81話「絶望の獣」
空はいつも通りの夜空。
砂は茶色い。海は綺麗でもなく汚くもなく。悪夢から目覚めて、俺は元の世界に帰還していた。
「亜月君、ロール君! 無事でよかった」
砂浜で夜空を眺める俺に舞の声が聞こえてきた。
振り返れば、髪を下ろした舞と……その後ろに大の字で寝っ転がる龍宮寺の姿が見える。やっぱり舞は龍宮寺に勝っていたらしい。
「それはこっちのセリフッス~! どうでしたか?」
「うん。二人のお陰でなんとかなったよ。本当にありがとう、二人には何度も助けられた」
「それもこっちのセリフだな」
三人で顔を見合わせて笑う。
お互いに助け合えたみたいでよかった。いつまでも助けられる側というのはやっぱり申し訳無いからな。
さてと……。一頻り笑って、俺は正面を見据えた。浅瀬に身体を埋める少女が一人。メアリー・スーしかいない。
「私は夢の化身よ。そうよ、だって私は、私は悪い子なんかじゃないわ。いつか救われるはずだもの。私は、私は、私は、私は……私は何なの、何なのよ……」
戦意を喪失し、放心状態となったメアリー・スー。今の彼女はもう何もできないだろう。ロールの一言が余程堪えたらしい。
自業自得とはこのことだが、なんともまぁ後味が悪かった。
「この子はどうなるんだ? やっぱり斬るのか?」
でも、斬られるのも仕方がない。
彼女を放置していれば、またいつ誰が巻き込まれて犠牲になるか分からないのだから。でも、どうしてもその見た目もあって斬るのは可哀想に思ってしまう。
改心してくれれば……あるいは。
「そうだね。彼女は五大獣だ。未だ正体不明の五大獣たちの情報を得るため、捕縛して尋問するのが適切だろう。どうするかは、その後に考える」
腰に差した柄に手を置いて、舞は淡々と語った。
それもそうか。五大獣のこと以外にも、俺たちがメアリー・スーに問い糾さないといけないことはたくさんある。
たとえばロールのこと。この子は一体ロールの何を知っているのだろう。なぜロールの命を狙うのか、とかとか。
「やっと前に進めそうだなロール」
「……」
「ロール?」
神妙な顔つきでメアリー・スーを見つめるロール。
どうやら俺の声が聞こえていないみたいだ。俺がもう一度声をかけるとハッとした様子で俺の方を見た。
「え、あ、はい。そうッスね。センパイとマイちゃんのお陰ッス! ありがとうございます!」
なんだか様子がヘンな気がするけど……。
俺がそれについて言及しようとした瞬間。
「それは困る。うん、とても困っちゃう」
声が聞こえた。
空から。いや、砂浜から、海から。四方八方から……?
俺を庇うように舞が手を伸ばした。俺は素直に彼女の背後に後退り。ふと空を見上げれば数匹のコウモリが羽ばたいていた。
「彼女はオジさんの数少ない仲間なんだ」
今度は俺たちの背後から十数匹のコウモリが空へと行く。次に海から数十匹のコウモリが姿を見せた。
どんどんとコウモリたちは集まって団子のように固まっていく。
夜空よりもなおドス黒い塊が蠢いた。
「誰だ!」
舞が問う。
返答次第では一気に狩る。そんな気概が伝わってくる声で。
「おっと、これはごめんね。自分の要件ばかりに気を取られて礼儀を忘れていたよ」
舞の気迫など気にしないように、飄々とした態度でコウモリの群れは答えた。
それはみるみるうちに人型を形成する。白い肌。長い銀の髪。銀の髭。青い瞳。黒いロングコート。
そのどれもが超然としていた。
「五大獣が一角。絶望の吸血鬼。我が同胞を守護しに参った――なんて、格好つけとこうか」
空中で丁寧なお辞儀を披露して、怪物――もとい吸血鬼は口元を綻ばせた。月明かりを反射して妖しく輝くのは、鋭い牙。
吸血鬼の名に恥じぬ得物だ。
五大獣。メアリー・スーの仲間。それだけで嫌でも空気がピリつく。
「五大獣……!」
「おっと、それは抜かない方がいい」
