見極め
「は?」
父が思わず言った言葉に、兄が思わず声を発した。
「父さん、冗談だろう?」
「冗談だったらどんなに良いか。さて、どうしたものか…」
「馬鹿げている!何が悲しくて渦中にマルを放り込まなきゃいけないんだ!」
「私だってそう思う。それに、あの白紙は一時的な物。それがどうしてこうなったのか、私自身も追いつかんのだ」
家に戻って花の事を母に尋ねようと思っていた矢先、丁度良いからと私や母、兄が父の部屋に呼ばれ、そして話された内容に兄が反応した訳なのだが。私も母も、そして話した父自身も、首を傾げたくなる内容だった。
私に、ブロンス公爵家から嗣子との婚約の打診が有った、と。
明らかに頭のおかしい内容だ。身分が違いすぎる上、接点が無い。否、商会としては接点は有るが、個人的には皆無である。本人に会った事すら無い。それがどうして、一時的な婚約白紙の当人との婚約の話になるのか。
「…本当に、嗣子とですか?せめて、別の人間とか…」
「否、間違い無く嗣子だ。本人が言ってきたのだからな」
「はぁ?それこそ馬鹿げている。当主では無い時点で、それは通る話ではない」
「そうだな、そう言ったのだが…後から当主にも、マルであるなら白紙を完全な物にしても構わないと言われてしまったんだ」
「馬鹿なのかブロンス公爵家は!!」
「グノエ」
熱くなり始めた兄を、母が諫める。この家の人間が如何に忠実で他言しないとは言え、流石に不敬だと思ったのだろう。だが、諫めた母も、話を持って来た父自身も、兄と同じ気持ちだったのだろう。それ以上、兄に対して何も言わなかった。
「…マル」
「?」
「お前はどう思う?」
「父さん!!」
「黙りなさい、グノエ。これはお前の問題ではない」
「っ!」
父の視線が私に向く。母も、そして兄も私を見ている。何が正解なのだろう。どう答えれば良いのだろう。兄は馬鹿げていると怒っている。つまり兄は、反対なのだろう。そして父や母も、この話自体馬鹿げていると思っていて…でも、何か考えている。ならば、ザザ商会としては、どうなのだろうか。祖母や母の時の様に外から貴族が嫁ぐ場合、その貴族との縁が出来る。実際、祖母、母の実家とは、強い繋がりが出来ている。父の弟妹、私にとって叔父叔母も、其々各々の分野で活躍し、我が家との繋がりも強い。姉は貴族では無いが有力貿易商へ嫁ぐ。それによって齎される我が家と相手の商家との恩恵は計り知れない。では、私はどうだろう。
「…何か、利は生まれる?」
知らない相手との婚約ならば、きっとそれが一番大事だろう。分からないなら、聞けばいい。ティーニ家の人間は、私が聞いた事で答えないことは無いのだから。
「利か…公爵家との繋がりでは、特に無いな」
「では、お断りします」
「…そうか、分かった。断りを入れておく」
少し何かを考えた様子だったが、父は微笑みながら頷いた。母もホッとした様子だったし、兄に至っては満面の笑みだった。間違っていない回答が出来た事に、私も安心する。
「それにしても、何でそもそもそんな話を?マルは会った事すら無い筈では?」
「一番に考えられるのは、我が家に取り入りたかったか…或いはロイロ侯爵家の入れ知恵だろう」
「愚かな…」
思わず、と言ったように、母が呟く。貴族の中には、ザザ商会に取り入りたくて、アプローチを掛けてくる所も少なくない。年頃の子供が居れば特に。今一番の相手は兄である。幸か不幸か、兄には未だそういう相手が居ない。本人曰く、忙しくてそれどころではない、と言う。姉は相手が決まっているし、二の兄に至っては飛び回っているので、捕まえる事すら難しい。最後は私だが、成人して今まで以上に外に出る様になった。つまり、そういう相手が一人増えたという事。父や母の元にこの手の話が増えるのは自然な事で、あからさまな者も多い為に母が思わず言いたくなるのも、仕方が無いのだ。こんなに煩わせるのなら、せめて利が無ければと思うのはきっと当然で。
