54話「親子?」
離れの道場でトレーニングを堪能した俺たちは、そろそろいい時間なので自宅に帰ることにした。
空は暗くなり始めて、あと数十分もすれば完全な闇が辺りを覆うだろう。
夜の山道は危険なので、そうなる前には帰りたい。
「今日はありがとう藤坂。藤坂と一緒にトレーニングできない時でも藤坂の動きを思い出してマネしてみるよ」
靴を整えて、俺は藤坂にお礼を言った。
こういうのは自主練習だって大切だ。藤坂も忙しいだろうし、毎日俺の相手をできるとも限らない。
今日焼き付けた藤坂の姿を思い出して、家でも練習しよう。そうすれば、いつかは藤坂みたくなれるはずだ。(どれだけの月日が必要なのかは分からないけれど)
「こちらこそありがとう。教える……というのは上から目線な言葉だけど、そうすることで私自身も成長できた気がするよ。またぜひ付き合って欲しい」
「もちろんだ。藤坂さえ良ければ本当にいつでも誘ってくれ」
なんて会話を交わして別れようとした時。
「あ」
隣にいたロールから、そんな言葉が漏れた。その言葉につられて、俺はロールの方へ視線を向けた。
ロールは俺の後ろ、つまり玄関の先。家の外を見てそう言ったらしい。
もちろん、俺が次に視線を向けた場所はロールの視線の先。
そこには。
「ほう、今日も友達を招いて遊び呆けておるのか……」
小さな子供が一人。
でも、その子供が発する圧は子供のそれではなかった。その姿を見ただけで、どっと身体が重くなったような気がする。
声がでない。
目が動かない。
ただ、圧倒されるのみ。
「龍宮寺さん……お邪魔してます」
なんとか声を出して俺は一礼した。
しかし、龍宮寺さんから返事が返ってくることはない。
かつん、かつん。
靴の音が響く。
以前見かけた時と違って、彼の服装は派手な和装。いかにも高価そうな袴と草履。
それらを身にまとった少年が俺の横を素通りしていく。
「……龍宮寺さん、突然の訪問ですがどうかされましたか?」
「ほう、藤坂舞。どうかせねば儂はここに足を運んではいかぬのか?」
「いえ、そんなわけは……。ただ、普段は余りいらっしゃらないので」
静かだが明確な怒りが、空気を介して伝わってくる。
びりびりと肌が震えた。
まるで蛇に睨まれたカエルのように、俺は瞬き一つできやしない。そんな圧が、ただ立つ少年から放たれている。
「藤坂舞よ、いくら主が天才であろうとも油断は許さぬぞ。足手まといと無駄な時間を過ごすよりも、有意義な時間の使い道があるじゃろう?」
「……二人は決して――」
「――黙れ、口答えは許さぬ」
ぞわりと。言葉にすらできない気持ちの悪さが俺を襲う。
まるで内臓と心臓を直接掴まれたみたいな不気味な感覚だ。これは……龍宮寺さんに気圧されている。
直感が、本能が、白旗を振っているんだ。
生殺与奪権が彼に握られていると、この場の絶対的な支配者が龍宮寺さんであると理解しているんだ。
だから逆らえない。
俺も……藤坂でさえも。
「っ……は、はい」
あの藤坂が怯んだ。
たった一言、二言で藤坂を黙らせた。それだけ、龍宮寺さんは恐ろしい存在だということ。
見た目は子供と何ら変わらない。でも、今の龍宮寺さんと同じ時を過ごせば過ごすほど……その底なしの恐ろしさを味わってしまう。
もう、子供には見えなかった。
赤鬼、メアリー・スー、口裂け女。並み居る怪物すら比較にすらならない。純然たる絶対者。
それが――龍宮寺一という男だった。
「藤坂舞、儂を落胆させるな。道楽に興じるなどもっての外であるぞ。主と儂の使命は何よりも貴きものと知れ」
「……はい」
とても、保護者代わりだと思えないような厳しい言葉。確かに藤坂が背負っている役目は大切なものだ。
でも、あまりにもその態度は厳格すぎる。俺に彼の威圧を打ち破るほどの強さがあれば、ここで反論の一つでもしてみせた。
だが、悔しいことに俺は声を出す事ができなかった。辛うじて口から出る言葉は、多分……龍宮寺さんに従属するそれ。
「ちょっと待つッス」
誰もが龍宮寺さんに支配されたと思っていた。
でも一人だけ、たった一人だけその支配に打ち勝った勇者がいた。
鋭すぎる子供の瞳がロールにギロリと向けられる。見据えられただけで息が詰まってしまいそうな眼差し。それに怯みすらせず、ロールはハッキリと自分の意見を口にする。
「リュウグウジさん、いくらマイちゃんの保護者だとしても、その態度はあんまりッス!」
「弱者が事実を指摘されて怒り心頭に発するか。愚か也。八つ当たりも大概にせい」
「違うッス! 自分たちのことはなんと言われてもいいッスよ。でも、横暴すぎる態度は見過ごせないッス」
沈黙が訪れた。
飲み込まれそうなほどの圧に耐えきって、ロールは真っ直ぐと龍宮寺さんを見つめ返す。
屈託のない確固たる意志を持った瞳が輝いた。
永遠とも思えるほどの短い沈黙の末に。
「ロール君、いいんだ。私のために怒ってくれてありがとう」
「……そうッスか」
ぷい、とロールは龍宮寺さんから顔をそらした。
悲しみの色を帯びた声色と共に。俺は三人の顔をそれぞれ見て、自分がどう動くべきかを思案する。
ただ、それよりも早く周囲は動いていった。
「感情も御せぬような童が、儂に文句を垂れるなど万年早いわ。亜月日々、ロール。もうじき夜の帳がおりる頃合いであろう。明朝に屋流を遣わせる。儂の元まで来い。そこでじっくり話を聞いてやろう……」
「……分かりました」
ようやく俺は言葉を発した。
これは思いも寄らぬ事態……。どうしてか、俺たちは思った以上に龍宮寺さんから目の敵になっているようだ。
隣のロールはまだ何か言いたげだったが、ここはグッと堪えているらしい。
ロールだって、これ以上続けても藤坂が悲しむだけだというのが分かったのだろう。ここで言えなかったことは明日、言えばいい。
「行くぞ、藤坂舞」
「……はい」
有無を言わせずに、龍宮寺さんは藤坂と共に家へと入っていく。
鍵の閉まる音が、寂しく夕方と夜が混じり合った曖昧な空に消えていった。




