表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
想造獣  作者: 雨有 数
第1.99章 厨二病少女とヒーロー
85/91

前編

「やめろ! その子を離せ卑怯な怪人め!」


 俺は相対する怪物に人差し指を突きつけた。肥大化した真っ黒な怪人の足元には、子供が一人。


「助けてー! キングマンー!」

「ぐははー! 最早何をしても、勝ち目はあるまい、キングマン!」


 子供と怪人の声がステージに響いた。

 俺はなんかカッコイイポーズを取って、怪人を見据える。


「それはどうかな! たぁ!」

「こ、これは……最近新登場した新しいフォーム! キング最強フォームだと!? 馬鹿な! 最強フォームになるための必要エネルギーは既に俺が奪ったはず!」

「俺のエネルギーは子供たちの声援。ここにいるみんなの力だ!」


 飛び退いて、俺はさらにカッコイイポーズを取る。それと合わせて、安全な場所に避難したお姉さんが子供たちにキングマンの応援を頼む。

 頑張れー! 頑張れー! という声がステージにこだました。少し待って……より盛り上げ、それで行動。


「喰らえ! 正義の力、キングマンキック!」

「グワアアア! さ、流石はキング最強フォーム……」


 そして最後にもう一度なんかカッコイイポーズ。そうすれば、子供たちのテンションは爆上がり。今回の仕事も大成功だ。


 ◆


「はい、お疲れ様」

「……どうも」


 あれから記念撮影や番宣なんかを終えて、やっと舞台裏に帰ってきた俺を出迎えたのは同僚。お姉さん役で、テレビの方にも出てるし、アイドルだ。今回のヒーローショーの目玉の一人でもある。


 そんなアイドルと俺が話しているなんて、まぁあり得ないことだが……。演者同士、それなりに仲がよかった。


「浮かない顔、あんなに大成功だったのに何か気になることでも?」

「大成功? 夢見がちなガキ共に、新しい玩具を売りつけたことがか? それとも、大の大人がこんなスーツを着てはしゃぎ回って、ガキ共に夢を売りつけたことがか?」


 彼女から貰ったタオルで顔を拭って、俺はそう言った。


「またいつものね。……けど、今日はなおさら酷い。何かあったの?」


 肩を竦めて彼女が笑った。

 そのまま俺たちは歩く。もちろん俺は間抜けなヒーロースーツを着たままだし、彼女は綺麗な衣装を身にまとったままだ。


「記念撮影してる時に、一人高校生くらいの女の子が来た」

「学生にも人気なんて、ちょっと妬けちゃうわ。よかったじゃない」

「何もよくない! これっぽっちも!」


 ヒーローマスクを雑に取り払って、俺は続けた。


「その女子高生、なんて言ったと思う?」

「好きです、応援してます……とか?」

「それも嫌いだが、もっと酷い」

「ふぅん?」


「私は貴方のようになりたいです! 応援してください! だってさ」

「ふふっ、いいじゃない」


 クスリと笑って、彼女は頷いた。俺はため息を吐いて、机の上に置かれた水を引っ掴んで飲み干す。


「それがいいことか、俺には分からないんだ」

「どうして? 夢を持つのはいいことじゃない。そして、貴方はその子に夢を与えた。それってとっても素敵なことよ」


 立ち止まって、彼女は俺の顔を見る。

 俺は向けられた視線から逃げるように上を見て、返事を返す。


「だから、俺は夢を持つことがいいことだって思えない。そのうえ、そのよくないことを俺は他人にしてしまったってことも……。もし夢が叶わなかったら――」

「お、ヒーローとヒロイン。仲良しで羨ましいねぇ?」


 そこまで俺が言いかけたところで、邪魔が入った。割り込んできた声の主の方を見て、俺はため息を吐く。

 さっきまでヒーローショーで戦っていた怪人役。他には本編の方でキングマンのライバルも務めてるアクターだ。


「せっかく花形のアクターになったんだ、井出。もう少し楽しんだらどうだ? そんな仏頂面を見せずにさ」

「……何だったら変わってやりたいくらいだよ、佐山。そうすりゃ、満足だろ?」


 そう、佐山は何故か俺をライバル視していて、ことある毎に突っかかって来る奴だった。多分、その理由は俺がキングマンのアクターになったから。

 アイツはヒーローのアクターになりたがってた。その座を俺が奪ったわけだから、目の敵にするのも分かる。……いや、分からない迷惑だ。


「まぁまぁ二人とも、もうすぐ打ち上げだし、井出君も佐山君も着替えてきたら? その服のままお店に行ったら……目立っちゃわない?」

「そうだな姫。んじゃ、また話そうぜ井出」

「普通の話ならな……」


 踵を返す佐山を見送って、俺も反対方向に歩く。


「じゃあ、会場で」

「ええ、仲良くね。二人とも」

「……善処はするよ」


 と、釘を刺された。俺は首を縦に振って、彼女の言葉に従う素振りを見せる。


 ◆


「あー、ヒーロースーツが暑い……」


 結局着替える時間がなかった。だからヒーロースーツの上に服とズボンを羽織って見たが、想像以上に暑い。

 夏場なので当たり前と言えば当たり前なんだが……やっぱり多少遅刻してでも着替えるべきだった。


 辺りは既に暗くなり、俺は目的の飲食店を目指して路地を歩いている。

 真っ昼間だったらもっと地獄だったというわけで、命拾いした。


「ん、あれは……」


 ふと、脇の小道に入っていく女の子に目が行った。

 見覚えがある……。さて、どこで会ったのか。


「あ」


 あの子は確か……記念撮影の時に俺に応援を求めた夢見がちな女子高生だ。

 頭の奥のつっかえが取れた俺は、少しばかりスッキリした頭で俺はそのまま店を目指す。そうして、前を向いた途端。


「ん……」


 あの子が入ってった小道に、明らかに不審者じみた男が入って行った。

 顔を泥棒がつけるようなマスクで隠し、真っ黒な服で身体を闇に紛れさせた不審者。俺は足音を立てぬように、背後をつけて小道をのぞき込む。


 るんるん、とスキップで歩く女子高生の後ろをゆっくりと男が追いかけていく。

 ボロい街灯の弱い明かりをギラリと反射したのは、男の右手に握られているそれ。その凶悪な輝きが、俺に言葉にできない不快感を与えた。


「……ヤバいな」


 自然とそんな言葉が口から出ていた。

 そう言っている間にも、不審者と女子高生の距離はどんどんと縮まっている。迷っている暇はない。

 俺は服とズボンを脱いで、ポケットに突っ込んだマスクを被る。


 別に、ヒーローとして誰かの前に立ちたいわけでも、こうしたいって思ってたわけでもない。

 ただ、あんな犯罪者予備軍に顔がバレるのはゴメンだし、助けようとする女子高生にも、顔がバレたくはなかった。


 だからといって、職場の道具を無断でこういう形で使用するのはどうなのだろうか。なんて、思ってしまうが、まぁ今はそんなこと考えてられない!


 俺は立ち上がって、駆けた。

 足音に気がついた不審者野郎。一秒ほど遅れて背後を振り返るがもう遅い。渾身の蹴りを一発腹に入れてやった。


「うぐ……!?」

「え、キングマン!?」


 そんなドタバタが聞こえて、女子高生が振り向かないわけもなく。今の俺の姿を的確に表現してくれた。

 そんなことはどうでもよくて。

 俺は片手を広げて、彼女を庇うように立つ。

 蹴りを入れた感じ、相手の身体も随分と鍛えられているようだった。不意打ちの一発で戦意を喪失させるつもりだったが……。


「く、クソ!」


 どうやら、俺の狙い通り戦意を喪失してくれたらしい。

 俺は一安心してため息を吐く。

 よかった、もし相手がやる気になってたら、俺だって無事じゃ済まないだろう。しかし、格闘技を習った経験が活きるとは。


 ドタバタと音を立てて逃げていく不審者の背中を見送り、俺は背後に視線を向ける。


「……」


 ポカーンと口を開けた女子高生。背後から物音が聞こえたかと思えば、ヒーロースーツを着た不審者と、不審者らしい不審者がいたのだから、こうなるのは無理もないだろう。一つ弁明するなら、俺はこの子を助けようとしたことだろう。


 人を助けるのはガラじゃない。

 そのうえ、打ち上げにも遅刻しそうだったのでそそくさと立ち去ろうとするが……。


「ちょっと待って!」

「……」


 案の定呼び止められた。

 まぁ、よく考えれば……つい先程襲われかけた女の子をこういう人気のない場所に放っておいて立ち去るのもどうかしてるな。


「肩、怪我してる」

「ん……」


 そう言われて、俺は自分の肩を見た。彼女の言う通り、俺の肩は軽く裂かれており、服が破れて血が出ていた。

 多分、蹴った時にナイフに当たったんだろうな。

 傷が浅いのが不幸中の幸いだ。……とはいえ、仕事道具を傷つけてしまったのは言い訳できないな。しかもヒーロースーツ……。


「はい、これで大丈夫!」


 なんて、一人で考えていると女の子が俺の肩にハンカチを巻き付けていた。快活な笑みを見せて、一つ頷く。


「必要ないんだが……」

「お礼! ありがとうキングマン!」

「……」


 困った。

 こういう時、どんな反応をすればいいのか忘れてしまった。取り敢えず、どういたしまして……って言えばいいのか?

 結局、俺は戸惑いながら首を縦に振ることしかできない。


「本物のヒーローなんだね、キングマンって!」

「……」


 キラキラと瞳を輝かせて、彼女は惜しげもなくそう言った。

 その言葉に、俺は目眩がした。

 やめろ。やめてくれ。そう思った。


 俺にとって、この女子高生は眩し過ぎる。目が潰れてしまいそうな輝きだった。


「……安全な場所まで着いていく」

「キングマンと一緒なら、どこでも安全だよ!」

「……」


 その返事にも心底うんざりした。

 この、世界の嫌なところを全く知らないような明るさ。それに、俺を信頼しているような言葉。

 その何もかもが、癪だった。


 だからといって、助けたことを後悔はしてない。その筈。

 でも、俺とこの子はこれ以上関わることはないことだけは分かった。


「ねぇ、キングマン。どうして私が襲われそうって分かったの? やっぱり、キングマンの超強力センサー!? あれでしょ、未来予知して助けてって叫ぶ人を検知してそこに行くアレでしょ!」

「いや……普通に近くを通ったから……」


「あ、それにあの不審者を倒したキックってキングマンキックだよね! 蹴った場所をドーンと爆発させるあの! 爆発しなかったのは、不審者さんが死んじゃうから?」

「ただの跳び蹴り……」


「じゃあじゃあ!」

「待て待て、興奮してるところ悪いが、俺はもちろん本物のキングマンじゃないし、超強力センサーもない、キングマンキックもなし。通りすがりの通行人Aだ」

「通りすがりの通行人Aさんが、キングマンの正体だったんだ!」

「はぁ……」


 俺は顔を手で覆ってため息を吐いた。

 なんでこういうタイプってのは、自分の都合のいいようにしか物事を解釈しないんだ。いや、それはまだいい。こうやって、俺の周りを飛び跳ねながらキラキラと言葉をぶつけなかったらな!


「そういえば、キングマンって今日ショーをしてたキングマンでしょ?」

「……さぁな」

「絶対そう!」


 俺が先導して、後ろに女子高生。

 人気のある街路に出るまでの連れ添い。その短い付き合いの中で、彼女はペラペラと色々なことを話す。


「そのヒーロースーツ、そこらのコスプレなんか比にならない! それに、身体運びもそう、ショーで見たあのキングマンとそっくり!」

「あのなぁ、君は衣服評論家で、そのうえ殺陣評論家でもあるって? そう思いたいだけだろ? 一緒に記念撮影したあのヒーローがもしかして、自分を助けてくれたって」

「……それと、記念撮影の話をしてないのにそれを知ってることも証拠に加えておいたよ」

「あ……」


 しまった。

 つい反論に力を入れてしまって、言わなくてもいいことまで言ってしまったみたいだ。細道を抜ける辺りから、町の喧噪が聞こえ始める。

 俺は咳払いをして、話題を変える。


「ともかく、ここならもう安心だろう。ほら、これ」

「お金……? どうして?」

「タクシー代。怖いだろ、さっきの今で夜道を帰るの」

「……キングマンが一緒なら全然怖くないよ!」

「一緒に帰れないからだ」


 まず、ヒーロースーツを着て女子高生と夜道を歩くなんて。ここに不審者がいます、逮捕してくださいって言ってるようなものだし。

 逆に、服を取りに帰って一緒に帰ることも考えたが……。それだと顔バレするし……。


 だからタクシーで帰って貰うのが一番いい。


「タクシーに乗って、家にしっかり帰ること。俺との約束だ。いいな?」

「……分かった。何から何までありがとう、キングマン。ハグしてもいい?」

「いや、ハグはなしだ。あそこにあるスーパーにタクシーを呼んでおくから、来るまでは店の中で大人しくしておくんだぞ」

「うん……」


 そう言って、スーパーの中に入っていく彼女を見送って、俺はタクシーへ電話する。

 これでもう大丈夫だろう。

 はぁ、色々あって今日は疲れてしまった。打ち上げはサボろう。そのまま、上司に連絡を入れて俺は帰宅した。

 もう、こんなことは起きないようにと願いつつ。



 ◆


「お前の助けなんて必要ない」

「……」


 ボロいアパートの階段を登って、立て付けが悪い扉を開けて閉める。蒸し暑い我が家が出迎えてくれた。

 頭の中には苦い記憶が蘇る。俺が人助けをする度に、若い俺のそんな記憶が蘇っては己の心を串刺しにした。

 服を雑に脱ぎ捨てて、肩に巻かれたハンカチを手に取る。


 白い布に、赤い色が嫌に浸食していた。タクシーの代金として、頂戴しておくか。どのみち、返すあてもないんだから。

 ヒーロースーツを脱いで、俺は肩の傷よりもスーツの傷を気にした。


 血まで染みついてしまっている。取り敢えず、洗わないと……。あと傷の消毒と、止血。やることが多い。


「どうして助けたんだか……」


 そんな言葉が俺の口から漏れた。

 助けたことを後悔しているのではなく、性懲りもなくまた人助けをしてしまった自分に嫌気が差しただけだった。

 あの子が無事に家に帰れたことは嬉しい。それが自分の善行によるものだとすれば、なおさらだ。だけど、それとは別に己の学習能力のなさには熟々うんざりしているだけ。


「人を助けてもいいことないのにな」


 水場にスーツとハンカチを突っ込んで俺はぼやいた。

 思い出す。あの子の眩しい在り方を。

 あの子には夢があった。いつか、キングマンみたいなヒーローになるなんていう夢。それは、叶わない。


「人はヒーローにはなれないからな」


 蛇口を捻れば、トポトポと水が流れ始めた。

 俺も、多分そんな夢があった。あの子みたいにがむしゃらに夢を目指して駆けていた時期もあっただろう。

 今は?

 こんな様だ。


 コスプレして、ああいう幼気な子供たちに無駄な夢を売りつける。最低な商売。


「叶わない夢に何の価値がある? なぁ、そう思うだろ?」


 と、俺は自分に同意を求めた。

 多分、心の中の自分はそうだそうだと頷くだろう。


 チャプチャプと水でスーツとハンカチをゆすぐ。

 これで、少しはまともになった。あとは、乾燥機に突っ込んどいて……。


 今日はもう寝よう。

 色々ありすぎたから。

 そう思って俺はそのままベッドにダイブした。

 はぁ、本当に仕事やめたい……。


 ◆


「君、仕事クビだ」

「……え、クビですか?」


 翌朝、上司に少し破損したヒーロースーツを見せて帰って来た一言がそれだった。

 あまりにも急な出来事に、俺はちょっと戸惑っている。確かに、昨日眠りにつく時に仕事をやめたいと思ったけれど……。


 そういう言葉通りになるなら、もっとなって欲しい出来事はあるんだけど!


 そんな気持ちで溢れていた。


「君ねぇ、いくらなんでも社用のものを勝手に持ち出して破損させるのはあり得ないよ」

「……それは、はい」


 仰る通りだ。持ち出したことにしても理由があったし、傷をつけたのも理由があった。だからといって、許されることではない。言い訳もするつもりがない。


「君は優秀だったから、こんなことは言いたくないんだけどね。なんで血がついているのかも気になるし……」

「ええ、まぁ……頑張って洗ったんですけど、やっぱり落ちなかったみたいで」


 ちょっと赤いシミを残してしまったのがダメだったみたいだ。

 とにもかくにも、俺は今日から晴れて無職。上司の部屋を出て、自分の荷物をまとめて職場の出口を目指す。


 長くお世話になった職場だが、まさかこんな形で出て行くことになるとは……。

 やっぱり人助けなんてするものじゃないな。いや、やめたかった気持ちもあるし、丁度よかったのかもしれない。


「おい、素直に出て行くのか?」

「佐山、お前にも世話になったな」


 俺の前に佐山が立って、そう言った。

 短い礼を述べて、そのまま出て行こうとする俺の肩を佐山が掴む。(怪我してない方でよかった)


「俺と姫も味方になるから、もう少し粘ってみろよ」

「……ヒーロー役になりたかったんだろ? 俺じゃないとすれば、佐山しかいないだろ。よかったな」

「……そんな補欠みたいにヒーロー役を貰っても嬉かねぇんだよ」


 肩を離して、佐山は俺を睨んだ。

 そんな風に言ってくれるのはありがたいが、正直なところ……佐山がそこまで求めているヒーロー役というものにも、俺は全く本気じゃなかった。


「悪いな、正直、佐山ほどこの仕事に思い入れがあるわけでもないんだ」

「……そうかよ」


 どこへなりとも行きやがれ、そんな言葉と共に佐山は踵を返していった。さて、これ以上誰かに引き留められても嫌だし、さっさと帰るとするか。

 荷物を詰めたカバンを持ち。俺は帰路についた。



 ◆



 職場を出て数分。

 ジリジリと暑い道を歩く俺。まさか、こんな早く帰宅するハメになるとは思わなかった。

 頭の中では、これからの生活のことなんかが浮かんでは消えていく。


 まぁ、貯金は結構あるし、二ヶ月くらいはゆっくりしようかな。

 なんて、考えも過ってった。


 何はともかく、起こってしまったことは仕方がない。

 取り敢えず今日は退職祝いに一人パーティーでもしよう。そうしよう。

 そんな決意を胸に抱いた瞬間だった。


「キングマーン!」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえる。振り返りそうになるが、グッと堪える。

 多分、その声の主は想像が着いているし。誰のことをそう呼んでいるかも分かっている。分かっているが……振り返ったり、返事をしたら最後、数十分は時間を無駄にしてしまいそうだ。