「マル、呼び留めて悪かった。もう下がって良い」
「はい」
父にそう言われ、私は部屋を出た。取り敢えず手に持っている花を、水に付けよう。そう思いながら、手洗い場へと向かった。
◇
「…それで、何故聞いたのです。あの子が何て答えるのか、想像に容易いでしょう」
「そうだな。だが、万が一望むならと思ってしまったんだ。それであの子が幸せなら、と」
「あの子が、望むわけないでしょう!それに望んだとしても、絶対に不幸になる。そんな選択を私達が許すわけがないでしょう!?」
「分かっている。分かっているからお前達を集めたんだ、否定の材料となる私達を。あの子は未だ、自身の判断が出来ない。だから間違った判断をしない様に導くモノが要る。そして出た答えが間違っていないと思わせる必要がある。その結果、あの子は満足した答えが出せたと思うだろう?」
「それはそうですが…」
「…父さん、本当に利は無いんだよな?」
「ああ、ブロンスもロイロも、ましてジンジーも無い」
「分かった。なら遠慮はしなくて良いんだな」
「端からしていなかっただろうが。まあ、その辺はお前に任せるが、あまり派手にはするな」
「勿論」
静かにしていれば良いものを、愚かにも動き出した愚者どもよ。だからこそお前達は愚者なのだ。
ロイロ侯爵家の嗣子は元からブロンス公爵家の嗣子を目の敵としていた。今回もジンジー伯爵家の令嬢には早々に手回しして焚き付けた経緯がある。だからこそ公爵家がそんな事を言い出したのも、遅かれ早かれだったのかもしれない。だが、相変わらず愚者は愚者でしかなかった。昔から変わる事も無く。だから例えどんなに贖罪をしようとも、あの子が何も感じなくても、この家の人間は誰一人、決して許しはしない。
◇
あの花は、どうやらマグノリアと言うらしい。祖母から、あまり手に入らないものだから、未だ流行らせない方が良いという言葉と共に教えて貰った。確かに花木であるし、コレを大量にとなったら木が沢山必要になるという事だ。あまり多く枝を伐ると、木が死んでしまう。それでは本末転倒だ。だからあの花屋の店主にも、その事を話しておいた。店主も直ぐに納得して、ではと帰り際代わりにと別の花を渡された。今旬の花だ、と言って。ピンク色の花で、子供が花冠にしたりするポピュラーな物。これなら比較的手に入れ易い。小さな花瓶が必要だな、と思いながら小さなブーケを持って歩いていた。ある人から話し掛けられるまでは。
「…何か、ご用でしょうか?」
その人と会うのは二回目だった。式典の後、一人で町に出る事が増えたせいもあって、今迄会わなかった人達と会うのだろう。これが良い事なのか悪い事なのか分からないが、何かを見付けるという意味では、必要な事だと思いたい。でなければ、知り合い等必要無いのだから。
「っ、突然、話し掛けてごめんなさい。どうしても、確認、したい事があって…」
「確認ですか?何でございましょう」
「フォーエル様から聞いていると思うのだけれど…私、キール様との婚約を白紙にしたの」
「はぁ」
目の前の令嬢、ジンジー伯爵家のサラン様は、私を見ずに俯いたまま小さな声で話しだした。前回のロイロ侯爵家嗣子と言い彼女と言い、一体何だと言うのだろう。その事実は噂として広がり、誰ともなく知っている。無関係の人間でも人目は有るこの場を選び、にも拘らずわざわざ連れの人間を遠くに置き、私の元へやって来る彼女達の考えが良く分からない。聞かれたくないなら、場所を移動すべきではないのだろうか。難しい。気持ちを汲み取れない私にとって、非常に難しい問題である。
「貴女に悪いと思って身を引いたの。でも、貴女は彼の打診を断ったのよね?どうして?」
何が、どうしてなのだろう。と言うか、断ったのがいつかなんて、私も知らなかったのだが、父から話があってから未だ一週間程だ。彼女が知るにしては、早くないのだろうか。それとも、普通なのだろうか。頭にそんな沢山の疑問が浮かぶが、直ぐ消えた。別に、どうでも良い事だと思ったからだ。
