気を付けて
「…先程の続きですが、私はそう思う相手が居りません。なので、ご安心頂ければ幸いなのですが…」
内容を話す事は別にする必要は無い。そう判断して、人が集まった中でそう告げた。誰に聞かれたところで、私は何も困らないからだ。これで何かを勘違いしている彼女が、少しでも心穏やかになれば良い。どうやら、私の存在が彼女をこんな風にしてしまっている様だし。
「…何の話だ?」
「先ほどしていた内容の続きです。お伝えしておかないと、勘違いされたまま心穏やかに過ごせないと思いましたので、簡潔に伝えさせて頂きました」
「そうか。やはり会話を遮ってしまっていたか、申し訳ない」
「とんでもございません、私との会話でサラン様は御心をお乱しになり、ギレット様にもお手を煩わせてしまいました。此方こそ、申し訳なく思っております」
「否、私の事は気にしなくていい」
「そう言って頂けると、心が軽くなります」
この会話中、ずっと供の人に支えられている彼女は、大丈夫だろうか。先程の私の言葉は届いているだろうか。少なくとも周りの人には聞こえただろうし、彼女自身が聞いていなかったとしても大丈夫だとは思うが。思わず視線を彼女へ向けると、ビクリと彼女の肩が跳ねた。
「…サラン嬢?」
彼や他の人達も彼女へ視線を向ける。
「何か失礼を致しましたでしょうか…?」
「あ、違…ごめんなさい、私…」
「……サラン嬢、体調が悪いなら帰ると良い。無理に居る必要は無い、何なら送らせるが?」
「い、いえ、大丈夫です…」
「そうか、ならば気を付けて。マルガ女史の事は気にせずゆっくり休むと良い」
「はい、失礼、します…」
可憐な彼女がこんな姿になる程、私は何かしてしまったのだろうか。彼女と会ったのは二回目の筈で、会話は初めてだ。自分の与り知らぬところで、誰かを苦しめていたなんて気付かなかった。こういう場合、私はどうしたら良いのだろうか。膝をついて謝るべきなのだろうか。でも、何が悪かったのか、分からない。
支えられ、去って行く彼女の後姿を、私は見つめる事しか出来なかった。
「…さて、尋ねても良いだろうか」
「はい、何なりと」
「そうか、では遠慮無く。先ず君は私が誰か、分かっていると思って良いか?」
「勿論でございます。ギレット・ルシア様でございましょう?貴族筆頭と名高い、ルシア公爵家嗣子様で違いないと存じております」
「うむ、相違無い。では先程の令嬢が、ジンジー伯爵家の人間である事も、承知の上だな」
「はい、恐れ多くもお声掛け頂きまして、お話をさせて頂いておりましたが、段々とあの様に顔色をお悪くされてしまいまして…一体何をしてしまったのか、全く分からないのです」
「ほぉ?分からぬと」
「はい、あの方のお噂であるご婚約の話をされたのですが、その件で何か誤解をされていらっしゃる様でした。なのであの様に回答をしたのですが…」
「先程の、想う相手云々というやつか」
「仰る通りです」
詳細は私から言うのは違うと思うから言わないが、要点だけ言ったところであまり変わらないなと、言いながら思った。やはり、大した会話をしていない。なのに、何に反応したのだろう。益々意味が分からない。
「…何となく掴めた。引き留めて悪かった、送らせよう」
「いいえ、それには及びません。ご配慮、感謝致します」
私は頭を下げて断った。一人で帰りながら、少し整理したかったからだ。
「そうか、ならば貴女も気を付けて」
「はい、では失礼致します」
家に着く迄に、少しだけでも整理出来るだろうか。もし出来なければ、誰かに聞こう。家族であれば、別に話したって構わないだろう。話すな、とは言われていないのだから。……という事は、彼にも話して良かったという事だったのか。新しい人と関わるという事は、本当に難しい。
「余計な事かもしれんが」
少しだけ声を張った彼の声がして、進み出していた足を止め、振り返る。
「君は今迄通り過ごした方が良い」
「?」
