込んで、メアリーの元へと急いだ。



 ◆



 車内にて、俺たちは頭を悩ませていた。

 メアリーを助けに行くと決めたはいいものの、肝心のメアリーがどこに行ったのかさっぱり分からなかったからだ。

 俺たちは記憶を漁りまくり、どこかにヒントがないかを考える。


「これは賭けになっちゃうけど……立ち入り禁止区域だと思う」

「奇遇だな、俺もそう思ってた」


 俺とアリスは顔を見合わせて言葉を交わす。

 流石に人気がある場所は選ばないだろう。そもそも想造獣は多くの人には見られないとはいえ、わざわざ人通りが多い場所でやる意味がないからだ。

 それに加えて、メアリーのお気に入りスポットが立ち入り禁止区域にあるという話しを俺は知っている。スイートルームがある宿泊施設。


 もし、場所を選ぶ権利がメアリーに与えられたならそこを選ぶはずだし、そうでないにしても、立ち入り禁止区域である可能性は高い。

 彼女たちはあの場所に関係が深いようだったから。


「運転手さん、お願いします! 立ち入り禁止区域を目指します!」

「分かりました!」


 アリスの言葉に勢いよく返事をした運転手は、巧みなハンドル捌きで道を変更し、車を走らせる。


「……」


 俺は消えては現れる街灯を眺めた。

 なんとなしに、そうでもしないと不安で胸が押しつぶされそうだった。思い出すのは、吸血鬼の圧倒的強さ。

 俺の手には余る。いや、あんなものに勝てる奴なんて、世界中を探してもいないんじゃないだろうか。そんな奴に自分から喧嘩を売りに行くんだから、多分俺は狂っている。


 だからどうした。


 最初から負ける前提で向かうほど、俺はバカじゃない。そう思って自分を奮い立たせる。ギュッと拳を握り絞めて、息を小さく吐いた。


「モモくん、大丈夫?」

「大丈夫か、大丈夫じゃないかって聞かれると……まぁ、大丈夫じゃないかもなぁ」


 窓ガラスから視線を外して、俺はアリスを見る。

 正直な気持ちを伝えた。弱気な俺を見ても、アリスは顔色一つ変えずに相変わらず綺麗な目のまま、頷いた。


「不思議と、大丈夫だって思っちゃうんだ。これって、私が楽観的過ぎるのかな?」

「それも奇遇だな、同じこと思ってた」


 俺も同じようになんとなく、なんとかなると思っていた。

 そう思わないと立ち向かえないくらい、壁は高いだけかもしれないが。でも、それだけじゃない理由があると俺は思っている。


「到着しました。立ち入り禁止区域前です」


 運転手のその言葉と共に、タクシーが停車したことを身体にかかる力で感じ取る。


「ありがとうございます。おいくらですか?」


 俺は懐から財布を取り出して、料金を支払おうとするが運転手は首を横へ振る。


「本当は料金も必要ないと言いたいところですが……ただならぬ様子ですので、お支払いは全てが終わってからということで」

「……」

「支払いに帰って来るまで、私はここで待っていますし……支払えなかった場合、訴えますからね」

「……それは、絶対に帰ってこないといけませんね」


 運転手の意図感じ取って、俺は笑った。こうやって、皆から背を押されると嫌でもやる気になってくる。


「どうして立ち入り禁止区域に入るかは分かりません。それを咎めもしません。お二人のことを信じています。でも、無理はしちゃいけませんよ?」

「はい。では、行ってきます」

「ありがとう! 運転手さん!」


 タクシーから降りて、俺たちは目の前に広がる鉄条網を見上げた。

 さて、まずはこの鉄条網を越えないとな。周囲を見回せば、丁度よく木が生えておりあれを登れば中に入れそうだ。


「アリス、あれ登れるか?」

「もっちろん。モモくんこそ大丈夫?」

「当たり前だろ」


 木をよじ登って、着地。後から続いたアリスに手を貸す。

 観光街……。ここに入るのは五年ぶりだ。人の手が入っていないからか、草花が生い茂った中の姿は、町の中心地だった場所とは思えない。

 ちょっとした異世界感があった。


「改めて見ると、本当に広いね……ここ」

「公王町の中央を丸々一つの観光施設みたいにしてたからなぁ。そのせいで、立ち入り禁止区域になってからは町のインフラが大変だったみたいだけど」


 もぬけのからとなった土産屋たちを眺める。

 俺たちが立っているのは、観光街の中でも浅瀬の方。ここはレストランや土産屋が立ち並ぶ玄関口だ。

 メアリーが言っていたお気に入りの場所。つまり、スイートルームなどがあるであろう宿泊施設はもう少し奥。

 真ん中辺りにあるはずだ。そこを目指して、俺たちは取り敢えず走る。

 もちろん、それまでに周囲にも気を遣わなければいけないが。


「頼むから無事でいてくれ……!」


 俺はメアリーの無事を祈りながら、懐かしい地を駆けた。



 ◆



「こんにちは、素敵なお嬢さん。悲しそうな顔をして、どうされたんですか?」


 観光街が立ち入り禁止区域と呼ばれて数ヶ月。最初こそ足繁く通っていたなんとか大学の研究員だとか、どこどこ警察署の警官、自衛隊隊員なども、今はもうまばらになっていた。


 人のいない草木がにわかに芽生え、緑がかった人工物を見下すのは一人の少女。観光街でも一際豪華なホテルの屋上に座り込み。足をぶらぶらと動かしている。

 そんな彼女に近づく影があった。

 影は声を発する。酷く優しげな声。


「貴方、私が見えるの?」


 その声に反応して、少女がゆっくりと影を見た。

 立っていたのは金。

 夜空の星を思わせるような輝きを身にまとった男がそこにいた。少女の倍以上ある背丈は、成人男性にしても巨大と思わせるほど。そんな男が杖を突きながら、少女にゆっくりと接近する。


「ええ、もちろん見えていますよ」


 穏やかな雰囲気で、男は少女に語りかける。

 少女の隣に立ち男は地面を杖で二度突いた。渇いた音が、人気のない観光街に響く。


「貴方は人に見られていない、それが悲しいのですか?」


 少女の視線は男に釘付けだった。その言葉が少女の悩みを的確に見抜いていたこともそうだったが、何よりも男の声がそうさせていた。

 男の話す言葉は普通。

 しかし、それ以外が普通ではなかった。間が、調子が、高さが巧妙で耳を傾けざるを得ない。


「そうよ、皆そうなの。私は必要ない、そんなことを言うみたいに目を逸らすの。私を見てくれないのよ!」

「夢、ですか」

「夢は素敵よ。人は私ばかりを見て追いかけるべきよ。なのに、実際はどう? 最初から手に入れようとしてくれない。確かに私は気まぐれで、届かないこともあるけれど、最初から諦めるなんておかしいわ」


