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想造獣  作者: 雨有 数
第1.5章 公王町事件簿
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73話「ナイトメア 平凡な貴方に素晴らしい提案を」

 身体を起こす。

 小鳥たちのさえずりと、カーテンの隙間から漏れる光で、朝になったと知った。


 ここは、自室。

 俺はベッドから立ち上がって携帯を眺めた。時刻は朝。当然だ。


 扉を開けて、階段を降りていく。

 リビングを目指して降りていく。


 何か忘れているような気がする。でも、それが何かは分からない。

 取り敢えず朝ご飯を食べないと。そう思って、リビングの扉を開けた。


 開けた瞬間、温かい液体が俺の顔に付着した。

 それが血であると、数秒遅れて脳が理解する。

 一体誰の?


「……!」


 龍。

 巨大な龍が、父さんと母さんを……。

 真っ赤に染まった身を翻して、龍は俺を睨めつけた。心臓を鷲づかみにされたような心地悪さ。

 蛇に睨まれた蛙みたいに、俺は硬直した。


「逃げないと、逃げないと……!」


 そう思うし、声に出しても身体は動かない。動いてくれない。

 恐ろしい風貌の、龍、その縦に割れたような黒の瞳孔から目を離すことができない。

 龍がその身体をうねらせた時。

 俺は死を覚悟した。


 もう、ここまでだと悟った。


 龍の尾が振るわれて、俺の身体を貫いた。


 いや。


 それよりも早く、俺の前に舞が立っていた。鞘入りの刃で龍の尾を弾き飛ばして、俺を守るようにゆっくりと刀を引き抜く。


「舞!」

「私の友達に手は出させない」


 抜かれた刀身の先を龍に向けて、舞は静かに呟いた。

 彼女がいれば……安心だ。


 龍は舞を意にも介さず、俺に向かって炎を吐いた。リビングを焼き焦がすそれを舞は斬り払う。

 が、その炎の中から龍の尾が飛び出した。

 しまった。


 そう思った時にはもう全ては終わっていた。

 俺の喉元に向けて放たれた龍の尾は、俺ではなく、俺を庇った舞の胸を貫いていた。


「舞!」

「だから言っただろう。弱者は邪魔だ。お前がいなければ、藤坂舞が死ぬこともなかった」


 龍がそう言った。

 俺は自分の胸元に身体を預けた舞の温かさが失われていく感覚が恐ろしかった。

 この景色が恐ろしかった。


 でも、身体は動かない。

 親と友達を手にかけられて、憤って殴りかかることも、怯えて逃げ惑うことすらできない。

 いや、そもそもそれをしたところで意味がなかった。この龍と俺では、そもそも比べることすらおこがましい。

 軽く息を吹きかけられただけで、俺は死んでしまう。


 それほどまでに、俺は無力だ。


「そう。貴方は無力」


 俺も龍に殺されようとした刹那。ぴたりと龍が静止した。

 そして聞こえてくるのは可憐な声。俺はこの声を知っている。知らないわけがない。


「貴方は私。私は貴方。だから分かるの貴方の恐怖が。それは私の恐怖でもあるんですもの」


 背後から声が聞こえる。

 纏わり付くような声が聞こえた。


「弱い自分が嫌いでしょう。平凡な貴方が嫌でしょう」

「……」


 惨劇の最中、声がぐるぐると俺を取り囲む。その通りだ。

 反論の余地など欠片もない。俺は弱い自分が嫌いだったし、平凡な自分が嫌だった。


「そうよ。私ならその夢を叶えることができる。諦めないで、そうすれば貴方はきっと私を見てくれるから」


 雪のように白い腕が肩から首に寄りかかる。俺に寄り添って、少女は耳元で囁いた。


「私を見て。私を思って。私だけを目指して。そうすれば貴方はきっと幸せになれる。だってそうでしょう? そうじゃなければいけないでしょう?」


 そのまま、俺の肩を叩いて少女は俺の前に移動した。

 龍の頭の上に座り込み、首を傾けて微笑む。その仕草だけで、落とされてしまいそうになる。


「何を恐れているの? こんな悲劇を繰り返すつもりなの? それじゃあ喜劇じゃない?」


 踏み出さない俺にしびれを切らしたのか、口を尖らせて少女はぼやいた。

 少女は姿を消して。


「まぁ、貴方が望もうと望まないとしても。行き着く先は皆同じ! だって、貴方の中に私がいるんだもの」


 相変わらず声が出ない。

 返事ができない。

 でも、身体は勝手に動く。見知った天井から伸びる白い少女の手に向かって、俺の手が伸びる。

 そんなつもりはない。少女の手を取ろうとは思っちゃいない。

 でも、俺の身体は勝手に動いてしまう。


「強い貴方になりましょう。非凡な私になりましょう。さぁ、後はこの手を握るだけ! 重い代償? そんなのない! 必要なのは一歩踏み出す勇気だけ!」


