68話「生まれ変わるように、初めまして」
暗い暗い部屋の中。
その中央に、龍宮寺は鎮座していた。
「なぜ、なぜだ。なぜ藤坂舞はああも楽しげにしているのだ」
問うた。
誰に? 己にだ。
理解できなかった。藤坂舞のことが、数えることすら億劫なくらい年齢の離れた少女の気持ちが。
多くの知識を蓄えたのに。
長い年月を生きたのに。
強大な権力を持っているのに。
どうして、取るに足らない少女の気持ち一つ御せないのだ。
いや違う。
取るに足らないなど、笑止千万。龍宮寺は己の思考の自己矛盾を嘲った。
「……亜月日々、ロール。あの者たちが藤坂舞を乱したのだ」
次に出てきたのは恨み節。
藤坂舞は完成していた。想造獣を狩るという一点において、あれは己すらも凌駕していた。
己も、父親でさえも至れなかった点に到達した。完成品。それが、ああも下らないことで崩れることなど許せなかった。
本当にそうか?
自問が増えた。
自答は増えない。答えられない。
深刻なエラーがあった。いいや、違う。
「儂に間違いなどあるものか」
次いで自信が湧いた。
己は龍宮寺一、この町を取り仕切り、そして今の今まで守ってきた傑物。そうであるという自負が己の思考を妨げた。
それを理解できた。悲しいことに、龍宮寺一という生物もまた一つの完成品であったから。
どうしようもない袋小路で、龍宮寺は自問ばかりを重ねていた。
「迷路に迷い込んだ哀れな蛇は、出口に行きたい! たどり着く場所を知っているのなら、はなから迷路に迷わない!」
スポットライトが灯った。
龍宮寺の丁度真ん前で、明かりが落ちた。そこにはシルクハットを被ったクマが一匹。人間を模した愛らしい動きで、丁寧にお辞儀をしてみせた。
「だから迷路に迷うフリはやめましょう? 貴方は既に出口に立っている。ほら、貴方のために鏡を用意したわ?」
ポップな効果音がどこからともなく響き出せば、クマが大手を振る。刹那、クマの隣に大きな鏡が現れた。
そこに映るのは……龍宮寺。
「……何が言いたい」
小さく。龍宮寺が返事をした。
くすりと笑って、天の声――メアリー・スーがさらに続ける。
「貴方は私。私は貴方。貴方の前の私なら、貴方よりも私は貴方を知っているわ?」
背後に、トンと少女が降り立った。
「クラップ一つくださいな」
その言葉が歌われたら、いつの間にか龍宮寺の周囲を数体のクマが取り囲んでいた。
拍手が一つ。
clap、clap、clap。
たんたん、たん。
「貴方の本音はスクラップ。つなぎ合わせるのが大変ね」
手拍子が加速した。
龍宮寺はうんざりとした様子でため息を吐く。少女が織りなす三文劇に心底うんざりしているようだった。
「はぁ、そろそろ主も本気で狩るぞ?」
「そう? できない癖に」
「何だと?」
スポットライトが増える。
今度は背後。メアリー・スーを照らす照明は、どこまでも煌びやかだった。
金の髪が輝く。緋色の瞳がさんざめく。白い肌が光りを放つ。
「藤坂舞が恐ろしい。ええ、とっても分かるわ? 私だって苦汁を散々飲まされたもの」
「……貴様!」
龍宮寺の感情がむき出しとなった。
怒り。
己の深部に、いたずらに踏み込まれたことに対する怒り。
驚き。
己の深部を、見透かされていたことに対する驚き。
その二つが龍宮寺を殺気立たせるに十分な理由だった。
「自分が親代わりなんて本当に可笑しい話だ」
「やめろ、黙れ」
両手を広げて、メアリー・スーは余裕たっぷりに続けた。
どれだけの殺意を龍宮寺が発しても、メアリー・スーは止まらない。止まってくれない。
真紅の瞳が、いやに輝いた。
「だってそうよね。貴方が彼女の両親が死んだ理由なんだもの。貴方があの子の父親に接触しなければ、殺されることもなかったのに……」
「なぜそれを! なぜ知っている!」
咆哮にも似た叫びが龍宮寺から放たれた。それに付随して、メアリー・スーの姿が乱れる。
彼女が立っていた奥の壁に亀裂が走る。
けれど、少女は消えない。消えてくれない。
黄金の髪が、ふわりと舞った。
「本当は憎まれているんじゃないか。本当は恨まれているんじゃないか。怖い、恐ろしい。それを知るのが溜まらなく」
「黙れと――言っているだろうッ!」
少女は淡々と龍宮寺の本性を詳らかにしていた。
彼が様々な理由を盾にして、見ないようにしてきた答え。それを突きつけられた。
それが耐えきれなかった。龍宮寺にとっては、許容できなかった。
亜月日々にも見せた異形。
人ではない己。
本来ならば無闇に見せるべきではないその姿。こうも連日で解放するのはいつ振りだろうか。
巨大な異物が部屋を満たした。
「だとしても、もう二度と藤坂に連なる人間を死なせてなるものか。ふふふ。案外義理堅いのね貴方って」