「おーい! キングマーン!」


 たったったった。

 人が走る音がどんどんと近づいてくる。あぁ、と諦めの境地に達した俺。

 やがてその音は俺の隣にたどり着き。

 おまけにそこで止まった。


「なんで無視するのキングマン!」


 そのまま、一歩、二歩と歩を進めて。

 昨日みたばかりの女子高生は胸を張って俺の前に立ちはだかった。


「まず一つ。俺がキングマンじゃないからだ。二つ、そもそも俺は君を知らない。最後に、知っていても多分関わらない」

「そのどことなく嫌味だけど、根底には優しさがありそうな喋り方! やっぱりキングマン!」


 ぴしりと俺に指を指して女子高生はそう言い放った。どうしたって、こんなに元気なんだろう。

 というか……明るい場所で彼女の姿を改めて見ると、とんでもない格好をしていた。


 まず服装だが、全身黒づくめ。そのうえ、差し色に緋色を使ったゴスロリ……? みたいな服。顔には眼帯。毛先を赤に染めた女子高生。


 昨日はもう少し普通の格好をしていたはずなんだけど……。


「あ、高瀬川有栖! 私の名前ね。まぁ、それは世間の目をかいくぐるための偽名なんだけど……私の真名は――」

「……」

「ちょっと、どうして無視するの!」

「だーかーらー、人違いだって」


 思いっきり会っているが、俺はこの嘘を貫き通すことにした。なんか、かなり面倒臭そうな女の子だし……高瀬川は。

 俺の前に立ち続けて、高瀬川は頬を膨らませる。


「そんな嘘をついても、私には分かるから。そもそも、肩の傷。それに声、動き方も含めて、自分がそうじゃないっていうのはちょっと無理があるよ……?」

「……まぁ、そうか」


 そういえば、この子の勘は割と鋭い方だったというのを忘れていた。

 肩の怪我も隠しきれないし……。我ながら回避方法が子供過ぎたな、反省。


「井出桃、一応名前だ」

「桃……可愛い名前!」

「どうも。顔に似合わないってよく言われるよ」


 予想通りの返事を聞いて、俺はため息を吐いた。

 桃ちゃん、なんて呼ばれることもある。両親は桃太郎ってつけるつもりみたいだったから、桃でよかったとさえ思うが。


「それでね、井出くんにお礼したくて。キングマンの会社を目指してたの」

「で、丁度その会社をクビになった俺とばったり鉢合わせたってわけか」

「え、クビに? どうして?」

「まぁ、ちょっと色々あってな」


 君を助けたせいでクビになったんだよ。なんて、口が裂けても言えないだろう。実際、彼女のせいではないが、俺の事情を説明したらそういう風に思ってしまうかもしれない。

 助けられたことに対して、罪悪感みたいなものを抱かせてしまうのは間違いだ。


「それは残念だね……でも、井出くんみたいにいい人ならすぐにもっといい仕事が見つかると思うな!」

「そりゃどうも」


 高瀬川はうんうん、と頷いて俺の腰を叩く。

 一々元気な奴だ……。


「それで、昨日井出くんに助けられて思ったんだ。この町を守るヒーローは井出くんだって!」

「……ん? なんて?」

「はい、これ!」

「……これは?」


 服と同じように真っ黒なカバンから取り出されるのは、袋に包まれた何か。

 無理矢理渡されたそれを見て、俺は首を傾げた。ただ一つ確かなのは……悪い予感がする。


「ヒーロースーツ! 夜なべして作ったんだ!」

「ヒーロースーツ……?」

「そう、昨日井出くんが来てたスーツのサイズを調べてね。多分、サイズ合ってると思うよ」


 俺は足を止めて。呆けていた。

 多分、今の俺の顔は他人様に見せられないくらいお間抜けだったに違いない。

 あまり人通りが多くない道の真ん中で。

 ギラギラと太陽の光が突き刺す下。

 俺は精一杯、高瀬川の言葉を理解しようとしていた。でも、無理だ。


「えーっと、待ってくれ。つまり……?」

「つまり、私と一緒にこの町を守ろう!」

「なし、なしだ。絶対やらない!」


 俺は首を強く横へ振った。

 冗談じゃない。どうして本業をやめたのに、まだコスプレを続けなくちゃならないんだ。しかも、今回は無給で!

 このヒーロースーツとやらも突き返したかったが、俺がそうしようと手を突き出した途端。高瀬川はひょい、と一歩引き下がってしまう。


「よく考えてみて! その袋に私の連絡先も一緒に入れてるから! やる気になったら連絡してよ!」


 それだけ言うと、高瀬川は走り去って行ってしまった。

 なんて元気な子なんだ……。じゃなくて、これをどうしろと……。どれだけ考えても答えはノー。家に帰ったら、即このヒーロースーツを放り捨てるくらいの気持ちなんだが。


 まぁ、イエスというまでずっと付き纏われるよりはずっとマシか。

 俺が連絡しない限り、多分彼女が声をかけてくることもないだろうし。そう前向きに考えることにして、俺は歩く。


「あ、ハンカチ……持ってくればよかった」


 もう既に見えなくなったあの子の背中を見送って、俺はぽつりとそう零した。



 ◆



 あのまま家に帰らず、俺は食事や買い物などを終わらせた。

 時は既に夕方、真っ赤な夕焼けが目に眩しい。両手に持つのは買い物袋と、高瀬川に押しつけられたヒーロースーツ。

 それらを見て俺はため息を吐いた。オマケに仕事はクビ。


 親には何と説明しようか。

 そんなことを考えていると、自然と視線は下を向く。前なんて見ることができないわけで。


「あ」


 だから、前方不注意で誰かにぶつかってしまうのも当然だった。

 俺は慌てて顔をあげて、そのまま、ぶつかった人に頭を下げる。俺自身焦っていたので、その人の顔は分からなかったが……。新品同然の真っ黒な革靴を見る限り、随分と品がある人には違いなかった。


「すみません。余所見してました」

「ん? あぁ、ごめんごめん。オジさんも考え事してたからさ」


 なんとも穏やかな返事が。

 俺は頭をあげると、そこに立っていたのはイケオジ。そんな言葉が似合う中年男性だ。

 銀の髪に蒼い目は明らかに日本人ではなかったし、その雰囲気も超然的だった。

 そして、もう一つ印象的だったのが巨大な日傘を差していること。


「……」


 神妙な面持ちで、男は俺に顔を近づけた。

 何の香水か分からないが、気品のある香りが男から漂っている。そのまま、妙な沈黙が少し続いた。


「あの、何か?」

「ん? いや君ってオジさんと一緒なんだなってさ」

「一緒?」

「そう」


 そう言って、男はトントンと俺の胸を人差し指で叩く。

 死人みたいに真っ白な肌。それが余計に男の底知れなさを強めていた。


「そこがない」


 そのまま、男は自分が小突いた場所と同じ場所……つまり、自分の胸をトントンと叩いた。


「珍しいよ、人でそれがないのは。あの子が見たら、仰天してひっくり返るだろうね」


 うんうん、と頷いて一人で男は笑った。

 俺は話しを全く飲み込めないが、でもこういう手合いとはあんまり話さない方がいいことは理解できた。今日は変人に付き纏われる日なんだろうか。


「あ、それで聞きたいことがあってね」

「聞きたいこと、ですか」


 視線を俺に戻して、男はニカッと笑ってみせる。

 俺の返事に、そーそー、と軽く返して。男は人差し指を立てた。


「人探し。その子のことなんだけど」

「その子……?」


 多分、俺を見たら仰天してひっくり返るとかいう子なんだろう。だとすれば、俺は知る由もない。

 だって、俺を見てひっくり返った子なんていないし。


「うん、多分一目みたら忘れないような子なんだ。可憐でさ。花や蝶みたいなんだ」

「いえ、見たことがないですね」


 人を訪ねるには余りにもふわふわとした特徴。当然、そんな特徴に当てはまるような人を俺は知らない。

 それを伝えると、男は微笑んだ。

 

「それは残念。じゃあね、ありがと」


 手をひらひらと振って、男はそのまま歩いて行った。

 俺もそのまま家に帰ろうとした瞬間。


「あ、そうだ」


 また背後からあの男の声が。


「そうだ。気をつけた方がいいかも。今日は出そうだからさ……怪物」

「……? 怪物って、何が――」


 俺がそう聞き返して振り返れば。

 そこに男の姿はなかった。その代わりというように、夕空に珍しくコウモリの群れが飛んでいた。

 不思議な男だった。

 もしかしたら、あの男自体が俺の見た白昼夢だったのかもしれない。そうじゃなきゃあの一瞬で人が消えた事実を説明できないからだ。


 唖然とする俺。

 でも、こんな場所で立っておくわけにもいかない。気を取り直して、歩き始める。


「一体何だったんだ……あの男は」


 そんな答えの出ない問いに頭を悩ませる俺。

 静かな住宅街を歩きつつ、自宅を目指す。こんな時は、さっさと家に帰って寝るに限る。今日も今日で色々あったんだから。


 晩ご飯はどうしようか。


 長い長い夏休みのことをあれこれと考え始めた時。そのついでと言わんばかりに俺は、視線を余所の方へとやっていた。

 誰だってあるはずだ。

 不意に余所を見ることが。俺もそうだった。


 脇道に続くそこに、黒モヤのようなものがあった。

 黒い霧。

 普通ならば絶対に見えないであろうそれ。そんなものが見えてしまった。


「なんだあれ」


 誘蛾灯に誘われる羽虫が如く。

 俺はそれが気になって小道に近づく。


「――!?」


 俺はちらっとのぞき込んだ身体を即座に引っ込めた。

 それは本能的なもの。一気に鼓動が早くなる。

 もう一度、のぞき込むことすら俺には難しいかもしれない。それほど、今あそこにいた何かは恐ろしいものだった。


 大きさは普通の人間。

 だが、その身体が明らかに異質。黒い霧のようなもので全身が覆われ、この世のものとは思えない。

 それに圧が尋常じゃない。


 まさに怪物……。怪物?


 あの男が言っていた怪物って、あれのことだったのか?

 だとすれば、どうしてあの男がこの怪物のことを知っているんだ。

 いや、そんなことよりも今は何事もなくここを離れないと。


 そう思って、俺が脇道を離れて帰ろうとした時。

 好奇心からか、もう一度そこをのぞき込んでしまった。心臓が止まりそうになるほどの恐ろしい怪物と、そして何より……。その奥にいたものを見て俺はもう一度、脇道の角に身を潜めてしまった。


 なんでアイツがいるんだよ……。

 怪物の近く。少し奥に、アイツがいた。

 高瀬川!


「なんでアイツはああ間が悪いんだ!」


 昨日の今日で、どうすりゃこんなに面倒事に絡まれる。

 助けるか?

 あれから?

 無理だ。昨日みたいに行かない。いや、昨日だって死にかけたんだ。オマケに仕事をクビ。助けたっていいことはない。


 今回ばかりは分が悪い。

 自己犠牲までする必要はない、そうだろう?


 でも。

 そう思ってしまう。俺の聞き分けの悪い部分が、そう思ってしまうんだ。


 俺はまたのぞき込む。逃げろ、そう念じながら怪物の奥にいる高瀬川を見る。

 思いが届いたのか、はたまた偶然か、あるいは怪物の気配に気がついたのか。高瀬川がゆっくりと俺の方へ振り向いた。


「あ、井出くんじゃ――」


 瞬間。

 彼女の身体が浮かび上がった。

 高瀬川の首元を怪物が掴んで、持ち上げていた。信じられるか? 女子高生を片手でいとも簡単に持ち上げやがった!

 とんでもない膂力。


「え、何これ……」


 流石の彼女も困惑しているようだった。

 そりゃそうだ。あんな怪物に突然襲われたんだから。でも、今回ばかりはダメだ。俺じゃ彼女を助けることができない。


 薄情だと、卑怯だと、どんな罵倒を受けたっていい。

 どうせ、俺はヒーローじゃないしヒーローになれない。

 自分の命が安全だ。

 そうしないと、また損をする。いつだって、俺は人を助けて損をしてきた。昨日だって、もっと前だって。


 だから、逃げる。

 俺は脇道から無理矢理視線を外して、そのまま駆け出そうとした。


「た、助けて――私の、ヒーロー!」

「……」


 ああ、もう!

 そんな言葉は卑怯だ。俺の心は正直に離れようとしているのに、身体が言うことを聞いてくれなかった。

 ついさっき買った荷物を投げ捨てて、彼女から貰った袋をまさぐって、それを探して。引っ被る。

 そのまま、駆けた。


「ああ、クソ!」


 気がついたら、謎の怪物に向かって跳び蹴りをかましていた。

 俺は……バカだ。



 ◆



「井出くん!」


 衝撃が走る。そのまま、地面に転がり込むが、まだ安心はできない。

 怪物は吹き飛んで電柱にぶつかった。ざまぁ、ないな。

 化け物が手を離した高瀬川をなんとかキャッチする。


「大丈夫か? 高瀬川!」

「うん、やっぱり井出くんは私のヒーローだよ!」

「バカ! 抱きつくなってまだ何も解決してないんだから」


 ギュッと俺を抱きしめる高瀬川を引き剥がして、俺は立ち上がった。

 なんとか吹き飛ばすことはできたけど……。

 あの怪物がそれだけでダウンするとは思えない。しかし、黒いもやみたいな見た目の割に手応えはあったな。


「逃げろ、コイツはマジでヤバい」

「え、逃げるって……何から?」

「何って、あい――うお!」


 身体を起こした怪物がそのまま、腕を横に振るった。黒もやがふわりと俺の方へ広がる。

 明らかに敵意を持ったそれ、何か意図があるはずだ。俺は黒もやに当たらぬように身体を屈める。

 躱そうとしない高瀬川も掴んで。


「きゃっ! ちょっと、井出くん乱暴だよ!」


 申し訳ないが、今はそんなオーダーを受けている余裕はない。

 というか、俺たちの頭上にある黒もやが明らかに固形化した。そのまま、怪物の腕から伸びた黒もやは鞭のようにしなり、怪物の元へと戻っていく。

 危なかった。

 どんな原理なのかはこれっぽっちも分からないが、あのまま突っ立っていたら拘束されてゲームオーバーだったことだけは確かだろう。


「ヒーローだとぉ?」


 怪物から声が零れた。

 俺は立ち上がって、怪物をまじまじと見つめる。

 体格は俺と同じくらい。両手両足があって二足歩行。でも、顔も身体も足も全部もやに包まれていて正体が分からない。

 ただ一つ分かるのは、頭部と思われる場所から赤い光点が二つあること。多分、あれが目だ。


「ヒーローじゃない。俺は、ただの通行人Aだ」

「え、誰と話してるの?」


 怪物に軽口を返す。丁度、その後に俺の隣でひょっこりと顔を出した高瀬川が不思議なことを口にした。

 誰と話している?

 そんなの、目の前の怪物に決まっているじゃないか。

 いや、ちょっと待てよ……。


 まさか。


「高瀬川、もしかしてあの怪物が見えてないのか!?」

「え、怪物がいるの! うん、でもそっか。私が一人でに浮くわけないし、井出くんがドロップキックをして、何かに当たるわけないもんね……」


 驚いたと思えば、すぐさま冷静に状況を分析し始める高瀬川。本当に女子高生か? なんて思ってしまう。

 俺はそんな高瀬川を気にするよりも、目の前の怪物に意識を向けていた。

 正直、今のやりとりで分かったが、俺みたいな小市民が相手にするにはちょっと……いや、かなり! 分が悪い。


 だって、変な超能力があるんだぞ。

 一般人にどうしろと! こういうのがいるってことは、どこかに本物のスーパーヒーローだっているはずだ。


「分かったか。どうして高瀬川に見えないか分からないが……逃げろ。怪物から逃げるまでの時間は稼ぐ」

「……嫌だ!」

「は?」

「一緒に逃げるよ、井出くん。二度も命を救ってくれた恩人を見捨てるなんて、私の思うヒーローじゃないもん」

「そんなことを言ってる場合じゃ……ああ、もう!」


 そうやって言い合ってる方が時間の無駄だ!

 俺は高瀬川の手を引いて、そのまま走る。もちろん、怪物のいない方に!


「おい待て! ヒーロー! せっかく待ってやったのに、逃げるのか! ヒーロー!」

「どいつもこいつも、俺はヒーローじゃないって!」


 怪物の声が背後から聞こえた。

 なんなんだ、ホント!

 俺だって暇じゃないんだぞ。

 よし、このまま人通りの多い場所に――。


「そう簡単には逃がすものか。ヒーローォォ!」

「おいおい、マジかよ」


 どうしたのか分からないが、さっきまで俺の背後までいた怪物が行く手を塞いだ。

 まさかと思うが、俺を飛び越えたのか?


「怪物かよ……」

「え、どうなってるの今?」

「逃げ道を塞がれた」

「怪物に?」

「そう」


 怪物の姿を捉えることができない高瀬川に状況を伝える。

 さて、どうしたものか。


「俺は怪物じゃない。怪人だ」

「怪人……?」

「そうだ。怪人シャドウマン。人の影。夢の影。光の反対にあるもの」


 両手を広げて、怪物が名乗りを挙げた。

 その動きに合わせて、怪物の両腕から黒もやが吹き荒れる。それは周囲を黒く包んでいく。


「さぁ、名乗れヒーロー。貴様の名を。我が反面! 人の希望! 夢の名代!」

「ヒーローとしての名前なんてないって!」

「ヒーロー! ヒーローだろう貴様は! でなければ、たかだか小娘一人のために無茶などせん!」


 ああ、もう! 最近の奴は話しが通じないな。

 俺だってそれに関しては全く同意しちまう。あの時の俺はどっかおかしかったんだ。

 でも、乗りかかった船。なら、やるしかない。たとえそれが、今に沈みそうな泥船でも!


 高瀬川から手を離して、俺は駆ける。

 どんどんと、周囲の光が黒もやに取り込まれていってる。もし、本当に周囲が影で包まれて暗闇になったなら……。多分、その時点で俺たちは無事に帰れなくなってしまう。

 なら、その前に……本体を叩く!


「クハハ! ほら、ヒーローだ。貴様は!」

「全然嬉しくないお言葉どうも!」


 狙うは光点のやや下。恐らく、顎があるであろう場所。

 どんなビックリ生物でも、人型なら急所や人体構造は人と同じだろう。なら、顎を揺らす。そうすれば問答無用でノックアウト。


 遠慮はしない。

 さっきの跳び蹴りで、怪物野郎の耐久力は確認済み。吹き飛んで電柱にまでぶつかったのに、全く余裕の表情で立ち上がりやがった。


「お礼に一発!」


 思いっきり回し蹴り。

 我ながら、感心するくらい綺麗に決まったが……。空振り。俺はそのまま、回転し、地面に激突してしまった。


「いった……」


 今、スカった。

 明らかに顔を狙ったし、狙いもバッチリだった。なのに、スカった。

 まさしく、煙みたいに当たらなかった。


「ダークマン、立って!」


 そうだ。

 隙を見せちゃ不味い。

 俺は立ち上がって、飛び上がる。


「ダークマンってまさか、このスーツの名前か?」

「うん、カッコイイでしょ?」

「最悪だ……」


 うんざりしつつ、俺は怪物の方へ向き直る。

 ともかく、名前は最悪だがどうにかしてあれをぶっ倒さないと……。


「ダークマン。クハハ! 覚えたぞ、その名。いいだろう。貴様を我が敵と認めよう」

「嘘だろ? 覚えて貰わなくても、敵として認めて貰わなくても結構だから!」


 俺の悲願になんて耳を貸さず。怪物は両腕をぶん、と振り降ろした。風圧がこっちまでやって来たと思えば、両腕から溢れていた黒もやが一気に怪物の元へと帰っていく。

 晴れた夕景色が、そこはかとなく綺麗だった。


「ではな。ダークマン。次相見える時は全力で戦えることを願っているぞ」

「……」


 会いたくもないし、戦いたくもない。でも、そんな言葉は通じないだろう。

 俺はただ黙って、怪物の一挙一動を見据えた。怪物はグッと重心を下げたかと思えば、そのまま飛び立って行く。


 脅威的な跳躍力で空を行ったかと思えば、黒もやを身体から噴出し、電柱へと突きつける。

 固体化、そのまま自身を電柱に近づけるという、およそ生物が見せることができない動きをしながら超高速で遠ざかっていった。


「なんなんだよ……アレ」


 とにかく助かったことを知って俺は地面にへたり込んだ。

 黒色のコンクリートはまだ熱いが、それよりも今は座りたい。あんな怪物を見てしまったら、仕方がないだろう?

