35話 「史上最強の敵」
俺は生徒会室を目指して歩いていた。
隣にはもちろんロールを連れて。
「マイちゃんは生徒会室ッスか?」
「多分な」
今日も今日とて、ロールの記憶の手がかりを探すために学校に足を運ぶ。
より正確に言うなら、藤坂に会うために来ている……。
彼女は生徒会長だ。
生徒会長は夏休みでもこなさなければならない仕事があるらしい。(一説によれば、藤坂だから押しつけられているとか)
貴重な夏休みが役員の仕事で終わってしまうなんて……考えただけでもため息が溢れてしまう。
それを文句一つなくやってるんだから、やっぱり彼女は凄い。
どこかのダメ教師にも見習って欲しいものである。
「にしても、マイちゃんの笑顔可愛かったッスねぇ。自分みたいッス」
「あぁ……ロールみたいなってのはよくわからないけど、そうだな」
軽口を叩くロールの言葉を流しつつ、俺は頷く。
昨日、俺たちは初めて藤坂の笑顔を見ることができた。やっぱり、人間は誰だって笑顔の方がいいものだなって身に染みてわかった気がする。
「なんだか、マイちゃんとの距離もグッと近くなった気がするッス!」
「だな。本当に良かったよ」
彼女が今も生きているということが嬉しかった。
だから、生徒会室に向かうこの足も随分と軽い。
こんな話をしている内に、生徒会室に到着だ。俺は扉に手をかけてそれを開けようと――
した瞬間だった。
俺が手を触れる直前に、扉は動きそこから誰かが飛び出る。
その誰かは相当慌てていたのか、俺が扉の前にいることに気がつかなかったらしい。
「あっ!」
なんて声を出した時にはもう遅い。
俺とその誰かはぶつかってしまった。
なんとか、踏ん張って倒れることを免れた俺はぶつかってきた誰かが吹っ飛ばないように身体を掴む。
弾みがついてしまったからか、掴むだけに飽き足らず結構密着してしまったのだが――その誰かが藤坂だと気がついたのは、彼女が軽く俺に抱きつくような体勢になってからだった。
「うわぁ、大胆ッス……」
なんか、隣からふざけた言葉が聞こえた気がする。
が、今はそんなことよりも急いで藤坂から離れることの方が大事だった。
事故とはいえ、女の子にこんな密着してしまうなんて……。なんて、今までの女性経験のなさが如実に現れた考えで彼女から離れようとするが、肝心の藤坂が離れてくれなかった。
「亜月君! すまない、ぶつかってしまって……でも丁度いいところに来てくれた。た、頼む……助けて欲しい」
「え?」
俺の胸ぐらに顔を埋めていた彼女が俺にそんなことを言ってきたのだ。
後半になるにつれて、どんどんと声がか細くなっていく。いつもの冷たい声色はどこへやら、まるで何かに怯えているようだった。
その顔をよく見れば、瞳に涙が溜まっている。
藤坂がここまで焦るなんて、一体何があったんだろう。
何も分からない俺は、取り敢えず彼女から事情を説明して貰う必要があった。
だから落ち着いて……。
そう、まだ密着した体勢は変わらないままだが落ち着いて。
藤坂に説明を求める必要があった。
「一体どうしたって――」
そこまで言って、俺の言葉は途切れた。
開かれた扉から、黒い何かが飛翔したような気がしたから。
そのうえ、その黒い何かは藤坂の頬にぴったりと張り付いたのである。
不愉快な羽音。
黒光りするボディ。
そして、長い長い二本の触覚。
間違いない、この黒い何かは……。
「~~っ!」
俺が黒い何かの正体を察したと同時に、藤坂は驚きと悲鳴が入り交じった声にもならない声をあげて、力なく俺に寄りかかる。
「ちょ!? 藤坂! 大丈夫か?」
「き、気絶ッスか……」
ロールの言う通りだった。
気絶した。
あの藤坂が……鬼やら怪物やらをまるで豆腐が如く切り刻む藤坂が……ゴキブリに負けたっ!
