47話「ブレークタイム」
開けっぱなしとなった大きな窓から緑風が薫った。
三つのティーカップから漂う湯気がゆらゆらと波打った。
少女の美しい金の髪もふわりと――。
「ふふっ。今日の北風さんは元気いっぱいね。太陽さんだってとっても暖かだけど、たまには北風さんだって報われなきゃ」
小鳥のさえずりを思わせる美声が室内に響く。洋風テイストのイスに座った少女は口に手を当ててクスクスと肩を揺らした。
少女、メアリー・スーとティータイムを共にするのは二匹のクマ。
目玉はボタンと希望。身体には綿と夢。皮の代わりに優しさとふかふかの布。それらで構成された二匹のクマが無二の親友だった。
「嗚呼。ミスター・トレック。私はどうすればいいのかしら? 私は真面目な蟻さんなのに、このままでは冬を迎える前に飢え死にしてしまう」
「大丈夫よ、可愛い可愛いメアリー・スー! その瞳はルビーのよう! 白い肌はまるでシルク! その髪は本物の金より価値がある! だから胸を張って僕の可愛いメアリー! そうじゃないとボクは悲しい!」
片方のクマが柔らかな腕と熱弁を振るった。もっとも、その声はクマからではなくメアリー・スーが発したものだったが。
いじらしく声を低くして、ミスター・トレックの言葉を代弁したメアリー・スー。独り言のように自分に言い聞かせるよりは、幾分か心が落ち着いた。
室内の、剥がれかかった薔薇の壁紙がペラリと地に堕ちた。
以前は高級旅館として名を馳せていたここも、立ち入り禁止区域の設立と共にこうして廃れたのは言うまでもない。
洋風の内装が気に入ったメアリー・スーの私室として利用されることとなった。
「あぁ! 恨めしい! 許せない! 特別な女、藤坂舞! オレのメアリー・スーを悲しませ、裏切り、見捨てて、自分だけ幸せを掴もうとするなんて! 夢を叶えなければ、何も幸せじゃないのに。幸せは夢を叶えなければ達成されないのに! メアリー・スーでなければ、誰も幸せにはならないのに!」
続いて荒々しく机を叩く片方のクマ。声はもちろんメアリー・スー。
二匹のクマは、共に同じ名前だ。ミスター・トレック。しかし、その性質は真反対。
片方のクマは荒々しく攻撃的。
もう片方のクマは穏やかで優しい。
「まあまあ。メアリー・スーの前なんだ、そう怒っちゃあいけないよう? けれど、その気持ちももっともだ。ただの人間だって侮ってたよ」
「忌々しき斬想刀! オレを斬り!」
「ボクを斬った。そして何より」
二匹のクマは全く同じ動きで机を叩く。
「メアリー・スーを悲しませた!」
ミスター・トレックの意志はそこへたどり着いた。いや、メアリー・スーがそう喋らせたし、喋った。
「ふふふ。ありがとうミスター・トレック。貴方たちだけは、いつでも私の味方なのね。だって私なんだもの。ううん、寂しくないわ。ううん、悲しくないわ。いつか、きっと、みんな分かってくれる。私のことを見てくれる……」
胸に手を当てて、メアリー・スーは瞼を閉じた。
その言葉を最後に、沈黙が室内に満ち満ちる。
「今日のティーパーティーは盛り上がっているようで何よりです。メアリー・スー」
「……!」
扉が開く音と共に、ゆったりとした声がメアリー・スーの耳に入る。
かすかな布の擦れる音と、杖を突く音がそれよりも大きく聞こえた。
そこに立っているのは金。身体中のそこかしこにちりばめられた金が、男の印象を形作っていた。
「どうですか、メアリー・スーさん。私にも紅茶を一杯」
「え、ええ。もちろん!」
朽ちた壁紙や、痛んだ床をまじまじと眺めて男は緩やかに微笑む。
メアリー・スーは戸惑いながらも、真っ白な茶器たちを宙に浮かせて紅茶の用意を始める。
ミスター・トレックの一匹が、男が座るためのイスを引いて丁寧にお辞儀をした。
「いつ見ても、貴方の世界は楽しげですね」
会釈をしてイスに腰掛ける男。
言葉も表情もどこまでも穏やかだったが、しかしメアリー・スーは男から圧を感じていた。
「アニミズムを思わせます。日本人ではないメアリー・スーさんには縁遠い話でしょうけれど、日本にはたくさんの神が存在していまして。こうして茶器が飛び交い、クマが動くというのは、なんともまぁ。神秘的で素晴らしい」
