大切な人
さて、私には貴族の知人がいる。二人程。一人は祖母の、もう一人は母の取引先の、子息と令嬢である。
当時、私は人擬きになる最中で、未だ認められては居なかった。その為、近しい歳の子供が居て、私が粗相をしても許される家には、誰ともなく頻繁に連れて歩かれた。その中で出会った二人は、私を見た時、別々に会ったにも関わらず、同じ様な反応をした。
私はそれを覚えさせて貰った。非常に驚いた時は、零れ落ちそうな程目を見開いて、時が止まった様に動かなくなる、と言うことを。相手にそうされた時、此方はどう反応すれば良いのか。一緒に居た祖母や母の反応、相手の周りの反応は、一様に困惑した様な表情をしていたので、こう言う場合は困れば良いのだと言うことを。
二人との出会いは、私にとっては非常に驚いた人の、そして驚かれた側の反応を学んだ話になる。その後も未だに二人には色々教えて貰っている立場なので、知人と言うより先生なのかも知れない。そう考えると、良い先生との出会いだったのだろう。
「相変わらず凄いわよね、貴女の家の力って」
「今や貴族の中で大なり小なり話題やら手に入れるやらしてるからな」
そんな先生二人が目の前に居る訳なのだが、二人は私と同じ歳で、あの式典にも参加していた。何処に居たかは分からなかったが、両方とも伯爵家の子である為、参加しない筈がないのだ。
「…そう言う貴方達だってしっかり持ってるじゃない」
「あら、日頃贔屓にしてる特権でしょう?それに子供が友人同士であるなら尚更、ね?」
「そうそう」
そう、本来身分が違うにも関わらず、二人は友人として接してくるのだ。公の場以外敬語は必要無い等、気軽に気さくに接してくるし、私にもそれをさせる。二人は先生でもあるし不都合も特に無いので、言う通りにさせて貰っている。そしてそんな二人は、其々流行っている物を手に入れ、身に着けている。
「流石貴女のお婆様とお姉様よね、色も形も素晴らしいわ。ジュエリーも欲しいのだけれど、こればかりはかなり難しいのでしょう?」
「そうね、アティは戻ってしまったし、そもそもかなり先まで予約が入っているから割り込ませる訳にも行かないし…アティの作品じゃなければ手に入れる事も出来るけれど」
「アティ氏のジュエリーはもう幻の域よね」
「我が家が取り扱う物はアティの物以外も基本的に量産が難しい物ばかりだから…」
「その辺の遣り取りとして次席の活躍も見事だったね、本当に我が家の贔屓先がマルガの家で良かったよ」
あの式典の後、ザザ商会の頭取、次席は、寝る間も惜しんで忙しく動き回っている。ティーニ家が生み出した流行が、ザザ商会の管轄下で滞りなく動いているか、確認作業をしているのだ。流行は生み出すと同時に、それを動かしてこそ意味が有る。その一端であるアティは、私の髪飾りを姉の要望通りに描き上げ、姉や義兄より先に、義兄の国に戻って行った。それから式典の三日前に完成品が届けられた。満足の行く作品に成りました、と言うメッセージ付きで。彼はデザインをするだけでなく、作り手としても活躍している。普段はデザインのみで、製作は信頼する工房に任せるらしいが、私の髪飾りは彼が全て作ってくれた、本当に貴重な物だった。全く同じ物を、と言うのはハッキリ言って無理なのだ。それはアティのジュエリーにだけでなく、ドレスや鞄、靴、他の物でも同じ様に言える。だからこそ、その後が大事であり、例えば同じ工房、同じ職人等と言った様に、全ての人間が納得出来る所で落とし所とし、円滑に動かしていくのだ。目の前の二人が手にしている物も、その中で作られた物である。
「まぁ、流行云々の話はさて置き、マルガはジンジー伯爵家とブロンス公爵家、ロイロ侯爵家の話は知っていて?」
ジニック・カゼミ。カゼミ伯爵家第二子であり、目の前の二人の内の一人が話を変える。基本的にもう一人のリオン・ラコニカ、ラコニカ伯爵家第三子、次男の彼より、会話の主導権を握る事が多い為、自然と会話は彼女中心となる。そんな彼女から振られた内容、その中に出て来た三つの家。流行とは別のベクトルで、今話題になっている家だった。