 こっちは普通の人間なのに、相手は意味が分からない黒もやを伴った異常生物!

 オマケに身体能力もぶっちぎりでおかしい。


「大丈夫? ダークマン」

「あー、ダークマンはやめてくれ。せめて井出か桃って呼んで欲しいな」


 駆け寄って俺の顔を覗く高瀬川に、俺はそう告げる。

 ダークマンはダサすぎやしないか? だって、ダークマンだぞ!? それなら、まだシャドウマンの方がカッコイイ。

 というか、この年になってそんな名前で呼ばれるのが無理だ。恥ずかしすぎる。


「じゃあ、モモくん。私の名前も、高瀬川じゃなくてアリスって呼んでね。はい、手」

「そっちはどうでもよくないか? ありがと」


 差し出された手を掴んで、俺は立ち上がった。

 高瀬川よりもアリスがお気に召しているらしいが、俺としてはそんなに違いがあるとも思えない。

 だが、本人からしてみれば全く違うのか。まぁ、こだわりってそんなものではある。


「アリスの方が可愛いでしょ?」

「分かったよ、アリス」

「よくできました!」


 そのままの流れで頭を撫でようとするアリスの手を掻い潜って、俺はマスクを引っ剥がした。

 思えば、アリスが作ったマスクは通気性がよかったな。素人が作ったとは思えない。


「それで、一体何があったの?」

「あー……」


 俺は返事に迷った。

 だって、黒いモヤモヤの怪物が現れて、しかもその怪物はどうしてかアリスには見えなくて、オマケに空まで飛んでった。なんて説明しても多分信じてくれないだろうからだ。


 下手をすれば、そのまま警察に突きつけられてしまうかもしれない。


「どうしたの? 変な顔して」

「信じないだろうからなぁって」

「まさか、信じるよ。命の恩人なんだもん」


 彼女の真っ直ぐとした黒い瞳が俺を貫いた。

 そんな顔をされても困る。俺はアリスのそういう顔と瞳が苦手だった。そういう部分が、自分にはないから。

 ……いや、失ってしまったものだからだ。


「分かった。アリスも当事者だし、俺の見たものを包み隠さず話す。でも、これだけは約束してくれ」

「何? どんな内容でも信じて欲しいってこと?」

「違う。どんな内容でも、首を突っ込もうとするなってこと」


 下手をすれば、アリスならば信じたうえで首を突っ込みかねない。

 そういう危機感が欠如している気がした。昨日今日の付き合いだが、それだけは分かる。

 うーん、と消極的な返事をしたアリスに呆れつつ、俺はあの怪物のことを話した。というか、俺自身、誰かに話さないと頭がおかしくなりそうだったっていうのも……多分ある。



 ◆



 空には、欠けた月が浮かんでいた。

 その月の前には、巨大な樹。

 言うまでもなく、この町の名物である夢見の樹。


 ここはその周辺。

 爆発の中心地。観光街として賑わった面影は既になく。その名も立ち入り禁止区域と変わり果ててしまった区域。


 そこの聖堂。

 棄てられた教会に、男は舞い戻った。

 数多のコウモリを引き連れ、人型を形成したのは吸血鬼。今日もまた、彼は探しものを見つけなかった。


 既に円卓に集まっているのは二人の男。

 一人は和服に狐面。

 もう一人は煌びやかな装飾を数多に纏っている。


「お待たせしちゃったかな? 中々どうして、メアリー・スーが見つからないものでさ」

「いえ。この広い町で一人の少女を探すなど、砂漠で一粒の砂を探すようなもの。であれば、今すぐに処分しろなどと無理難題を貴方に課すつもりはありませんよ」


 着席した吸血鬼に、煌びやかな男は微笑んでそう答えた。彼こそは、ここに集まった五大獣たちのリーダー格。その並び立つもののない話術を持って、五大獣同士の同盟を結んだ男だ。


「御託はいい。今日は何の用で俺たちを呼びつけた?」


 不機嫌そうにそう話す狐面も五大獣の一角。かつ、最も協調性に欠いた男。丁度、リーダー格の男とは犬猿の仲だ。(そう認識しているのは、狐面だけだが)

 彼の言葉を受けて、リーダーはゆるりと立ち上がって一礼をして見せる。


「そうですね。皆様お揃いになられたことですし、本題に入りましょうか」


 手に持った黄金の杖で数度地面を突いて、男はゆっくりと語り始める。


「先日逃げたメアリー・スーさんのことです」

「おい、それについては吸血鬼が担当するという話だったろう。俺まで呼ぶ必要はない。お前の決定に異存はないのだからな」

「ええ、それは知っています。ですが、どうして我々がメアリー・スーさんを目の届くところで処理する必要があるのか、貴方はそれを知っていますか?」

「……臆病な貴様のことだ、どうせ情報が明るみに出ることを恐れたのだろう?」

「それもありますが……」


 男と狐面の応酬は続く。

 彼は言葉を吐く速度、音の高さ、低さ、タイミングを巧みに操って自然と自身に有利な状況を作り上げていった。

 狐面の男は、知らず知らずの内に男の独壇場にあげられている。


「もっと大きな目的のために、我々はメアリー・スーさんを消すのです。そのためにはメアリー・スーさんは必要不可欠」

「そういえば、お前の口から目的というのを聞いたことがなかったな」

「それはお互い様でしょう」


 ゆっくりと男は円卓の周囲を巡り始めた。


「世界平和。それが私の目的です」

「随分と大きく出たな」

「そうですか? メアリー・スーさんは夢は大きい方がいいと仰っていましたが」

「切り捨て甲斐があるものな」


 肩を竦めて狐面が立ち上がる。


「ともあれ、吸血鬼がメアリー・スーについて担当するのだ。お前の目的も大丈夫だろうさ」

「もちろん。オジさんも頑張るからさ」

「あぁ。俺は別件で忙しい。あまりつまらないことで呼んでくれるな」


 それだけを残すと、狐面は姿を消してどこかへと行ってしまった。

 男が己の席へ戻り腰を落ち着けて、その鋭い緋色の瞳を差し向ける。


「彼の別件って?」

「私にも話しを通してくれませんから。ですが、彼の私兵が倒されているみたいですよ?」

「なるほどねぇ。それでボスが出張るってわけだ。そりゃ忙しそうだね」


 そう返事をして、吸血鬼は立ち上がり飛び立つ。


「じゃ、オジさんも頑張っちゃおうかな。しっかり仕事は果たすから、安心してふんぞり返っててよ。それが、君の仕事だろうしさ」


 そのまま、割れ窓を無数のコウモリたちが潜っていき夜空へと飲まれていった。

 男は椅子に座り込んだまま、それを見送りくつくつと肩を震わせて笑う。


「私の仕事ですか……ふふふ。やはり、貴方たちに人の営みは複雑過ぎるようですね」


 彼が杖を一度突けば。周囲の明かりが消え、夜空と同じ。いや、それよりも深い闇が支配した。



 ◆



「絶対その怪人を倒さないと!」

「いや、俺との約束忘れたのか!」


 力強く拳を突き上げるアリスに俺は突っ込んだ。

 帰る道すがら、俺は今回あったことを説明したんだが……その途中途中でアリスが色々な質問をしてくるものだから予想の五倍くらい手間取っていた。

 なら、歩きながらやるのもということで……どうしてか公園のベンチで話し込んでいた。

 まぁ公園っていっても、町で一番大きくて綺麗な公園だ。名物の樹だってよく見える。

 

 そんなこんなで、いつの間にかすっかり日は落ち、夜の帳が辺りに下りた頃。ようやく俺の説明が一段落した。


 そうなった途端にこの調子である。

 予想はできていたが、この女子高生は全く怯まない。むしろ、怪物の恐ろしさを伝える度に喰い気味になっているようだった。


「どうしてモモくん! 普通の人には見えなくて、モモくんにしか感じ取れない怪人なんだよ?」

「それが?」

「だとしたら、モモくんが町を守らないと!」


 俺はひたすらに苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。

 どうして俺だけに見えるのかは分からない。実際にアリスが見えていなかったのだから、見えない奴、見える奴に分けられるのも納得できる。

 納得できないのは、どうして俺が見えない方じゃないのかってこと。


 つまり、俺みたいな普通の人間に、そんな変なものは必要ないってわけだ。

 しかし、見えるようになったものは仕方がない。そう諦めることにした。人生は諦めと妥協の連続だ。

 悲しいことに。


「じゃあなんでアリスが関わるんだ? 俺一人でカタを着ける」


 自分一人であの怪物と戦うつもりはもちろんない。

 でも、アリスみたいな子供がこんなのに関わって危険な目に遭うのはもっとない。それは、俺が戦う場合でもそう。


「それはダメ。だってモモくん……一人にすると……」

「一人にすると?」


 何かを言い切るのを躊躇ったアリスに、次の言葉を促した。

 でもアリスは首をブンブンと横に振るだけ。


「ううん! モモくんインターネットとかに弱そうだし、私が協力した方がきっといいと思うなぁ?」


 ぐいっと俺に身を寄せて、アリスはニヤリと笑った。

 まぁインターネットに弱いのはそうだが。だからといって、はいそうですかとアリスの話しを受け入れるわけにはいかない。


「あのなぁ」

「ほら、これ見て!」


 俺がもう一度注意をしようと思えば、アリスが自分のスマホを突きつけた。

 そこには、オカルト関係の特集が組まれている。

 何々……。


「最近流行の都市伝説……怪人シャドウマン?」

「そう、ここ最近話題になってるみたいだよ。私を襲って、モモくんが撃退した怪人は」


 俺はアリスのスクロールに合わせて記事を読んでいく。

 よく目撃されるのは公王町。

 黒もやみたいな姿で、夕方から深夜にかけて出現。人気のない道を歩く人間を脅かしては何もせずに帰っていく。

 ただ、シャドウマンに攻撃などをした場合は手痛い反撃を喰らうのだとか。


「今じゃ、ネットの有名な都市伝説にまでなったみたいだよ。これは、割と目撃証言なんかに基づいてるけど、噂レベルなら……こっち」


 今度はSNSなどのまとめを見せられた。

 そこにはシャドウマンに対する根も葉もない噂が……オカルトだからどこまでいっても噂みたいな存在だけど。ともかく、そういう噂で溢れていた。

 たとえば、捕まると魂を抜かれるとか。

 黒もやを吸い込むと不治の病にかかってしまうだとか。


 そんなものが散見される。


「これだけの人がシャドウマンに対して恐怖してるし、それを信じてるの」

「それで?」

「そして、実際に私やモモくんがその被害を受けた。死ぬかと思ったでしょ? 私もそう」


 真摯な表情で、アリスは俺を見つめた。

 何もかも、気丈に振る舞っているがその言葉の陰には恐怖が見え隠れしている。それもそうだ。

 昨日の今日であんな思いをして、ちっとも怖くないわけがないのだ。

 どれほど怖いか、俺にはそれを理解できないだろう。でも、それに寄り添うことはできる。


「あのシャドウマンを放置してたら、もっと多くの人がそんな思いをすることになる。もしかすると、それ以上のことだって……。それは見過ごせないよ」

「……」


 言いたいことは分かる。

 俺は実際にその危険性を垣間見た。もし、あの怪物が人を殺そうと思えば、それこそ赤子の手をひねるよりも簡単だろう。

 人を超越した身体能力に、超能力。そのうえ、驚くくらいにタフなんだ。


「お願い。私を助けたみたいに、他の人も助けて! 私のヒーロー!」

「……」


 とはいえ、俺に何ができる。

 今回もたまたま運がよかっただけ。なんとか、アリスを助けることができた。でも、次はあるか?

 多分ない。今のままあれと出会って戦うことになったら。即死だ。

 抗うことすら難しいだろう。アリスを助けることができただけで、よかったと満足した方がいい。

 でも……。


「それに、モモくんがやらないって言っても。私一人でやるよ。それが、ヒーローなんだもん」

「……」


 これが苦手だ。

 この、自分の夢や希望を全く疑わない真っ直ぐな目が嫌だ。

 この、世界は自分の好きなことで溢れていると思えるような性格が無理だ。

 鳥肌が立つくらいダメで、吐き気を催すほどに鬱陶しい。


 でも、どうしてか放っておけなかった。

 こういうのは踏みにじられる。実体験だ。でも、本当に責められるべきなのは、こういうのを踏みにじる悪意の方で。

 多分、こういうのは責めるべきじゃないんだ。


「分かった。やる。やるよ。でも、本当に一つ約束だ」


 俺はベンチから立ち上がって、アリスに目線を合わせる。

 汚れを知らない黒い瞳が素直に俺を見ていた。俺はそれから逃げないように堪えつつ。約束を持ち出した。


「絶対に命の危険は避ける。どんなことがあっても、何があっても。アリス、君がしようとしたことはヒーローじゃなくて、無謀だ」

「……うん、そうだね。約束するよモモくん」


 コクリと頷いたアリスを見て一安心。

 ついでに彼女と交わした約束で、俺が一苦労。

 ただ、この子の頑固さはよく分かった。それに、この子の根の優しさも。あと、俺との相性の悪さもな。


「よし、何をどうすればいいかは分からないけど。まずやることがある」

「おー! 何々?」


 ◆


「それが、帰宅ですか……モモくん」

「夜は遅いし。一人で帰るのも心配だから、しっかり家に入ってくれ」

「子供みたいに言って……心配してくれるのは嬉しいけどさぁ!」


 だって、今のままだと興奮冷めやらぬまま夜の町でシャドウマン探しとかしそうだし……。一人でそんなことをされると怖い。


 ぶーぶーと文句を垂れながらも、大人しく家に帰っていったアリスを見送って俺も帰路についた。

 明日から多分、どんと忙しくなる。今日は明日に備えて休むとしよう。



 ◆



「ここを、私たちの活動拠点にします!」


 ぴしりと人差し指を空へと突き刺し。アリスは言い放った。

 俺の返事はというと、かなり消極的なもの。小声で、おー。くらいだった。だって、ここは昨晩もいた公園。それも昼間となれば、多くの人が行き交うわけで。

 人の視線は気になるし、そもそもこんな公園を拠点にしたくないしで、元気がないわけだ。

 あと、暑い。


「もー、モモくん! どうしてそんなにやる気がないの! 私たちはこれから、妥当シャドウマンを目指すんだよ!」


 ぷっくりと頬を膨らませて、アリスが俺に詰め寄った。

 俺は彼女から視線をそらしついでに咳払いなんかもして、背後の樹を見据える。


「にしても、やっぱりこの公園は樹がよく見えるなぁ……」

「モモくん、露骨に話を変えないでくれる……?」


 俺の浅はかな考えはすぐに見抜かれていたらしい。諦めた俺は、ベンチに身を預けて憎たらしいくらいに真っ青な空を見た。


「とはいえ、どうやってあんな怪物を倒すんだ?」

「うーん、それは私もまだ考えてないんだ」


 俺の隣にアリスが座って、首を傾げた。

 あんな怪物を倒す方法を一晩で考えられたら、それこそ大天才だ。それに、俺はまだ本気であれを倒せるとは思っていない。

 アリスのヒーローごっこに付き合えば、いつかは彼女も諦めてくれるだろうという目論見だ。

 いつかは夢から覚めるはずだから。


「それじゃあ、今日の作戦会議はこれで――」


 なんて消極的な意見を言おうかと思ったところ。

 視界に不思議なものが目に入った。珍しいほど綺麗で自然な金髪に、透き通るような白い肌。そして、今時珍しいゴスロリの服装。

 そんな少女が公園のど真ん中を歩いていた。でも、それだけで俺の言葉が途絶えたわけではない。そこにいるはずの少女に、誰も気がついていないようだった。

 それに、少女はどこか不安げというか、落ち込んでいるというか、普通じゃないようだった。


 まさか。


「なぁ、アリス。あそこにいる女の子見える?」


 俺は確認の意味を込めて、アリスに聞いた。

 その言葉に反応したアリスは、すぐさま辺りをきょろきょろと見回す。


「あのお父さんと手を繋いでいる子?」

「じゃなくて、金髪で日傘を差したゴスロリの……」

「……? そんな子いないでしょ?」


 それを聞いて俺は確信した。

 間違いない、あれは先日のシャドウマンと同じような存在なんだ。

 どうしてか、俺だけに見える謎の存在。アリスには見えていないし、他の人にも見えていない。


 どうして俺だけに?

 なんで他の人には?

 そもそもあの子はどういう?


 色々な考えが頭に過った。

 でも、その疑問に答えを出す方法は一つしかないことを俺はよく理解していた。

 ベンチから立ち上がって、真っ直ぐと俺は女の子を目指す。


「え、ちょっと? もしかして、またモモくんにだけ何か見えてるってこと?」

「多分、そうだ」

「えー、ズルい!」


 なんて言って俺の後を追うアリス。

 できることなら、そんなものアリスに譲ってあげたいくらいだ。これがなければ、もっと普通に生活できたかもしれないし……。

 ただまぁ、あるものはしかたがない。それに、あんな不幸そうな子供を見逃してしまうのは良心が痛くなってしまう。ということで、俺はゴスロリ服の少女に話しかけることにした。


「そんな顔してどうしたの? もしかして、迷子とか?」


 怯えさせてしまわないように、努めて優しく声をかけてみた。

 根が陰気だから、あんまりダメだったかもしれないが……。それに、人通りがそれなりにある中、なにもないところに向かって話しかけてるみたいに俺は見えているんだろうな。なんて考えると、途端に空しくなってきた。


 一方で少女は地面にばかり向けていた視線を俺へと引き上げた。

 ルビーみたいな瞳が輝く。


「迷子? ええ、多分そうよ。でも、貴方は苦手。だって、貴方は私を見てくれないもの。私に蓋をしてるでしょう? それじゃあ、私はとっても悲しいわ?」

「……えーっと?」


 その返事を聞いて、俺は固まってしまった。

 意味が、全然、分からない。一体俺は今何を言われたんだ。

 硬直した俺に追撃するように、少女はくすりと笑って続ける。


「でも、心配してくれるのは嬉しいわ。ありがとう。未だ私を知らない貴方。不器用な私。そちらのお嬢さんの方が余程に素敵! だって、真っ直ぐに私を追いかける! それってとってもいいことじゃない!」

「……あー」


 俺はなんて言っていいか分からず、件のお嬢さん。つまりアリスの方を見た。

 もちろん、彼女にはこの子の声が聞こえていない訳だ。つまり、どうしてか俺が突然硬直して、困ったようにこっちを見てきた……ということになるだろう。

 つまり、多分アリスも困惑していた。


「えーっと、どうしたのモモくん。あ、もしかしてその金髪で日傘を差したゴスロリちゃんと話してるの!? えー! じゃあ、私も一緒に話したい!」

「今も話してるのに聞こえてないんだろ?」

「じゃあ、モモくんが通訳してよ!」


 さらっととんでもないことを……。そんなの無理に決まってるだろ。

 と反論しようとしたが、少女が俺たちの間に立って微笑んだ。


「あら、真っ直ぐな貴方は私と話したいの? そういう夢を見てるのね?」

「早くモモくん! 私も声とかどんな子かみたいなぁ……」

「ふふ、なら叶えてあげる! その願い!」


 なんだか、奇跡的にアリスと女の子の会話が噛み合っていた。しかも、少女は願いを叶えるなんてことを言い始めたし……。

 それで、本当にアリスがこの子を見えるようになるわけじゃないだろう。そんな都合のいい話は……。


「え! 見える! 見えるよ、モモくん! なんでさっきまで見えなかったんだろう!」

「は?」


 飛び退いて驚くアリス。突然、見えたらしい。

 ともすれば、受けた衝撃は俺だって負けてないだろう。でも、俺の方は驚き過ぎて固まってしまった。だって、あの子が願いを叶えると言った直後にこれだ。

 じゃあ、本当に?