「何かあったら君の兄君…グノエ殿に言えば良い。私も力になる」
「はあ…ありがとうございます」
取り敢えずお礼を述べたが、何故兄なのだろう。兄と彼は知り合いという事か。しかも兄が言えば動く程の仲という事か。流石兄、降下公爵家の嗣子と知り合いだなんて。勿論お互い様なのだろうが、成る程これならば父が婚約に利がないと言ったのは納得だ。考えれば我が家は王家との繋がりもあるのだ、それ以外の家ならば特に今更と思うのだろう。その中で齎される恩恵を考え、家族は不要と判断した。やはり、私は知らない事が多くて、判断材料が乏しい。
貴族同士の婚姻は、政略的なものが圧倒的だ。現に、ジンジー伯爵令嬢達の婚約もそうだった。だからこそ、現状の白紙は一旦という暫定的な物になっている。それは事実として話されているから、ロイロ侯爵家も知っているだろう。それを完全な白紙にしたくて、恐らく今後も働きかけて行く筈だ。噂によれば、ロイロ侯爵家嗣子のジンジー伯爵令嬢に対する執着は、今に始まった事ではないそうだし。ただ、果たして彼がこのまま彼女と婚約出来るとは到底思えない。身分、立場、役割、互いの恩恵全てを見ても、恐らく彼は同じだけの物を与えられないと思うのだ。無知である自分がそう思う位だ、他の人達はもっとそう思っているに違いない。けれど、それが結果として茶番になろうが美談になろうが、貴族達にとっては暇つぶしでしかない。要するに、娯楽なのだ。だから遠目から見て、笑って見ているだけなのだ、自分達は関係無いと笑っていられるのだ。
ふと、前にジニー達と話した事を思い出した。彼女達は彼等の事を嫌いだと言い、静かに生きれば良いのにと眉を潜めていた。つまりは、普通の貴族とは違うのだろう。娯楽と思わず、嫌いな人間だからと特に不幸も願わず、純粋に関わりたく無いと思っている様子だった。そして目の前の彼も、楽しんでいる様子は無いように思う。と言う事は、ジニー達と同じなのかもしれない。身分が高い彼も、ジニー達の様に過去何かあったのかもしれない。まあ、どちらにしても私には関係の無い事だが。
私は頭を下げて、その場を後にした。
◇
翌日、兄に呼ばれ私は兄の部屋に居た。何故呼ばれたのか、流石に想像に容易い。
「昨日の件だが、どうやら広がっている様だ」
「そう…」
昨日の事は、昨日の内に全て家に居た兄と母に話した。やはり、と思う。あの場は沢山の人の目と耳があった。しかも居たのが噂の渦中に居る人間と、存在自体が珍しい降下公爵家の嗣子、そしてザザ商会の人間だったのだ。広がらない方がおかしい。
「聞きたいのは、昨日聞いた内容に間違いが無いかの確認だ」
「ええ、嘘は何も言ってないわ」
「そうだな、俺もお前が嘘を言うとは思っていないよ。念の為の確認だ。だがそれなら、昨日の件は何ら気にしなくて良い」
「ごめんなさい兄さん、今度は気を付けるわ。それともあの方の言う通り、私は今迄通り余り外に出ない方がいいのかしら…」
「ギレットに言われた事だな?さっきも言ったが、お前は何も気にしなくて良い」
「…分かったわ」
兄がそう言うなら、それに従う迄だ。今迄それで間違った事は無いのだから。
「…なあ、マル」
「?」
「お前にとって、幸せと思う未来を選んで欲しいんだ。だからお前の行動を抑える事をするつもりは無い。誰が何と言おうと、俺達家族はお前がする事に否は唱えないよ。犯罪以外はね」
「ありがとう…でも犯罪なんて、するつもり無いわ」
「はは、分かっているさ」
兄が優しい顔をして笑う。私の家族は偶にこうして私に幸せを考える様に言う事がある。今の兄の様に、優しい顔で。間違い無く、私の人擬きに成る前の過去が原因だ。それだけ心配させ、今も尚続いているのだろう。今回の様に煩わせる事をしてしまったのが、良い例だ。本当にどうして、私はこの家に生まれてきたのだろう。こういう時、つくづくそう思う。どうせ生まれるのなら、誰も困らない様な環境であれば良かったのに、と。自身が困らせる原因なのだから、そもそも生まれてはいけなかった訳なのだが。どうして神様は私の様な出来損ないをこの世に誕生させてしまったのだろう。何とか人に成りたいとおもっても、この通り上手くいかない、上手く出来ない出来損ないなんかを。