 少女は憤った。

 彼女が生まれて数ヶ月。彼女は気の向くままに公王町を駆け巡った。しかし、彼女はそもそも見られなかった。

 他の子供や、大人と同じように彼女は当たり前に存在できていなかった。

 それどころか、自分が愛されていないことに気がついた。


「多くの人は胸の中に夢を秘めている。でも、それを太陽の下に持っていかないの。それじゃあ、私は独りじゃない? それじゃあ、私は見られないわ」


 少女はそれが溜まらなく許せなかった。

 自分という存在を多く否定されている気分。除け者にされている気分。そんなものが日に日に強くなっていった。

 少女の友達は、二体のぬいぐるみ。それと、愛用の傘だけ。


 孤独を受け入れて、諦めかけていた中。

 男と出会った。


「確かに夢を持っていても、素直にそれを表現できない人は大勢います」


 杖に両手を預けて、男はゆったりと言葉を紡ぐ。その落ち着き払った声色が、不思議と少女の心も落ち着かせた。


「ですが、それは悪いことなのでしょうか?」

「悪いことに決まってるわ? だって、自分を偽って、私を見てくれないんだもの!」


 くすりと笑って、男は初めて少女に視線を合わせた。

 鮮血のように赤い瞳が、昇る月光を受けて輝く。


「誰もが好きなことを目指し、やりたいことを行う。そんな世界が許されているのならば、私たちはここに立っていないでしょう。これは優劣でも、善悪の問題でもありません」


 長い長い布を翻して、男は片腕を振り上げた。

 男の腕に纏わり付いた、金と銀と虹がさんざめく。


「ただ、私たちはそういう風にできていない。とても簡単な話でしょう?」


 呆気に取られる少女に、男は勢いよく杖を突いた。


「ですから、貴方がすべきなのは誰かに見られるいつかを待つことではありません。貴方を見てくれる、選ばれた人間を見つけるべきなのです」

「そんなの……見つかるわけないわ……」


 視線を逸らした少女。

 それにつけ込むように、男が両腕を勢いよく広げる。布の掠れる音が、静かな屋上に嫌に波打つ。


「貴方は運がいい」

「……?」


 満月が夜空の頂点に到達した。

 瞬間、踵を返す男。振り返って、少女を見据えた男は両腕を広げたまま、簡潔に告げる。


「私は夢を信じ、夢に向かって進むことができる人間です。つまり、私は貴方を信じ、愛することができるでしょう」


 満ちる。

 月の光が男を照らした。

 眩い光が、男を縁取り逆行をもたらす。少女はその光景を目に焼き付けるが如く、領の眼を見開いた。


「……貴方の夢は?」

「腐った世界に光明を。人の救いの権化となりましょう」


 強い光が、男の顔を遮り続けた。

 ただその言葉に嘘偽りはなく。この男こそが、少女の求めた夢を信じ、少女を見てくれる人。誰よりも強く、少女を追いかけるであろう人だった。


「……大きくて、素敵な夢ね。ねぇ、素敵な貴方。名前を教えてくださらない?」

「私の名前は――」


 少女、メアリー・スーはこうして五大獣と出会った。そして、その一員となったのだ。



 ◆



 立ち入り禁止区域の宿泊施設。彼女がよく利用していた場所のロビーにて。

 メアリー・スーは吸血鬼と連れ添っていた。雰囲気は最悪。ここに来るまで会話の一つすらない。


「最期を迎えるなら、ここがいいと思ってね。それとも、樹の方がよかったかな?」


 初めて吸血鬼が口を開いた。

 これからすることを考えれば、吸血鬼の態度は余りにも普通すぎる。何かの命を奪うことに、彼は少しも怯んでいなかった。むしろ、それが当然だろうと告げている。


「いいえ、ここでいいわ。生まれた場所と死ぬ場所が同じだなんて、それこそ不気味ですもの。生まれる場所を選べないのなら、死ぬ場所くらいは選びたいものじゃない?」


 多少気落ちした様子でメアリー・スーが返事をする。言葉を歌うその声色も、自然と暗い。

 吸血鬼は肩を竦める。


「残念だよ。数少ない仲間だったのにね。でも、彼に取って君は邪魔みたいだから……」


 ふわりと話題が変わった。

 吸血鬼の言葉でメアリー・スーの表情に陰りが生まれる。ここで死ぬということよりも、自分が邪魔者だという事実の方がメアリー・スーにとっては辛かった。


「私は夢の具現化なのに、誰かの夢の邪魔をしていたの……?」


 自問自答。

 でも満足のいく答えは見つからない。虫食い穴だらけの赤いカーペットの上を歩く。


「どっちでもいいだろう?」


 どうせ、もう終わりだし。吸血鬼の言葉はそうやって続いて行くんだろう。

 一歩、二歩、メアリー・スーより先行して吸血鬼は振り返る。周囲にコウモリが飛翔した。


「じゃあね。メアリー・スー。我が同胞よ」


 吸血鬼の冷たい声がロビーに響いた。

 メアリー・スーは自分の終わりを感じ取って、天井を眺める。最期に思うのは……。


「私の夢は……結局なんだったんだろう」


 それだけだった。


 人の夢を叶えることが自分の夢だと思っていた。

 誰も彼もに認められて、愛されることが当然だと考えていた。

 でも、そうじゃなかったみたいだ。あと少し。もう少しで自分の夢に気がつけたかもしれないのに。

 結局分からなかった。


 それだけが……いや。それよりも、二人にもう会えないのが、悲しかった。


「次があったなら、もっと幸せになれるといいね」


 コウモリが吸血鬼の右腕に集まったかと思えば、巨大な鎌へと姿を変えていった。その大鎌を振り上げて、メアリー・スーの首を狩ろうとしたその時。


「メアリー・スー!」


 ロビーの錆びた扉を蹴破って叫ぶ誰か。聞き覚えのある声が二人の鼓膜を揺らす。


「へぇ……これは予想してなかったな」


 吸血鬼が鎌を振る手を止めて、興味深そうに乱入者を眺めた。

 そこに立っていたのはヒーロー……ではなく。


「友達に手は出させないぞ、クソ野郎!」


 ただの人間。

 井出桃だった。



 ◆



 両開きの扉を蹴破って、俺は思いっきり中に入った。

 中にメアリーがいる確証はない。でも、どうしてかそうしなければならない気がした。俺は必死の思いで彼女の名前を呼び、押し入る。


「メアリー・スー!」


 俺の想いが通じたのか、今まさに……という場に俺は遭遇した。俺は吸血鬼を睨み付ける。メアリーの方から視線を外した吸血鬼は、意外そうな表情を見せて笑った。


「へぇ……これは予想してなかったな」


 吸血鬼が持っていた大鎌が、コウモリに解けていく。完全に俺の方へと向き直った。

 俺は人差し指を吸血鬼の顔に突きつけ、声を荒げる。


「友達に手は出させないぞ、クソ野郎!」


 吸血鬼はどういうことか、ポカーンと口を開けて俺を眺めていた。数秒の沈黙が俺たちの間に流れる。その後、もう耐えきれないというように吸血鬼から声が漏れる。


「ふっ……ふふふ、はは……あはははははは!」


 腹を抱えての大爆笑。今までの飄々とした態度からは考えきれないほどの、感情の色。あの怪物もこんな風に笑うんだと思わせるほどの見事な笑いっぷり。

 俺はただただ当惑した。

 想像していた反応と全然違ったからだ。


「はぁ、久しぶりに笑った笑った」


 目尻をこすって、吸血鬼は満足げに肩を回す。

 そのまま、人差し指を立てて頬に当てた吸血鬼はコテリと首を傾げた。


「うーん、でも君さ。オジさんとの話し忘れちゃったの? メアリー・スーは悪い子だよ。だっていうのに、命を賭けるっていうの?」

「そうだ」

「それって、非合理的だ。理解に苦しむね」

「誰が理解してくれって頼んだ? どうせ、理解してもメアリーを解放してくれるってわけじゃないんだろ?」


 ため息を吐いて肩を竦める吸血鬼だが、俺はその言葉に惑わされない。


「メアリー、ごめん! 謝っても許されないことかもしれないけど……本当にごめん!」

「……!」


 俺は視線を少しだけメアリーに向けて彼女に謝罪する。見捨てようとした俺の行動は、最低だった。

 だから許されようとは思っていない。でも、まずは謝るのが筋だと思った。


「分からないなぁ……君がオジさんに勝てる可能性はゼロ。どう考えたって、君の今していることが無駄なのは明白だ。もしかして……夢でも見ちゃった?」


 吸血鬼が一歩俺に詰め寄った。

 その僅かな歩みで、天井からぶら下がったシャンデリアが揺れる。相変わらずの圧。息すら憚られるような殺気。

 それに飲まれぬように、俺は拳を握る。


「君も知ってるでしょ、オジさんと同じならさ」


 さらにもう一歩。

 吸血鬼の身体が大きくなったように見えた。雰囲気の飲まれて、俺は一歩引き下がってしまう。


「夢なんて叶わない」


 一歩。

 圧される自分に喝を入れて、引き下がろうとする足に力を込める。


「奇跡は起きない」


 二歩。

 あと一歩で、互いの間合いに入るだろう。


「なら、夢なんて見ずに現実を生きようよ」


 三歩。

 俺は吸血鬼の声をかき消すように目一杯叫ぶ。


「今だ! アリス!」

「……!」


 これだけ俺に接近した吸血鬼。その隙をついて周り道をしていたアリスがメアリーを奪取。彼女を抱えてロビーの奥へと消えていく。

 吸血鬼も流石にそれは見過ごせなかったのか、背後を振り向いた。それを俺は見逃さない。唯一と言っていい隙。

 そこを狙って、俺は相手の頭にフライパンを叩き込んだ。


 吸血鬼の弱点は鉄。

 俺たちの見立てが正しければ……この一撃は吸血鬼を捉えることができるはずだ!