 ……んなわきゃない。


「ていうか、凄く可愛い! お名前は? 私は高瀬川有栖! よろしくね!」

「ええ、こんにちは素敵な貴方。私はメアリー・スーよ」

「メアリー・スーちゃん! ちょっと耳が痛い名前かも?」


 硬直する俺を放置して、二人は仲良く自己紹介をしていた。

 アリスにメアリー・スー。どことなく似ている気もしないでもない。ともかく、メアリーには、もう少し詳しい話を聞く必要がありそうだ。


「じゃあ、ちょっと場所を移そうか。落ち着いて話せる場所にさ」


 俺たちはそのままベンチへ。しっかり日陰を確保した。

 依然として、他の人たちにはメアリーの姿は見えていないらしい。それはつまり、突然他の人たち全員に少女の姿が捉えられるようになったわけではなく。アリスがピンポイントで見えるようになった……ということを意味していた。


「メアリーちゃん。どうして私はさっきまで貴方を見ることができなかったの?」

「ふふふ。それは、貴方が元々私たちを見ることができないから。目がない生物が、何も見えないように。手がない生物が何かに触れられないように。貴方は私たちを見ることができない人だっただけなのよ?」

「じゃあ、なんで突然見えるように?」


 アリスが首をコテリと傾げて、メアリーに更なる説明を求めた。

 ふふん、と笑ってメアリーは続ける。


「私が見えるようにしたの。それが貴方の望みでしょう?」

「……ホントに?」

「ええ、私は嘘はつかないもの。むしろ、嘘に塗れてるのは貴方たちでしょう? でも、貴方は特別ね。しっかり私を見据えてくれてる。だったら、私だって姿を隠すのは失礼だもの」


 メアリーの言葉は捉えきれなかった。抽象的というか、なんとなく意味は分かるがメアリーの意図を完璧にはくみ取れない。

 わざとなのか、それともそうなってしまうのか分からないけれど、ちょっと不便だ。

 流石にアリスも目をぱちくりとして、どう返事をしていいか迷っているようだった。


「メアリー、君は私たちって言ってたけど他にも君みたいな人がいるっていうこと?」


 アリスの代わりに、俺が別の質問をぶつけた。

 俺の予想では、シャドウマンもメアリーと同じ存在だと思う。あの怪物のこともアリスは見えていなかったからだ。


「ええ、もちろん。私を最初から見えていた貴方なら、私たちのことをもっと知っていると思ったけれど、そういうわけじゃないみたい」

「それって、たくさんいるってことなのか?」

「当然じゃない? 私はもちろん特別だけれど、一つ二つしかないほどに特別ではないの。少なくとも、私と同じような存在はあと四つ。それ以下ならもっとたくさん! 数え切れないくらいいるんだもの!」


 くるりと回って、そう答えたメアリー。

 シャドウマンみたいなのが数え切れないくらいたくさん……? 俺が生まれ育った町には、俺の知らない一面があったらしい。それも山ほど。


「でも、その仲間たちに私は見捨てられたの」

「え、どうして!?」


「どうしてかしら。私にはそれが分からない。でも、一つ確かなのは私はもう不要になってしまったということ。それが、私は恐ろしいの」

「そんなことないよ! 誰だって、何だって! ただ、そこにいるだけでいいんだよ? 生きることに理由なんて必要ないの!」


 拳を強く握り絞めて、アリスはそう言った。

 ああ、またこれだ。俺は僅かな目眩を感じ取って、誰にもバレないようにため息を吐く。


 眩しい。

 その正しい価値観と、青いものが。


「そう、貴方は優しい人なのね。お礼にもう少しだけ、私たちについて話すわ」


 そう言って、メアリーは淡々と自分たちについて話し始めた。

 彼女の話す内容は到底信じがたいことだったが、取り敢えず俺は最後まで耳を傾けることにする。



 ◆



「えーっとつまり、この町の名物だったあの樹がメアリーたちを生みだしていて」

「その原因は、人の信じる力? 多くの人に信じられたものは具現化する?」

「ええ、そういうことよ貴方たち」


 俺とアリスは互いに顔を見合わせて首を傾げた。

 あまりにも突拍子もない話で、ちょっとどういう反応をすればいいか迷子になっている。信じられないし、受け止めきれない。


「それってすっごく凄い話!」


 そんな俺とは真反対の反応をしたのがアリス。

 メアリーの話をすんなりと受け入れて、感激した様子でメアリーの手を取っていた。


「よくすんなり信じるな、アリス」

「モモくんは信じてないの?」

「そりゃそうだろ。そんな荒唐無稽な話、信じる方がどうかしてる」


 そうかなぁ、という返事と共にアリスは指を鳴らす。


「だって、実際にメアリーちゃんは不思議な力を持ってるし、他の人たちにも見えてないみたいだよ?」

「それもそうだけどさ」

「しかも、モモくんは他にも不思議な体験をしたじゃない。確かに、そっくりその通りじゃないかもしれないけど、この町にはそういう存在がいるっていうのは確かじゃない?」


 アリスの言葉にも一理ある。

 メアリーの話には、俺とアリスが体験した恐ろしいそれと一致するところもあるし、何より、ある程度それについても説明できていた。

 いや、あんな怪物が現実に存在している理屈がつくだけで、どんな与太話にも信じる価値が出てくる。本当に怖いのは、何もかもが分からないこと。


「それもそうか。受け止めきれないけど、なんとか理解できるように頑張るか」

「そうそうその調子! それで、えーっとその人の信じる心で生まれてくるものたち……長いね! なんかいい呼び名はないかな?」

「ある人たちは私たちをこう呼んでるわ、想造獣と」

「へぇ、じゃあそれでいいんじゃないか?」


 想造獣。

 どんな意味が込められているかは分からないが、名前なんてそんなもんだろう。だが、アリスは少し残念そうだった。


「イマジナリー・ブレイニング・モンスターズ! とか、いいと思ったのになぁ」

「短くなってないし……それだと」

「あ、それもそっか!」


 前から思っていたが、アリスのネーミングセンスは絶望的だ。ダークマンでさえ、短くまとまっていてよかったと思ってしまう。

 こほん、と咳払いをしてアリスは立ち上がって腰に手を当てた。その自信に満ち溢れた顔から察するに、何か思いついたらしい。


「私、思いついちゃったよモモくん。あの怪人に勝つ方法を!」


 ニヤリと勝ち気な笑みを浮かべて彼女はそう言った。

 シャドウマンに勝つ方法。一体何を思いついたというんだろう。俺は黙ってアリスの次の言葉を待った。


「モモくんがダークマンとして、いいことをするの」

「それでどうなるんだ?」

「みんなが、モモくんをヒーローだと信じれば! モモくんがヒーローとしてさらに強くなる! 本物のダークマンにだってなれるってことでしょう?」


 アリスはそのままメアリーに同意を求めた。

 こくりと頷いていることから、メアリーとしてもその理屈は通っているらしい。つまり、いいことをして俺が有名になれば、自ずと俺にヒーローとしての力が身につくってこと?


 んなアホな……。


「そうすれば、きっと! 倒せるよ!」

「だとしても俺がいいことをしたって、多くの人に知られないといけないわけだろ? そんな広告活動みたいなのは、どうするんだ?」

「ふふーん。古いねぇ、モモくんは。何歳? もしかしておじいちゃんなのかなー?」


 腕を組んで、嫌味な笑みと共にアリスは俺を煽った。

 おじいちゃんでもないし、俺は23歳でまだまだ若者だ! そう否定しようと思ったが、アリスは懐から何かを採りだして俺に突きつける。


「スマホ、SNSを使えばいいの! こう見えて私、実は有名動画配信者なのだ!」

「……へぇ」

「反応が薄すぎるよー! モモくん!? あ、そうだメアリーちゃんは? 動画サイトとか見ないの?」

「……? 私はよく分からないわ?」


 不思議そうに首を傾けるメアリー。それに反応が薄い俺。どうやら、思っていた反応と違ったようでアリスはがっくりと肩を落とした。

 残念ながら俺は動画サイトなんて見ないし、その凄さがよく分からない。


「二次元で身体を作ったりする、最近流行のバーチャルって奴なんだけど……」

「……? 知ってるかメアリー?」

「いいえ? ごめんなさいねバーチャルな貴方。私は確かに夢現。でも、身体はここにあるんだもの」


「あー! やっぱりモモくんはおじいちゃんだった。メアリーちゃんにはあとでじっくり教えてあげるね」

「それは楽しいものなのかしら?」

「どうだろ――」

「とっても、楽しいよ! おじいちゃんには分からないですよーっだ!」


 機嫌を損ねてしまったようだ。

 うーん。若者の流行りは難しいな。でも、そういうのに疎かったらおじいちゃんと言われてもしかたがないか。


「で、話を戻そう」


 とはいえ、このままキャッキャしても話が進まないので、俺から軌道修正しておく。


「そう。私の拡散力があれば、知名度という点は多分そこそこ見込めるはず。だから、今はダークマンとして活動をしていこうって話!」

「大体分かったけど、活動って何をどうするつもりだ?」

「うーん。最初は簡単なものがいいよね。それこそ、迷い猫とか迷い犬の保護活動とか……」


「にゃーん」


「あのなぁ、世の中平和なんだ。そんな都合よく迷い猫とか迷い犬が……」

「にゃーん」

「あら、こんにちは子猫さん。貴方は孤高の獣なの? それとも、不幸な除け者なの? もし後者なら、私と一緒ね」


 メアリーが屈んで子猫と話している。

 俺とアリスはポカーンと、固まってその様子を眺めた。子猫には首輪があり、明らかに飼い猫。でも、周囲に飼い主は見当たらない。

 これは……つまり。


「都合よくいたみたいだね……迷い猫」

「そうみたいだな……」


 俺とアリスは互いに何とも言えない微妙な顔つきでそう言った。



 ◆



「こんにちは、迷い猫を発見したんですが! この子を知りませんか? 分かりました! ありがとうございます!」


 インターフォンの前でハキハキと元気よくそう話したかと思えば、こっちに帰ってくるアリス。

 公園で迷い猫を発見した俺たちは、その飼い主を見つけるために住宅街を駆けずり回っていた。具体的には、それぞれインターフォンを鳴らして猫について聞く。なんともシンプルな聞き込み作業だ。


 二人して50軒のお宅は回ったが……ヒットはなし。有力な情報もなし。

 見事なないない尽くしだった。


「子猫さん、子猫さん。貴方は一体どこから来たの? もしかして、木の根の下から這い出たのかしら? なら、むしろ私たちを夢の国へつれてって」

「子猫ちゃんは何か知ってそう? メアリーちゃん」

「どうかしら、猫はとっても気まぐれですもの。何か知っていても、教えてくれるわけじゃないのよね」


 メアリーの言葉は相変わらずつかみ所がないが、それでもアリスとは仲良くやれているらしい。俺はというと、無理矢理着せられたヒーロースーツ(もちろん上にジャケットを羽織っているが)が、気になってしかたなかった。

 曰く、家を訪問して迷い猫を探している家だったらこれに着替えて渡しにいけば完璧だと。……何が完璧なんだろうか。


 俺が不審者として通報される手順がか? なるほど、それなら納得だ。

 警察のお世話にならないためにも、もし迷い猫の飼い主が見つかった際にどうやってヒーロースーツをお披露目しなくて済むかの言い訳を考えていた。

 今のところ、いい案は一つもない。


「うーん、ちょっと場所を変えてみよっか!」

「どこに変えるつもりなんだ?」

「それはもちろん!」


「それで準観光街か……」

「準観光街?」


 ため息まじりにそう言った俺に、メアリーが言葉を反すうした。まぁ、その疑問も分からなくはない。

 だって、観光街というにはあまりにも誰もいないし、そのうえ店だって見当たらない。

 これにもしっかりとした理由がある。


「あぁ、準観光街っていうのはこの地域のことを言うんだけど」

「あの事件のせいで観光街って呼ばれてたところは立ち入り禁止区域って呼ばれるようになって、こっちはそのままだからヘンテコなんだよね」

「そういうことだな」


 あの樹がまだ観光できて、世界中から多くの観光客で賑わっていたころの話だ。今から五年前くらいになる。

 その時はこの準観光街も賑わっていた。けど、今ではこんな感じなのだ。

 宿やレストランが建ち並んでいたけれど、立ちゆかなくなってみんなどこかへ行ってしまった。ここは既に観光街というよりも……。


「昔の宿なんかを利用した豪邸が代わりに増え始めて、今だとお金持ちの人がたくさんいる地域になったんだ」


 ということである。


「立ち入り禁止区域は私とっても大好き! あそこのスイートルームで暮らしていたけれど、とっても素敵なお部屋なの! 私のお気に入りね!」


 満点の笑顔でそう語るメアリー。確かに立ち入り禁止区域にはホテルもいくつかあったはず。

 しかし、そこを無断で使用していたのか……。とはいえ、彼女は普通の人が見ることができない特殊な少女。人もよりつかないホテルを勝手に使用したところで、誰も起こらないだろう。


「スイートルーム……いい響きだなぁ。私もいつか、そういう場所に泊まりたいよ、モモくん!」

「自分で稼いで、泊まってくれな。有名動画配信者さん?」


 集られそうだったので、断っておく。

 というか俺にそんな金はない。今は無職だし……自分で言ってて惨めだ……。


「ともかく! ほら、あそこのおっきい家とか、猫飼ってそうじゃない!? すっごく!」


 力強く遠くの家を指さして、アリスは力説した。

 ちなみに、子猫はメアリーが連れ歩いている。どういうことか、子猫はメアリーが見えるみたいだし、懐いているようだ。


 アリスは一度そういうと聞かない頑固者なので、従うしかない。

 彼女が指さしたのは、豪邸が並ぶ準観光街でも一際大きい家。より、観光街に近い位置にある、立地もいい場所だった。


「さぁ、モモくん! 着替えの準備だよ!」

「え……」


 なんて言ってる間に、ヒーローマスクを被せられ、上着が脱がされる。気がつけば、俺は既にダークマンに。


「あら、素敵なデザインね。貴方、普通の服よりそっちの方が可愛らしいしかっこいいわ! ずっとそれを着ていましょう!」

「でしょ!? 分かってるなぁ、メアリーちゃんは! はい、行くよー! モモくん!」

「……」


 こうなったらヤケだ。さっさとあの豪邸に行って、他の人にこの服装を見られる前にどうにかしよう。

 そう覚悟して、俺は駆けた。


「お、やる気あるぅ! なんだかんだ言って、モモくんもそれ着てテンション上がってるンでしょ~?」

「もうそういうことでいいよ……」


 勝手なことを話すアリスに呆れた俺。豪邸の入り口にやって来て、インターフォンを見回す。けれど、インターフォンはない。

 どこにあるんだ、そうやって入り口周辺を見回しているとアリスたちが敷地内へと入っていった。


「おい、勝手に入っちゃ不味いって!」

「大丈夫、ほら、インターフォンは中にあるみたい!」

「おいおい、これで不法侵入だったら俺はマジで……」


 警察のお世話になっちゃうぞ……。という言葉は飲み込んで、勇み足で中へと進んでいくアリスたちの後を追った。

 広々とした庭には、植物が生い茂っており家主がそういったものの管理に無頓着であることが分かる。濁った池には、既に魚など住んでいるはずもなく。ただ、その規模の大きさだけが伝わって来た。


「あ、あったよチャイム! ごめんくださーい!」


 先へ先へと歩いているアリスが、元気よくインターフォンを鳴らしてそう言った。

 俺も彼女の隣に立ちつつ、事の成り行きを見守る。そして、どうか俺の姿が見えないようにと、両手を合わせて祈っておこう。


「はーい、なんでしょ――」


 ガチャリ。

 そんな音と共にドアが開いた。

 まさかのインターフォン経由ではなく直。中から顔を覗かせた男と目が合ってしまった。その目は、俺の顔と身体を見て驚きの表情へと変わっていく。


「あ、不審者じゃ――」


 バタン!