「知ってるわ」
我が家でも話題になっていた。
式典の時、子爵から絡まれた所を助けてくれたのが、ジンジー伯爵だったのである。そしてその後ろに居た令嬢が、今話題の一人なのだ。サラン・ジンジー、ジンジー伯爵家第一子にして、ブロンス公爵家嗣子キール・ブロンスの婚約者、だった。この公爵家嗣子も話題の一人で、最後がロイロ侯爵家嗣子、フォーエル・ロイロである。
「…あの式典で父親を伴っていたのが物語っていたって事だな」
「仲が良かったって言われていただけに驚いたわ。まぁ…私からすれば…」
「ジニー」
何か思う事が有るのか、何か言いそうな彼女を、彼が諌めた。
「ありがとうリオン。気持ちが暴走する所だったわ」
「私は別に構わないけれど…」
「貴族の淑女としては駄目なんだよ、俺達は成人したんだから。マルガも甘やかしちゃ駄目だ」
「そんなつもりは無いのだけれど…最近義兄さんにも言われたの。知らずに甘やかしてるのかしら…」
「マルガは基本的に全部受け入れちゃうからね、心地良くて相手が甘えちゃうんだよ」
そんな物なのだろうか。また一つ勉強になった、と頷いておいた。
「…話が逸れたけど、その事がどうかしたの?」
仲の良かった婚約者同士が白紙になり、別の家の人間と婚約しそうだ、と言うのが今回の内容である。元々の婚約が無かったことになり、別の人間と、と言うのは珍しくも無い。政略結婚であれば尚更。彼等の所がそうだったのかは知らないが、正直それがどうしたと言った所だ。
「うーん、貴女は特に何も思わないのよね?」
「何が?」
「その三人に対してよ」
「?そうね…白紙なら双方納得の上なのだろうし、その後誰とどうなろうとも…と思うけれど。貴族内では違うの?」
「…フォーエルがね」
「え?」
ぼそり、と呟いたリオンに、ジニーが頷いた。
「サランとキールが婚約したのは子供の頃、俺達が出会うより数年前だった。元々家同士の繋がりが有って、その流れで自然と結ばれた縁だったんだ。でも、社交界に出るようになったサランは、その可憐さから一躍様々な子息達からアプローチされるようになった。フォーエルもその中の一人だった。婚約者が居て、それがブロンス公爵家嗣子であると話せば、大抵の人間は大人しく引き下がったけど、フォーエルだけは逆に強引になって行ったんだ。そして今回白紙になって、ロイロ侯爵家が出てくれば、話題にもなるだろ?」
「それに、どの家も否定しないもの」
「…成る程」
要するに、フォーエルがサラン欲しさに画策して、仲の良かった二人の婚約を白紙にさせ、サランを得ようとしている。例えそれが事実では無くとも、過去の事実があって今がある以上、その噂話は真実味を帯びる、と言うわけだ。そして、それを誰も否定していない、となれば、誰だって好き好きに話を広げていくだろう。事実、として。
恐らく、我が家も知っている内容だっただろう。私が知らないのは、単純に自分自身が興味が無いという事と、家族も別に知らせる必要すら無い事と処理したからだ。つまり、我が家としてはその程度、という事。日々他人の不幸を蜜としている貴族にとっては、またと無い話題なのかもしれないが、目の前の二人を見ていると、二人自身もその事実自体はどうでも良い様に見える。
「二人は今回の事で何か被害を被る?」
「いいえ。でも嫌なのよね、何て言うか…目障り?」
「ジニー、また本音が出てるよ。まぁ、俺もそう思うけどさ」
「目障り…」
それが二人の本音、この話題に対して思う事。
「この際だからもう言ってしまうけど、私達二人、話題の三人の事が大嫌いなの」
「言っちゃった!さっき折角止めたのに…」
「だって私達しか居ないし良いじゃない。それにマルガが私達の感情を家族に話してどうこうなんて、しないでしょう?」