「どうしても何も…お互いの家に何も利が無いのに、身分の違いすぎる我が家への打診は無意味だからです」
「え…?だってフォーエル様は貴女にとって私達が結ばれる事は良くない事だって…だから白紙にするべきだって…」
「…何故私にとって良くないのでしょうか…?と言うか、白紙にされたのは、私のせいだったのですか…?」
「え、あ、そ、そうじゃなくて…!で、でも、見ていて気分が悪くなるでしょう?」
「どなたをですか…?特にそう言った方は居りませんが…」
「嘘…そんな、だって…」
「私がどなたかを見て気分が悪くなる様な事が有るなら、こうして不特定多数が出歩く様な場所を一人で歩いたりしません。家に籠るか、その方が絶対居ない場所に行きます」
それだけの力が、我が家には有る。協力してくれる家族が居る。彼女は一体、何の話をしているのだろう。上げた顔が真っ青だった。
「大丈夫ですか?顔色が…お連れの方は何方に…」
「待って!最後に教えて欲しいの!」
「はい…?」
「もし、もしも、仮に私が彼を選んでも、貴女は平気なの…?」
「…彼、と言うのがどなた様の事か分かり兼ねますが、貴女様がどなた様を選ぼうと、祝福申し上げます」
「本当に…?」
「はい。勿論でございます」
おめでたい事は、関係の無い場所や人でも、多かれ少なかれ我が家にも恩恵が有るから、歓迎出来る事だ。心無い祝福かもしれないが、するに決まっている。
「それは、本心?私が貴族で、貴女が商人だから、という事ではなく、心からそう思ってくれる?」
「?申し訳ございません、どういう意味でしょうか…?」
「だから、自分の本心を抑えて言っていないかって聞いているの!本当は彼と一緒になりたいのに、私が貴族なせいで言えないとかだったら…」
「……申し訳ございません、私には…」
「何をしている!!」
彼が誰を指すのか分からない上に、一緒になりたいと思う人間がそもそも存在しない事を告げようとした時、知らない声が遮った。私も彼女も、声の主へと注意が行き、その存在が自分達に告げた言葉だと理解した。答えるべきなのだろうか、ただ話していただけだと。だがこの場合、私ではなく彼女が言うべき事だ。声の主が貴族である以上。
「ギ、ギレット様…」
ギレット、という事は、ルシア公爵家の嗣子ということか。ルシア公爵家と言えば、王家降下公爵の筆頭だ。貴族の中で最も位が高い家の嗣子が、何故こんな町中に居るのだろう。貴族自身が町中に居る事自体は珍しい物ではないが、高位貴族は珍しい。お忍びという事でもなさそうなところを見ると、何か用事があったという事だろうが。目の前の彼女も伯爵家の令嬢であり、ロイロ家も侯爵だ。二人とも高位貴族ではあるが、自分に会う為という目的が少なからずあったのだし。
そうこうしている内に、彼は数人と共に此方へ近づいて来た。
「サラン嬢、供は何処に居る?貴族令嬢である君が、町中で一人で居る事は感心しない」
「あ、そ、それは…」
「それに顔色も良くない。相手はザザ商会の人間だ、世間知らずの令嬢が一人で敵う相手ではない。何を話していたか知らないが、場所や人を選びなさい。ただでさえ、貴女は今注目されているのだから」
最後の一言は、側に居た私達しか聞こえない程度の声だった。配慮、というものだろう。次の瞬間、彼の目が私に向けられた。睨む、という訳ではないが、強い視線だと思った。
「ザザ商会ティーニ家末子、マルガ女史で間違い無いな」
「はい」
「会話を遮って申し訳ないが、彼女の顔色が良くない。供の者を呼んでも問題無いだろうか」
「はい、問題ございません」
「サラン嬢も構わないな」
「は、い…」
彼女の答えを聞いた彼は、周りに居た数名に目配せして、彼女の連れを連れて来る様命じた。素早い対応だと思う。その間、彼は彼女の側を離れないし、私から視線を逸らす事もしない。何かあってはいけないという、警戒心のなせる業というものだろう。