 勢いよく扉は閉まった。取り付く島もなしとは、こういうことを言うのだろう。それくらい、見事な門前払いだった。


「あー。何がダメだったんだろう?」

「何だろな、このヒーロースーツのせいかもしれないな」

「それはないよ! だってこんなにかっこいいんだし!」

「……そっか」


 そう言い切られると困ってしまうな。なんか、正直にこの全身タイツじみた不審者スーツの仕業だろ。って言えなくなってしまう。

 通報される前に帰ろう、そう思って踵を返そうとしたところ。アリスに裾を引っ掴まれた。


「待って、まだ望みがありそう」

「……?」


 そう言って、アリスは扉の方を指さした。

 耳を澄ましてみて、というジェスチャーに従って俺は耳を傾ける。すると、ドアから何か二人が話し合っているような声が聞こえる。

 かと思えば、ガチャリとドアが再び開いた。


「……ぷっはっはっはっは!」


 今度はサングラスをかけた女性と目が合った。

 彼女は俺たちを見た途端、もう耐えきれないという風に大爆笑。扉から身体を出せば、モデルみたいなスタイルが露わになる。


「おい、やめとけって変人に関わるのは……」


 扉の奥からさっきの男が顔を覗かせて至極真っ当な意見を述べていた。俺もそう思う。多分、俺がこの豪邸に住んで、インターフォンを見ずに来客の対応をしようと思い扉を開け。

 その先にヒーローコスプレ野郎と、ゴスロリ眼帯女の子、それに子猫とかいう珍妙な組み合わせを見た時には絶対に鍵をあけない。二重ロックもオマケでつける。


 しかし、この女性はそうじゃなかったらしい。

 かつん、かつんとヒールを踏みならして彼女は俺たちに視線を合わせるため、少し屈みサングラスをずらす。


「まさか! この人たちはいい人だよ。何か賭けてもいい!」


 女性の蒼い瞳が俺を見据えた。

 多分、この人は特別な側の人だ。俺のような一般人では、普通関われないような。それこそ、メアリーやシャドウマン、アリスみたいな人。


「それで、私たちに何の用かな? もしかして、私のファンとか? あ、衣装デザインの売り込みかな? それとも、コラボの提案? 確かに、君のスーツは筋はいいけれど、どうにも野暮ったくて、素人感が溢れ出ているからね。いや、そういう手作り感も立派な武器だ! 今は何がウケるか分からない時代だし、うんうん、面白そうだね!」


 そのクールビューティーな見た目からは想像もできないほどの早口と大声が響き渡る。

 喋ってる間、俺のスーツを舐めるように見回して。あるいは服を引っ張って材質を確かめながら、彼女は長々とスーツの批評を行った。

 お気に召したらしいが……。

 アリスはその評価があまり気に入らなかったみたいだ。


「確かに素人っぽいですけど、私が頑張って作ったものをそう言われるのは心外です!」


 家主の前で、そんな素直に言っちゃうかぁ……。と、俺は手で顔を覆った。


「それは済まない。小さなデザイナーくん! なるほど、個人でしかも君のような若い子が、これをこしらえたのか。私はてっきり、廃れた町の廃れたご当地ヒーローかと思ったよ」

「そっちはそっちで酷い言われようだな……」


 金の髪をさらりと掻き上げて、彼女はそう返事した。

 どうやら、この人はこの人でハッキリものを言うタイプらしい。あと、多分公王町に引っ越してきて間がないのだろう。


「なるほど……では、私への用向きはそこの子猫のことかな? 迷い猫の飼い主を探しているとか」

「えっ凄い……どうして分かったんですか?」

「何、簡単な推論だよ君」


 くるりと踵を返して、女性は口角を僅かにつり上げる。


「ま、推論の中身はともかくとして。私は残念ながら、その子猫のことを知らない。それに、飼い主のことも分からない。この土地に来たばかりでね。力になれず、申し訳ない」


 白い帽子を目深に被って、彼女はそう話した。

 俺とアリスは揃って頭を下げる。


「いえ、とんでもないです。わざわざありがとうございました。では、失礼しますね」


 と、俺がお礼を述べてメアリーとアリスの背を叩く。

 これ以上ここに残っても迷惑だ。それに、俺もさっさとこの恥ずかしいヒーロースーツを脱ぎたい。


「……もう一人誰かいるのかな?」

「え」


 彼女のその言葉が後ろ髪を引いた。


「ああ、いや。最初は二人と子猫だけかと思ったんだけど、君たちの仕草を見ていると誰かもう一人いるような気がしてね」

「すごいな――」

「ええと、多分勘違いじゃないですかね?!」


 感心してその事実を認めようとしたアリスの手を引っ張って、俺は誤魔化しながら豪邸から急いで出て行く。

 あの人の勘の鋭さには驚くばかりだが、それを認めてしまうと余計な面倒事に巻き込まれてしまうような気がした。多分、俺のこういう勘もよく当たる。


「なんだか、強烈な人だったね。どっかで見たことがある気がするんだけどなー」

「確かに凄い人だった」


 豪邸から距離を取って、俺たちは一息ついた。

 なんだか映画やドラマの登場人物みたいに濃い人。そんな印象を受ける。それに、メアリーが見えていないっぽいのに、いると見抜く観察眼も恐ろしい。

 間違いなく、一角の人物だ。


 それはともかく、ヒーロースーツを脱ぐか……。マスクを取っ払おうと手をかけたところ。


「あっ!」


 男の子がこっちを指さして、そんな声を出した。

 俺たち三人は、少年の方を向く。


「タマ!」

「タマ……?」


 俺たちの方に走ってきた少年は、そのまま子猫に抱きついた。


「あ、もしかして君、この子の飼い主さん?」


 合点が言ったように、アリスが嬉しそうに手を叩いた。

 なんて偶然。


「うん! もしかしてお姉ちゃんと……なんかヒーローっぽいおじさんが?」


 俺はもうそんな年なんだろうか。

 若くはないつもりだったけど、実際目の当たりにするとちょっとショックだ……。かといって、否定するほどの気力もない。

 甘んじて現実を受け入れることにしよう。


「そう、公園で見かけて、飼い主さんを探してたんだ! 見つかってよかったよ!」

「そうなんだ、ありがと! お姉ちゃん! それに……」


 訝しげな少年の視線が俺に刺さった。

 気乗りしないが、一応名前を名乗っておかないと……。そのために飼い主を探したといっても過言じゃないし。


「あー、俺はダークマンだ」


 完全な棒読み。

 なんかアリスに睨まれているような気もしないでもないが……まぁ、これが俺の精一杯だ。でも、そんなやる気のない俺と違って、少年はあの時のアリスみたいに目を輝かせて俺を見た。


「わー! 本物のヒーローなの!?」

「いや――」

「そう、ダークマンは本当のヒーローなの! カッコイイでしょ!」


 俺の否定に覆い被さるようにアリスが熱く語った。

 また俺は、こうやって本物じゃない夢を売っている。まだ心の中で小さな黒いもやが現れたような気がした。


「うん! とっても、ありがとう! ダークマン!」

「……」


 子猫を抱きかかえて、太陽みたいな笑顔でそう言われて、俺の心の黒いそれは息を潜めた。アリスと一緒で、この少年も真っ直ぐなお礼が言える子だった。

 思えば、こんなに真っ直ぐなお礼を貰ったのは……一体いつぶりだろう。


「どういたしまして、そう言って貰えてよかったよ」


 自然とそんな言葉が口から出ていた。

 実際俺たちは、お礼を言われるほどのことはしていない。けれど、やっぱりお礼を言われるのは、悪くない。


「今度は迷わないようにねー!」


 去って行く少年と猫に手を振り、閑静な住宅街にアリスの元気な声が響いた。時は既に夕暮れ。一日中、迷い猫の飼い主のために真夏の町を駆けずり回る重労働。でも、報酬はお礼の言葉だけ。


 仕事なら、不当も不当。多分、労働団体が怒り始めるくらいには、不当労働だ。

 でも、不思議と俺は不満じゃなかった。むしろちょっとすがすがしい気分。


「どう? ダークマンとしての最初の活動は」

「……まぁ、よかったよ」

「もう、照れ屋なんだからー」


 若干、俺の心を見透かされて。俺ことダークマンは女子高生に肩を突かれつつ、初めての活動を終えたのだった。



 ◆



「ふふふ、ここが貴方の家なのね? 狭いし、少しボロだけど……何より気になるのは、家具があんまりないことかしら?」

「ミニマリスト……ってわけじゃないけど、物を置いても使う暇がないんだ」

 

 自宅にあがったメアリーがキョロキョロと物珍しげに、俺の自宅を物色してそう語った。

 もうすっかり夜になった今。メアリーはどういうわけか、俺の方についてきた。そもそも、一緒に帰ってくるという選択肢を用意していなかったけれど……。


 メアリーは帰る場所がないということだったので、俺かアリスか、どっちかの家に招くことになった。結果的に、彼女は俺を選んだ。

 アリスとは仲がよさそうだから俺はてっきり彼女の家に行くものだと思っていたが。


「なんで俺のところに?」


 荷物を片付けながら、俺はメアリーにそう聞いてみる。

 一人暮らしの俺の自宅はお世辞にも広いと言える物じゃなかった。リビングに、寝室がある、一人で暮らすには十分な大きさだが、子供一人が増えるとそうでもない。

 それに比べて、アリスの家は一軒家だったし、十分な広さがあるはずなんだけど。どうして、彼女は俺の方を選んだんだろうか。


 メアリーは、頬に手を当ててうーんと悩ましげな表情を見せた。


「貴方と少し話したいことがあったから、かしら?」

「話したいこと?」


 リビングに置かれたソファに身を預けて、俺は彼女の言葉を反すうした。

 まぁ、昼間もアリスと話すばかりで俺とはしっかりと話したわけじゃない。そう思うのも当然か……。でも、俺と特別に話すことなんてあっただろうか?


「ええ。空っぽな貴方の本心。そこにあるはずの何か。私はそれが知りたいの」

「……?」

「貴方は何もかもを諦めたフリをしているけれど、本当はそうじゃないんでしょう。空っぽで空虚なように見えるけど、その本心はとっても熱いでしょう?」


 俺の目を見据えて。メアリーは詩でも歌うみたいにそう話した。

 相変わらず彼女の言葉はうまく捉えられない。でも、俺の心の中に踏み込んで来ているということだけは分かった。


 だから、俺は。

 正直言っていい気分ではなかった。

 俺の心なんて、俺ですらそんなに踏み込みたくないのに。どうして、今日出会ったばかりの不思議な少女に踏み込まれなければならないんだ。

 そう思ったから。


「どうしてそんなことが言えるんだ? 俺のことなんて、何も知らないだろ」

「いいえ。貴方は私。私は貴方。貴方の前の私なら、貴方の方がうんと詳しいはずよ。それに、私の前の貴方なら、私の方がうんと詳しいの!」


 くるくると横に回転し、メアリーは歌った。

 その言葉に俺が呆けていると、追撃と言わんばかりにメアリーがさらに言葉を重ねていく。


「貴方の中には私はいないけれど。それでも貴方は私を求めてる。貴方はどうしてそんなあべこべになっちゃったのかしら。その理由を教えてくれる? ねぇ、どうしてなの?」


 ぐい、と身体を近づけてメアリーは静かに囁いた。

 本物の黄金よりも価値のありそうな、金の髪が輝く。絹のように白い肌が舞う。ルビーみたいな瞳が、何よりも俺を見据えた。


「……別に大した理由じゃないさ」

「ええ、貴方がそういうのならそうかもね。どんなことでも、それを評価するのは本人よ」

「昔、手痛い挫折をした。それでポッキリ心が折れた。よくある話だろ?」

「とってもよくあるお話ね。でも、大切なのはその中身じゃない? それにまだ貴方は燻っているだけ。本当に折れていたら、こんなことやるわけないじゃない」


 まぁ、確かにその通りなのかもしれない。

 挫折から学んだ教訓は二つ。一つ、人を助けようとして大抵はロクなことが起きないということ。二つ目は叶わない夢なんて見るものじゃないということだ。

 だから俺はそういうのをやめたんだ。身分相応な夢を見るようにした。果たしてそれが夢と言えるものかは分からない。


 けれど、過ぎた夢を追って身を滅ぼすよりはうんとマシだ。そんなことをふと思い出した。


「どうだか。俺にはなんとも言えないよ。じゃあ、俺は寝るからメアリーも適当に寛いでくれ」


 彼女の鋭い目から逃げるように、俺はソファから立ち上がった。

 これ以上、自分を見透かされるのが怖かったのかもしれない。足早に寝室に行こうとする俺を、メアリーは何も言わず眺めていた。


「ええ、おやすみなさい。いい夢を見てね」


 部屋を出て行くところで、そんな風に声をかけられたが。

 俺としては頷くだけで、気の利いた返事なんて一つもできやしない。いい夢か。そんなもの、いつから見なくなっただろうな。



 ◆



 ガキのころ、俺はヒーローに憧れていたと思う。

 思うってのは、今の俺が昔の俺とかけ離れた奴だってこと。それと、昔のことは思い出さないようにしているからだ。


「おい、弱い者イジメをするな! そんな奴は俺が倒してやる!」


 こんなことを、クラスのイケてる奴等に言った俺はもちろんびっくりするくらいボコボコにされた。

 これが一回目の挫折。

 この時、こういうことをするにはある程度の力が必要だってことを俺は知った。イジメの標的は俺に移ったし、クラスでの扱いも最下層になった。中学生のころだ。


 でも、当時の俺は諦めるなんて言葉を知らなかったらしい。今思えば、ここで諦めてればよかった。それに、行動に移さなければよかった。


 そこから俺は、自衛する力を身につけるために格闘技を習った。

 俺はどうやら筋がよかったらしい。そのうえ、努力家でもあったのでメキメキと力をつけていった。

 それで課題だった、弱さを克服した。


「なぁ、カツアゲとかやめとけって。今時流行らないからさ」


 これは高校のころの俺のセリフ。

 喧嘩はしなかったが、不良高校生から誰かを助けることはよくあった。で、俺は調子に乗った。

 自分なら、人助けができるなんて思い始めた。

 丁度、クラスでイジメがあった。俺はそれを止めた。


 それで、どうなったと思う?

 また失敗した。理由は分からない。ボコボコにされることはなかったけど。腕力で勝てないと分かったら、それ以上に陰湿なやり方で俺を追い込んだ。

 何より俺の心を疲弊させたのは、助けた同級生までも俺のイジメに加担していたことだった。そりゃそうだけど、ショックだった。


 これが二度目の挫折。

 そこで、俺は学んだ。人を助けても、別に自分のためにはなりはしないってこと。それと、身の丈に合わない夢は見ない方がいいってこと。


 それが、夢とか希望とかが嫌いな理由だ。


 ◆


「……もう朝か」


 ベッドから身体を起こして、俺は伸びた。

 嫌な夢を見た。眠る前のメアリーの言葉。いい夢見てね、とは真反対の夢。思い出したくもない過去のことを思い出してしまった。

 多分、昨日メアリーと話したからだろう。よくある失敗談だが、やっぱり辛い。


 でもまぁ、忘れよう。

 そう思えば思うほど、その過去の失敗ってのは俺の後をしつこく追いかけて来る。今の状況だって、そんなものだった。


 だから、まぁ……実際のところ俺はこの失敗を忘れたことはない。


「だから決まって毎朝憂うつになるんだよなぁ」


 もぞもぞとスマホを片手にベッドから身体を出した俺。もちろん、寝起きのため息も忘れない。

 そのまま、ダラダラと寝起きを過ごそうと考えていたら……リビングから話し声が聞こえてきた。

 誰もいないはず――いや、メアリーがいた。

 メアリーがいたとなると、アリスが訪問した時に鍵を彼女が開けることもできる。ということは、今騒いでいるのは……。


 眠たい身体に鞭を叩いて、俺は急いでリビングに出た。

 だって、俺のアパートはボロだ。だから壁は薄い。いつ騒音で苦情が来るか……。いや、変な疑いまで向けられたら困る。

 そう思って部屋を出た瞬間に襲いかかる強い違和感。


 なんだか、通路が長い気がする。

 気のせいか……? そう思って俺はリビングを目指した。いつもなら十歩もせずに到着するリビング。でも、既にその歩数は過ぎている。


 何かがおかしい。

 そう思いながら、俺はリビングに繋がる扉を押し開けた。


「もう少し静か――はぁ!?」

「あ、モモくんおはよー! メアリーったら、凄いんだよ! って、見れば分かるか~」


 シャドウマンや想造獣の話を聞いた時、俺はもう並大抵のことでは驚けないと思ったが……。これは別格だ。

 だって、朝起きたら自分の部屋があり得ないほど豪勢になっていたら、誰だってひっくり返るだろ? それが今目の前で起きている。

 広々としたリビング。見たこともないくらいふかふかそうなソファ。最新ハイテクキッチン。壁に埋め込まれた巨大テレビ。数々のゲーム機。

 何もかもが俺の部屋とはかけ離れていた。


「いや、見れば分かるか~、じゃなくて! なんだこれ! 一体何したんだ!?」

「ふふふ。何をしたなんて、簡単よ。真っ直ぐな彼女の願いを叶えたのよ? 私はメアリー・スー。夢の現し身、夢の象徴メアリー・スーなんだもの! これくらい、造作もないわ?」


 メアリーの言葉の大半を理解できなかったが、彼女がこれをしたということだけは分かった。

 リビングがこんなに変わり果てたということは……。俺は踵を返して、長い長いと思った通路を再び見返す。そうすれば、俺の寝室以外に部屋が三つほど増設されていた。玄関だって、凄まじいバージョンアップが施されている。

 ん、ということは……?


 俺はパジャマのまま自宅を出る。

 もしかして……マンションそのもの変わっているのか!?


「外は、変わってない?」


 俺の住んでいるマンションはびっくりするくらいそのままだった。

 じゃあ、一体どうやって中をこんな風に……? 物理法則を無視してる! だって、中のスペースは明らかに隣の部屋を喰っているんだから。それどころか、奥の長さだってマンションを突き抜けているはずだ。


 でも、そうなっていないらしい。


「こ、これは……」


 本当はあと数時間は玄関で呆然としていたい。そうでもしないと、脳が理解できないからだ。

 でも、そうするよりも早くメアリーについてさらに知らなければならないと俺は感じていた。思えば、アリスがメアリーを見ることができるようになったのも、彼女が願いを叶えたからだ。

 そんなわけはない。


 そう思ってスルーしていたが、本当にこんなことをできてしまうくらい彼女が力を備えているのなら……。早急にどうにかしなければならなかった。

 俺は急いでリビングへ舞い戻る。


「メアリー! アリス! 一体何をどうやって、俺の自宅をタワマンに変えたんだ!?」


 俺が買ったこともない最新ゲーム機で遊びながら、アリスとメアリーが俺の方を見る。


「えーっとね。私がモモくんの家に来たんだけど、モモくん寝てるみたいだし……ちょっと遊ぼうかなぁって思ったらこの家何もないんだもん!」

「ええ、すっからかん。あるのはソファに小さなテレビに、ベッドにお風呂、寂れたキッチン。そんなの、全然楽しくないわ?」

「生活に必要なものは全部揃ってたんだけど……」


 という俺の反論をものともせず、二人はねー、と言い合いながらが話を続けた。


「一緒にゲームやりたいなぁって思ったら、メアリーちゃんが出してくれたの! それで、凄いって思って! どこまでできるかなぁって試した結果……」

「これってわけか。俺の部屋をタワマンにするのが限界ってわけだな」


 よかった。

 もっと突拍子もないレベルまで、不可思議な力を使えるのかと思ったけど。一応の限界を知れて、まぁ嬉しい。


「ううん、それがそうでもないみたい……」

「それはどういう?」


「貴方が望むなら、本当にこの建物をタワーマンションに変えてしまってもいいのよ? それが貴方の望みなら、もちろん私は叶えるわ」

「全然大丈夫だから! というか、俺の望みはそっちじゃない」

「……?」

「元に戻してくれ」


 青天井のメアリーパワーにビビりつつ、俺は本題に切り込んだ。

 確かにこんな豪華な部屋に住むのは棚ぼた的なラッキーだし、嫌なわけじゃない。でも、なんだろう……ズルい気がした。

 それに、やっぱり怖い。外と中が違う部屋に住んでいるなんて……。いや、借り部屋を勝手に魔改造したなんて大家さんにバレたら……絶対に追い出される。

 そのうえ、色々と面倒臭いことになるだろう。


「えー、どうしてモモくん、こんなにいい部屋に住めるんだよ?」

「あのなぁ……」


 そういう気持ちも分からなくはないけど……。ともかく、俺は自分の中に迷いが生じてしまう前にメアリーにお願いする。


「頼む、部屋を元に戻してくれないか?」

「本当にいいの? それが貴方の望みならもちろん私は従うけれど、後悔しない?」

「ああ、大丈夫……後悔しない」


 そう、分かったわ。と頷いてメアリーはゆっくりと手を振り上げる。

 そうすれば、軽妙でポップな効果音と共に部屋の異常が元に戻っていった。数秒もすれば、俺の部屋は見慣れたものに成り果てる。


「よかった……」


 そう呟いて、俺は胸をなで下ろす。取り敢えず、二人に話しをしないとな。アリスとメアリーをソファに座らせて、俺は彼女の力について考える。


「本当にメアリーは誰かの夢を叶える力があるみたいだな」

「ええ、そうよ。私は夢、夢は私。貴方は私で、私が貴方のようにね?」

「アリス、それにメアリー。俺と一つ約束して欲しい」


 夢を叶えるなんていう力。

 どういう原理だとか、なんでそんな力を持っているとか、何も分からないけれど。ただ一つだけ、この力を放っておくのは危険だ。それだけは分かる。

 だから、俺はある約束事を三人で結びたかった。


「その力を、使わないようにしよう」


 雑に使えば、自分の首を絞めることになる。それに、こんな力があるって誰かに知られたら……多分、悪いことに利用される。

 それはアリスやメアリーが危険な目に遭うということだ。それは見過ごせない。


「うん、そうだよね。私はもちろん分かったけど」


 アリスはすぐに納得してくれたみたいだ。ただ、彼女は隣に座ったメアリーの顔を窺う。チラリと視線をやって。

 肝心の本人の反応はよろしくない。

 初めてメアリーが明確に反抗心を示した。


「それは……嫌なの。それが貴方の望みなの? だったら、従うこともやぶさかじゃないけれど」

「俺の望みかどうかは関係が?」

「もちろんあるわ! だって、私は望みを叶えたいの! 誰かの願いを形にする。そうじゃないなら、私は……」

「それがどんな望みでも、メアリーちゃんは叶えるの?」

「ええ! 本当に望んでいるなら! だって、望むことは悪いことじゃないもの。いいことよ! だったら、私は夢としてそれを見捨てるわけにはいかないの!」


 次第にメアリーの声に熱が込められていく。

 ソファから立ち上がって、彼女は力説した。メアリーは夢や願いに関して思うところが多々あるらしい。彼女が夢の具現化だということは、半信半疑だが……もしそれが本当なら……。そこまで誰かの夢を叶えるという行為にこだわるのも、納得できるのかもしれない。


