60話「歌うように、こんばんは」
「なぁ、ハジメちゃんいくらなんでもやり過ぎだぜ」
暗い暗い部屋。
そこに女の声が反響する。
彼女の名前は風間迅。今彼女が抗議している龍宮寺一の右腕にして、彼とは上下関係にある。
元々、思ったことはハッキリと言うタイプの人間ではあるが、今日ほどの反発を見せたことはない。それは、龍宮寺の行動が明らかにおかしかったからだ。
「それは正体を露わにしたことか? それとも脅したことか? あるいは首を締め上げ、地に叩きつけてやったことか?」
「全部に決まってるだろ……なんでそんなにあの二人を目の敵にするんだ?」
暗い部屋の中央に鎮座する少年の物良いに、風間はため息交じりに返事をした。
亜月日々、ロール。
龍宮寺が分かりやすい敵意を向ける彼ら、その理由自体は風間なら推察できるが……。龍宮寺の口から答えを聞いておきたかった。
多分、その答えは風間が納得できるものではないだろうが。
「一人と一匹だ。藤坂舞が弱くなる。それは許せぬ」
「そのために、何の罪もない子供を殺してもいいってか? ハジメちゃんにしては短慮過ぎるぞ」
「儂の道を阻むというなら、万死に値する大罪だ」
その返答を聞いて、どうしようもないという風に風間は大きなため息を吐く。
こと、藤坂舞のことになればこうまで頑なになってしまうものか。
「あの二人は黄成のお気に入りだし、お嬢の友達だろう。黄成はともかく、そんなことしたら……お嬢に恨まれるぞ」
「屋流の奴は動かぬよ。あれはそういう奴だ。儂でさえ何を考えているか分からぬ……が、儂に逆らうことはない」
「黄成がよく分からない奴ってのには同意するけどさ、お嬢は?」
腰に手を当てて、風間が追撃を加えた。
龍宮寺の独断でそんなことをしようものなら、藤坂舞は龍宮寺を許さないだろう。初めてできた友達なのだ。龍宮寺だって当然分かっているはず。
「藤坂舞がどう思おうとも、儂は儂の成すべきことを成すのみ。藤坂舞の刃に迷いが生まれ、その命を脅かされる危険性の方が儂が恨まれるよりも見過ごせぬ」
「親馬鹿というか、過保護というかだなぁ。でも、アタシが何を言っても聞く気はねぇんだろ?」
「当然だ。風間迅、不服があるのなら従わぬともよいが儂の邪魔だけはしてくれるなよ。主まで失いたくはない」
暗闇から圧が放たれる。
龍宮寺の一挙一動に、途方もない圧が付随した。多くの時間を共に過ごしている風間に取っては慣れたもの。
常人であれば息が詰まりそうな圧に晒されても、風間はけろりと涼しい顔を見せていた。
「さて、それはどうだろうな。アタシも見過ごせないような状態になるなら、手も口も出すさ。まぁ、そうはならないって信じてるぜハジメちゃん」
「それは儂が決めることではなく、あの愚か者たちが決めることだ」
「二人とも、いい子なんだけどなぁ」
腕を組んで、今日の昼間話した二人の顔を思い浮かべる風間。
底なしにお人好しそうな二人組。確かに、腕っ節で言ってしまえば弱者なのかもしれない。だが、屋流の話を聞く限り、二人とも単純な力だけではない強さを持っていると風間は感じている。
最も、自分でも感じ取れる程度の強さ……龍宮寺が気がつかないわけがない。
そんな強さを彼が求めていないのか、それを認められずにいるのか。どちらにせよ、今の龍宮寺に取ってあの二人は取るに足らない弱者でしかなく、そのうえ鬱陶しい邪魔者だった。
「知ったことか。妨げとなるのなら、たとえ藤坂舞であろうとも容赦なく握りつぶす。儂が背負っているものは、人一人の命とは比べものにならぬほど重いのだ」
「ま、ハジメちゃんがそういうなら何も言えねぇ。程ほどに頼むぜ、アタシが尊敬できるボスのままでいて欲しいしさ」
「儂とて、風間迅のように馴れ馴れしい部下を失うのは惜しい」
「それ、褒めてないだろ」
風間のツッコミが龍宮寺に突き刺さる。
龍宮寺をハジメちゃんと呼び、気安く突っ込める、そして敬語を使って喋ることは稀。そんな人間は風間を置いて他にはいない。
とても貴重な人材なのだ。風間という女性は。それを龍宮寺が失いたくないと思うのも当然のことだと言える。
「まぁ、いいや。じゃあアタシの言いたいことはそれだけ。またなハジメちゃん」
ニカッと笑って風間は手を振るが、こんな暗い部屋の中じゃ振られた手も、笑顔も見えないだろう。
龍宮寺の返事はなく、部屋を出て行く風間を黙って見送っていた。
ばたん。
重い鉄の扉が閉まる音だけが聞こえる。
静まり返った部屋の中央には、依然として龍宮寺が鎮座するのみ。