件のゴキブリは、満足したように生徒会室に帰っていく。
まるで藤坂に狙いを定めていたみたいだ。もちろん、ゴキブリがそんなことを考えるわけがない。
とはいえ、一つ分かったことがある。
「藤坂……ゴキブリが凄く苦手なんだな」
「そ、そうッスねぇ。あの慌て振りと、さっきの反応から察するに――超乙女ッス!」
彼女を抱えて、俺は生徒会室に立ち入る。
そしてソファに気絶した藤坂を預け、俺は生徒会室の扉を閉めた。
ふぅ、と息を吐く。
恐らくついさっきまで藤坂が仕事をしていたであろう机の中央に陣取るのは、彼女を負かしたゴキブリ。
俺はそのゴキブリを見据えた。
「どうするんッスか?」
ロールがふわりと浮かびながら首を傾げる。
正直、俺もゴキブリが得意というわけじゃない。
改めて見つめると、中々大きい。
普通のゴキブリが十とするなら、あのゴキブリは十五くらいデカイ。
あんだけ大きいのがほっぺたに張り付いたら、俺だって気絶する。
ゴキブリがもっと苦手な人なら、もう……言葉にもならないはずだ。
しかし、藤坂のためにもこのゴキブリをどうにかしなければならない。
彼女が目を覚ましても、ゴキブリがいるんじゃ可哀想だし……。
「どうするって、やるしかないだろロール」
何より、俺だってあんな大きなゴキブリが部屋にいるのはイヤだ。
どうにかして退出して貰わないと。
俺は部屋の窓を全解放する。ゴキブリはどうやらまだ動く気はないらしい。
これは好都合だ、今の内に戦う準備を整えよう。
「ロール、何か長い物はないか?」
窓を開けながら、ロールに武器になりそうなものを探して貰う。
流石に素手でゴキブリを掴むほどの胆力は俺にはない。袋越しとかでギリギリ。ティッシュはちょっと……無理だ。
だから一番いいのはホウキとか長いものでゴキブリを刺激して部屋から出て行って貰うこと。
そのための武器が俺には必要だった。
「あっ!」
「あったか?」
「斬想刀!」
「いやそれだけは絶対にダメだろっ! 藤坂になんて言うんだよ!」
「それもそうッスねぇ……」
キラキラとした表情で斬想刀を指さすロールだが、流石にそれはない。
いくら長いものだからとっていて、藤坂の一番大切なものを藤坂の(多分)一番嫌いなものに触れさせるなんて、ただの嫌がらせだ。
知らぬが仏ともいうが……そんなことはやっぱりできない。
「でも、他には何もなさそうッスよ?」
「ホウキくらい探せば……あった!」
ゴキブリが座する机の奥に、ホウキはしまわれている。
つまり俺がホウキを手にするためには、ゴキブリの隣を横切っていかなければならない。
ゴクリ、俺は唾を飲み込む。
そして、ゴキブリから目を離さないようにそろりそろりと足を動かした。
「もしかして……センパイもゴキブリ嫌いなんッスか?」
「好きな奴はまぁ、いないだろ……」
「自分は嫌いじゃないッスけどねぇ~!」
俺は一歩、一歩と動きロールに返事をする。
「じゃあ触れるのか?」
「いけるッスよ。ま、今はスケスケなんで無理なんスけど!」
「……絶対嘘だ」
ロールなら平気な顔をして触りそうだと思う反面、強がってそう言っているようにも聞こえる。
ホントッスよー! なんて頬を膨らませる彼女は置いといて、俺はホウキまでたどり着いた。
一方で、ゴキブリはというとビックリするくらい動かない。
まるで死んでしまったようだ。
俺はホウキを構え、奴を刺激するように突こうとする。
「えいっ」
気合いを入れてホウキを繰る。
このままゴキブリが飛んで、部屋の外に出て行ってくれないだろうか……そんな思いを込めたが、件のゴキブリは一瞬だけ羽ばたき、ホウキの横降りを華麗に回避してみせた。
「……」
見間違いか?