「あ、その心配をしていたの?だったら大丈夫よ、話さないし、万が一家の人間が聞いたとしても、状況を悪くする事は絶対にしないから」
「マルガはそうかもしれないけど、ジニーは日頃から淑女としてなければ、いざとなった時ボロが出るだろ」
「大丈夫よ、貴方と違って女の戦を経験してるんだから、猫被りは任せて欲しいわ」
「また猫被りとか言っちゃうし…はぁ、もう良いよ」
呆れたリオンは、とうとうため息を吐いてしまった。だが、二人は仲が良い。男女、という関係では無く、単純に友人として、幼馴染として、時に姉弟の様に。互いに未だ婚約者は居ない為、その気にならないのかと以前何かの話の延長で聞いた時、二人揃って絶対に有り得ないと強く否定された。家族同士も二人の好きにさせていて、その内互いに見繕って来るだろうと考えている様だ。跡取りでは無い事も大きいのだろうと思う。
「でも、大嫌いとか、何かされたの?目障りだとも言っていたし…」
「あー…過去にね」
「え!」
「あぁ、安心して。今はもう極力関わらない様にしてるから。そもそも三家とも余程の事が無い限り、管轄も違う俺達の家と関わる事も無いしね」
「けどどんなに避けた所で、話題に上る事が耳障りだし目障りだって話ね。ホント、大人しく生きれないのかしら」
「仕方ないんじゃ無い、本人達は無自覚なんだろうし」
「本当にそうかしら。私、有るんじゃないかと思えて仕方ないわ」
「まさか…だとしたら笑えないんだけど。でも、そうか…可能性は十分に有るな」
話の内容が違う方へ行った。聞いていても分からない内容なのだから、会話に入る事は野暮だ。半分聞き流しつつ、用意されていたお茶とお菓子を頂く。お茶は二の兄お勧め銘柄で、我が家も良く飲む物だ。お菓子は彼女の家のシェフお手製の焼き菓子で、このお茶にも合わせて作った物らしい。
「…と、ごめん、マルガ。君には関係無い話になる所だった」
「気にしないで。けれど聞かない方が良いならお暇するわ」
「そんな事は無いのだけど、もうこの話は止めよう。俺達も気分が悪くなるし」
「そうね、話を振ってごめんなさい。楽しい話をしましょう」
苦笑いする二人に、私は首を振った。気にする必要は無いのだと。けれど、結局二人とも止め、違う話へと変わっていった。邪魔したのであれば申し訳なかったのだろうが、気分が悪くなる内容は二人ともしたく無い様で、互いに一口お茶を飲んで一息つき、他愛の無い話を広げていった。
◇
ジニーの家から戻る途中、私は町に寄る事にした。ここ最近の日課としている遣る事探しの一環でもあり、日々の人に成る為の訓練でもある人間観察の為だ。一番活気が有るのは、場所にもよるが朝や夕方である。今はその夕方、観察には丁度良い。夕食の買い物をする人、仕事帰りの人、劇場へ向かう人…格好も身分も様々行き交うこの場所は、見ていて為になるのだと、以前兄にも勧められた。
今居るのは、二の兄がオーナーを務めるカフェの窓側。いつも座るこの席で、周りの人が見え難くなる直前まで、飲み物を飲みながら過ごす。私が二の兄の妹であると知っている店の人達は、私が来るといつも快く迎えてくれるし、何も言わずとも整えてくれる。お礼は勿論言うし、お金も払う。所謂常連客として扱って貰っている、と言うわけだ。飲み物一杯で小一時間居る、あまり良い客では無いのかもしれないが。今日も例外無くそうなる予定だったが、申し訳なさそうに店員が側にやって来た。
「…どうかしましたか?」
「申し訳ございませんお客様、実は……」
更に半端近付き、私に耳打ちする。内容は、ある貴族がこの席の相席を希望しているが、通して構わないか、というものだった。果たして断れるものだろうか、答えは否だ。私に退けと言うわけでなく相席を希望という事は、私に用事があると言う事。そもそも相手が貴族である以上、例え王家にもめでたい人間であっても高々商家の人間が、断る事は無礼に当たる。
さて、誰か分からないが、一人で対応出来るだろうか。私は了承の意を店員に伝えた。