76話「千日手」
メアリー・スーがその姿を屈めた瞬間、彼女の背後から迫り来る龍宮寺さんに気がついた。
それ以前までは全く存在を感じなかったのに、突如そこに現れたように見えたのはキツネにでも包まれたからだろうか。ともかく、既に最高速度に到達していた龍宮寺さんは亜月君を掴んでそのまま空へ。
私はそれを見上げることしかできなかった。
抜刀して、身体を斬る。できないわけじゃない。私が最適な行動を取ることができれば、恐らく間に合っていた。
しかし、最適解は導けなかった。
早すぎたし、予想外の事態だから。それと、これが致命的だったが……。やっぱり迷いが勝ってしまった。
己のどうしようもないミスに自己嫌悪が襲いかかる。
このミスで、亜月君が命を落としてしまうかもしれない。そう思うと、血の気がどんどんと引いていく。冷静ではいられなくなる。
やっぱりこんなことしない方が……。
「舞! 絶対また合流できるから! 心配しないでくれ!」
「……!」
そんな泥沼に身体を浸からせた私を、亜月君は引き上げてくれた。
そうだ。まだ何もかも終わったわけじゃない。私は私のするべきことをやらなければ。
「ああ。そうだな。君はいつでも私を支えてくれる」
柄に手を置いて、私は姿勢を低く保つ。
空を征く龍の姿を私は追い続けた。龍宮寺さんの最高速度は車にさえ匹敵する。生身で追いつくには随分と速い。
だが、泣き言ばかりも言ってられない。
駆けた。
右足に目一杯の力を込めて地面を蹴った。次は左足だ。そして右、左、右。
絶えず繰り返す。
時に空を飛び、時に壁を蹴り、時に滑り込み。
私は追いかける。逃がすものかと縋りつく。
「無駄よ、無駄。平凡な貴方じゃ龍宮寺には勝てないもの。それと、特別な貴方の相手は私が任されているのよ」
走る私に併走して、メアリー・スーが姿を見せる。
ロール君みたいに空を浮遊するが、ロール君が空を歩いている、動いているような雰囲気に対して、メアリー・スーは泳いでいるようだった。
一瞬、隣に視線を向ければクスリと少女は笑う。
「余所見はダメよ。ほら、ここには怖ーいクマさんがいるんですもの」
手で口を隠して、ころころくすくすと少女は笑った。
合わせて視界を前に向ければ、壁のように通り道を防ぐクマのぬいぐるみ。視認と同時に自動的に身体が横へ飛び退いた。
瞬間、クマの腕が地面に突き刺さった。舞い上がる土煙に怯まず、私は踏み出した足に力を込めて急停止。そのまま重心を移動。今しがた地面を破壊したクマの腕に倒れ込むように身を屈める。
そして、柄を握り抜刀。
私が腕に足を乗せると同時に腕に刀を突き刺した。布であろうと、綿であろうと、斬想刀の前では皆等しく豆腐のように斬りやすい。
駆け上がる。クマの腕を。同時に裂く、クマの腕を。
頭部まで登り、脳天めがけ刀を振り上げる。
「……!」
刀身が何かに弾かれた。
ならば、とズレる刀に合わせて身を翻す。反動に合わせることで、クマの頭部から離れ地面を滑りながら着地。
どうやら……そう簡単に先には進ませてくれないらしい。
刀を突き立てて己を制動し、面を上げる。
「アンブレラ! ダメじゃねぇか! しっかり身体を狙え!」
「トレック殿、そう憤らないで頂きたい。お嬢様の世界を血で汚すわけにもいかないでしょう」
巨大なクマのぬいぐるみと、傘が会話を繰り広げていた。恐らく、あの傘がぶつかって刀身が弾かれたのだろう。
様々な想造獣と相対して来たけれど……ここまで不思議な光景も初めてかもしれない。
「まぁまぁ二人とも。メアリー・スーの前なんだし、落ち着いて。どっちにしてもボクたちの目的は変わらない」
私の背後にもう一匹のクマ。
身長は前方と同じく三メートル以上。メアリー・スーを含めて四対一、多勢に無勢。おまけに、クマや傘はどれだけダメージを与えても復活してしまう。
叩くなら本体――つまりメアリー・スーを狙わなければいけない。
「さぁ皆、楽しく遊びましょう。ミスター・トレックにミスター・アンブレラ、貴方たちを虐めた悪い子……そんな悪い子はお仕置きしなくちゃね?」
空中に居座る彼女に近づくのは容易ではない。
三体の猛攻を掻い潜り、空高く飛翔しなければならないのだから。空中は隙が多い。速攻を仕掛けようにも無理がある。
とはいえ、時間は有限だ。
今は急いでいる。深呼吸して焦る気持ちを落ち着かせた。
焦燥は不要。冷静に正解を探せばいい。メアリー・スーは狙えない。かといって倒す気で戦ってしまえばいたずらに時間を消費する。
なら、私が取るべき行動は一つ。
「まともに戦わず、攻撃を捌きながら龍宮寺さんを追うこと!」
自身の行動指針を確認して私は走る。
私の動きに合わせて三匹もまた動き始めた。しかし、巨大なクマの動きはそう速くない。図体にしては随分と俊敏ではあるものの……私ならば対処可能だ。
刀を鞘に戻して、より速く、より鋭く動けるようにする。
前方のクマの一撃に突っ込むようにスライディング。続く傘の突進を鞘を利用して棒高跳びの要領で飛び上がり避ける。
そのまま走る。
多少速度は落ちるが複雑な動きをすることで相手に攻撃の隙を極力与えない。
「なんなのよ! どうして相手にならないわけ!?」
メアリー・スーの悔しそうな声が響いた。
厄介な相手には違いないが、正直今は眼中にない。龍宮寺さんと比べると、私の相手はぬるい。あまりにも。
今はただ、二人が心配だった。
どうか、どうか無事でいてくれますように。夢中で足を交互に繰り出しながら、私はただ二人の無事を祈る。