そう語る男の前に、ソーサーが現れ、ティーカップがその上に乗り。砂糖が注がれて、スプーンがそれを混ぜた。
白く湯気立つ。
紅茶の完成である。
「この香りは、ダージリンですか」
「気に入って貰えるといいのだけれど……」
「ええ、紅茶は好きですよ……とても美味しい」
一口紅茶を飲み。男は頷いた。
そして世間話は終わりとでも言いたげな様子で、ティーカップをソーサーに置く。
陶器と陶器がぶつかり合う、甲高い音がメアリー・スーの耳をつんざいた。
「私は貴方を厳しく叱りつけてしまいました。しかし、それも貴方への愛あってのこと」
「……」
ばつが悪そうに、メアリー・スーは目を逸らす。
「私は貴方を見ています。私は貴方を信じています。それはあの夜と何も変わりません」
「ええ。貴方はとても真っ直ぐよ。だから私は貴方の隣にいるの。貴方の隣は心地がいい。だから、イヤなの。私を切り捨てないで、きっと貴方の役に立つ! だって私はメアリー・スーなんだもの!」
「もちろん。そうなれば最善です。ですので、証明してください。メアリー・スーさん。貴方が……私の役に立つことを」
男が立ち上がった。
日本人にしては高すぎる身長をもって、男はメアリー・スーを見下した。
金の髪と真っ赤な瞳。
メアリー・スーとも似通ったその容姿はまるで親子。
しかし、二人の関係性はそのような美しいものではなかった。
「メアリー・スーさん。貴方の力を使って、私の望みを見てください」
「普段は禁止されているのに……いいの?」
「ええ、もちろん。貴方を信用しているのですから」
メアリー・スーには特別力があった。
その一つが、人の理想を感じ取るということ。彼女が一目見ただけで、その人間が抱える理想を詳らかにしてしまう。
藤坂舞が長年の間胸に秘めていたその想いを引きずり出したのも、この力を用いてのことだった。
「……! そういうことね。分かったわ! 貴方の望み、その障害となる厄介なキツネを懲らしめればいいのね! 大丈夫、任せて! だって私はメアリー・スー! 誰の夢だって叶えてしまえる。叶わない夢はないんだから」
「ええ。期待していますよ」
愛らしい装飾が凝らされた傘が開き、メアリー・スーの手元へ。
そのまま、二匹のクマが少女を先導するように空へ飛び立ち、窓の外へと消えていく。
「ふふ。ふふふ。貴方は私、私は貴方。だから、貴方の夢が叶うと嬉しいの。信じて、私は貴方を裏切らない。だから、約束して……貴方も私を裏切らないって」
「無論。神に誓いましょう」
「ありがとう。素敵な貴方。さようなら、嬉しい私」
そう言い残してメアリー・スーは海を泳ぐイルカみたく、優雅に空を征った。
部屋に残されたのは、未だ湯気が立つティーカップ四つ。そして男が一人。
「あぁーあ。神にまで誓って大丈夫? 君、あの子のこと切り捨てるつもりでしょ」
部屋の陰にコウモリたちが集まって、人を形成した。
その化け物染みた蠢きとは裏腹に吸血鬼の言葉はのんべんだらりとしている。
「さて、何のことやら。私は彼女を信じていますよ」
踵を返して、男は淡々と返事をする。
メアリー・スーに向けていた穏やかな声色が嘘のような冷たさだ。
「オジさんはこう見えても仲間思いだからなぁ。できればみんな仲良くがいいんだけど」
「あれは制御不可能の爆弾です。いつ、我々の害となるか……。爆弾から解放されるにはどうすればいいか、分かりますか?」
男の質問に、人差し指をピンと立てて吸血鬼が答える。
「爆発させる」
「ええ。花丸です。ですが、手元で爆発してしまっては、痛いのは私たちです。なので……最も被害を被らせたい者の近くで爆発させる」
「わぁお。あくどいねぇ」
「成功すれば、それもよし。どう転んでも我々の思惑通りですよ」
杖で地面を突きながら、男はもう話すこともないと部屋から出て行った。
それを見送って、吸血鬼は暗がりから天井を見つめる。
「そうなればいいけど」
ぽつりと。
これからの未来を憂い、部屋に残ったティーパーティーの残骸を眺めた。