 事実、今までとは違って確かな手応えがあった。人体を叩いた感触がフライパンをつたって俺の手に響く。


「確かに夢は叶わないかもしれないが、それでもいいって俺は思い始めてるんだ」

「……それで、死を選んだって? 叶わない夢なんて無価値だろ?」


 強打したはずなのに、全く怯まず。効いた素振りも見せずに吸血鬼は振り返って俺を見据えた。

 だが、俺だって怯まずに二撃目。


「まだ死ぬつもりはないし、それに夢はただ自分の側にいてくれるだけでいいんだよ!」


 三度目。

 これまでの攻撃は全部ヒット。普通の相手ならこれでノックアウトだが……残念ながらそう甘くはない。


「そう。メアリー・スーは彼に出会う前に君たちに出会っていたらよかったのにね……そう思うだろ? 人間」


 吸血鬼と目が合った。

 蒼い瞳が俺を見る。目が合うのは初めてじゃないはずだ。でも、不思議と初めて吸血鬼に見られたような気がした。

 初めて、認識されたような。

 同時にその言葉に嫌悪感を抱いた。明確に、この生物は人間を見下していた。それが言葉の端々から滲み出ている。


「この状況で諦めないなんてある? 君、普通じゃないよ。理解できないし、意味も分からない。ねぇ、どうしてまだ戦おうとするんだ?」


 俺の首根っこを掴んで吸血鬼は持ち上げた。抗おうにも、身体能力があまりに違い過ぎて抗いようがない。とはいえ、これも俺の作戦通り。

 背中に隠し持った包丁に手を伸ばして、俺は俺の首を掴む吸血鬼の腕に突き立てる。一切の容赦なく、そのまま力任せに腕を立った。

 同時に、腹に向けてフライパンをフルスイング。


 ジンジンと手に衝撃が残り、吸血鬼は僅かに後退する。

 ぼとりと落ちた手は、血を滲ませることもなくただ、文字通り落ちただけだった。ぼろ布の赤いカーペットが……本来流れるべきそれの代わりをしている。


「なるほど……鉄か。いい選択だね」


 片腕を切り飛ばされたというのに、吸血鬼は余裕綽々とした態度を崩さなかった。それどころか、楽しそうに笑みを浮かべている。


「それでもオジさんに本気で勝てるとは思ってないだろ?」

「……」


 俺の心を見抜いた口振りで吸血鬼は断たれた腕を振るう。すると、地面に転がった手が数匹のコウモリに早変わり。

 男の腕にくっついたかと思えば、手を形成し元通り。凄いだろ? と俺に聞くみたいに手を握ったり開いたりしてみせた。


「うん、いいよ。君の遊びに付き合ってあげよう。君の心が折れる瞬間を見たくなった」


 吸血鬼が頷いて、俺たちは目を合わせる。

 さてここからが本番だ。気張れよ、俺!



 ◆



 吸血鬼と相対した俺は、唾を飲み込んだ。

 フライパンも包丁も多少の効果はあったが、それだけで逆転できるものではない。そもそもの基礎スペックが違い過ぎた。


 だが、それでいい。

 俺の目的は吸血鬼に勝つことではない。二人が逃げ切る時間を少しでも稼ぐこと。正直言って、俺の勝ち筋はそれしかなかった。


「……とはいえ」


 俺は目を細める。

 その勝ち筋もかなり薄いものだった。そもそもとして、俺が吸血鬼相手にどれだけ耐えられるか、という問題がある。

 その気になれば、十秒も持たないだろう。それじゃあ本当に犬死にだ。


 だから、吸血鬼が俺に興味を抱いているのはこちらとしても好都合だった。


「やっぱりキツイな!」


 だとしても普通にやってはそう長くは続かない。

 だから俺はアリスたちが逃げた方向とは別の方へ走る。吸血鬼も移動させよう。俺は階段を駆け上ろうとする。

 よし、このまま二階に……。


「追いかけっこが好きなの? 子供だなぁ」

「は……?」


 眼前の階段が失せた。

 真っ暗に塗りつぶされて、轟音と共に土煙が巻き上がる。困惑する俺。背後から声が聞こえる。


「驚いちゃった?」

「……!?」


 やばい。

 そう思うよりも先に足が空中に。そのまま俺の身体は自分の意志とは無関係に動く。次の瞬間には放り投げられていた。

 風を切る音が聞こえたかと思えば、身体に衝撃が。受け身を……間に合わない!