 でも、それはそれ。これはこれだ。

 俺は彼女に、そんな無差別的な力の行使をやめさせなければならない。その力が誤った使い道で使用される前に。この無邪気な少女が、罪を背負わないように。


「でも、なんでもかんでも力を使って解決するのはいいことじゃないと思うんだ。俺は」


 とはいえ、相手は年端もいかない少女。

 だから強い言葉で否定したり、真っ向から否定するのは違うと思った。言葉を選んで、語りかけるが自分の選んだそれが正解かは、分からない。

 俺の言葉にばつの悪そうな表情をしたメアリーは、何かを口にしようとする。


「それが、本当にメアリーちゃんのしたいことなの?」

「えっ……?」


 だが、その前にアリスが一言。核心に迫る言葉を述べた。

 メアリーはピタリと固まり、言葉を詰まらせる。俺も誰彼構わず願いを叶える行為が、本当にメアリーがしたいことだと思えなかった。

 それも、俺が不必要に力を使わせたくない理由の一つだろう。


「あんな風に、軽はずみに頼んだ私が言っても全然説得力がないかもしれないけど……その、本当にメアリーちゃんがしたいことのために……使うべきだと思うな」

「本当にしたいこと……。それが分からない。分からないのよ! それが分かれば苦労しないわ。でも、何も分からないの!」


 自分の胸を掴んで、メアリーは叫ぶ。繊細な青に皺が生まれた。

 アリスがメアリーに近づいて、屈んで目線を合わせる。


「じゃあ、本当にしたいことが分かるまで力を使わないっていうのは、どうかな?」

「そんなの、一体誰が私を見てくれるというの? みんなに夢は叶うんだって教えないと……私は忘れ去られてしまうわ? それが私はとっても恐ろしいの」

「私たちがいるよ! ね! モモくん!」


 力強く胸を叩いて、アリスはそう言った。俺も頷いてアリスの言葉を肯定する。こんなに近くにいるんだから、忘れてしまうことはありえない。

 夢は変わらず、叶わないものだって思っているけれど……。


「……分かったわ。うん、少しだけ自分の本当にやりたいこと、考えて見ようと思う」

「うん、私たちも手伝うから! きっと見つかるよ!」

「ああ、そうだな」


 熱くメアリーの手を握り締めるアリス。彼女の明るさが、よく伝わってくる。さて一件落着……じゃないな。


「そういえば、どうしてアリスは俺の家に?」

「あ、そうだった! すっかり忘れてたよ、作戦会議をします!」


 どうやら本題はここかららしい。

 俺は作戦会議という言葉に従い、三人分のお茶を入れるためにキッチンへと向かう。朝食は何がいいだろうか。



 ◆



 ソファを臨時で移動させて、テーブルの側面に。二人はそちらに座ってもらい、俺はテーブル用のイスに腰掛けた。


「では、今から円卓会議を行います!」

「円卓会議! ふふふ、素敵な響きね」

「これが円卓……? まぁ円卓……か?」


 アリスが天井に人差し指をピシリと向けてそう宣言した。もちろん俺の机は円卓じゃない。それよりもっと小さい一人用のテーブル。どっちかというと長方形卓会議……になるだろう。

 我ながら、面白くないシャレだな。


「いいの、円卓の方が雰囲気でるでしょ? それとも、長方形卓会議とか、そんなくっだらない名前にするとか?」

「ぐっ……」


 無自覚な指摘が俺の心に突き刺さる。

 この雰囲気から脱するため、俺は咳払いをして本題に入った。


「それで、円卓会議の本題は?」

「よくぞきいてくれました! 昨日、あれから私頑張ったんだよ。じゃじゃーん! これ見て!」


 アリスは得意気に俺たちにスマホの画面を突きつけた。

 俺とメアリーは揃ってその小さな画面をのぞき込む。そこに書かれていたのは……。


「ダークマンの……闇サイト?」

「貴方は四人目の来訪者? あら、私たち以外にも人が来てるのね」


 時代錯誤のホームページがあった。考えるまでもなくダークマンの専用サイトみたいだけど、名前から何まで怪しさと古くささで満ち溢れている。


「これは?」

「まだ一般公開してないけど、ダークマンの依頼サイトだよ! 公王町に限り、ヒーローとして活躍できるようにするの!」

「そんなのイタズラに使われるだけだって……」

「大丈夫! みんないい人だよ!」


 アリスの根拠のない自信が炸裂した。本当にこんなものを公開するつもりなのか……でも、確かにアリス一人で作ったと考えれば凄い。裁縫も、動画配信も、ホームページ作りも俺はできないからなぁ。


「というわけで、ここで今! 公開します!」

「どうやってするのかしら?」

「メアリーちゃん、よく見ててね」

「ええ、しっかり見るわ!」


 自信満々なアリスを凝視して、メアリーはゴクリと息を飲んだ。俺も公開の瞬間を眺める。

 するとアリスはスマホの画面上に移されたボタンをタップし、メアリーへと視線を合わせる。


「……?」

「はい、公開!」

「え、でもただボタンを押しただけに見えたけれど……」

「そう! ただボタンを押しただけだよ!」

「……」


 メアリーがちょっとつまらなさそうな表情を見せた。まぁ、うん。期待していたならその反応もしかたがないだろう。

 アリスは肩を竦めながら、ため息を吐いた。


「だけど、このボタンを押すっていう行為の重さはとってもあるんだよ!」

「え、そうなの?」

「もっちろん!」

「じゃ、じゃあ今度は私も押してみたい! いいでしょ? 貴方!」

「うん、次やる時はメアリーちゃんに頼んじゃお~!」

「そう! それは楽しみだわ!」


 どうやらアリスは子供の心を掴むのがうまいらしい。すぐにメアリーの機嫌を取り持った。

 俺は彼女の手腕に感心して、その微笑ましいやり取りを眺める。こうして見ると、メアリーは年相応で、不思議なパワーがあるとは思えない。

 とはいえ、彼女に不思議なパワーがあるのは否定しようもない事実だ。世の中、分からないものである。


「さてと、一つ目終わり! じゃあ二つ目!」


 スマホをポケットにしまって、アリスは指を弾く。

 彼女に習ってメアリーも同じ仕草をして見せた。すっかりメアリーはアリスに懐いたらしい。


「今日も外で活動しちゃおう!」

「またあのスーツを着ろって話か?」

「そう!」


 マジかぁ……。

 何の疑いもなく、アリスは真っ直ぐと俺を見る。期待されてる目だ……。元々やるしかないらしいが……。


 やっぱりアレを着て町をうろつくのは気が進まない。


「あと、あいつを倒す秘密兵器の用意もあるから!」


 自信満々な表情で胸を張るアリス。どうやら、その秘密兵器にはかなりの信頼があるらしい。その内容を聞きたいが……。


「秘密兵器?」


 メアリーが俺よりも先にアリスに問いかけた。しかし、当然のようにアリスが首を横へ振った。あのドヤ顔のまま。


「秘密兵器は秘密だから秘密兵器なんだよ? ヒ・ミ・ツ!」

「えー! ズルいわ!」


 ポカポカと、そんな擬音が似合うようにアリスに拳をぶつけるメアリー。俺もそんなことを言われる気がしていたから聞くのをやめていた。


「こういうのは、すぐに明かしてもしかたないでしょ? 楽しみを増やすつもりで我慢してね?」

「……うー。我慢するわ。でも、期待は大きくなるばかりね」

「だってさアリス。責任重大だな」

「大丈夫だいじょーぶ! さ、今日の活動にいこー!」


 元気よくそう行って、アリスはリビングを飛び出して外へと飛び出していった。メアリーもその後を追って駆けていく。

 まるで姉妹みたいだ。微笑ましい二人の背中を追いかけて、俺も真夏の地獄に出向く。



 ◆



「モモくん、頑張って! もう少しで届きそう!」

「風船が木に引っかかることなんて本当にあるんだな……もうちょっと! あっ!」


 手を滑らせた。あわや地面に激突……。なんていう所を踏ん張り、なんとか耐える。

 風船を手に取り、地面に戻って子供に渡す。


 ◆


「ワンちゃんと追いかけっこ、人も四つ足で走れればいいけれど、そういうわけにもいかないみたい。スピードで勝てないならあとは知恵で勝つしかないわね? さぁ、頑張って?」

「さらっと空飛びながら、そんなこという奴があるかー!」


 必死で走る犬を追いかける。

 迷い猫やら迷い犬やら、この町はペットの管理がゆるゆる過ぎやしないか?

 夢中になって走る俺と、悠々と俺についてくるメアリー。もうこれくらいの特殊な力では驚かなくなった。俺も随分慣れたものだと思う。


 と、いいながら俺はショートカットの道を使って先回り。飛び込んできた犬を抱きしめて確保!


 ◆


「きゃー! 不審者!」

「どこですか! 私たちにお任せください!」

「あっちに行った黒服の全身タイツの不審者よ!」

「あー……それは……」


 後ろからアリスと近所のおばさんのそんな話し声が聞こえてきた。

 まぁ、こういうこともある……な、うん。


 ◆


「こら、カツアゲとかやめとけ!」

「うわっ、ヤバい人だ! 逃げろ!」

「……」


 蜘蛛の子を散らしたように消えていく不良たち。絡まれていた少年に声をかけるが……。


「大丈夫?」

「ひぃ!」

「やっぱり、その服が不味いのかしら? 真っ直ぐな彼女に言って、デザインを変更するのもいいと思うわ?」


 一目散に逃げていく少年の背を眺めて、俺はガックリと肩を落とした。この姿で活動は無理があるって……。


 ◆


「メアリー、今日は好きな料理を作るぞ。何が好きなんだ?」

「料理……私食べる必要はないのだけれど、ディナーならハンバーグなんてどうかしら?」

「え、モモくん料理できるの!? 食べてみたいけど……なんか雑そうだなぁ」

「一人暮らしなんだから、ちょっとはできる。ハンバーグは……頑張ってみるけど」


 帰り道。そんな話をして俺たちは家を目指す。

 ちなみに、ハンバーグは一つ目は大失敗した。二個目で成功したから、まぁ問題はなし。メアリーも喜んで食べてたし。


 ◆


「これ見てよ!」


 公園の陰に隠れる俺に、アリスがスマホを突き出した。

 ちなみに、俺はヒーロースーツを着たままなのでこうして隠れているのだ。

 彼女の背にかかる、夕陽が少し眩しい。俺は目を細めながら身体を起こして中を見る。その画面にあるのは、SNS。特集が組まれているらしい。

 何々?


「謎のコスプレ自警団……ダークマン……?」

「あら、貴方のことじゃないの? しっかり姿も撮られてるわ……素敵な写り方」


 俺とアリスの間にひょっこりと顔を出したメアリーが柔和な笑みを見せた。

 あの長方形会議から四日。俺たちは精力的に活動している。すっかり、メアリーやアリスとも馴染めるようになったし、メアリーも随分と俺たちに慣れたみたいだった。


 色々と活動していたが、まさか特集が組まれるまで注目されているとは。

 確かに二日目くらいから、一件だけ依頼も来た。普通に依頼だったのも驚きだ。

 とはいえ、いいことばかりではなく不審者と間違われる(正解かもしれないけど)ことも結構あった。やっぱり黒色全身タイツはダメかもしれない。


「で、肝心の中身はどんな感じなんだ?」

「今はまだまだバカにされてる感じかなぁ。スーツをダサいとかいう人もいて失礼しちゃうよ! こんなにカッコイイのに……ね!?」

「あー」

「ええ……」


 息巻くアリスの勢いに押されて、俺とメアリーは揃って微妙な顔をすることしかできなかった。


「あ、でもいい言葉も書かれているわ?」

「そうなの! やっぱり分かる人には分かるってわけだね」


 実際に助けて貰えました。見た目は奇抜で不審者みたいですが、かなりいい人!

 見た目のよさは理解していないみたいだけど、確かに俺たちの活動に理解はしてくれているみたいだ。こういうのを実際に見ていると、力になるな。


 こんな活動も、続けてみようかなという気にさせてくれた。


「このまま続ければ、ダークマンが本物のヒーローだってこともきっと認知されるはず!」

「そうすれば、ヒーローの力が俺に宿る……か」

「うん!」

「理論的に間違いはないわ。貴方が信じられるほどの力を持っているなら……だけれど」


 そうすれば、シャドウマンに勝てるかもしれない。まだその話を信じ切っているわけじゃなかった。

 とはいえ、メアリーが持つ不思議な力を飽きるほど見せられた今となっては信じる気持ちの方が大きい。


「そうだ、ヒーロースーツを入れてた袋の中に、ダークマンについての設定資料を入れてるから! ダークマンの名乗り口上とかもあるからね! しっかり勉強しておいて!」

「マジか……」


 本気過ぎる。

 彼女の本気に少し圧されながら、視線を逃がすように余所を向いた時。


「――!」


 そこにいた。

 それが。


「どうしたのモ――!」


 怪物。

 シャドウマン。黒いモヤに身体を包んだ正体不明の怪人だ。それが俺とアリスと、そしてメアリーの前に現れたんだ。

 予想していなかった。そうだ、俺は小さいながらもSNSで特集を組まれるほどに活動している。


 あいつの中身が普通の人間なら、それを知っていてもおかしくはない。

 いや、俺に執着していたアイツがそんな情報収集を怠っているとも思えなかった。だから、これはあまりにも迂闊だったんだ。


「小娘、このシャドウマンが見えるのか」

「……!」


 シャドウマンはアリスに一言話しかけると、もう興味がないというように視線をメアリーに向けた。俺は彼女を庇うように、メアリーの前に立つ。

 でも、正直キツい……。

 前に立っただけで分かる威圧感。ひりついた空気が俺の肌を焼く。


「やはりヒーローか。だが、メアリー・スーに守る価値があるか?」


 一歩踏み込んで、黒モヤがそう宣った。

 刃物を持った不審者よりも恐ろしい圧が、周囲に漂い始める。こんな奴と戦うつもりなど、毛頭ない。俺の頭はどうやって逃げるかをひたすらに考えていた。


「お前みたいな得体のしれない怪物より、可愛い女の子を守るのがヒーローのお約束って決まってんだ」


 取り敢えず会話で時間稼ぎ。そう思って軽口を叩いてみる。

 しかしシャドウマンは俺に取り合うつもりはないというように、黒モヤを広げた。不味い、そう思ったが遅く……。


「きゃ!」

「メアリーちゃん!」


 黒いモヤがメアリーを取り囲み、そして空へと飛翔する。囚われたメアリーもろとも、シャドウマンは夕陽の空に。


「ヒーローよ。メアリー・スーがお前と親しいというのも、何かの運命なのだろう。このおぞましい娘の命を守りたければ、中央区のショッピングモール、その頂上に来い。ふさわしいステージを用意してやろう。急げよ。気は長くない」


 そのまま、モヤを噴射して高速で空を旋回し、消え去っていくシャドウマン。

 俺とアリスは数秒、呆然とその様を眺めるしかできなかった。あまりにも突然の出来事、そして人を越えた能力を垣間見たせいだ。


「あ、あれがシャドウマン……?」

「ああ、そうだ」


 そういえば、初めてシャドウマンと会った時はアリスは見えてなかった。メアリーの力でシャドウマンも見えるようになったということは、大方の予想通りあれも想造獣という奴みたいだ。


「あんなのが本当にいるんだ……」


 いまだ薄く黒モヤが残る夕空を見上げて、アリスは呟いた。その声も、足も少し震えている。怖くないわけがない。

 大人の俺だって、めちゃくちゃ怖いんだから。


 アリスは一緒に来なくていいんだぞ、そう言おうとした時。彼女は拳をギュッと握り絞める。


「あんなのに、メアリーちゃんが連れて行かれたんだから助けないと……!」

「怖くないのか?」

「怖いよ。すっごく! でも、だからって私だけ留守番するなんてごめんだよ。それに、モモくんがあんなのと戦うっていうんなら、私も一緒に行かないと。それが言い出しっぺの責任だよね」


 彼女の真っ直ぐな目が俺を見据えた。

 またこれだ。自分の中に湧いて出た、かすかな目眩を感じ取って俺はうんざりとする。今でさえ、俺は彼女の眩しさに辟易としていたらしい。


 それはちょっと正しい。

 少しだけ、メアリーを助けに行くことに迷いがあった。……その迷いについては、もう触れないようにする。今はそれに蓋をしよう。


「絶対に、無茶はしちゃダメだぞ。危ないと感じたらすぐ逃げること」

「うん、でも、モモくん? 私には秘密兵器があるから!」


 もうこうなっては何を言っても聞かない。だから最低限の約束をして、俺は観念した。本当は全く連れていきたくないんだけど……。彼女を放っておいて、知らないところでついてこられる方が困る。

 だったら、まだ目の届く範囲にいて貰おうというアレだ。


 アリスの言う秘密兵器が何かは分からないが、ともかく俺たちは急いでショッピングモールに向かう。



 ◆



 シャドウマンの気は長くないらしい。

 ここからショッピングモールを目指すと、徒歩では三十分。走って二十分くらい。少し時間がかかりすぎる。


 だから俺たちはタクシーを使うことにした。

 丁度公園前にタクシーが駐まっていたのは幸運という他ない。もちろん、ヒーロースーツを隠して、マスクを脱いだ俺。アリスは相変わらずの厨二ファッションを維持している。


「中央区のショッピングモールまで! 急いでお願いします! 友達がピンチなんです!」

「……?」


 タクシーに乗り込んだ俺たちは、運ちゃんのどちらまで? という言葉を待たずに行き先を伝えた。アリスの話す必要のない情報のせいで、運ちゃんが困っているような気もするが……。