なんて思った俺はもう一度ホウキを振った。
スカッ。
空振り。
もう一度っ!
……また当たらない。
まるでゴキブリは俺がどこにホウキを動かすのか知っているように、身体を動かす。
「こ、このゴキブリ強いッス……!」
「あぁ……強い!」
くるりと空中で旋回し、机の上に着地するゴキブリを見据えて俺とロールは強いという言葉しか吐き出せなかった。
俺の片手にも満たない大きさのゴキブリが……どうしてか俺よりも巨大な風に見える。
もしかしたら……俺まで危ないかもしれない。
俺とゴキブリの戦いは続いていた。
いくらホウキを振り回しても、ゴキブリに当たることがない。それどころか、いくら奴を刺激しても机の上から離れようとしないのだ。
普通なら、仮にホウキが当たらないとしても一度飛翔したなら、他の場所に移ることだってあるだろうに……。
なぜか、あのゴキブリはそこに定住している。
どうしてだろうか。
理由を考えるがイマイチ分からない。
それに、まるで俺を煽るみたいに時折空を駆ける時がある。
あのゴキブリからは、明確な意志さえも感じてしまう。そんなことはないだろうに……。
「中々、強敵ッスね?」
顎に手を当てて、ロールは真剣な表情でそう話した。
強敵だ、強敵すぎる。
どうして外に出て行ってくれないんだろうか。まるで俺たちを困らせて楽しんでいるみたいじゃないか。
「しかたない、ホウキ作戦はやめだ」
「次はどうするッスか?」
俺はビニール袋を手に取り付けて、引っ張った。
もう……やるしかない。
「手で行く」
ふぅ、と息を吐いて覚悟を決めた俺はゴキブリに向かい飛びかかった。
ホウキを振り回すだけでは到底不可能な繊細な動きを、素手ならば可能にしてくれる。(これが長物を扱うのに長けた藤坂とかなら別なんだろうけど……)
いくら奴がすばしっこくても流石に逃げ切れないだろう。
袋ごしでも接触してしまうのは非常にイヤだが……背に腹は代えられない。
俺は手を伸ばし、そしてゴキブリを掴む。
「あれ?」
掴んだはずなのだが……。手応えはなかった。
そして、羽音が聞こえる。
奴はやっぱり俺を小馬鹿にするみたく、俺の周囲を羽ばたいた。
「クソっ!」
俺は飛ぶゴキブリを捕まえるために四方八方に手を伸ばすが、少し触れることすらできないでいた。
「か、完全に遊ばれてるッス……」
ロールの言う通りだった。
俺がムキになって奴を追えば追うほど、奴は俺の予想を上回る軽やかな空中機動を見せる。
自分のテクニックと、そして実力を示すように奴は飛び回る。
「……」
一度、奴を追いかけるのをやめて距離を取った。
千日手だ。それどころか、俺が疲れるだけだろう。
いつか、奴のスタミナが切れる時が来るかも知れないが……。
奴は俺が距離を取ったことを確認して、また机に戻っていく。
あくまでもこの部屋から出て行く気はないらしい。そのうえ、物陰に身を隠すつもりもないと来た。
あくまでも真っ向勝負がお望みらしい。
ここまで来て、俺はようやくあのゴキブリの異常性に気がついた。
「やっぱり……おかしいよな、コイツ」
「そうッスねぇ、ただのゴキブリにしては身のこなしが凄すぎるッス!」
俺とロールは顔を見合わせて、もう一度奴を見る。
まさか……。
本当にまさかだが……。
「もしかして……」
「想造獣ッスか!?」
俺たちは口を揃えて、まさかの可能性を言った。
こんなにも手強く、他のゴキブリではなし得ないことさえもしてしまう様子を見ていると、イヤでも疑ってしまう。