抜刀しようとする動きに合わせて吸血鬼が声をかけた。
ピタリと、その動きを止めた舞。どうやら、舞自身は吸血鬼と対話するつもりはあるらしい。
相手は五大獣。メアリー・スーと同格の相手。ともなれば、どんな能力を持っているかは想像もつかない。そのうえ、メアリー・スーとは違い吸血鬼は誰もが知っているような都市伝説。お伽話の怪物だ。
一体どれほど強いのか……計り知れない。
「ザンソートー、知ってるよ。オジさんたちの天敵なんだってね。それを振り回されたら、オジさんだって手加減できなくなっちゃう。そうすれば……ここにいる人たちを巻き込みかねない」
手をひらひらと動かして吸血鬼はのんべんだらりと語った。
その無気力な声色に反して、内容はなんともまぁ物騒だ。要するにここで暴れたらお前たちだけじゃなく、無関係な人も巻き込むぞ。と脅している。
「それに、君たちだって満身創痍でしょ? じゃあお互いに今日は引き分け、ドローということでどうかな?」
「ふざけたことを……」
空中の吸血鬼を睨めつける舞はこれ以上対話はしないというように柄を握る。
「やめておけ」
そのまま引き抜かれると思われたそれだが、背後から聞こえる龍宮寺の声によって止められた。
構えは解かないまま、柄から手を離して舞は一息吐く。
「おっと、怖かった。戦うことになるかと思ってヒヤッとしたよ」
白々しいジェスチャーで吸血鬼は肩を竦めた。
胡散臭さは屋流に通じるものがある。恐ろしいのは吸血鬼の方だが。
「じゃあ、そういうことでいいかな?」
「……」
地面に降りたって、メアリー・スーの手を取って吸血鬼はニコニコと手を振る。
そのまま背に生やしたコウモリの羽で飛び立って行くのかと思えば、ふと俺とロールの顔を眺めた。
「君たちが……欠片か」
「欠片?」
その一言は聞き逃さなかった。
欠片。
確かに吸血鬼はそう言った。俺は聞き返す。もしかすると、この一言がロールの謎を解き明かす鍵になるかもしれなかったから。
「そうだね。ご褒美は必要だ。だって、頑張って同胞を倒したんだし。君みたいな平凡な男子高校生がね」
顎に手を置いて、一頻り頷いた吸血鬼。そのまま手をポンと叩いてさらに一つ頷いた。
どうしてか、吸血鬼は俺のことを知っているらしい。
そのまま地面を蹴って、俺との間合いを一気に詰める。
同時に、凄まじい速度で踏み込み、舞が抜刀。
俺の目の前に迫った吸血鬼の首に斬想刀を押し当てた。
「少しでも手を出してみろ……斬る」
「えぇ。こわっ、安心してよ。オジさん平和主義だから、ホントだよ?」
飄々とした態度でゆっくりと吸血鬼は斬想刀の刀身を人差し指と親指で挟み込んだ。
「……っ!」
「その幽霊ちゃんが記憶喪失なのは、五大獣が関わっている。つまり、オジさんたちを追うことが唯一の道というわけさ。アプローチは間違ってないよ」
さらにグッと顔を近づけて、吸血鬼は俺の耳に囁いた。
その深海みたいな青色の瞳に吸い込まれてしまいそうなくらい見つめられて、俺は動くことも声を出すこともできなかった。
「じゃあね。藤坂舞ちゃん、亜月日々君、龍宮寺一さん……そしてロールちゃん。君たちとも喋ってみたいよ、その時は――」
「……くっ!」
瞬間、斬想刀をつまんでいた手を振り抜く。
すると、舞の手から刀は離れ、刀身が風を切る音と共に余所へと飛んでいった。
「あんな玩具は抜きでね。腹を割ってさ」
吸血鬼の身体が無数のコウモリへと還っていく。散った黒はメアリー・スーを包み込み、あるいはただひたすらに飛翔して、あるいは月を目指して飛び、思い思いの動きを見せて消えていった。
メアリー・スーという大切な情報源は取り逃がしてしまった。
けれど、収穫がなかったというわけじゃない。
アプローチは間違っていない……か。吸血鬼が消えていった空と、月を見上げて俺はその言葉を反すうする。