「あのなぁ、そういうことは言わなくてもいいんだぞ」

「えーでも……」


 なんて小声で会話する俺たち。緩やかに動くタクシー。ちょっとした揺れを感じつつ、今からどうするかを考える。


「取り敢えず屋上にいって、全速力でメアリーを助けてすぐ逃げる。これでどうだ?」

「私たちのこと逃がしてくれるかなぁ……」


 腕を組んでアリスが首を傾げる。彼女の言うことにも一理ある。いや、一理しかない。

 あれと対峙した時点で、俺たちの不利は確定的だ。メアリーが孤立しているとも思えない、あいつの側に囚われていることだろう。だとすれば、近づいてから逃げないといけないわけで……。


「やっぱり、どうにかして隙を作らないといけないと思うなぁ」


 立てた人差し指を頬に当てて、アリスはそう話す。それはそうだ。

 問題はどうやって隙を作るか……ということ。現状、何も方法が思い浮かばない。一体、何をどうしろと言うんだ。


「お客さん、随分突飛な格好をしてますね?」


 突然、タクシーの運ちゃんがそんなことを言い始めた。アリスの厨二ファッションを見ての言葉だろう。それに関しては俺も同意だ。

 とはいえ、今のアリスに慣れきった俺に言わしてみればもうこれ以外考えられないのだが……。


「うん、かっこいいでしょう?」

「……そういうのは、あんまり流行らないとは思いますが」

「えー? そうかなぁ?」


 運ちゃんみたいな中年の運転手では、アリスの若者ファッション(の中でも派手)は理解されにくいだろう。とはいえ、中々に厳しい言葉だが。アリス本人は何も気にしていないのか、きょとんとした様子でそれを聞き流していた。


「さっきも友達がピンチだと仰ってましたけれど……厨二病って言うんですか、そういうの。よく分かりませんが、そういうのは卒業した方がいいんじゃないですかね?」


 さらに運ちゃんは語る。

 いるよなぁ、こういう聞いてもないのにペラペラ喋るタクシー運転手。なんで金払ってまでそっちの話に付き合わないといけないんだ……みたいな。


「私はそうは思わないけどなぁ」


 アリスはアリスでバッサリと否定した。多分、そういうの言われ慣れてるんだろう。バチバチだ。適当に聞き流せばいいのに……。


「運転手さんだって、この仕事をしている時にやりたいことってあると思うんだ。私は自分のそれを、ただ真っ直ぐ目指してるだけ、それってそんなに悪いことかな?」


 続けてアリスが語った。

 車内の空気はよくない。そして、喋ってない俺の居心地はもっとよくない。誰か助けて欲しいくらいだった。


「でも、結局それは叶わないでしょう?」

「うん、多分それでもいいの」

「……?」

「私はそこにたどり着くのも大事だけど、そこを目指して頑張れる私が好きだから!」


 怪訝な顔をする運転手に、アリスはとびきりの明るさを見せた。これだ、これがアリスの凄い所で、苦手な所でもある。

 だって、こんな言葉を何の迷いも恥ずかし気もなく言われてしまうと、自分の吐く言葉全てが負け惜しみとか、言い訳のように聞こえてしまう。俺だって、そういう生き方の方が美しいことなのは、よく分かっていた。


 でも、悲しいかな。俺や運転手みたいな人はそうなれない。

 社会という現実の荒波に揉まれた俺たちでは、そういう風に戻れない。ただ、やっぱり運転手も俺と同じことを感じたのか、それから反論をすることはなかった。


 ケツの青いガキめ、とか程度は思っていそうだけど。それは、俺もちょっと同じ気持ちかもしれなかった。


 ◆


「……到着しました」

「ありがとうございます」


 俺は会計を済ませて礼を言って下車する。

 続いてアリスも、とん、と降りた。


「運転手さん、ありがとう! お仕事頑張ってね!」


 手を振って、去って行くタクシーを見送ったアリス。険悪な雰囲気だったのに、アリスは全然気にしていないようだ。それも彼女の良いところだろう。


「さて……と」


 自分の心を引き締めるため、声を出して俺は空を見上げた。自分が行かなければならない屋上を見据えれば、その異変に目が行った。


「黒い……」


 アリスもそれに気がついたらしい。

 屋上の一部分、その上の夕空が黒く染まっていた。どうやら、シャドウマンはあそこにいるみたいだ。


「あそこは……」


 あの位置には確か、ヒーローショーの屋外ステージがあったはずだ。俺も何度かそこで公演をしたことがある。……なるほど、ヒーローと怪人が戦うには丁度いい場所というわけか。

 シャドウマンの奴、アイツはアイツで怪人とヒーローに凄まじいこだわりを見せている。それにメアリーを知っているみたいだったし。


「よし」


 ……とはいえ、考えていてもしかたがない。

 俺は一歩踏み出して、覚悟を決める。


「絶対助けるからね……メアリーちゃん!」

「そうだな。絶対に助けないとな」


 正直言って作戦は何も思い浮かばなかった。ぶっつけ本番。やるしかない。

 独りでに開く、自動ドアを潜って俺たちは決戦の地へと足を運ぶ。



 ◆



 立ち入り禁止と書かれた屋上の扉を押し開ける。不思議と鍵はかかっていなかったが……多分、シャドウマンの仕業だろう。

 おっと、完全に外に出る前にマスクを被らないと。

 ギュッと、マスクを引っ張って俺はダークマンに身を包んだ。


 一歩、外に出て空を見上げれば暗雲とも思える黒モヤが立ちこめている。数百人は座れる観客席の、その奥。特設ステージの上にはシャドウマンが佇んでいた。


「来たぞ、メアリーはどこだ?」


 俺の言葉に反応して、シャドウマンは空を指す。その行く先に目線を向ける。

 丁度、空中で黒モヤによって囚われたメアリーがいた。


「メアリーちゃん! 大丈夫!?」

「え、ええ……あの人は見た目と違って紳士的よ? 今の私の扱いは少し乱暴だけど。初対面というわけじゃないの。だから、それが分かるのよ」

「待ってろ、今助けるから!」


 自然と歩く足に力が入る。

 前へ、前へと進み俺はメアリーを目指した。黒モヤに捕まっているということは……。


「ああ、ヒーロー! そうだ、お前はそうするはずだと信じていた! だが、ヒーロー。このシャドウマンを倒さなければ、ここを覆う黒霧は晴れることはないだろう」


 やはりそうらしい。

 空に滞留した黒モヤが、帳のように降りる。周囲の景色を黒に塗り替える。出入り口さえも黒一色に塗りつぶした。

 不味い……! 逃げ道を潰された!


「モモくん、ううん……ダークマン。秘密兵器を用意するから時間稼ぎお願いできるかな?」

「分かった、でも何をするつもりなんだ……?」

「説明してる暇がなさそう!」


 と言って、アリスは走り去って行った。彼女が自分で危険な場所を離れてくれるのは助かる。俺も、アリスのことを気にせずに動き回れるということだから。

 やっぱりやめた。そんな選択肢すら封じられた俺は大人しく壇上を駆け上がった。


 丁度、観客席から見て端っこに立った俺。中央に君臨するシャドウマンと見据え合う。


「なぁシャドウマン。どうしてヒーローにこだわる」


 俺は構えてそう問いかけた。

 正直シャドウマンがヒーローにこだわる理由なんて、あんまり聞きたくはない。興味がないからだ。ただ、時間稼ぎ。

 俺としての勝ち目は、本当に情けない話……アリスの秘密兵器にかかっている。こんな状況で自分の命を女子高生に預けるなんて……ちょっとどうかしてる。

 でも、それしか道がないんだからしかたない。ホント、人を助けるって貧乏くじばかり。


「俺は怪人だ。怪人が怪人と証明されるには、ヒーローがいる。俺が本当に怪人ならば、対となるヒーローがいるはずなのだ! だから、人を襲い悪名を立てた」

「で、丁度俺が現れたと」

「その通り。諦めかけたその時。お前が現れたんだ。これが運命でなければ何だという!」

「なんとでも言えるだろう」


 貧乏くじだが、嫌な気はしなかった。

 充足感がある。

 なりたい自分になれているような気がした。だから、俺は構える。


「なら、俺の好きなように呼ばせて貰おう。運命だと」

「ああ……お前って、最初に会った時から人の話聞かない奴だったな……そういえば」


 シャドウマンが俺から距離を取り、ステージの端へ。

 まるで、ショーを演じる演者のような立ち振る舞いだ。


「観客が一人もいないのでは、つまらないな。どれ」


 そう言ってシャドウマンが手を振り上げれば、観客席の最前列、その中央にメアリーが座らせられた。もちろん、黒モヤの拘束つきだが……。


「さて、怪人とヒーローが向かい会えばやることは一つ。最早言葉など必要ない」

「……」


 そう言われてしまったら、こっちだってそうしなければならない。

 俺とシャドウマンは同時に疾走。そのまま、中央を目指す。


 どうするべきだ?


 お互いの間合いに入る僅かな間に、俺は考える。どう動くのが最適だ。勝てるとは考えていない。

 一発KOを避ける。それだけを絶対に避ける。

 でも、こんな奴を相手に防御に回ればじり貧だ。最適なのは、相手に流れを掴ませずこっちは致命的な一撃を貰わないように攻めること。


 その方針を確認して、俺はシャドウマンを見据える。黒モヤが足元に漂う。

 俺は飛び上がり、相手の顎を狙った膝蹴り。

 足元の黒モヤが固形化。あのままだったら俺の足が絡め取られてゲームオーバーだった。だが、取り敢えず最初はセーフ。


 それに。


「グッ!」


 俺の膝蹴りがヒット。とはいえ、場所はずらされてしまった。思わず後退りする、シャドウマン。だが、ここで距離を離させてしまえば、状況はリセット。

 なら、逃がすわけにはいかない。

 俺は追撃。当然、リーチも威力も高い蹴り。狙うのは顔。

 モヤへの接触は最低限。横蹴りを採用した。


 当然のように、シャドウマンには当たらない。

 そう。普通はこうなる。この怪人は見た目通りのモヤ、煙なんだ。煙に実体があるはずはない。


「ようやく、お前のデタラメな超能力について理解ができそうだ」


 シャドウマンはモヤを俺と自分の間にモヤを出す。

 俺はそれを見て、三撃目を中止。飛び退く。次いで、モヤが固形化。


「操りやすいのは煙状態。固形化するのにワンテンポ遅れる。そんでもって、固形化状態は自分の身体も固形化する。その時ならお前にもダメージが入る。どうだ? 正解だろ」


 飛び退いた勢いを地面に手をついて制動しながら、俺は自分の見解を話した。相手は無敵の怪物というわけではない。まぁ、タフネスは規格外だけど。


「お互い顔が見えないのが残念だよ。お前の悔しがる顔と、俺のドヤ顔……さぞ比較したら気持ち良かったろうに」


 なんて軽口を俺は叩く。

 無計画に相手を煽っているわけじゃない。一つ、俺に注意を向けること。今アリスが秘密兵器を用意してくれているらしい。もし、シャドウマンのヘイトが彼女に向いてしまえば、勝ち目がなくなり、なにより彼女が危険に晒される。


 二つ、俺が憧れてきたヒーローたちはみんなこういう洒落た軽口を叩いてた。


「ああ……そうだな……」


 ぽつりとシャドウマンがそう言ったと思えば盾のようなモヤが消え失せる。


「お前の顔が絶望に染まる時を、俺は見て見たかったぞ……」

「素直じゃないかって……!?」


 悪寒が俺を襲った。

 俺の本能がジリジリと警告音を鳴らす。嫌な予感がして、俺は天井を見上げる。


「うっそだろ……!」


 そこにあったのは十本の槍。

 黒モヤが固形化した、それが宙に浮き俺に狙いを定めていた。


「降れ、槍時雨」


 その号令と共に、シャドウマンが手を振り降ろせば十本の槍が俺に落ちた。


「クソッ! 軽口も、技の使い方も全部洒落てやがる!」


 根本的なスペック差に歴然とする俺。降り注ぐ槍を、なんとか俺は回避していく。

 木製のステージにいとも容易く突き刺さるそれを見て、俺はゾッとした。こんなの、当たった時点で終わりだ!


「余所見とは、随分と余裕だな」

「は……?」


 槍の回避に手一杯だった俺。そんな俺の懐に潜り込んだシャドウマン。

 不味い、そう思った時には遅かった。俺の身体にシャドウマンのキックが刺さった。鋭い痛みが全身を電流のように駆け巡る。


「かはっ……」


 溜まらず、俺は吹き飛んで地に伏す。

 痛いなんてもんじゃない。骨が折れてないことが奇跡と思えるような鋭さ。だが、今はそれを深く味わっている暇じゃない。

 息を吸う度に、ズキリと痛む身体に鞭を打ち、俺は立ち上がる。


 刹那、ちょうど一秒ほど前まで俺の頭があった場所に足が突き刺さった。


「もう終わりじゃないかと、ヒヤヒヤしたぞ?」

「それはこっちの台詞だっての!」


 流れを掴まれる前に、攻める。相手にトンデモ技を使わせるな。

 接近戦、ステゴロならまだなんとか……!

 攻める。攻める、攻める。

 これでも、強さにはそれなりの自信があった。そこらのチンピラや半グレには負けないように鍛えてた時期もあったからだ。

 じゃあ、今の敵は?


「鈍い、鈍い。欠伸が出るぞ」


 コイツはそこらのチンピラや半グレではなかった。

 俺の繰り出す攻撃は全部届かず、そのまま、俺の腹に蹴りがまた刺さる。僅かに浮いた身体。横腹に追撃が刺さった。


「……っ!」


 言葉にもならない声が響く。

 また吹き飛ぶ身体。骨は……まだ、折れてないと思うが……。それ以上に痛みが酷い。

 気が遠くなる。視界が霞んできたし……。身体に力も入らない。


 前にシャドウマンが来ていることは分かった。動かないと、そう思うけど身体は言うことを聞いてくれない。

 どうやら、俺はここまでのようだ。


 やっぱり、慣れない人助けなんて……するもんじゃないな。

 でも、後悔はなかった。


「負けないでダークマン!」


 遠くで、そんな言葉が聞こえた。それが、辛うじてつなぎ止めていた俺の意識を急速に戻す。

 地面を転がり、シャドウマンの追撃を紙一重で避ける。地面に突き刺さった奴の足を見て、身震いした。


「クソ、ああ、ホント……まだ休みには早いらしい」


 ふらりと立ち上がって、俺はシャドウマンを見据えた。

 正直、あの三発で俺は満身創痍。アイツに勝つなんて毛頭無理だ。なのに、どうして俺は立ち上がってるんだ?


 これ以上立ち上がっても、苦しいだけ。ならさっさと終わった方が楽なんじゃ……。そんなことを考えてしまう。


「弱い、脆い、そんなものがヒーローか」

「だからヒーローじゃないって。まぁいいや、ピンチからの大逆転はヒーローの醍醐味だろ?」


 深く息を吸い込めば、その深さだけ痛みが伝わって来た。

 それだけで怯みそうになるが、俺は精一杯の虚勢を張る。なぜだか、俺の身体はまだ立ち向かおうとしていた。

 だから、俺は両の拳に力を込める。


「ああ、そうだな。お前はヒーローではない。俺を、怪人を倒せないのだから」

「そう言われるとなんかむかつくなぁ。じゃあ、俺はヒーロー、ダークマンだ!」


 構えて、人差し指をシャドウマンに突き刺す。その瞬間、ステージ上のスピーカーに雑音が入った。

 ザーザーという音が数秒続いて、俺もシャドウマンも辺りを見回す。


「そう! 彼はダークマン。そして、対するは怪人シャドウマン!」


 アリスの声だ。

 機材室にでも忍び込んだんだろうか。なんて考えて俺は困惑するシャドウマンを眺める。

 ということは、秘密兵器がようやく……ということだな。頼んだぞ、アリス。最後の頼み綱だ。


「ダークマンは負けちゃいそう……だから、ここにいるよい子のみんな! ダークマンを応援しよう! 力を貸してくれるかな?」

「は、はーい!」


 メアリーが返事をした。

 アリスの声が屋上全体に響き渡る。彼女の明るい声は、ただそれだけで力をくれた。


「ダークマン頑張れー!」

「ダークマン、頑張ってー!」


 二人の応援が反響する。

 たった二人の声援だが、不思議と力が湧き上がるようだった。


「……いいぞ、いいぞ。希望を抱け、より深い絶望に落ちろ。喰らえ、蹴散らせ何もかも! 槍時雨!」


 空に黒槍が何本も展開された。

 さっきの倍……いや、それ以上。今の俺ではとてもじゃないが避けることができないくらいの量。

 でも、不思議と負ける気がしなかった。


 シャドウマンが手を振り上げて、即座に振り降ろす。その号令に従って槍の雨が降り注いだ。


「させないよ!」


 それに合わせて舞台の照明が一斉にシャドウマンと、降る槍を照らした。すると、どうだろうか、黒い槍は跡形もなく消え去っていく。

 合わせて、照らされたシャドウマンが呻いた。


「うっ、なんだ……これは!」


 何が起こっているか、よく分からなかった。けれど、チャンスであるということは分かった。

 俺は限界の身体を動かして、シャドウマンに駆け寄り全力のパンチ。

 普通ならシャドウマンの姿を捉えられず、空振りに終わるだろうパンチがしっかりとシャドウマンを捉えた。


 吹き飛ぶシャドウマン。


 証明が巧みに動いて、シャドウマンを照らし続けていた。


「ぐっ! おかしい、おかしいぞ!」


 慌てるシャドウマンに追撃。

 このチャンスを逃したら、二度と俺は勝てない。だから俺はシャドウマンに蹴りを入れる。


「くそ……なんだ。身体が保てない……だと」


 シャドウマンの黒モヤが消えていく。

 それに合わせて、屋上を覆っていた黒もゆっくりと晴れていった。


「認めない。認めないぞ! お前のような奴がヒーローなどと! 一人で勝てぬ弱者が、ヒーローなどと!」


 倒れた状態で、シャドウマンは俺を糾弾した。

 でも俺は別にそんなことどうでもよかった。別にヒーローであることにこだわりはない。だけど、俺がヒーローじゃないとするなら。


「好きに呼んでろ。だけどな、ヒーローでもない一般人たちに負けるお前は」


 俺は走る。


「怪人じゃないな!」


 顎に膝蹴りを入れる。

 あのタフネスだ、こうでもしないと意識を手放さないだろう。俺の目論見通り意識を手放したシャドウマンはバタリとステージ上に倒れ込んだ。


「やっと……終わったか……」


 俺も同じようにステージ上に倒れて、天井を見上げた。

 夕空はすっかり夜に変わり、シャドウマンの黒よりもよほどに美しい黒が広がっていた。


「大丈夫……!? 貴方! 生きてる? 死んでしまっていないかしら?」


 心配そうに俺の顔を覗き込むメアリーに、死んでないよという意図を込めて手を振った。

メアリーはホッとしたように胸を撫で下ろして柔らかに微笑む。

 愛らしい少女にこんな表情をして貰えると、本当に自分がヒーローになったかのような錯覚に陥ってしまいそうだった。


 取り敢えず、俺は拳を突き上げて。


「勝ったぞー!」


 勝ち鬨をあげた。



 ◆



「モモくん大丈夫?」

「ああ、まだ身体は痛むけど……なんとか動けそうだ」


 二度蹴られた腹。追撃された横っ腹が未だに痛む。シャドウマンの怪力には参ってしまう。

 アリスやメアリーをこれ以上心配させるわけにもいかないし、警備の人とか来たら面倒だし、俺は立ち上がって深呼吸をした。よし、なんとか動けそうだ。


「でも、助かったよアリス。秘密兵器が効いたみたいだけど……どうやったんだ?」


 アリスがどんな手を使ってシャドウマンを弱らせたのか。俺はそれが気になっていた。

 証明で弱らせていたが、光が弱点なら夕方時に動かないはず。それに、シャドウマン自身も困惑していた。


 そうなると、あの弱点はシャドウマンも知っていなかったということになる。

 でも光なんてありふれたもの、今まで接してこなかったわけもないだろうし……。だから、アリスがどんな手を使ったのか気になった。


 俺にはさっぱり見当もつかない。


「うん? それね、ふふふ。よくぞ聞いてくれました! これ見てよ!」


 そう言ってアリスはスマホを俺に見せた。俺はいつものようにメアリーと一緒にのぞき込む。

 その画面にはいつものSNSが。そこにかかれている書き込みがある。


「最近流行りの都市伝説シャドウマンだけど、影がある暗い場所によく出てるみたいだから光が弱点っていう噂。みんな、シャドウマンに襲われたらライトをぶつけたら怖くない! ……?」


 この書き込みがどうしたんだろうか……。

 首を傾げる俺を見て、アリスはニヤリと笑った。


「信じられるものが想造獣。メアリーちゃんはそう言ったよね。だから、私は思いついたの、弱点だって信じられたらそうなるんじゃないかって!」

「……ああ! なるほど!」


 よくよく見てみれば、彼女の書き込みはちょっとバズってる。なるほど、弱点をつけ加えたのか……というか、そういうこともできるんだな。


「賭けだったけど、上手く行ってよかったよ……本当に」


 アリスはうつむいて、俺とメアリーに抱きついた。


「無事でよかったよ、二人共!」


 いつもなら素早く引っ剥がしているところだけど、今日ばっかりは受け入れた。その温かみが俺も嬉しかったから。


「泣くことじゃないだろ、結果よければ全ていいって言うしさ」

「死ぬかと思ったんだよ! それに、泣いてないもん! ヒーローは泣かないから」


 離れて、アリスはそっぽを向いた。

 さてとシャドウマンをどうするか……。振り向いて、シャドウマンの様子を窺う。


「ぐっ……。貴様、貴様……」

「!」


 立ち上がっていた。

 嘘だろ!? あまりにも回復が早すぎる。なんなんだ、アイツ!