「かはっ!」


 背中から全身へ、鋭い衝撃が走った。

 既に倒壊した階段部分を背に吸血鬼がゆっくりと俺の方へと振り返る。いとも簡単に行われた、常識外れの行動に俺は驚愕するしかなかった。


「これくらい、ちょーっと本気になれば楽勝さ」


 暗がりの中、蒼い目が揺れる。

 俺は急いで立ち上がって態勢を整える。

 無理。勝てない。

 俺が知る限り、あんな涼しい顔をしながら建物を破壊できるような奴は、フィクションの世界でしか存在しちゃいけない。


 だけど……諦める言葉を吐くのは簡単だ。

 今は諦めてはいけない場面。どう戦うのが正解かを見据えていかなければ。


「……またその目。不思議だなぁ……人間」


 吸血鬼が目を細めて、俺を見た。

 目か。俺がアリスの目に嫌悪感を抱いていたように、吸血鬼も俺の目に同じものを感じ取ったようだった。

 とはいえ、吸血鬼の場合は嫌悪ではなく。興味だ。


「まだまだ、行くよ」


 吸血鬼の姿が闇に溶ける。

 指の先から毛の先まで、余すことなくコウモリへと姿を変えた。無数のコウモリが暗闇を深める。


「後ろだよ」

「!」


 闇から声が聞こえてきたと思えば、俺の背中に鈍い衝撃が。なんとか堪えて振り返る。


「次は右」


 と、飛んでくるのは宣言通り右から顔の殴打。


「左、右、右、前、後ろ」


 完全に弄ばれていた。ただでさえ視界は悪いうえに、吸血鬼の攻撃速度は尋常じゃなく速い。

 せめて、これが人の範疇に収まっているなら。

 幾度かの暴行の後、俺は為す術もなく地面に伏した。分かっていたことではあるが、強過ぎる。足元にも及ばないとは、まさにこういうことを言うんだろう。


「しっかり教えてあげてるのにさぁ。ちゃんと避けてよ。すぐに壊れちゃったら、面白くないでしょ?」


 暗闇に吸血鬼の余裕綽々とした声が響いた。

 こっちとしてもすぐに壊れてやるつもりはない。どうにかして、この暗闇から抜けなければ。

 俺はフライパンを片手に構えて、暗闇で振りまくった。


 まぐれ当たりでもいいから、吸血鬼の攻撃にタイミングよくヒットすれば儲けものだ。

 そのまま俺は暗闇に向かって身体を突っ込んでいく。

 暗闇にぶつかった。

 ……いや、この距離で分かったがコウモリだ。俺が暗闇だと思っていたそれは、俺を囲ったおびただしい数のコウモリだった。


「……うっそだろ!」


 思わず叫んだ。

 でも、これがコウモリなら……。俺はフライパンを振りかぶって吸血鬼に殴られた怒りをぶつけるように殴る。

 少しだけ、コウモリの群れの結合が弱まった。

 殴り続ければ、コウモリの壁は僅かに崩れる。俺はその合間に身体を通して、暗闇から抜け出した。


「容赦ないなぁ」


 その先でロビーカウンターに座った吸血鬼が飄々とした態度で俺に手を振った。


「お互い様だろ」

「わぁお、怖い顔」

「それもお互い様だろ」


 俺は吸血鬼を睨む。

 背後にあったコウモリの群れが、崩れては吸血鬼に戻っていく。明らかに体積や物理法則を無視しているが、そういうものなんだろうと一人納得する。


「そろそろ、お遊びは終わりにしよう」


 カウンターから立ち上がって、吸血鬼は俺との距離を詰めた。

 一歩、一歩、そう歩く度に建物が揺れるような錯覚を覚える。彼の背後を付き纏うように、吸血鬼の身体からコウモリが分離して、天井に佇む。


「さっさと諦めちゃった方が楽なんじゃない?」


 吸血鬼の蹴り上げ。

 俺はギリギリのところでガード。腕が軋み、身体は浮くがそれでも耐えられる。


「楽かもな。でも、楽なことがいいこととは限らないだろ?」

「そ」


 背中を蹴られ、俺は何度目かのダウン。

 でも立ち上がる。身体のどこかを殴られる。

 それでも立ち上がる。また殴打。倒れる。


 まだ気を失ってやらない。俺は足と手に力を込めて身体を起こす。

 もう意識は朧気だが、倒れやるものか。

 力を緩めれば溶けてしまいそうな自分の身体に、ありったけの力を込めて俺は吸血鬼を睨む。


「人間ってこんなに頑丈だったっけ……?」


 吸血鬼の顔に今までと違った色が見えた。

 困惑。

 吸血鬼という絶対者が、俺みたいな弱者に対して何を困惑することがあるのか。それを考える思考能力すら、今はない。

 ただ確かなのは、俺が吸血鬼を足止めできているという事実。


 これだけ時間を稼げれば……。

 二人が十分に距離を取るくらいの時間は稼げただろう。それで十分。

 ここで死んだって構わない。


 足元がふらついて、俺は思わずすっ転びそうになる。なんとか堪えるが、それに合わせて、包丁が床に転がった。

 床を転がる包丁の刀身に、吸血鬼が映る。そのまま、俺は胸元を吸血鬼に掴まれた。


「もう飽きた」


 地面に転がった包丁を蹴り上げて、それを掴んだ吸血鬼は吐き捨てるようにそう言った。そして、包丁の切っ先を俺の首に押し当てる。

 僅かな痛みと、血が伝う感触が不快だった。


「本当はやりたくなかったけれど……君の心が折れるか、それとも死ぬか。選択は二つに一つだ」

「……」


 つまり、俺が諦めなければ殺すということだ。しかも、吸血鬼だって本気だ。

 表面上の諦めます。なんて言葉では、もう意味を成さないだろう。アイツの目から見て、俺が本当に心折れている必要がある。


 でも、今の俺はそれこそ死ぬまで止まらない。

 自分でもどうしてこうまで頑固なのか分からないが……それでも今の俺は止まりたくなかった。


「そう。残念だよ」


 そんな思いが俺の目から吸血鬼に伝わっていたのか。

 吸血鬼は目を細めて、今まで聞いたどんな声よりも冷たい声色でそう語った。そして包丁を握るその手に力が込められる。

 俺の人生もここで終わりか。

 失敗だらけの人生だったけど……最後の選択は間違えなくてよかった。


「お別れだね、ばいば――!」


 瞼を閉じることなく、最後まで吸血鬼を見据えて死のうと腹を括ったその時。

 吸血鬼の横腹に何かが突き刺さった。

 こればっかりは吸血鬼も予想していなかったのか、身体をコウモリたちへと変えて何かから距離を取る。

 俺は吸血鬼の魔の手から逃れることはできたが、しっかり尻餅をついて地面に着地した。


「ミスター・トレック……ってことは?」


 俺から距離を取って、吸血鬼は自身の姿を形成。そのまま、周囲を見回した。

 つられて俺も状況を確認する。隣に巨大なクマのぬいぐるみが立っていた。それであまり驚かないんだから、俺も慣れたものである。


「そうよ吸血鬼。私はここにいるわ」


 ロビーに可憐な声が聞こえた。

 声の方向に視線を向ければ、腰に手を当て仁王立ちするメアリーが一人。

 その様子に違和感を覚えるが……。


「貴方を私の全力で叩き潰すわ。私の力は貴方も知っているでしょう? そんな人間に現を抜かしていいのかしら? 貴方の十字架が私なの」

「……それは流石に不味いかな」


 吸血鬼の注意が完全にメアリーに向いた。

 俺はメアリーを守りに来たのに、メアリーに守られている。それが悔しい。

 メアリーはそのまま、奥へと姿を消し。同時にぬいぐるみが俺を抱えて逃走。


「なるほど……君たちは本当にオジさんを飽きさせないね! いいだろう、メアリー・スー君の術中にハマってあげるよ!」


 ぬいぐるみの腕の中から顔を出して、俺は吸血鬼を見た。

 宙へ飛び上がったかと思えば信じられない速度で吸血鬼はメアリーの後を追っていく。俺はぬいぐるみから抜け出して、メアリーの方に行こうとするが。

 思った以上にぬいぐるみの力が強い。


「助けてくれたのはありがたいけど! 離せ! メアリーを守らないと!」


 そうやってぬいぐるみを殴るが、ぽふんぽふんと衝撃が吸い込まれるだけで意味を成さない。

 どうにかして、ぬいぐるみから逃げる方法を考えていたが……。途端に足を止めて、俺を抱きしめる力を弱めて、床に下ろしてくれた。


「よし助けに……」

「少し待って、ヒーローな貴方。その前に、お話しましょう?」

「え……」


 急いで来た道を戻ろうとする俺だが、そんな俺に声をかけたのは他でもない……メアリー・スーだった。



 ◆



「なんとか逃げ切れた……?」


 私はメアリーちゃんの手を握って走った。

 振り返ってもあの怖い人が追いかけてくる様子はない。きっと、モモくんが上手くやっているんだ。

 一息ついて、私はメアリーちゃんを見る。


「……」


 考え事をしているのか、メアリーちゃんは難しそうな顔をしていた。

 寂れてボロになっても五年前と同じ気品を見せる装飾たち。薄暗さが不気味さを掻き立てているけど……こんな状況じゃなければ、もっと楽しめたんだろうなぁ。


「メアリーちゃん? 大丈夫?」

「あっ……ええ、大丈夫よ。でも……」


 ばつが悪そうにメアリーちゃんは視線を私から逸らした。

 私は周囲に気を巡らして、メアリーちゃんに続きを促す。


「でも?」

「私は悪い子なの。なのに、そんな私を助けるために……」

「なんだ、そんなことか~」


 私は思わず安堵する。

 深刻そうな表情から、メアリーちゃんが吸血鬼に何かされちゃったりとか、そういう悪いことばかり考えていたから。


「確かにメアリーちゃんがしたことが、あの人の言うとおりなら、それは悪いことだし、許されないことかもしれないね」

「……」

「でも、だからってメアリーちゃんのことを嫌いになったり、死んじゃえって思うことはないよ。だったら、私も一緒にメアリーちゃんが迷惑をかけた人から許して貰えるように謝る。これが、友達でしょ?」


 私は自分が当然だと思っていることを話した。

 こんなことを言うと、モモくんから呆れられちゃうかも。でも、それが私の正直な気持ちだから仕方ないよね。


「優しいのね、貴方」

「メアリーちゃんもね」


 ニッコリと笑うメアリーちゃん。よかった元気が戻ったみたいで。

 さて、じゃあ今から私たちが何をするべきかを考えよう。


「モモくんには二人で逃げろって言われたんだよね」

「でも、それは……殺されちゃうわ」

「うん。だから、モモくんには悪いけど私たちだけで逃げるなんてできない」


 それに、こう言っては悪いけど人間であの怪物の足止めをしようとしても数分持てば大勝利……くらいだ。

 数分間私とメアリーちゃんが精一杯逃げても、吸血鬼から逃げ切ることは難しいだろう。

 タクシーに乗ることができるならまだ勝ち目はあるが……。ここからタクシーまでそれなりに距離が離れている。

 だから、ここでモモくんを見捨てて逃げたとしてもメアリーちゃんを守れる可能性は薄い。


「だから、モモくんを助けるために私たちもあの怪物と戦おうと思うんだけど……メアリーちゃんはどうする?」


 でも、一人でそう考えて突っ込むのは無謀すぎる。メアリーちゃんにも意見を聞いておかないと。

 私がそうやって話しを振ると、メアリーちゃんはコクリと頷いた。


「私も同じ気持ち。でも、私たち三人でも足元にも及ばないでしょう。蟻が三匹でゾウには勝てないように」

「そうだね。でも、毒蟻なら勝てるかも」

「……?」

「私たちに、毒みたいな隠し玉があれば! なんとかなるかもしれない!」


 毒に相当するもの。

 そんなもの……そう都合よく思いつくわけもなかった。


「でも……何かあるかなぁ」


 残念ながら、今の私にはそんな毒持っていなかった。モモくんに託した鉄の武器くらいだろう。

 それも、吸血鬼に有効かどうか聞かれると……正直首を傾げざるを得ない。結局、私の案は机上の空論だったというわけだ。


「あるわ!」


 ガックリと肩を落とす私にメアリーちゃんがそう言った。

 あっ、と私は合点がいく。メアリーちゃんには人の夢を叶える不思議な力があったんだ。あれを使えばあの人にも……。


 と、そこまで考えたけど気が進まなかった。

 だって私たちとメアリーちゃんは一つの約束をした。本当にしたいことが見つかるまで、メアリーちゃんの力を使わない。

 状況が状況だし、そんな約束を気にしてる暇なんてないかもしれないけれど……。でも、そこをないがしろにしちゃいけないような気もしてしまった。


「心配いらないわ。貴方? だって私は分かったのだもの」


 そんな私の考えを見抜いたように、メアリーは笑って頷いた。そして、その場でくるりと回転し、拳を握る。


「見つけたの、本当にやりたいこと。私の夢を。だから安心して、私は私と貴方たちの為にこの力を使うの。その言葉は今までと変わらないかもしれないけれど、中身が大きく違うはず」


