36話「市役所の怪物」
公王町市役所。
中心地である公王駅のほど近くにあるそれは、この町の心臓部と言っても過言ではない。
六年ほど前に建て替えられたその外見は、スマートな現代社会に合わせた造形となっている。
ガラス張りの建物は太陽の光を反射していた。
それが眩しくて、同時にどうしようもなく夏を感じさせる。
そんな市役所の中に足を運ぶのは、炎天下の中白衣を身につけた変わり者。
「これが建てられた頃は、この町も栄えていたんだけどね」
なんて独り言を零して男――屋流黄成は両の手を黄ばんだ白衣の懐に突っ込んだ。
そのまま、気怠げな様子で市役所と灼熱地獄を区別する自動ドアの前に立つ。
扉が開けば、清風が彼を包み込む。よれた白衣の裾がゆらりと広がった。
平日の昼間、にしては人が多いが屋流にとってはどうでもいいことだ。
綺麗に配置された観葉植物を横目に、屋流は関係者以外立ち入り禁止と書かれた注意書きを越えて階段を降りていく。
どうしてか、その足音でさえも気が抜けているような気がしてならない。
屋流という男が発する全てのサインが、彼という人間のふしだらさを際立てているようにも思えた。
三十段ほど降りた所でたどり着いたのは武骨な鉄扉。
ねずみ色のコンクリートと、鈍色の扉。
明かりはぼんやりと白照明。
どうにも、市役所の外見とはかけ離れた雰囲気だった。
あまりにも、暗い。
外と比べて、陰湿すぎる。
冷房だってないだろうに、どうしてか冷たい雰囲気が漂っていた。
屋流はなんの躊躇いもなく、鉄扉に手をかけてそれを押し開ける。
重たい音が響く。
金属とコンクリートが若干擦れるような。
多分、何年も蓄積されたような重い重い音が響いた。
「お邪魔しますよ~っと」
対照的に、屋流の声はとても軽い。
一切の光が遮られた暗闇。
それが、鉄扉の先に待ち受けている景色だった。
しかし、ここではそれが当然らしい。
その証拠に屋流は暗闇をなんとも思っていないようだ。
扉が閉まった轟音と同時に、部屋の中央に明かりが灯る。明かりといっても、そう明るいものではない。
精々、自分の立っている場所と――この場にいるもう一人の男が立っている場所を特定するくらいだ。
その顔は見えない。
姿形の子細も分からなかった。
「ご無沙汰してます……で、本日はいかような用向きでしょうか?」
対面する男に向かって、屋流は軽く一礼を披露して見せた。
暗闇に紛れて、声が漏れる。
「儂が不在の二週間……五大獣が現れたとの報告を受けた」
「あぁ、そのことですか。ええ、メアリー・スー本体の脅威はそこそこ、しかし秘めた力は――」
「否、主をわざわざここに呼びつけたのは、藤坂舞のことである」
「舞ちゃんのことですか」
言葉こそ些か丁寧だが、やっぱりそこにやる気は込められていない。しかし、その中にも欠片の敬意はあった。
「主の報告書にも書かれていただろう。命の危険あり、だったと」
「ええ。死んでしまうかと思いましたよ」
さらりと。
まるで今日食べた朝食の味を語るように、屋流は話した。
それが男の怒りを煽ったのかもしれない。
暗闇から圧が漂った。
ぐにゃりと。
圧に質量があったなら、部屋が軋んでいたであろうほど。
明確に男は怒っている。誰でも理解出来た。
それでもなお、屋流の表情は変わらない。
相も変わらず、その瞳は濁り死んでいる。
「ふざけているのか? 主がいながら、なぜそのような事態になったかと聞いているのだ」
「まるでご自身には一切の責任がないとでもいうような口振りですね?」
「……なんだと?」
「そもそも、舞ちゃんをこの道に陥れたのは誰ですか?」
「……」
その指摘は手痛いものだった。
それこそ、男が返す言葉を探して黙ってしまうくらいには。
屋流はふぅ、とため息を吐いて続けた。
「それに彼女の保護者代わりだって貴方だ。私はただ、情報屋として彼女に協力しているに過ぎませんよ?」
「……だが、藤坂舞は主を信用しているだろう」
「どうだか……彼女は賢い。私がビジネスライクな関係として接していることくらい察しているはずだ。貴方が保護者代わりだというのに、親として接していないこともね」
「……何が言いたい?」
「いえ、なにも。私は面倒な人間関係に首を突っ込むのは嫌いなんで」
屋流はそこまでいうと薄ら笑いを浮かべて見せた。
一時の沈黙が、場を支配する。
「でも、悪いことだけじゃありませんよ? 彼女は笑いました」
「……亜月日々という同級生か」
「ええ。彼と、そしてロールという幽霊少女は興味深い。それに、舞ちゃんにだって良い影響を及ぼしている」
真っ黒な天井を見上げて、屋流は答えた。
「気になるなら、一度会ってみたらいかがですか? きっと貴方だって気に入るはずですよ」
視線を戻して屋流は男にそう語りかけた。
暗闇に紛れている故、男の表情や仕草は一切分からない。
それでも、屋流は彼がなんと返事をするか分かっていた。
「元より、そのつもりだ。儂手ずからその男を見定めよう」
「それがよろしいようで」
屋流は男から背を向けた。
もうこの場には用がないと言いたげな足取りで、そのまま踵を返していく。
「でも、お手柔らかにお願いしますね?」
そんな言葉だけを残し。
屋流は部屋から出て行った。男の返事など待たない。
なんて答えるか知っているから。
それに、扉が閉まる音で返事なんて聞こえない。
ただ一つ確かなのは、屋流でさえ敬意を払う何某かが……この町に帰ってきたということのみである。