その異形の隙間を縫って、少女が囁いた。
力であれば龍宮寺が息を吹きかけただけで消し飛ぶほどに、メアリー・スーはか弱い。それがどうだろう、今、この場を最も御しているのはメアリー・スーだ。
透き通るように白い両の手が、天使の羽ばたきが如く舞う。
「藤坂舞を死なせてなるものか。失ってなるものか。許されるなら、終生の間、籠にでも閉まっておきたい。歪な愛情。無価値な保護。ふふふ、なのに、貴方は彼女を戦わせる。あべこべね?」
「……」
ダンスを踊るように、言葉と共にメアリー・スーが揺れ動く。
彼女の動きに合わせて、龍宮寺の心もまた面白いように揺れ、動いた。
メアリー・スーが語った全ての言葉は、龍宮寺の本心に相違ない。己の心を包み隠さず見透かされた龍宮寺は、その心とは対照的にぴたりと動きを止めてしまった。
「全部、全部分かるわ。痛い程に。貴方の悩み、葛藤、苦しみ、その全てが私には理解できる。だって貴方は私なんだもの!」
「なら、どうすれば良いと言うのだ! 儂が思うように動いてしまえば……それこそ」
龍宮寺に迷いが生まれた。
己の心情を溜まらずに吐露した。その隙間に、心の合間にメアリー・スーは溶け込んでいく。
「どうして思うように動いてはいけないの? 貴方の人生は貴方だけのもの。貴方の夢は貴方だけのもの。私は逃げないわ。いつも逃げるのは貴方たち。でも、安心して……私は……貴方の味方だから」
耳元で。
まるで直接脳内に語りかけるみたいに。
少女の甘い言葉が龍宮寺を揺蕩わせる。顔をあげる龍宮寺に、メアリー・スーは極上の笑みを見せた。
「さぁ、聞かせて。貴方の夢は?」
「……儂は」
沈黙が訪れた。
龍宮寺は黙って葛藤している。己の愚かな願い、それを自制する自分と全てを払いのけて少女に身を委ねようとする惨めな自分。
己ほどの傑物が、そのような葛藤に陥ること自体酷く容認できなかった。
「儂は……」
揺らぐ。
揺らぐ。
傾いていく。
「いいの? もし夢を叶えないっていうのなら。貴方は一生怯え続けることになる。それどころか、いつか藤坂舞は貴方の手元を離れていく。貴方の知らないところで、死んでしまうのが関の山ね」
「そんなもの……」
龍宮寺が目を見開く。
「いいわけがない!」
「なら、貴方の思うようにするべきよ。貴方はこう言っていたわ。自分の邪魔をする者は、誰であろうと大罪人だって! じゃあ、罰するべきよ。そうじゃない?」
「……ああ。そうか」
龍宮寺はぽつりと呟いた。
己の本性を突きつけられ。浅慮な思考を見透かされ、そしてそれを肯定された。
そうして今まで見てこなかった己をむざむざと見て。龍宮寺は気付いた。
己の、何とも醜い望みに。
そしてそれに身を任せることの快楽を。
「メアリー・スー! 儂の望みを叶えろ。そうだ、そうであった。斯様に悩み、憂いを見せるなど、これこそが儂の恐れていた弱さなのだ。これが藤坂舞に芽生えてはいけないのだ」
「ええ。そうよ。人は人と繋がると弱くなる。縁が増えると、それを失うことが恐ろしくなるの。だってそうでしょう? 最初から何も持たない人間は、失うことがないんだもの」
メアリー・スーが頷いた。
子供の姿へと戻った龍宮寺。その眼は酷く座っている。
「儂は、儂が持つ最後の縁を守る。そのためならば、如何様なことでもしよう。それがたとえ、藤坂舞に疎まれることになっても。儂は、その強さが再び欲しい!」
藤坂舞が持とうとしていた弱さを、自分が既に持っていた。
だから、こうも悩むのだ。
些細なことで。今さら、たかだか人間の小娘一人に悩むなどちゃんちゃら可笑しい。
何故なら、彼は龍宮寺一。
この町を支配する龍宮寺一族の始祖であり、そして……この町の守護者。――否、守護神。
その正体は最早人に非ず。故に、人の理すら唾棄すべきなのだ。
メアリー・スーは微笑む。
凡そ、人の価値観で言えば酷く狂った願いを聞いて少女は笑った。その少女も人ではないから。
ただ、自分が求められるのが嬉しかっただけ。無邪気な笑み。
綻んだ口から零れる言葉は決まっている。
「……叶えましょう。その願い」
景色が歪む。
メアリー・スーが溶けて行く。
龍宮寺の意識も微睡んでいった。龍宮寺は屈した。
歴史上稀に見る強力な五体の想造獣。その一角、メアリー・スー。彼女の計略により龍宮寺という巨大な城はいとも容易く崩れ去った。
そして、崩れただけに飽き足らず。
城は再び組み立てられる。誰が為に?
メアリー・スーの為に。そして何よりも……龍宮寺自身の為に。
理性というブレーキが壊れた傑物が今、動き出した。
狙う獲物は既に定まっている。亜月日々、ロール。己が守るべきものを奪い取ろうとする愚か者たちである。