 私の目をしっかり見つめて、メアリーちゃんは力強く話した。

 今までメアリーちゃんからは聞いたこともないようなハッキリとした言葉。それを聞いてダメだよ、なんて口が裂けても言えなかった。言うつもりもない。


「うん! 信じるよ。じゃあ急がないとね。どうするの?」


 頷いて、私はメアリーちゃんの手を取った。

 彼女の作戦に耳を傾ける。もう打つ手はない。のるかそるかではないけれど、どんな無茶な作戦だって勝ち目があるなら、私はやるつもりだ。


「でも、この作戦はアリス……貴方を危険な道に誘うわ?」

「……え、今! 私の名前呼んでくれた!?」


 今までずっと、貴方呼びだったのに! アリスって言ってくれた!


「え……。え、ええ、そ、そうね?」

「あ、ごめんごめん」


 思わず興奮してしまった。私に両手を握られ、さらに詰め寄られたメアリーちゃんは困ったように笑う。ごほんごほんと咳払いをして、私は返事をした。


「もちろん大丈夫だよ。メアリーちゃんも、モモくんも命を張ってるのに私だけ安全圏でお茶を啜るつもりなんてないもん」

「……ありがとう! じゃあ、作戦を話すわ」


 その作戦というのが……。

 私がメアリーちゃんの力を借りて、メアリーちゃんに化ける。そして吸血鬼から逃げながら時間を稼いで、メアリーちゃんとモモくんが接触するだけの時間を稼ぐというもの。

 私はその作戦に勝機があるのなら、と即決。

 さぁ、モモくんを助けに行こう!



 ◆



「つまり……さっき見たメアリーはアリスで。今、目の前にいるメアリーが本物ってこと?」

「ええ、そう」

「不味い!」


 俺は今すぐ吸血鬼の方に走ろうとするが、ぬいぐるみの腕で行く手を阻まれてしまう。振り返って、メアリーに怒鳴った。


「アリスが殺されたらどうするんだ!」

「じゃあ、今から私たち三人で仲良く吸血鬼に殺されに行くつもりかしら? それこそアリスの覚悟を無駄にしてしまうと思うのだけれど……モモ?」

「……」


 冷静に、メアリーはそう言った。

 なんだか、雰囲気が変わったように思える。というか、今まで俺とアリスの名前なんて呼んだことなかったのに。

 確かにメアリーの言うことは一理ある。でも、じゃあどうしろと言うんだ。


「心配しないで、そうしない為に私はモモと会ったのよ」


 そんな思いが顔に出ていたのか、メアリーに俺の心が見透かされていた。


「私の力を使って、モモを吸血鬼に勝てるようにする。つまり、モモの夢を叶えるの」

「……」


 メアリーの力。人の夢を叶える力。それを使って、メアリーは俺の夢を叶えるのだという。

 吸血鬼に勝てるように。そんなことが本当に可能なのだろうか。

 そして、メアリーは俺たちと本当にやりたいことが見つかるまで力を使わないと約束をした。こんな緊急事態だからといって、おいそれと約束を破っていいものなのだろうか。


 様々な疑問が脳内を駆け巡る。


「大丈夫。心配には及ばないわ。私は本当にやりたいことを見つけたの」


 そんな俺の心配を見抜いて、メアリーは頷いた。


「モモが私を助けてくれた時に、言っていたでしょう? 夢は側にあるだけでいいって」


 確かに俺はそう言った。


「それと同じで、私も分かったの。本当は誰彼からも愛される必要なんてないんだって。一人でも、私を愛してくれる人がいるなら、それ以外の孤独に立ち向かえるし立ち向かえるべきだって」


 胸に手を当ててメアリーは真っ直ぐ俺を見る。


「私はもうみんなの夢になるのを諦めるわ。その代わり、モモとアリスと私を大切にしてくれる人を守りたいの。それが私の夢。そして、多分貴方たちの夢なんでしょう」

「……そうだな」


 その言葉を肯定すれば、メアリーはそっと俺に手を差し出した。


「さぁ手を取って。貴方と私、それにアリスの夢を守りましょう。貴方の夢は、私が心の底から叶えたいと思えるものですもの!」


 俺の夢。

 多分……それはヒーローになるってことなんだろう。だったら、望む所だ。

 俺は差し伸べられたメアリーの手を握り締める。瞬間、俺を包み込むように光りが溢れた。



 ◆



 逃げないと。

 走る。走る。走る。

 モモくんとメアリーちゃんが接触して、勝機を生み出すまでの時間稼ぎ。

 でも、それが私にとっては随分と重荷だった。運動神経に自信がないわけじゃないけれど……それでも吸血鬼の身体能力と比べてしまうと月とすっぽん。私じゃ比較にだってならない。


 でも泣き言は言ってられない。二人だって今までたくさん頑張ってきたんだ。

 だから、私だって頑張らないと。そんな思いで階段を駆け上がる。

 背後から吸血鬼の足音が聞こえた。足を止めたら、簡単に追いつかれてしまう。だから、もう息も絶え絶えだけど、速度を落とすわけにはいかなかった。


 そうして階段を駆け上がれば、当然屋上へと出て来てしまう。

 階段を登ることに夢中過ぎて……それが頭から抜けていたんだ。でも、今更引き返すことはできない。

 取り敢えず、私は屋上へと足を踏み入れる。

 些細な抵抗として、屋上と部屋とを区切る鉄の扉につっかえを置いておく。これで数十秒でも時間を稼げれば……。


「さて、行き止まりだよ。メアリー・スー。確か、君が我らのボスと出会った場所も、ここだったよね?」


 軋む鉄扉を派手にけり破って、吸血鬼が余裕たっぷりな声色でそう語った。

 私の足掻きは空しく効果がなかったみたい。予想できたけど……。

 とはいえ、吸血鬼が私をまだメアリーちゃんだと勘違いしているのは好都合だった。ボスっていう人がどんな人かは分からないけれど、やっぱりここはメアリーちゃんにとっても思い出深い場所らしい。


 下手なことを言って、自分の正体を明かすことは避けたかったので私は黙った。


「どうしたの? 諦めた? 君なら空を飛んで逃げられるかもしれないけど、それはオジさんだって同じさ。君が本気で逃げてもオジさんのお散歩程度の速度しかでない。いくらでも逃げてくれたって構わないよ」


 両手を広げる吸血鬼。

 そもそも私は空を飛べないが、それはなおさら詰んでいるということに他ならない。どうやって、ここから時間を稼ごうか……。

 私は務めて表情に出さずに悩んだ。

 何か、何か……。


 一つだけある。秘密兵器が。

 メアリーちゃんに託されたクマのぬいぐるみ。ミスター・トレックという名前のぬいぐるみだ。二つある内の一つが私の手にある。

 このぬいぐるみの名前を呼んで、命令すれば言うことを聞いてくれるという。

 けど、ミスター・トレックでも吸血鬼を退けることは難しい。でも、もう他に手段がないのなら……。


「あ、そうだ。君は君の力を使ってオジさんと戦うって言ってたよね? 確かに君はその力だけを見れば五大獣でも頂点に立つほどだ。でも、それは戦闘能力じゃない。どうやって、オジさんを倒すつもり?」

「……」

「勝算があるなら、聞かせてよ。オジさんも、どう倒されるのか興味があってさ」

「それは、こういうことよ! ミスター・トレック!」


 私の中でのメアリーちゃんっぽい喋り方をして、ミスター・トレックの名を呼んで前方にぬいぐるみを放り投げる。

 そうすると、みるみるうちにぬいぐるみは体積を増やしていき、あっという間に巨大なクマが誕生した。私はそれを見て、叫ぶ。


「吸血鬼を倒して!」

「なんだぁ、それか……」


 目の前に現れた巨大なクマを見上げて、吸血鬼は残念そうにため息を吐いた。ミスター・トレックが両手を振り上げて、そのまま振り降ろす。

 鈍重な見た目に反して、その速度は速い。そしてふわりとした見た目にも反して、威力だって高いだろう。

 でも……。


「今更、これがオジさんに通用すると思ってるの?」

「……!」


 片腕で、ミスター・トレックの一撃を悠々と吸血鬼は受け止めた。

 至極詰まらなさそうに、吸血鬼は冷たい声でそう話す。もし本当に殺意というものがあるのなら、多分今私に向けられているのがそれなんだろう。

 足が震えてしまいそうなくらい怖かった。


 でも、ここで怯むわけにもいかない。

 どうにかしてこの数秒の間に次の手を考えないと……。どうすれば、まだ時間を稼げる?