「ふふ。とっても可笑しいわ。貴方はライオンさんなのに、その爪や牙を振るえないなんて……。さながら見世物小屋で死ぬ子供。鞭に操られて火縄を潜るその姿、本当に滑稽で可笑しいわ」
小鳥がさえずった。
龍宮寺の目の前に現れるのは、メアリー・スー。美しい少女の姿をかたどった想造獣だ。
「また貴様か。次はないと告げたはずだが」
「同じような言葉をあの二人にも吐くのでしょう? でも、それって嘘。嘘はなんにも怖くないわ。だって、嘘なんだもの」
「……」
龍宮寺の心を手玉に取るように、メアリー・スーはころころと笑った。
その難解で婉曲な台詞回しの意味は分かりにくい。しかし、それが事実に近しいことは他の誰でもない龍宮寺が一番理解していた。
「殺す? 脅す? 脅かす? ふふふ。今まで、そうすれば自分の思い通りにできてきたものね。飼い慣らされても怖いライオンだもの。でも、今度はそう簡単にいかないわ。だって、あの二人なんだから」
「知った風な口を。儂を吠えるばかりの愚か者と論じるか」
「ううん。そうじゃないの。貴方は私、私は貴方。貴方を馬鹿にするということは、私自身を馬鹿にするということ。そんなのするわけない。私はただ、あなたの本音に忠実なのよ」
詩を朗読するように、ポエムを歌うように、少女の声は跳ね回る。
その声に合わせて、暗い室内に明かりが灯った。龍宮寺の前では、クマのぬいぐるみが互いに手を取りダンスを踊る。
「私は貴方なんだから、隠そうとしている本心さえ見つけてしまえる。今すぐにでも、裂きたいでしょう。縊り殺してしまえれば、あぁ……どれだけ気持ちがいいかしら」
二匹のクマを一撫でした少女にスポットライトが向けられる。
恍惚とした笑みは蠱惑的な魅力を持っており、老若男女を堕としてしまえるほどの魅力を備えていた。
「でも、そうはしない。貴方の牙と爪は鋭いわ? でも残念。それを振るう貴方自身の角が取れてしまえば、脅威じゃない。どうしてあの二人が貴方の思う通りに動かないか教えてあげる」
龍宮寺の前から姿を消して。
彼の耳元でメアリー・スーは囁く。
「貴方が……まだ、縛られているから」
「……」
今度は背後に。
「でも私なら……メアリー・スーなら」
最後に目の前に再び姿を見せて。
「何もかも貴方の思うまま。夢も理想も、悪夢だって支配できるわ。だって私は貴方の理想なのだから!」
小さな手を天井に目一杯に広げて、メアリー・スーは声高らかにそう宣言して見せた。
「……下らん。斯様な物言いで儂が傾くとでも?」
「ふふ。貴方がなんと言おうとも、私は貴方が大好きよ。その逆だってまた真だもの。貴方は真っ直ぐ夢を見据えている。じゃあ、私も貴方を見据えないと不平等だわ?」
全くメアリー・スーの手を取る気配がない龍宮寺に向けられたのは負け惜しみか……それとも……。
そんなことはどうでもいいと、龍宮寺は立ち上がりメアリー・スーに背を向ける。
「どうせ、今の貴様に構っても意味はないのだろう」
「あら、背中を見るのは貴方の役目でしょう? 貴方が私を追いかける。みんなそうなのよ?」
「黙れ。儂は忙しい邪魔をするな。それとも、腕の一本や二本へし折られなければ分からぬか?」
そこまで言われてやっと、メアリー・スーは一歩引き下がった。
お伽話の世界からやってきたような幻想的な効果音が、メアリー・スーの一挙一動につきまとう。
「そう、じゃあ今日のところはさようなら。また会いましょう。不器用な貴方、生きにくい私」
三方向から伸びるスポットライトが一個ずつ失せていく。
最後に残ったのは、愛くるしいクマのぬいぐるみ。ふわふわとした身体を巧みに動かして、丁寧なお辞儀を龍宮寺にして見せれば。
今度こそ明かりは消え、もうそこに何も存在しなくなった。
「……メアリー・スー」
龍宮寺はついさっきまで言葉を交わしていた少女の名を呟いた。少女の言葉は遅効性の毒じみていた。今になってそう思う。
これで二度目だ。
みすみす、目の前で隙だらけだったあの少女を取り逃がすのは。その理由が分からなかった。
あの少女が妙に自分の心を見透かしているような口振りだったからだろうか。
それとも、あの妄言が一考に値すると心のどこかで思ってしまっているのだろうか。
答えはでない。
それがなおさらに鬱陶しかった。
「亜月日々にロール、そしてメアリー・スーかいずれにしても、儂自ら処分することも吝かではないな。それが儂が藤坂舞にできる唯一のことだ」
苛立ちに任せて、龍宮寺は地面を踏み抜く。
子供ながらに低すぎる声と、銃声のような音が部屋には残っていた。