私の幸せは、きっと家族や商会の人達が幸せに成る事だ。後は、私を気に掛けてくれるジニーやリオン達か。彼等が幸せなら、私もきっと幸せだと思うのだ。だってこんな私の幸せを願ってくれるから。友人になろうとしてくれるから。だから私も願う。どうか私の幸せを願ってくれる優しい人達が、必ず幸せに成ります様に。偉そうに人擬き如きが願える立場では無いだろうが、だからこそだ。自分自身はどうでも良い。今後も煩わせるだけなら、消えるだけだから。でも彼等は違う。彼等は人擬きにすら優しい、沢山の人に求められ、幸せを与えられる人達だから。幸せに成る、権利がある。
「兄さん」
「うん?」
「私の幸せは、兄さん達が幸せに成る事だわ」
「マル…」
「心配させてる事は分かってるし、申し訳ないと思ってる。でも、姉さんが幸せそうにしている姿を見て思ったの。嬉しいなって。だから兄さん達も好きな事している姿を見ると、幸せだと思うわ」
言っていて納得出来る。そうだ、間違い無い。私はそう思うのだ。初めて考えて自分で答えを出せた気がする。
「マル!」
「え、ちょ、兄さん?」
兄が抱き着いてきた。流石に驚く。
「ありがとう、マル!愛しているよ、心から」
「ええ、私も」
「ああ、ああ…嬉しいよ。初めてお前の言葉を聞けた。そうだね、私も幸せに成るよ。だからお前も幸せにおなり」
ええ、だから私の幸せは兄さん達が幸せに成る事なのだけれど…と口に出そうになって止めた。多分、また同じ会話を繰り返す事になるから。それはただの時間の無駄だ。兄は忙しい身だ、そんな無駄な事をして時間を消費させる等、させてはいけない。
「兄さん、これから会議があるのではなかった?」
「あぁ。でももう少し…」
「兄さん…」
兄さんの部下達が困ってしまうのではないだろうか。兄さんや父さんの部下達は皆優秀で、人によっては一つの商会を取り仕切っていたりする。それはザザ商会の傘下になっていて、定期的に打合せや会議を行い、情報共有をしている。今日はその定例会議がある日の筈なのだ。だからこうしてゆっくりしている暇はない筈なのだが。
「…次席」
「む……分かったよ」
商会の名称で呼べば、渋々といった様子だったが放してくれた。商会の人間は皆、家族が私に甘い事を知っているから、こういう姿を見ても黙って待っててくれる。でも、威厳を保つ為にはあまり良くないと、笑いながら本人達が言っていた。という事は、本来なら見せない方が良いという事だと思うのだ。今此処に、見せてはならない人間は居ないが。
「…そう言えば、ルドからお前宛に手紙が来ていた」
離れた兄から、二の兄からの手紙を貰った。姉が義兄と家を出た後、二の兄も出掛けて行った。未知なる物を探しに行ってくる、といつもの如く楽しそうに目をキラキラさせていたのを思い出す。そんな二の兄が手紙を寄越すという事は、何か知らせたい事があったのだろう。
「後で内容を教えてくれ。じゃあ、留守を頼むよ」
「ええ、気を付けて。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
今この家には私しか居ない。父は数日前から、この町から離れた村へ視察しに行っている。今年の農作物の出来栄えを確認して、それをどうするか見極める為だ。母も、今日は朝から予定が有って、祖母と共に出掛けた。何処ぞの貴族のホームパーティだった気がするが、そのせいで少々不機嫌だった。
家の留守を守るのも重要な役割である。来客は予期せぬ時にもやって来るからだ。つまり、私は今、その役割を担ったという事。他にも家には人が居るが、あくまで彼等は私に従う存在で、判断は全て私である。昨日の様に愚かな真似はしない、そう思いながら兄を見送った。