「弱いなぁ」


 ミスター・トレックを横に裂いて、吸血鬼はぼやいた。確か、ミスター・トレックは再生能力があるって、メアリーちゃんから聞いた。まだ、まだ時間を稼げるかも……。


「再生はしないよ。コウモリに断面を喰わせて阻害しているからね」


 傍らに倒れ込んだミスター・トレックを蹴り転がして、吸血鬼は淡々と告げた。

 ……じゃあ、次の手を打つしかない。これは賭けだけど。


「残念……。私はメアリーちゃんじゃないよ!」

「……」


 変身をといて私は胸を張った。

 混乱と会話であと数十秒くらいは時間を稼ごう。それで、移動時間を含めても二分くらいは追加で時間を稼げるかもしれない。でも、目的のない私に興味がなくてそのまま殺されちゃう可能性だってある。


 だからこれは賭けだ。

 そして……結果はどっちだろう? 私は吸血鬼の顔を見据えた。


「本当、君たち二人は不思議だね……」

「二人……?」

「そうそう、もう一人の男もいたでしょ? 普通の人間はオジさんみたいな怪物に挑まないよ。でも、君たちは違う」


 そういうものかと言われれば、そういうものだと私も思った。

 そりゃ、私もモモくんも普通ならこんなことはしない。でも、今は事情が違う。友達が危険に晒されているんだから、自分たちができる範囲で助けようとするのは当然だ。


「そう、その目だよ」

「その目……?」


 私の方に人差し指を向けて、吸血鬼はなんとも言えない表情で言い切った。

 会話で時間を稼ぐ目的ももちろんあったけど、個人的に吸血鬼の会話も興味がある。一体、私たちのどんな部分が吸血鬼にあれほどの疑問を与えているのだろうか。


「こんな状況でも希望に溢れていると言って憚らないようなその目が、オジさんは理解できない」

「……」

「さっきは中途半端で終わっちゃったけど。君も同じ目をしてるなら都合がいい」


 背にとびきりの嫌なものが伝った。

 今までよりも、なおはっきりとした……これは殺意。いや、悪意だ。

 下手をすれば殺意よりもより悪いもの。それが私を襲う。


「君の目はどこで褪せるんだろうね。腕を折られた時? それとも足を断たれた時? もしくは死ぬまで曇らないの? ねぇ、君はどう思う?」

「……」


 怖い。

 私は思わず後退りをした。人生で初めて、ここまでハッキリとした恐怖を感じ取ったかもしれない。

 蒼の瞳は、深海みたいな暗闇に変わって。一歩、一歩と前に進むその足の音は酷く重たかった。そして、興味深そうに私を見るその目は人が人に向ける視線じゃない。

 怪物が、玩具に向けるそれだった。


「君は恐怖してる。それは当然だ。だというのに、まだ光がある。オジさんはそれが理解できない」

「空っぽなオジさんには、多分ずっと理解できないよ」


 どうしてか、口からそんな言葉が飛び出した。

 自分でもなんでそう思ったか分からない。でも、この人が私やモモくんの目にそんなことを思うのは、多分あの人にはそれがないからだと思う。

 それが、なんなのかは私も分からないけれど。でも、それがないからこの人は空っぽなんだ。


「痛いところを突かれたなぁ……その通りだよ。オジさんは空っぽだ。生きている意味も、目的も、何もない。だから、多分これは嫉妬だろうね」


 痛いところを突かれた。その言葉とは裏腹に、吸血鬼の態度は相変わらず余裕たっぷりだった。私は近づいてくる吸血鬼から逃れるために、どんどんと後ろへと下がる。

 まるで追い込み漁をされている気分だ。


「まぁ、どっちでもいいよ。そういう目をする君たちを挫けさせれば、オジさんはある程度満足できるからね」

「……あっ」


 私の足が、壁に当たった。

 追い込み漁の先には、屋上の終点があった。当然だ。

 それを分かっていたから、吸血鬼は決して走ることはなかったのだ。

 どうせ、こうなると見え透いていたから。


「さぁ、どうする?」

「……」


 後ろを振り返る。一面の暗がりの先に町の明かりがぼんやりと見えた。綺麗……今はそうじゃなくて。

 高い。ここから飛び降りたら、ただじゃ済まない。

 いや、多分助からない。奇跡が起きたら別だけど……。どうすればいいんだろう。


「選択は二つに一つ。死ぬか、生きるか」

「うっ!」


 私の首を掴んで、吸血鬼は宙に浮いた。

 鉄柵に私の足を乗せて、そのまま押し倒す。息苦しいのと、高さと、風と、何もかもが恐ろしかった。


「生きるためには、どうすればいいか……分かるよね?」

「……」


 多分、心を折れというのだ。

 もし私がそれを断れば、突き落とされるのだろう。こんなの、受け入れた方がいいに決まっている。ただ、吸血鬼の主張を認めるだけだ。それがなんだっていうんだろう。


「……」


 なんて、一瞬でもそう思ったけれど。そうじゃない。

 メアリーちゃんの友達なら、自分の夢に対して嘘は吐きたくなかった。私の夢は、かっこいいヒーローになること。

 もし、ここでそれを受け入れるようなら、私はそんなヒーローになれない気がした。だから、私はバカだけど首を横に振る。


「今私が一番怖いのは、貴方の思い通りになって自分で自分を嫌いになってしまうこと」

「……そう。じゃあね。好きな君のまま死ねてよかったじゃないか」


 吸血鬼が手を離した。

 身体がふわりと、浮かんだかと思えば。次に来るのは風。嫌な浮遊感。


 今まで、何度だって夢を否定されてきた。

 でも私はそれを全部跳ね返して、生きてきた。

 今だってそう。それで死ぬのなら、本望……? まさか、そんなわけないよ。


 今になって、後悔がこみ上げてくる。死にたくないって、心の底からそう思う。

 でも全て後の祭り。

 自分を曲げなかったことは、きっとよかった。でも、最期に無駄な足掻きと言われても私は言葉を叫んだ。


 私が思うかっこいいヒーローは……こう呼べばきっと来てくれるから。

 吹きすさぶ風を背に受けて、私は一心に叫ぶ。


「助けて! 私のヒーロー!」


 そう叫んだ瞬間、風が静止した。

 同時に身体にちょっとした衝撃。背中に伝うのは人の温かさ。完全に自分の身体が停止したかと思えば、今度は一直線に壁を駆け上っていく。


「間に合ったみたいで、よかった」

「モモくん……!」


「いいや、今の俺はモモくんじゃなくて……」


 そのまま屋上へと到達。

 空中に飛び上がった私たちは、吸血鬼を見下ろした。


「ヒーロー……ダークマンだ!」


 私が憧れていたヒーローは、やっぱり格好よかった。



 ◆



 地面に着地して、俺はアリスを立たせる。

 ギリギリセーフ。間に合っていなかったらと思うとゾッとするな。屋上に立つ吸血鬼を見据える。

 相変わらずその目は酷く冷たい。


「ヒーロー? 確かに、お着替えはしたみたいだけど……」


 吸血鬼は不思議そうに首を傾げた。

 メアリーの力を借りて、俺は本物のスーパーヒーローとやらになったらしい。今まではアリスの用意したコスプレ染みた衣装だったが……。今の俺が纏っているヒーロースーツは本格的なものだ。