「でも、ゴキブリが想造獣になんて……あり得るのか?」
俺はそもそも想造獣自体そう見たことがない。
赤鬼に、メアリー・スーに斬想刀。このくらいだ。片手で足りてしまう。
だから、実際のところ想造獣についてそう詳しいわけじゃない。
むしろ、素人も同然なのである。
だから俺よりは知識を持ち合わせているであろうロールに質問をした。
ロールは唸り声を一つあげて、首を傾げる。
それに合わせて、短い白髪が揺れた。
「想造獣はたくさんの人に信じられているものが形になるものッスからねぇ……」
「つまり?」
「みんながゴキブリのことを恐ろしく思っていて、その恐怖やら何やらが……」
「あれになったわけか?」
ロールは頷く。
「多分そうッス」
「……」
なるほど。
つまり、ゴキブリならあれくらい動ける、あれくらい恐ろしい……ゴキブリを嫌う人々の想いが生みだしたスーパーゴキブリというわけか。
「人を怖がらせることに特化した想造獣かもしれないッスねぇ」
「藤坂すら倒した想造獣……」
俺は改めて唾を飲み込む。
下手をすれば、俺たちの前にいる想造獣は史上最強の敵かもしれなかった。
だって、あの藤坂を(結果的に)負かしている。それだけでも強い。
オマケに俺の動きでは奴を捕えることもできないときた。
どうやって戦うべきだろう。
さて、どうしようか。
そう頭を悩ませた瞬間。
俺の隣を、何かが過ぎ去った。
風が吹きすさぶ。
こんな速度で動ける人間など、俺は一人しか知らない。
鮮明な赤が、煌めいた。
「あっ、マイちゃん……!」
藤坂の振るった斬想刀が、ゴキブリを斬っていた。
まさしく神速。
ちょっと怖いくらい速かった。
斬られたゴキブリは、光る粒子みたくになってさらさらと姿を消していく。
想造獣って、あんな風に消えていくんだと今知った。
ぽとりと、結晶のような何かが机の上に落ちた気がするが……今はそれよりも。
「ふ、藤坂……大丈夫なのか?」
藤坂の方が心配だった。
あれだけゴキブリが苦手そうだったのに、斬ってしまって大丈夫だったのだろうか?
俺たちに背を向けたまま、藤坂は頷く。
「ああ、想造獣なら問題はない」
「そ、そうなんだ……」
意外だった。
外見は何も違いはないのに、想造獣はセーフらしい。
ちょっと俺にはよく違いが分からないけど、まぁ大丈夫ならそれでいいか。
「申し訳無い……その、色々と恥ずかしい部分を見せてしまった。どうにも、あれだけは苦手でね」
斬想刀を鞘に戻して、藤坂は話す。
相変わらずこっちを見てくれないが、どうしてだろうか。
「藤坂にも、苦手なものがあるんだな……」
「意外ッス~」
まさかゴキブリがあんなに苦手なんて……。
「驚いてしまったよ、本当に……」
確かに、あれだけ慌てた様子の藤坂は金輪際見ることができないかもしれないな。
なんて思いながら、そろそろこっちを見てくれてもいいんじゃないかと考えて、声をかける。
「なぁ藤坂そろそ――」
しかし、あることに気がついて俺は口をつぐんだ。
藤坂の耳が、赤く染まっている。
……多分、恥ずかしかったんだろうな。
だから俺は声をかけるのをやめた。
ロールが何か言ってしまう前に、俺は藤坂から背を向ける。
「外で待ってるよ」
「あぁ、私もすぐ準備をして向かうよ」
その返事を聞いて、俺は生徒会室を後にした。
ゴキブリの想造獣には驚かされてしまったが、一件落着だな。
藤坂の新しい一面を知ることもできたし、終わり良ければすべてよし。
……かな?