 俺が二人を庇って離れようとした瞬間。シャドウマンの顔を覆った黒モヤに、ヒビが入る。


 そして、割れた。

 仮面のように、黒モヤが晴れた。

 その顔を見て、俺は驚愕する。


「さ、佐山!?」

「……! しまった! クソ、何故俺の名を……いやそうじゃない、一度退かねば!」


 シャドウマンはそのまま、屋上から飛び降りて夜の闇に紛れていく。

 俺は呆然とその背中を眺めることしかできなかった。だってそうだろう? 今まで命を賭けて戦っていた奴が元同僚だなんて……。


「え、もしかして……知り合いなの?」

「あ、ああ……。いや、でも……」


 どうして佐山がシャドウマンに?

 そんな疑問が俺の頭を駆け巡る。でも、いくら頭を働かせたって答えは出そうにもなかった。俺の理解を超えてしまっているからだ。


「メアリー、何か知らないか?」

「……」


 俺はメアリーを見て問いかけた。

 でも、メアリーはばつが悪そうな顔をして視線を逸らすのみで、言葉が返ってきそうではない。その様子から、彼女は喋りたくないんだなと察するのに時間はかからなかった。


「話したくないなら、大丈夫だ」


 分からないことをこれ以上悩んでもしかたがない。


「よし、帰ろう。ここにいたら、怒られそうだし」


 実際はステージを破壊しているので、怒られるなんてもんじゃ済まないが……。


「うん、ちょっと今日は勝利パーティーをしようよ!」

「パーティー?」

「そう、メアリーちゃんもしたいでしょ?」

「ええ、楽しいことはとっても大好き。それに、二人とパーティーなんてとてもとても楽しいに決まっているわ!」

「じゃあ、決定~! モモくんの部屋でね! 材料はここで買っちゃお~!」


 おー、と拳を突き上げて階段を駆け下りていく二人。

 勝手に決めるなよ、なんて言いながら俺もその後をついていく。なんだかんだ言って、あの二人に振り回されるのを、俺は楽しんでいるみたいだ。


 マスクを脱いで、ダークマンから井出に戻って。俺たちは買い物に足を運ぶ。



 ◆



 暗い暗い夜空の中。

 飛翔するのは影の男。


 怪人シャドウマン。今し方、トラブルによって敗北したが今は完全に回復した。

 いつでもあのヒーローにリベンジできる。今からでも。しかし、気になることがあった。どうして奴は己の名を知っていたのだろうか。


 記憶を探って、探って。探り続けて、ようやく答えにたどり着いた。

 最初にヒーローと出会ったあの時。

 小娘の言葉に耳を貸していなかったが、なにか男の名前を呼んでいた気がする。


「井出……!」


 そう。

 己の同僚の名だった。

 屋根を飛び越え、黒煙を噴出し空を征く彼に衝撃が走った瞬間だ。まさか、そんな偶然があるだろうか。


 ならば、と。

 シャドウマンは進路を変える。

 奴の家に突撃し、そのまま破壊してやろう。そう考えた。


 何度、奴を憎んだことか。


 あぁ、あんな男にヒーローを見た己が馬鹿だと、恥じた。

 本物のヒーローではない。紛い物。偽物。己と相対するにはあまりに矮小。それが、あのヒーロー気取りの愚か者だった。


 そのまま、シャドウマンは直進する。


「随分と急いでるみたいだね」


 夜空の闇に、何かが浮かんでいた。

 急停止。

 その言葉は明らかに己に向けられたもので。加えて言うならば、空中に佇むことができる者など、普通は存在しない。

 ならば、シャドウマンの前に立っているこの者も、シャドウマンと同じく理の外にいる存在であることは明白だった。


 月光が銀を反射した。

 それで、声の主の輪郭がハッキリとする。普通ではない中年男性。銀の髪と蒼い目がただただ印象的だった。


「メアリー・スーを知っているね? 返事はいいよ、答えは知ってるからさ。全部見てたし」


 言葉は柔和。態度も穏やか。

 でも、どうしても拭えないのは男の圧。明らかに人ではなかった。

 ただ前に立つだけで、震えてしまいそうな威圧感がシャドウマンを襲う。誰かに恐怖することなど、もうないと思っていたのに。


 この男の前では自然と、本能が対峙することを嫌っているようだった。


「オジさんもあの子に用事があってね。んー、何を言いたいかというと……端役の出番は終わりということさ。家に帰って、大人しくしておいた方がいいよ」


 欠伸まじりに男はシャドウマンにそう語った。

 シャドウマンは男の言葉を受け入れるわけもない。夜空に黒の槍を並べ立てる。そして、手を振り上げ、間髪入れずに振り降ろす。


「黙れ、槍時雨」


 放たれた数十の槍が目の前の男を容易く貫いた。

 あの男から恐ろしさを感じたことは違いなかった。しかし、シャドウマンにしてみれば、この程度の攻撃でどうにでもなる相手である。


 目線を離して、シャドウマンは目的地を目指そうとするが。


「この程度で終わったつもり?」


 貫いたはずの男がそう話した。

 視線の端をコウモリが飛ぶ。一匹、二匹。そんな数ではない、十……百?

 男を見れば、半分ほど人形が崩れていた。ドロドロに溶けていたわけではない。刺さった槍の箇所に穴が空き、その代わりにシミのように黒が伸びていた。


 男という形を縁取る線は、次々にコウモリとなって羽ばたく。穴が広がるごとに、コウモリが増え、男という輪郭が崩れた。


「オジさんも甘く見られたものだなぁ。言っておくけど、君みたいな紛い物じゃないよ?」


 瞬間、男が解けた。

 飛翔したコウモリたちがシャドウマンの背後で、男の形を作る。


「……!」


 心臓を掴まれたような嫌悪感。

 シャドウマンが振り向くと同時に、身体が吹っ飛んだ。地に叩きつけられるシャドウマン。立ち上がってすぐに追撃を回避しようと試みるも、四肢にコウモリたちがまとわりついたと思えば、地面と同一化。


 一瞬でシャドウマンは自由を奪われてしまった。


「悪役ごっこ、楽しかったかい?」


 ゆっくりと。

 シャドウマンの後を追って地面に着地した男はゆっくりと距離を詰める。男との距離が近づく度に、シャドウマンが感じる嫌悪感はより強いものとなった。

 より的確にこの嫌悪感を表現するなら、圧。


 男と対峙した時、彼が感じていた圧よりも何倍も何倍も大きなもの。


 今まで、男は本気などではなかったのだ。今初めて、この男はシャドウマンを認識した。だからこその、この圧。

 圧死しそうだった。


「彼女の相手は君には荷が重すぎるし、せっかく見つけた暇つぶしを潰されるのも困る。邪魔だから退場の時間だ」


 スーツの裾から、月光を反射して白銀が輝いた。

 何の躊躇いもなく、男はシャドウマンの肩を貫く。鋭い痛みにシャドウマンはただ呻くしかなかった。


「ここからは本物の悪役の時間さ」


 引き抜いて、付着した鮮血を啜る男。


「じゃあ、そこで少し頭でも冷やしといてよ」

「お前は……何者だ……」

「……それ聞く? コウモリに、血を吸って、こんなに強い本物の怪物だよ?」


 踵を返して、男はおどけた。しかし、シャドウマンの反応が良くないことを見て肩を竦める。

 同時に、視線だけを背後に向けて鋭すぎる八重歯を覗かせ笑った。


「吸血鬼さ」


 それだけを言って、男は再び飛び上がる。

 目指すはメアリー・スーがいる場所。シャドウマンを負かしたヒーローの居住地だ。目的を果たすため、鬼が夜空を駆けた。



 ◆



「カンパーイ!」


 アリスの言葉を皮切りに、俺たちはグラスをぶつけ合った。

 三人で使うには少し狭い机を囲む。シャドウマンに勝利したお祝いだ。俺の身体とは言うと、完全に調子が戻ったとは言えない。

 とはいえ、あんなに強く蹴られたというのに思いの外重傷ではなかった。


「いやぁ、格好よかったよモモくん!」

「ええ、そうね。負けちゃうんじゃないかって思ってヒヤヒヤしたけれど……」


 オードブルのように置かれたおかずを取り分けて二人が口々にそう話す。結果的になんとかなったが、シャドウマンとのやり取りはとても褒められるものじゃなかった。

 下手をすれば、死んでいたんだ。

 あんなのはもう二度と御免こうむる。


「ああ、俺も二人が無事でよかったと思うよ」


 と、返事をして俺も取り分ける。

 アリスとメアリーが自由に選んだ惣菜たち。子供が好みそうな唐揚げやハンバーグやポテトフライがたんと盛られている。もちろん、こういうのは俺も大好きだ。


「ただ、肝心のシャドウマンは逃げられちゃったね……それに、モモくんの知り合いだったんでしょ?」


 うーんと唸ってアリスが首を捻った。

 彼女の言葉で、忘れようとしていたその事実を再確認する。俺たちはシャドウマンに勝利したが、そのシャドウマンを捕まえたわけではない。

 もし、あのシャドウマンがまだやる気なら……悪事を重ねることはできる。それに、あいつは知り合いだった。

 佐山、元職場の同僚。あいつがどうしてシャドウマンなんかに……。


「ああ……。でもさっぱり分からない」

「……」


 ちらりと、メアリーの方を見る。

 視線をテーブルの方へ落として、上品に料理を咀嚼する彼女。だが、その動作はどこかぎこちない。

 何かを俺たちに隠しているような。そんな不自然さを抱いてしまう。

 それにシャドウマンはメアリー・スーを知っていた。そしてメアリー・スーもシャドウマンを知っているはずだ。


 さて、どう聞いたものか――。


「ね、メアリーちゃん? メアリーちゃんは何か知らない?」

「ぶっ――!」


 アリスが繰り出した豪速ストレートに、俺は思わず吹き出してしまいそうになるのを我慢する。

 わざとか、それともメアリーが何か隠していることを知らないのか。どちらにせよ、アリス俺の悩みを吹き飛ばしたのは事実だろう。

 やり方は最悪かもしれないけど……。


 俺は満面の笑みを浮かべたアリスからメアリーへと、恐る恐る視線をずらした。

 ばつが悪そうなメアリーは、視線を右往左往させる。やがて、俺とアリスに見つめられるのに耐えかねたのか……。


「……その、私。悪い子……なの」


 と、そう言葉を零した。


「え、それって」

「どういう……?」


 なんて、分かりやすく困惑した素振りで俺たちはメアリーに聞き返した。

 でもメアリーは言い渋る。余程、言い難いことらしい。


「大丈夫、どんな悪い子でも私がメアリーちゃんを嫌いになることはないから!」


 アリスがメアリーの肩に触れて、力強く頷いた。

 その言葉に勇気が出たのか、メアリーはギュッと瞼を閉じながら話し始めた。


「そ、その――」

「――やぁ」


 直後。

 窓ガラスが割れた。

 俺の家の窓ガラスが、粉々に砕け散る。一瞬の刃物のような破壊音。その後に、酷く落ち着いた声。


 振り返るよりも早く、前面に座ったメアリー・スーの表情が見たこともない驚愕と絶望の色に染まった。


「探したよ、メアリー・スー」

「アリス! 下がってろ!」


 ここは三階。そこのベランダから窓ガラスを割って入って来るなんて普通じゃない。俺はすぐさま振り向いて、二人を庇うように立ち上がる。

 アリスも俺の指示を聞いて素直にメアリーと一緒に下がってくれたみたいだ。


 背後の様子を確認して、俺は正面を見据えた。

 そこにいたのは、いつの日か会ったスーツの中年。蒼い目と銀の髪が何よりも印象に残っている。


「ん……あ、君は! オジさんと似た人間じゃないか。久しぶりだね」


 俺の方を見て、パッと明るい雰囲気を纏った男はフランクに俺の肩に触れた。


「……!」


 俺は驚いた。

 分からなかったんだ。近づかれたことが。

 こんな状況で、不用心に接近を許すわけがない。それでも反応できなかった。


「なんだ、知ってるじゃないか。メアリー・スーのことを。オジさんに……嘘ついたの?」

「あ……」


 肩を掴んだ手に力が込められた。

 一瞬にして血の気が引く。足が震えて、身体の力が抜けていった。


 勝てない。

 本能で悟った。

 シャドウマンの比じゃない。こんなのが、人の形を保っているのが不思議でしかなかった。それに、こんなものが目の前にいて、自分がまだ人の形を保てていることも。


「モモくん!」

「っ!」


 アリスの声で俺はなんとか正気を取り戻した。男の手を払いのけて、俺は急いで後退した。

 危なかった……。あのまま気圧されていたら……。考えるだけで恐ろしい。

 心臓の鼓動が早い。まだ足は震えるし、冷や汗がドッと溢れ出す。


「……夢を見ないあの人は本当に私のことを知らなかったのよ! 嘘はついてないわ……だから、そう怒らないで私と同じ貴方……」


 怯えた様子でメアリーがそう伝えた。


「分かってるよ。ちょっと揶揄っただけさ。本当に殺すなら、君たちみんな、もう二十回は死んでるから」


 今日の天気はいいですね。

 そんなありふれた会話を交わすように、男は朗らかにそう語った。何よりも不気味なのは、多分それが事実ということ。


「……」


 俺とアリスは絶句していた。

 異質な男に驚くしかできなかったから。今の感情を一言で表わすなら恐怖だ。

 でも、それは理解できるものへ向けられたものじゃない。理解不能なものへ向けられたそれだ。


 この男、いや人のような怪物は全く俺たちとは違っていた。

 違う生物。

 思考が。

 生き方が。

 何もかもが。


「申し遅れたね。オジさんは吸血鬼。メアリー・スーと同じく五大獣にして、絶望の吸血鬼。ありもしないものを信じる心の象徴。人とは全く違う、あり得ない存在の具現化」


 ニヤリと笑みを見せれば、彼の口元からギラリと牙が光った。作り物ではない本物の牙。吸血鬼、牙がその名前に偽りはないと告げている。

 言葉や雰囲気は柔和だったが、それでも男の凶暴性を隠せてはいなかった。


「その吸血鬼が俺の家に何の用だ? 窓ガラスまで割ってくれて……どこに請求すればいいんだ?」


 圧されないように、俺は軽口を叩いた。精一杯の強がりだ。

 正直シャドウマンとは戦う気にはなった。アイツもどうしようもないくらい強い奴だったが……まだなんとかなると思えた。

 でも、目の前の吸血鬼はどうだ?


 残念ながら、どうにもならない。

 逆立ちしたって勝つことはできないだろう。いや、どんな奇跡が起きたって勝つことはできないと断言できた。

 それだけ、コイツは格が違う。

 俺にできることと言えば、吸血鬼が暴力的な手段に出ることがないように祈るくらい。


「大体分かるでしょ? 君に聞いたオジさんの探し人、それがメアリー・スーだったってわけ。さ、その子をオジさんに引き渡してくれる? そしたら、君たち二人には何もしないからさ」


 人差し指を奥にいるメアリー・スーに突き立てて、吸血鬼はそう言った。

 俺は振り返ってメアリー・スーの様子を確認する。彼女の表情は優れない。それだけで、俺は吸血鬼の言う通りにしたくはなくなった。


 拒否することも簡単だ。

 だけど、そうしたところで後がない。逃げることはできるか? 慎重に選ばないと……だって、ここで選択を誤ればアリスに危険が及んでしまう。


「そんなの嫌だよ! だって、メアリーちゃんが行きたくなさそうだもん!」

「なっ――」


 俺が慎重に言葉を選んでいる間に、アリスが吠えた。

 こんな状況でも変わらず豪速ストレート。その一言に、吸血鬼も面を喰らったのか、目を丸くしている。


「素直な子だね。それとも、世間知らずなだけかな?」

「どうせ、ロクなことをしないんでしょ! メアリーちゃんを連れてって何をするつもり?」


 吸血鬼に一歩も退かず、アリスは続けた。

 キツく睨まれた吸血鬼は飄々とした態度でガラスを踏み割る。


「殺す」

「……!」


 何の躊躇いもなく。ただ、それが当然というように吸血鬼はそう語った。

 その返事を聞いた瞬間。俺は駆けていた。

 メアリーとアリス。二人を両腕で抱え込んで、そのまま玄関を目指して突っ走る。


 自然と身体が動いていた。

 こんなことをするなら、本当はもっとしっかりと考えないといけないのに。あまりにも軽はずみ過ぎる。

 でも、殺すと言われて、はい、分かりましたと素直に引き渡せるわけがない!


「へぇ……そう動くんだ」


 背後から吸血鬼の余裕綽々とした声が聞こえてきた。とにかく、相手がすぐに追いかけてくる気がないなら好都合!

 俺は玄関を蹴り破り、そのまま階段を駆け下りる。


 とにかく、逃げろ。逃げるんだ。

 それしか今の俺にできることはない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