 俺は吸血鬼の疑念の目を払いのけるように腰に手を当てる。そして、スッと息を吸い込んで。


「闇に紛れる人情派ダークヒーロー……ダークマン、参上!」

「……?」


 アリスが用意していた名乗り口上を叫ぶ。なんかカッコイイポーズと共に……。しかし、吸血鬼の反応は芳しくない。

 むしろ、突然の奇行になんとも言えない表情で首を傾げていた。

 嫌な沈黙が少し流れる。


「え、何……? 今のは」

「……」


 吸血鬼の反応が胸に突き刺さる。

 俺はちょっと恥ずかしくなり、それをごまかすために咳払いをした。普通、こういうのってもっと盛り上がるものなんじゃ……。


「大丈夫! 大丈夫だよモモくん! しっかり格好よかったから!」


 雰囲気を感じ取ったのか、アリスがフォローを入れてくれるが……なんというか、それが余計に辛い。


「それで? せっかく逃げられたかもしれないのに、わざわざ殺されに来たの? 殊勝な心がけじゃないか」

「そう思うか?」

「どうだろ?」


 俺はアリスを背に庇って、踏み出した。

 その歩みに今までの迷いはない。

 吸血鬼も俺に合わせて前進。どんどんと俺たちの距離は縮まっていった。


「ちょっと強くなったところで、オジさんには勝てないんじゃない?」

「かもな」


「試して見よう!」


 吸血鬼が拳を構えて俺を殴った。


「……!」


 さっきまでの俺なら吹き飛んでいただろう。

 威力自体は変わっていない。でも、俺は一歩も引かなかった。痛くないわけではなかったけど、さっきまでと比べれば天と地の差。


 その変わりように、流石の吸血鬼も驚いたのか表情が固まった。


「お返しだ!」


 お礼というように殴り返す。

 吸血鬼の顔にクリーンヒットした拳をそのまま振り抜いて、吸血鬼を僅かばかり後退させた。よし、行ける。

 今の俺なら、この怪物とも渡り合える。


 つい数秒前のやり取りに手応えを感じて、俺は拳を握り絞めた。


「……何をしたんだ? こんな短期間で強くなるなんて……あぁ、そうか。メアリー・スー!」

「ええ、御名答。力のほとんどを彼と私とアリスの夢を叶えるために使ったのよ。ありがとう、吸血鬼。貴方のお陰で、私も少し真実を知る事ができましたの」


 背後からメアリーの声が聞こえた。

 彼女から貰った力は凄まじいものがある。身体能力が飛躍的に上昇したばかりか、自分がどこまで、何をできるかということも自然と分かった。力が溢れ出てくるというのは、こういうことを言うんだろう。


「残念だけど吸血鬼。もうお前に勝ち目はないぞ?」

「……へぇ? どうしてそう言い切れるの?」


 俺はとびきりの軽口を吸血鬼にぶつけてやることにした。


「決まってるだろ。ヒーローの新衣装の前にはどんなヴィランも噛ませ犬になるんだよ!」


 決まった。

 なんて気の利いた軽口だろうか。映画やドラマでも使用できるくらいにオシャレじゃないか?


「何それ、知らないなぁ。いいじゃないか、少しは食べ応えがありそうだ……」


 しかし、吸血鬼には日本のヒーロー事情なんて関係なかったらしい。空からコウモリが数匹飛翔したかと思えば、互いに連結。黒い不定形となり、伸び、尖り、吸血鬼の手元に渡る。

 それを掴んで、怪物はくるくると回転させ振り降ろす。

 鋭い風切り音と共に、風が舞った。


 槍だ。漆黒の槍が、吸血鬼の手に握られていた。

 ドッと周囲の空気が重くなる。どうやら、吸血鬼も多少本腰を入れて、俺を脅威と認めたらしい。


「メアリー・スー、やっぱり君は危険だった。彼が君を排除するというのも頷ける。オジさんはできる限り同胞を傷つけたくはなかったんだけど……」


 槍の穂先を俺、そしてその後ろにいるメアリー・スーに向けて吸血鬼は目を細めた。


「その容赦も、今失せたよ」


 瞬間、吸血鬼が消えた。

 いや、消えるわけがない。俺は落ち着いて周囲を見回す。吸血鬼の目的はメアリーだ。だったら、邪魔な俺を無視して、目的遂行を優先するはず。

 じゃあ、俺をすっ飛ばして真っ先にメアリーを狙うだろう。俺は吸血鬼の姿が見えなくても、その確信を持ってメアリーの前に立った。


 予想通り、凄まじい速度でメアリーに接近していた吸血鬼とかち合った。


「へぇ、この動きについてくるんだ」


 感心したように吸血鬼が言えば。槍が横に振られる。

 俺は臆せずに踏み込んだ。

 槍の利点はそのリーチの長さ。だったら、その利点を殺す。振られる槍を腕でガードしながら、俺はどんどんと距離を詰めていく。


「へぇ……」


 これで、リーチは殺せた!

 首めがけ肘鉄。捉えたはずの吸血鬼の首元に穴が空いて、肘が虚空を突いてしまう。局所的に、自分の身体を変形させて回避したのか……!


「そんなことまで!」

「羨ましいでしょ?」

「気持ち悪いだけだ!」


 と、言葉も交わす。

 吸血鬼は肩を竦めて、槍を浅く持つ。リーチの調整だ。

 短くなった槍の穂先を俺に向けて、打つ。しかも、狙いは目。急所を的確に突く。


 ここで身を退けば、槍のペースに飲まれることは分かりきっていた。なら、俺は拳で槍の穂を弾く。

 打ち上がった槍に、蹴りを当てて更に上へと飛ばす。


「……中々やるね」


 それでもなお余裕綽々だが、俺は気にせずに果敢に攻め立てる。変形して回避するなら、回避できない最小単位までまず刻む!

 一撃の威力よりも、連撃を意識。俺は一心不乱に吸血鬼の身体にコンビネーションを叩き込んだ。全て急所。つまり、回避を迫る。


 まずは首。次は頭。目。鼻。といった風に。とにかく攻撃し続けた。隙を見せれば、喰われる。


 やがて吸血鬼の身体は完全に解けて、コウモリの群れへとなった。この隙を見逃さない。合わせて、コウモリの群れを一匹ずつ拳で叩き落としていく。

 全体の総数からすれば、これで叩き落とせるのは数匹程度。いくら頑張っても十数匹。でも、奴が群体だとするならば……奴を倒すために必要なのは全てのコウモリを蹴散らすこと。


 塵も積もればなんとやら。

 この細々とした積み重ねをすることでしか、勝ち目はない。


「そういう狙いか……」


 遠くでコウモリが群れて人型を作って吸血鬼が言った。

 ようやくまともな勝機が見えた。二人が用意してくれたこれを、見逃すわけにはいかない。息を整えつつ、相手に隙を与えない。

 俺は距離を詰め、ジャブジャブジャブ!


「わっ、休憩させてよ……なんてね」


 今度はひょいひょいと俺の攻撃を躱してニヤリと笑みを浮かべる。


「隙だらけだよ」


 拳が空ぶった俺は、大きな隙を晒してしまった。その隙を突くように、吸血鬼は槍を構えて――。


「そこよ!」


 吸血鬼が立っていた場所に向かって鉄槌が落ちた。

 ミスター・トレックの振り降ろし。それは吸血鬼を捉えず、やっぱりコウモリの群体へと姿を変える……が、そこを俺が狙う。

 いける! これならいける!


「ナイスアシスト!」


 メアリーにそう言って、俺は攻撃の手を緩めない。コウモリたちが向かう先に向かって、吸血鬼が身体を形成するところに邪魔を入れる。

 相手にペースを掴ませるな。未だ、単純な強さでは吸血鬼は俺を優に上回っている。だから、戦わせない。ずっと俺がペースを握る。

 そうすれば、いつか……勝てるはずだ!