 今、俺の手と少女の手が……。


「浮気ッスか~? 悲しいッスねぇ。センパイにはこーんなに可愛い後輩系幽霊がいるっていうのに!」


 俺の手を握ったのは、見知った手。でも、触れることはできないはずの手。


「ロール!」


 彼女に手を握られた瞬間。

 微睡んでいた思考が元に戻っていく。夢見心地から解放されていった。

 思い出した。


 俺は龍宮寺から逃げ出して、そこから何故か意識を失ってしまったんだ。

 多分、メアリー・スーのせいだろう。


「どうして! ここは私と彼だけの世界なのよ! 人の夢に出てくるなんて、とっても意地汚くて下品な幽霊さん!」

「ふふーん。センパイに取り憑いてるんッスよ? 先約があるってわけッス! 一緒の夢見るくらい、訳ないッスよねぇセンパイ」

「いや、出来れば一緒の夢を見ようとするのはこういう時以外は遠慮して欲しいな……」

「ええー!? 冷たいッス!」


 今は助かったけど、普段は遠慮して欲しい。どんな夢を見るか分かったものじゃないし。

 と、軽口はこの程度にしておいて。

 俺は自分の身体の自由が利くようになったのを確認した。


「異物が混じり込んだから、私と貴方の夢じゃなくなったのね。そもそも、どうして貴方は夢を見てないの? 幽霊さん」

「ようやく会話になって来たッスねぇ」


 夢を司るメアリー・スー。俺の夢の世界に入り込んで、それを支配していたということだろう。

 でも、ロールという本来いない存在が割り込んできたことで、支配下から脱せたというわけか。危うく、自分の意志に反してメアリー・スーの手を取ってしまうところだった。


「いつでも会話はしているわ。でも、今はとっても腹立たしい。どうして私の邪魔をするの? 私はただ夢を叶えようとしているだけ。それって悪いことかしら?」


 キッとロールを一睨みして、メアリー・スーは腕を組んだ。

 夢を叶えることは悪いことじゃない。けれど……。


「それを押しつけるのは間違ってるッスよ」

「俺も同じ意見だな」


 ビシッとロールが物申した。俺も首を縦に振ってそれを肯定する。

 人を罠にはめて、夢を叶えるように仕向けるという手法も悪辣だ。夢を見るというのは、強制されるものじゃないのだから。


「じゃあ、貴方はいいの? いつまでも弱くて平凡。きっと、主役になんてなれないわ。脇役のまま、美しいお姫様にだって出会えない。そんな終わりしか待っていないのよ! そう、ここは夢の中だけれど。でも、この光景はいつかきっと起こる光景。貴方は大切なものを失うわ。断言する!」


 俺を見据えて、メアリー・スーは力の限り叫んだ。

 俺は弱い。平凡だ。

 もし、これが一週間くらい前の俺に向けられていたのなら……。多分、俺はその手を迷うことなく取っていたんだろうな。


「それは嫌だけど、今君の手を取ってしまっても俺は大切なものを失ってしまう気がするんだ。だから、遠慮しておく」

「……後悔するわ。貴方の中の私を見ないだなんて!」

「ううん、そうじゃない。俺は、今すぐ強くなる必要も、非凡になる必要だってない。ただ、いつか理想に近づけたらいいだけだから」


 俺は少女の赤い瞳を見つめる。

 長い長い沈黙が続いた。

 すると、少女は諦めたように視線を下に落とす。


「そう。じゃあ、もう無理ね。でも、貴方の在り方は嫌いじゃないわ。平凡な貴方、無力な私。幽霊さんに邪魔をされた時点で、貴方の中の私じゃ貴方を救えない」


 とん、とんと小さな足で床を蹴ってメアリー・スーは歌った。

 彼女の足踏みに合わせて、世界の皮が剥がされていく。一つ一つ、解かれていった。

 見慣れた天井も、床も、無くなって、真っ白に。


「貴方に未来はないわ。誰も龍宮寺には勝てないもの。それに、私じゃない私がなんて思うかも分からない。だから、こう言うの、さようなら」

「言っておくッスけど、センパイは強いッスよ。多分、あのリュウグウジさんよりも!」

「それは言い過ぎだろ……」


 隣で胸を張るロールに俺は肩をガックリ落とした。

 どうやってあれに勝てというのか、でも、生きて帰るにはどうにかしないといけない。俺はまだ諦めたわけじゃない。

 限りなく状況は悪いけど……。俺が見させられた、あの惨劇を現実のものとしないために。


「甘い夢から覚めたら苦い現実。とっても辛くて苦しいけれど、選んだのならそれもしょうがない」


 真っ白な世界に、光が満ちる。

 この夢の世界から解放されるのだろう。目が覚めたら、龍宮寺と戦わなければならない。覚悟を決めないと。


「幽霊さん。貴方の中に私はいないのね。それが悲しいわ」

「……そうッスね」


 最後のやり取り。

 それが何か、俺は聞き取れなかった。


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