「時間切れ」


 どこからともなく、そんな声が響けば。

 月明かりを遮って、空に何かが集まった。その異様な雰囲気に空を見上げれば……。そこにあったのは。


「嘘だろ……?」


 今までのコウモリの群れの、倍はあるであろう無数のコウモリたち。

 まだこんな数のコウモリを……この怪物は隠し持っていたのか。

 戦慄した。


 空を征くコウモリたちの一部が固まったかと思えば、空中に吸血鬼が現れる。

 俺たちを見下して吸血鬼は片手を振り上げた。


「お遊びに付き合ったけど、君じゃ五大獣は倒せないだろうね。でも、ただの人間にしては頑張った方だよ、褒めてあげる。だから――」


 振り上げた右の拳を握り絞めて。

 それが号令となって、その更に上空に全てのコウモリたちが集まっていく。黒い、黒い不気味な球体が……。


「大技でまとめて殺してあげるよ。本来、君たちには見ることができないオジさんの本気の一端。感謝してよね」


 膨大な数のコウモリで構成された球体は、どんどんと凝縮されているようだった。それでもその大きさはこの屋上ほど。


「……」


 一目見て、ヤバいと思った。

 あれは不味い。具体的にどう不味いのかは説明できないが、俺の本能がそう叫んでいる。

 どうする……。逃げる? いや、逃げられるかは分からない。じゃあ……。


「アリス! ダークマンに必殺技か何かはないのか!?」

「えっ! 急! でも、ある! ダークマンビームが!」

「……安直過ぎる」


 やっぱりアリスのネーミングセンスは絶望的だ。とはいえ、ビームといえばヒーローの基本技……だよな?

 それなら、この状況もどうにか打開できるかもしれない。

 俺が本物のダークマンっていうなら、ダークマンビームだって出るはずだ。


「言ってる場合!? こう、こうやって構えて!」

「……こ、こうか」


 俺は腕をエックスの字にクロスさせて、吸血鬼に向ける。

 本当に出るか、心配だがここはダークマン、引いては俺を信じるしかない。


「それで、こう叫ぶの! ダークマンビーム!」


 アリスのかけ声に合わせて、俺はすぅと息を吸い込んで叫ぶ。


「ダークマンビーム!」


 瞬間、重ねた腕の交点から黒い稲妻じみたビームが迸る。

 その光景に思わず自分で腰を抜かしそうになるが、なんとか耐えて吸血鬼に掃射。素早いビームは吸血鬼に着弾。電流のような何かが吸血鬼とコウモリを焼く。


「うおっ!」


 吸血鬼の表情が初めて変わったような気がした。

 コウモリの凝固はほぐれ、夜空にコウモリたちが胡散していく。稲妻に焼かれた吸血鬼が、屋上に堕ちる。


 片手と片膝を地に着けた吸血鬼は、一秒も経たずにふらりと起き上がった。


「これは、ちょっと流石に驚いたな……。オジさんは君たちのことを舐めすぎたかもしれないね?」

「そうだよ、これが私のヒーローの強さなんだから!」

「まだ危ないから後ろに下がってろ」


 俺の背中からひょっこりと顔を出して吸血鬼に野次を飛ばすアリスを抑えつける。これで終わりだとは思えなかった。

 追い詰めているはずなのに、全然追い詰めている時間がないのはどうしてだろうか。


「いや、今日はいいや。今日のところは君の勝ちにしておこう。君たちの執念と、その目の勝ちだ」


 ニヤリと笑って吸血鬼はポケットに両手を突っ込む。


「君も、いい目になったね。メアリー・スー」


 朗らかにメアリーに微笑みかけて、吸血鬼は俺たちに背を向けた。もうこの場に用はないというように、夜空へと浮かび上がる。


「ダークマン、その名前覚えたよ。君とは、いずれ決着をつけるとしよう。その時まで、オジさん以外の誰かに負けるなんてのは……やめてくれよ?」

「……」


 そして、胡散してコウモリの群れとなる吸血鬼を俺は見送った。

 全く追い詰めている実感がなかったのは、一重に吸血鬼が全く本気じゃなかったからだろう。ようやく、張り詰めた空気から解放された俺はため息と共に屋上にへたり込んだ。


 実際どうあれ、俺たちの……。


「勝ったな、なんとか!」


 拳を突き上げて俺は叫んだ。勝ち鬨という奴だ。俺に続いて、二人のおー、という声が響く。アリスも俺も無事で、メアリーも助けられた。これ以上ないくらいの勝利。よかった。


 夜空に浮かぶ三日月と、綺麗な星々を眺めて一時の勝利に酔いしれた。



 ◆



「ありがとうございました!」


 俺たちは声を揃えてタクシーの運転手にそう言った。

 連絡先が書かれた名刺と、また何かあったら頼ってくれ、なんていう言葉を残してタクシーは走り去って行く。

 そのまま俺たちは帰路についた。タクシーで帰ってもいいけど、少し三人で話したかったからだ。


「取り敢えず、みんな無事でよかったよ」


 アリスが安心したようにそう話す。あの怪物を相手に五体満足全員無事で帰って来れたのだから、大したものだ。

 それもこれも、メアリーのお陰である。


「ありがとう二人とも……」

「こちらこそ、メアリーに助けられたよ」


 彼女の力がなければ、今頃俺たちみんなお陀仏だった。


「モモくんはこれからどうするつもり?」

「俺か……うーん、そうだな。吸血鬼を倒すまでは取り敢えずヒーローを続けるつもりだ。それと、メアリーの罪滅ぼしにも付き合うよ」

「え?」


 意外そうにメアリーが言葉を漏らした。

 無事に吸血鬼から逃れられたら、最初から俺はこうするつもりだった。メアリーが行った悪いことを、俺が一緒に許して貰うように力を添える。そうすれば、きっといつかは、彼女の行った悪事も許される日が来るだろう。


「でも、いいの? まだ私と一緒にいてくれるの?」

「何言ってるのメアリーちゃん。そんなの、当たり前でしょ?」

「そうだな。友達だしな、俺たち」


 なんて返事をすれば、メアリーが立ち止まる。

 俺たちも足を止めて振り返った。


「ありがとう……! 二人とも!」


 と、メアリーに抱きつかれた。


「わっ! 仲良しだね私たち!」

「きっと、貴方たちを見つけて、これからも一緒に過ごすことが私の夢だったのね。さようなら、寂しい私。こんにちは、素敵な貴方たち!」


 そのまま、空へ飛び上がり嬉しそうにメアリーは歌う。

 見てる俺まで、嬉しくなってくる。だけど、嬉しいことばかりじゃない。

 俺は咳払いをして、これからのことを話す。


「まずはそうだな……。メアリーが殺しかけたっていう女子高生の女の子に謝りに行こう。もちろん、謝って許されることじゃないけど……」


 吸血鬼からも聞かされたメアリーの悪事。その中でも、大事そうなものから清算していこう。


「私も一緒に行くね。こればっかりは行ってみないと分からないけど……」

「一緒に行って、一緒に怒られよう」


 なんてこれからのことを話して、アリスを家に送り届けた。


 ◆


「今、公王町で話題の謎の自警団。そんな彼に、私達は迫ります」


 テレビから流れてくるニュースキャスターの声を聞いて、俺はチャンネルを変えた。


「あー! 見てたのに! はい、戻すよ」

「……」


 だが、その努力も空しくアリスにリモコンを奪われた俺。テレビに映るのは公王町の地元ニュース。あの吸血鬼事件から一週間。その甲斐あってか、ダークマンの名前もそれなりに広まってきたらしい。


「その内、取材とかされちゃったりするかもね!」

「取材なぁー、基本正体は秘密にしたいもんだ。ヒーローってそういうものだろ?」

「お、やる気満々だねぇ」


 ニヤリと笑うアリス。俺がまだヒーローを続けているのは、シャドウマンを完全に倒していないこともそうだが……。吸血鬼、やはりその存在がデカい。

 あの怪物を放置してしまえば、色々な人に危険が及んでいくだろう。吸血鬼とは、いずれ俺の手でしっかりと決着をつけなければならない。


「吸血鬼を倒さないといけないからな……」

「吸血鬼だけじゃないわ。モモ」


 俺の膝の上にちょこんと座って、メアリーがそう言った。あの一件以来、メアリーは俺とアリスに凄く懐いている。それはもうべったり。

 嬉しいんだか、気恥ずかしいんだか。


「私たちを取りまとめていた男。彼をどうにかしない限り、この町に平和は訪れないでしょう」

「彼……?」

「ええ、五大獣のリーダー……教導極夜。このまま歩めば、私たちも彼と相対する時が来るでしょうね」

「教導……」

「零夜……」


 どこか、聞いたことがあるその名前を反すうする。

 俺たちの道のりはまだまだ長そうだ。でもゆっくり歩んでいこう。いつか、それで届くって分かったんだから。


<了>

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